2年ぶりに琵琶湖で遊ぶ

旦那さんは、26日まで滞在予定だったが、オーディションがあるとのことで、朝、東京へ戻って行った。

お義父さんに車で琵琶湖へ連れて行ってもらう。

2年ぶりの琵琶湖だ。

 

子供らは準備運動もそこそこでどんどん沖へ(琵琶湖は広いので、しょっぱくない海感覚)行ってしまった。二人とも一応浮き輪を持って行っているが、浮き輪から離れて頻繁に潜るので、極力至近距離で見守っていないと不安。

 

浮き輪は二つあり、一つはハイビスカスの花柄、もう一つはミニオンズのキャラクターもの。適当に買っただけで、買った当初は子供らはミニオンズの存在を知らず、何の問題もなかったのだが、今は二人ともミニオンズが大好き。

なので、深い所へ行ってしまう危険度プラス、ミニオンズの浮き輪の奪い合いのバトルも起きて、中々大変。

基本的に子供らが浮き輪を使い、私が適当に側を遊泳し、子供らが潜っている間に、遠くに流された浮き輪を回収したり、潜っている間はどの辺りにいるかを見張ったり、疲れたら浮き輪につかまらせて貰うスタイルに落ち着いた。

 

プールだと、泳いだり、追いかけっこをしたり、潜ってジャンケンをしたり・・・ぐらいの楽しみしかないが、琵琶湖は潜って、水中を眺めているだけでも、面白く、いつまででも湖内に居続けられてしまう。

 

以前ライフジャケットの購入も切実に考えていたのだが、ライフジャケットは潜れないので、絶対に来て貰えないと、結局購入を見合わせた。

1cmに満たないような魚から、10cm前後の魚が数匹泳いでいるのを見かけては、

「魚!魚!」

と、皆で潜って眺めたり、前方や後方にぐるぐる回転したり、横にもぐるぐる回転したり。

 

泳ぐのが目的ではなく、ただの手段になる。

 

ニンタマは、数か月だけ市民プールで水泳講習を受けたことがあるが、プン助は特に習ってはいない。なので、水泳のフォーム的には、ニンタマの方がきちんとしている。

だが、湖の中のプン助は、泳いでいるというよりも、クラゲなどががあちこち自在に動くような様子で好きな方向へ移動している。

 

鬼ごっこなどでは、やたらとすばしっこいのに、50メートル走になると、全然早く走れない。ただ走るとか、ただ泳ぐ…とかには楽しさや目的が見いだせないのではないかと思う。

 

私自身も、一時期健康の為にプールに通っていたことがあったが、断然琵琶湖の方が楽しい。

子供の見張りと称して、付き添っているが、よく2年も琵琶湖に来ないでいられたな・・・と、思うほど、気持ちが良く楽しい。

ああ、この炎天下に泳ぎまくったら、またシミが濃くなってしまうだろうな・・・。

 

しかし、1時間半ほど湖に使っていると、さすがに少し体が冷えて来る。

ぷかぷか浮いているだけでは、体が温まらない・・・と、激しくクロールをしてみたり、体内を自家発電しようと試みるが、ニンタマに

「ママ、大丈夫?唇が紫だよ」

と、言われてしまう。

「大丈夫、まだそんなに寒くないよ」

と、答えたものの、次第に指先がしびれて来た。

 

唇が紫色になっていると聞いた途端、魔法にかかったようにどんどん冷えて来る。

「戻ろうか」

 

心底冷え切ったからか、暖かいシャワーに使っても、その後、数時間、温まらなかった。

暑い国で水風呂に入るのは、理にかなっているのだな・・・と実感した。

 

 

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久々に充実のフル稼働…そして、2年ぶりの帰省

午前中、フル稼働。

洗濯やら、掃除やらをガンガンやる。

久々だ・・・こんなにフル稼働する自分。

いつも疲れ果てていて、掃除や家事が苦痛で仕方がなかったのだが、今日は全然辛くない。

 

そうか・・・プン助と旦那さんが帰省していて、二日ほど、ニンタマと二人きりの晩を過ごし、リフレッシュしたから大分元気が回復したのかもしれない。

そして、誰にも作業を中断されずに思うがままに家事がやれているからかもしれない。

今日の自分、まるで有能な人みたい・・・。

 

そして昼に卓球へ。練習は3時間あるのだが、1時間半だけやって帰り、旦那さんの実家の滋賀へ向かう。

 

「新幹線では、ママの膝枕で寝るからね」

と、ニンタマ。

ニンタマは最早私よりも身長は6cmも大きく、体重もそれなりに成長。さすがに膝枕は無理なのでは?と思ったが、座席に座るや否や、ひざの上にゴロンとされた。

ニンタマは大分背中を曲げる感じになっていて、それでも私の膝からゴロンと落ちそうなほど、頭をはみ出していたが、何故か落ちることなく不思議なバランスを保って眠っていた。東京駅から名古屋まで、互いにちょっとずつ、微調整をしながら、この体勢を保つ。

かなり重かったが、私の方もギリギリな感じでなんとか持ちこたえることが出来た。

これ以上ニンタマが大きくなったら、座席での膝枕は不可能だろう。

 

この苦行には、まだ25%程度の幸福感があった。なので、積極的にやりたいわけではないけれど、できなくなると思うと、ちょっと寂しい。

 

京都で乗り換え、最寄りの駅に到着。

「プン助、迎えに来てると思う?」

「思う」

何も約束はしていないが、何時の電車に乗ったなどの連絡はいれていた。

改札へ着くと、案の定プン助は来ていた。

旦那さんも一緒。

プン助は、丸見えなのに即座に何かの看板に身を隠す。

 

家でも、毎日隠れるので最早「どこかな?どこかな?」などと、探すフリなどもせず、スルーしているのだが、飽きもせずに必ずこういう時には隠れるのだった。

 

「ありがとね、迎えに来てくれて」

と、言うと

「しくった!見つかったか!」

と、悔しそう。

 

旦那さんの実家へ到着。お義母さんが出迎えてくれた。

今は、スマホで顔を見ながら会話ができるので、あまり久々感はないのだが、リアルに顔を合わせるのは、ほぼ2年ぶり。

 

畑で収穫したキュウリやトマト、オクラ、パプリカ・・・と、獲れたての夏野菜が食べ放題のような夕食を頂きながら、近況を語り合う。

 

普段は、乾麺やパスタや炭水化物ばかりで、腹を満たしていて、それほど不快に思っていたわけではなかったのだが、久々の野菜尽くしの食卓が異様に、うまくて・・・というか、明らかに体が「これだよ!これが欲しかったんだよ!」と、大はしゃぎしているような状態になった。

ただでさえ、物価高で野菜をそれほど買えない中、なけなしの野菜を冷蔵庫で数日保管しながら、ちびちび料理に使っていたが、最近、偏食傾向が増した子供らは「野菜嫌い~」と、殆ど手をつけなくなっていた。だが、ここでは

「おいしい、家ではキュウリ食べないんだけど」

などと言って、バカスカ食べていた。

 

獲れたての野菜は、勢いとかエネルギーの類がまるで違う。

美味しいとか、そういうこと以外に何某かの力が働いているのか、もっと食べたい・・・と、どんどん食べ続けてしまう。

 

何かが、生き返るような感覚。

 

あと数年経っていたら、こういう感覚は感じなくなっていたかもしれない。

 

 

こっちに来てから、プン助はびっくりするほどいい子にしている・・・と聞いていたが、いつも通り、誰の言う事も聞かずに、ゴネていた。

 

琵琶湖で泳いで遊び疲れたのではないか・・・とのことだった。

遊ばないと欲求不満で、不機嫌になるのだが、楽しくて遊び過ぎると、やはり不機嫌になるのだ。

久々に、琵琶湖へ行って楽しくてたまらなかったのだろう。

コンスタントに疲れすぎないように遊べると良いのだが、楽しくなると、自分が疲れていることに気付かず、遊び続けて不機嫌になるので、その匙加減が中々難しい。

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3月30日苗場スキー旅行①

※最早6月になったというのに、3月29日のスキー旅行①②に引き続き、3月30日スキー旅行のことを書きました。ずるずる引っ張ってしまいますが、せめてスキー旅行二日目までは書いておきたいと今更ながらのアップです。

 

3月30日苗場スキー旅行①

苗場スキー二日目。

でも、子供らは今日の午後からスキー合宿参加なので、午後からは旦那さんと二人ぼっち。

しかも旦那さんは、お仕事のzoom研修で午前中はペンションに残ることになっている。

そのまま3人で滑れれば良いのだが、ニンタマは合宿に参加する前の午前中だけでも、スノボがやりたいと言う。

スノボをレンタルしたりするのも、何気に小一時間くらい時間がかかる。その間、プン助をどうしたらいいのだろう。不本意に時間が取られるとキレるに決まっている。かといって、一人で滑りに行ったりするとも思えない。

「ニンタマのせいで、滑る時間が減った!」とか、レンタルスキーのお店でずっと騒ぎ続ける可能性を考えて、ちょっと不安になった。

だが、「お姉ちゃんが、スノボの板をレンタルしている間、一人で滑ったりできるかな?」

と、プン助に言う前に、

「俺、一人で滑って来るから」

と、ちょっとの待ち時間も勿体ないと言わんばかりに、プン助は凄い勢いでリフトへ向かったのだった。アイツ・・・いつの間にか立派になりやがって・・・。

考えてみたら、4月から小5。

一人で滑るくらい当たり前なのだが、ちょっと胸アツな気持ちになる。

 

ニンタマのスノーボードセットはプリンスホテルでレンタルした。苗場で少しでも安上がりでスキーをするために、プリンスカードを作って、せっせとポイントを溜めていたのだが、そのポイントでレンタル料金は賄えた。

 

いざ、スノボ!へGO

 

「ねえ、ママ、どっちの足が前なの?」

そう聞かれて、すっかり戸惑った。

そういえば、昨年もニンタマがスノボをレンタルした時、どちらの足を前にします?って聞かれた気がする。どっちだったっけ?

 

私も、30代のほんの数年、スノボをやっていたけれど、全然思い出せない。

 

「去年ちょっとやった時、どっちだった?」

と、ニンタマに聞くが、ニンタマも前年に半日だけやったスノボの記憶は定かではない様子。

すると、目の前でスノボをやっている若い女子二人が、右足を前にセットして左足で雪面を蹴って、リフトへ向かっていた。

 

「右足だよ!右足が前だよ!」

 

と、ニンタマに言う。ニンタマも、私の言うとおりに、右足をスノボに固定。

 

「怖いから、リフト乗るまでママにつかまっているね」

と、私にしがみつくようにしながら、リフトに乗るニンタマ。

 

昨年ちょっとスノボをやっていたはずだが、1年ぶりでは無理もないのだろう。

リフトの度に介助をしつつも、ニンタマは、初心者コースを3回転ぶ程度で滑っていた。

私がスノボを始めた当初、3メートル移動する度に転び、ほぼ転がりまわりながら降りていたことを思うと、その100倍は筋がいい。

ニンタマも最初は「私天才じゃない?」と、言いながら楽しそうに滑っていた。

だが、転ぶたびに手袋の隙間から氷が入ったり、お尻がつめたくなっていくらしく、次第にテンションが低くなって行った。

ゴンドラを滑り飽きた、プン助も合流し、

「ニンタマ、下手くそ~」

と、言ったりして、ニンタマもすっかり不機嫌に。

そうこうするうちに、zoom研修が終わった旦那さんが合流し、午前中の滑りは終了した。

 

午後からは、子供らはスキー合宿。宿泊しているペンションAから、徒歩5分の山荘へ荷物を運んで合流。

 

午後からは旦那さんと二人きりなので、のんびり滑ろうと思っていたのだが、レンタルしていたニンタマのスノボの返却時間は17時。さっさと返却してしまおうと思いつつ、午前中滑っていたニンタマを見て、もう一生滑らないし、滑れないだろうと思っていた燃えカスのほうなスノボ熱にちょっとだけ火がついてしまった。

「一回だけ、簡単なコース滑ってみたいんだよね」

別に旦那さんに許可を取る必票もないのに、そんなことを言ってしまう。

「骨折するからやめたほうがいいよ」

と、止めて欲しいのか、「やってみたら」と、言って欲しいのか、自分でも

分からなかった。

「17時まで使えるなら、滑ればいいじゃん」

キョトンとした顔でそう言う旦那さんの言葉に、まだ私は即座に止めなければいけないと思われる程、ポンコツには見えないということか…!と、謎の自信を得て、早速スノボの準備をしたのだった。

 

3月30日苗場スキー旅行②へ続く

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2022年3月29日 苗場スキー旅行②

苗場スキー旅行3月29日②

ちょっと足慣らしした後、子供らは、早々にプリンス第2ゴンドラに乗りたがった。

私が鎖骨を骨折した大斜面があるコース。7,8年前はノンストップで急げば5,6分で滑り降りることが出来たが、股関節の調子が悪化してからは、15分かかるようになっていた。雑に滑って怪我をしたくない…というだけではなく、心肺機能的にも息が切れて飛ばせなくなっていた。旦那さんも、舞台で何度も膝を痛めているので、無理はできない。

「ニンタマとプン助だけで行って来い。俺らはこっち(下の緩いリフト)でのんびり滑るよ」

旦那さんがそう声掛けしてしばらく別行動。

暖かくなって来たので、雪は緩んでいて板は走り辛かったが、溶けて柔らかかったので、転んだとしてもダメージは低そう。旦那さんとリフトに乗っていると、カラフルなウェアを着た中学生くらいの少年が絶叫しながら、滑り降りて来るのが見えた。お尻を突き出して、思いっきりボーゲンスタイル。怖さと楽しさが入り混じっているのだろう。

「プン助も、前はいつも叫びながら滑ってたよな」

などと、懐かしい思い出を語りながら数本滑ると、下の緩いコースでは物足りなくなって来た。

「よし!ゴンドラに乗ろう!」

そこで、子供らと合流。

吹雪きとかアイスバーンの時は地獄のように感じるコースだが、この日は割と楽な状態だった。しかし、数年前まではいつも先頭を滑って、皆が中々降りて来ないのを、ジリジリしながら待っていたというのに、今は私が最後尾。たった数年でのこの凋落ぶり…。皆が上手になったということなので、嬉しいことではあるのだが、少し惨めさも感じる。

ニンタマは私よりも身長も体重も上回っているが、板はジュニア用の板。私の板の方が本来、走るはずなのだ。だが、あっという間に抜かれてしまう。プン助など、身長も小さく体重も軽いし、板も短いというのに、やはり私をあっという間に追い抜く。旦那さんは、身長も体重も板の長さも私より大幅に上回っているので仕方がないのだが、スキーに対する情熱と気合では私の方が10倍くらい上回っているハズなのだ。私は特に板に減速するような圧をかけている覚えはないのだが、どこか腰が引けているのだろうか…。いや、気にするまい。ビリっけつだろうが、なんだろうが、「皆で滑れているという幸福」を満喫せねば…。

 

数本滑ってゴンドラに飽きた子供らは下のリフトコースの脇にある、ガチで滑りたい人ように作られた、コブ斜面を滑り始めた。

コブ斜面は初級、中級、上級の3コースあった。横から初級コースを滑るプン助を見ていたら、コブの溝に身体半分隠れて全く見えない。初級と言えど、随分深い溝があるようだ。

「初級はね~、一つ一つのコブが大きくて、却って曲がり辛いんだよね。上級の方がボコボコしてるけど、実は滑りやすい。一番難しいのは中級」

と、プン助。

「そうそう」

と、ニンタマ。

ああ・・・私もコブに挑戦したい。ふっとばされてもいいから、滑りたい。でも、ここ数年の私の股関節と腰の不調を考えると、絶対にやってはいけないことなのだ。昨年リハビリを頑張って、やっと無茶をしなければ、そこそこ運動をできる状態まで、もってきたのだ。3年前にも調子がよくなったから…とコブに挑戦し、コブを滑っている途中に筋肉がブチっとなって、まともに歩けなくなったこともあった。股関節や腰の調子が騙し騙しではなく、もう少し改善するまでは絶対コブには入らない・・・と自分に言い聞かせて、スキーに来ている。

そもそも、人間は自分の体が必ず治ると勘違いをしているが、完治などというのはあり得ないのだ。入らない。コブには絶対・・・。

私と旦那さんはコブには入らず、子供らの撮影。

撮影しはじめた途端に、子供らは意識するのか、コースアウトしたり、転んだりし始め、何度も何度も撮りなおした。

「中級が難しいから中級を滑る」

と、言っては撃沈するのを見て、痺れを切らしてしまう。動画を観るときには、どのコースが難しそう…など、全くわからないのだ。なんでもいいから、上手そうに滑っている姿を撮らせてくんないかな…と、雑に思う。

コブコース撮影の為に、何度もリフトに乗っていると、先ほどのカラフルウェアの少年がまた絶叫しながら滑ってるのが見えた。

「あれ?あのコちょっとうまくなってるね」

2時間程前はもっと、腰が引けていたのだ。

「でも、絶叫はしちゃうんだね」

その少年の成長を見た後、コブ斜面を滑るプン助よりも若干年齢が低そうな女の子を目撃。凄くうまいわけではないのだが、気合いが凄まじいのが、オーラとして漂っている。その子は、父親らしき人と二人で滑っていた。父親らしき人も、一級保持者くらいの実力に見えた。

「お父さんがうまいと、習わせなくてもあんなに上手くなるんだなぁ」

と、旦那さん。

私達は、コブ斜撮影を終えると、すぐ下まで滑り降りて、またコブ斜面まで来て…というのを繰り返していたが、その親子は違った。一度コブを滑り降りても、リフト下まで滑り降りず、自力でそのコースの上まで登って、再度降りて来るのだ。

私が小学生の頃は、今よりもリフトは遅かったし、混んでいたので、よく登らされた記憶はあったが、今時あんなに長いコースを上る人達を見たことが無い。

なんてガチすぎる親子なんだ…。

星飛雄馬のスキー版?

などと思ったが、よく見ると、女の子が率先して登っていて、父親らしき人は後からついて行っているのだ。

「嘘でしょ・・・」

「お父さん、大変だな。まだやるのかよ…勘弁してくれよって思ってんじゃないかな」

有名なスポーツ選手になるのは、こういう情熱を持つ子供なのだろうな・・・と思った。いつも、親が全面的にバックアップしているのを、信じられない思いで見ていたが、こういう根性を目の当たりにしたら、付き合わざるをえないのかもしれない。

 

そんな運命に翻弄されてみたいようなされたくないような、複雑な気持ちになった。

 

初日だし、そんなに無理せずに早めにあがろうと思っていたのだが、結局5時ギリギリまでリフトに乗って、滑り終えた。

 

 

素泊まりなので、どこかで夕食を食べなければならない。とっととペンションへ戻り、飲食店を探しに出た。

昨年、宿からすぐのところに、ラーメン、パスタ、カツカレーと、何を頼んでも美味しくて、なおかつ、時々好意でクレープまでデザートで出してくれる、夢のようなお店があり、昨年はそこに毎晩通い詰めていた。ニンタマもプン助もずっと「またあの店に行きたい」と、言っていたので、まずはその店へ向かってみる。だが、closedの看板。店主のものらしき車もあり、奥に明かりもついているようなのだが、営業はしていない様子。

「今日はやっていないのかな・・・」

プリンスホテル内も、昨年よりもずっと飲食店や売店が減っていた。ペンション、ホテル、飲食店が立ち並んでいた通りも、ここ数年はかなり閑散として来ていたが、今年は輪をかけたように閑散度が激しくなっている。あの夢のお店も営業をやめてしまったのかもしれない・・・。

と、その向いに、はっきりと営業していそうな居酒屋Aがあった。

Aは旦那さんと結婚前に、仲間達と撮影に来た時に、二人で飲みに行ったこともある店だった。当時とは代替わりしたようだが、昨年も夢のお店に通い詰める前に、入ったことを思い出した。

それほど美味しくはなかったが、地元の常連さんが通い詰めているような、どこにでもある居酒屋という感じだった。

最悪、どの店もやっていなかったら、ここに来ればいいか…と、ちょっと覗き込んでいたら、中から一人、スーツ姿の男性が出て来た。

「ここ、入るんですか?」

と、聞かれ、旦那さんが

「いえ、まだどこ行くか決めてません」

と、答えると、

「ここ、美味しいですよ!オススメです!」

と、力強く勧められた。

男性はスキー客でもなさそうだし、飲食した後のようでもなかった。

そこまで激推しされるような店だっただろうか・・・と、ちょっとした違和感を覚えた。

 

とりあえず、もう少し先まで歩いて店を探すことにした。

昨年には見かけなかった沖縄料理屋が一軒、焼き肉屋が一軒…。

「ちょっと先に、去年オープンした、こじゃれた居酒屋みたいなのあったよね・・・?」

「あそこは、結構お高めだったよ」

「そっか…」

などと話していると、ニンタマが焼き肉屋の前で立ち止まる。

「ここがいい」

「焼き肉屋かぁ・・・」

値段を見て見ると、牛角とかよりは明らかにお高め。ここで子供らがのびのびと肉を食べたら、ちょっと厳しいな・・・。

沖縄料理店を見る。

謎に他の店には見られない活気が漲っている。

「うーん、でも・・・スキー場に来て沖縄料理もねぇ・・・」

 

本当、店ないなぁ・・・。

諦め半分で、私と旦那さんは、振り返って居酒屋Aを見る。

「大して美味しくないけど、そんなに高くないし、あそこでいっかぁ・・・」

「うん、迷ってる時間が勿体ない」

親が居酒屋Aに向かって歩き出すと、

「え~~~!」

という不服そうなニンタマの声。

「他にお店やってないんだからしょうがないでしょ!」

正確にはやっている飲食店はあったのだが、スキーがメインの旅行のつもりだったので、食事はそこそこ安ければ、まあいいや…という気持ちだった。

 

居酒屋Aのドアを開けると、まだ客は誰もいなかった。カウンターの中に、30代後半の店主と思しき男性が、ちらっとこちらを見るが、無言。

 

無言?

 

それ以上足を踏み入れるのがためらわれるような緊張感に見舞われた。

「いらっしゃいませ」の一言もないどころか、「マジかよ、客来ちゃったのかよ」と、思っているかのような、うっすら敵意のようなものさえ感じる。

 

敵意?まさか・・・普通、お店に入ってたら歓迎されこそすれ、敵意なんか向けられるはずかない。気のせいだ。きっと気のせいに違いない・・・。

 

 

結界が張られたような店内の奥へ進み、「ここ、座っていいですか」と、店主に声を掛つつ(返事はないが)、座敷へ座る。

 

水はセルフサービスだったので、こちらを無視しているかのような店主をよそに、4人分の水をじゃんじゃん運ぶ。

 

やっと、店主がのろのろと、こちらの席へメニューを持って来た。

ラーメン、餃子、おでん、焼き鳥など、品数は多いのだが、切り盛りしているのはこの店主のみ。こんな沢山の品数、一人で作れるのだろうか?

そして、こんなに閑散としている苗場で、いつでもこのメニューを出せるように仕入れても、食材が無駄になってしまうのではないだろうか?

 

昨年の夢のようなお店も、切り盛りしているのは店主のみだった。なので、ものすごくおいしかったのだが、注文してから出て来るのも時間がかかっていた。居心地のいい店内なので、それほど苦にもならなかったが、こんなに居心地の悪い店内で、長々待たされることを考えると気が重い。

だが、注文せねば。

「飲み物は無しでいいか。食べ物注文しよう」

と、旦那さん。

最初の一杯は、必ずアルコールを頼む旦那さんからすると、これは異例のことだ。

何も言わなくとも、私と同じヤバさを感じ取っているのだ。

食べ物…何を頼もうか・・・。

「餃子頼もっか、餃子二人前お願いします・・・、あと、おでんと、ポテト?・・・お願いします」

がっつり食べずに、皆で適当につついて、後は8時まで空いているお土産屋さんで、飲み物を買いがてら、パンとかおにぎりとかカップラーメンでも買えばいいような気持ちから、私はそう言った。だが、

「私、チャーシュー麺」

「じゃあ、バター麺」

「俺はにんにく麺」

と、私以外は全員立て続けにラーメンメニューを頼んだのだった。

 

「ここでそんなにがっつり食うのかい!?餃子、おでん、ポテト以外にラーメン三種。

このやる気の一切なさそうな店主一人で、これを出すのを待っていたら、えらい時間がかかるんじゃないの?大丈夫?皆大丈夫なの?」

 

とも、話すことができず、もどかしい気持ちでいっぱい。

 

だが、私の予想に反して、すぐに餃子とおでんは出て来た。

「え?早い!」

と、見て見ると、見た目的に明らかに冷凍とレトルトだということが分かった。

 

それはそうだ。殆ど客が来ないような中、全部材料を仕込むのなんて、無理だ。冷凍とレトルトじゃないと確かにやっていけないだろう。

しかし、一人前5個の餃子がものすごく小さい・・・。

二皿出て来たが、片方の餃子には焦げ目もついていない。

 

食べてみると、全然おいしくない。

それはそうだ・・・見るからに美味しくなさそうだもの。これが美味しかったら、びっくりだよ。しかし、冷凍とは言え、こんなにおいしくない餃子があるのか・・・。安い冷凍というだけではなく、かなり古いのかもしれない。

一つ食べただけで、二つ目を食べたい気持ちはなくなった。皆はラーメンを頼んでいるので、私は餃子とおでん担当。ちびちび、餃子とおでんを食べる。おでんはおいしくはないとはいえ、真空パックに入っていたからか、古そうな味はしない。

「ママ!たまご頂戴」

「ママ餃子食べていい?」

ニンタマは卵を欲しがり、プン助はがつがつ餃子を食べている。

「餃子、思ったよりは・・・おいしい」

とのこと。

餃子とおでん担当のつもりだったが、それほど食べないうちにどちらもなくなった。

助かった・・・。

子供の食欲は凄い。

 

ポテトフライは、どこでも冷凍を食べなれているからか、皆でがつがつ食べた。

そして、ラーメンがやって来た。

 

ニンタマのチャーシュー麺のチャーシューは脂身がかなり多く、この見た目はおいしい場合は、かなりおいしいが、おいしくない場合はかなりヤバイ。

プン助のバター麺は、普通のラーメンに四角いバターが乗っかっているだけのシンプルな感じ。

そして、ニンニク麺は・・・。

「これ・・・ほんとうにまんまにんにくなんですね」

旦那さんがそう言うと、店主は

「はい」

と、だけ言って去って行った。

ニンニク麺と聞いてなんとなく想像していたものは、揚げにんにくのようなものとか、ガーリックプレスで潰されたにんにくがトッピングされているようなイメージだったが、ラーメンの上に、チューブのにんにくをニョロニョロニョロっと絞ったとしか思えないラーメンが来た。

 

家族全員、しばらく無言でニンニク麺を見ていたが、しばらくして無言で各々のラーメンを食べ始めた。

 

「ニンタマ、ちょっとだけチャーシュー麺頂戴」

 

ニンタマから、チャーシュー麺を分けて貰って食べてみる。

 

予想通り、このチャーシューはヤバイ奴だった。チャーシューは結構サービス満点にのせられている。

 

「ママ、もっとチャーシュー食べていいよ」

「もう大丈夫、ありがとう」

ニンタマはもそもそチャーシューを食べ続ける。

旦那さんが、

「俺、辛いの入れちゃうから、辛いの食べられないヤツは今、食べたほうがいいよ」

と、自分のラーメンを子供らに勧める。

子供らはニンニク麺を一口食べて、もうそれ以上食べようとはしなかった。

「私にもちょっと頂戴」

私も、恐る恐るニンニク麺を貰う。

「!!!」

なんだろう・・・確かににんにくチューブの味なのだけど、パンチがありすぎる。パンチ・・・というか、えぐみ?

チューブにんにくもかなり古いのかもしれない。

大量に食べると、一日中この残り香にやられそうな・・・。

店主に聞こえるかと思うと、何も感想が言えない。

旦那さんは、唐辛子や酢、胡椒などをドバドバ入れて、味変を試みながら食べ続けた。

 

そして、プン助のバター麺も貰う。

「お・・・?」

 

決して美味くはないのだが、チャーシュー麺とニンニク麺ほどの、ヤバイ衝撃がない。

麺も味にも何の締まりもないのだが、先ほどの二つの麺を食べた後だと、美味しくさえ感じる。

 

「もうちょっと頂戴」

空腹をとりあえず、ガツンとしたマズさの無いバター麺で満たさせて貰う。

 

やっと、全員食べ終えた。長かった。

一刻も早くこの店を出たい。逃げ出したい。

「じゃあ、そろそろ出ようか」

と、旦那さんが切りだした。私も腰を上げかけた。だが、

 

「僕、もう一皿餃子が食べたい」

 

と、プン助の大きな声。

 

「え?!これから?!」

「今更いうなよ!食べたかったら、もうちょっと早く言えよ」

「ママ、お腹いっぱいだよ。ね、餃子食べたかったら、またにしよう?」

「今、食べたい」

「じゃあさ、東京戻ったら、作ってあげるから」

「今、餃子が食べたいの!お願い!」

「いや、風呂の時間もあるしさ、とりあえずもう帰ろう」

「売店でお菓子とか買って、風呂から出たら食べればいいじゃん」

「僕、どうしても今、餃子が食べたい」

 

嘘でしょ・・・この、おいしくもない…いや、どちらかと言うと、不味い・・・いや、正直言って、糞不味いこの餃子を、食べたいって・・・本気なのか?

 

「とにかく、ペンションに戻ろう」

「お願い、食べたい!」

「いやいや、また明日美味しいもの食べればいいじゃん」

やっと、この店から逃げられると思ったのに・・・もう、一秒だってこの店にいたくないんだよ…分かってくれよ、プン助!

「お願い、食べたい!お願い!お願いします!」

 

プン助は、その場で土下座をしたのだった。

 

何故、こんな餃子の為に土下座なんか・・・。

 

「やめて、土下座は」

「お願い!お願い!」

プン助は座布団に頭をこすりつけている。

 

人生の中で困惑した瞬間グランプリがあったら、1位か2位を争うよう程、困惑した。

この店の餃子が食べたいと言って、土下座をしている人間なんて、おそらくこの店がオープンした数十年前から数えても、初めてであろう。

 

とにかく、ダメだダメだと言い続け、なんとかかんとかプン助を諦めさせ、逃げるように店を出た。

 

店から出た瞬間、ものすごい解放感。どれほど、この瞬間を待ちわびていたか。

明らかにあの店主のというか、店全体を覆う妖気のようなものが漲るヤバイ空間から、やっと抜け出せた!

 

「いや~~~~、ヤバかったね~~~!!!!」

「不味かった~~~」

「いらっしゃいませも言わないとかおかしいよね」

「入った瞬間、『ああ、客来ちゃったよ、来んなよ!』みたいな顔してたよね」

「客が来たら、腹を立てるってどういうことなんだろう!」

「もう、やっと出られるって思ったのに、プン助が餃子もう一皿とか言うから、死ぬかと思ったよ」

「ホントホント」

それまで、言いたい事が何も話せず、まくしたてる私と旦那さんとニンタマ。

その様子を見て、キョトンとしているプン助。

「え・・・そうなの?」

 

そうか・・・プン助だけは、あの店のヤバイ雰囲気を微塵も感じなかったのか。

「凄い奴だなお前」

「あの餃子、本当においしいと思ったの?」

「いや、確かに凄いおいしいって訳じゃないけど、餃子が好きだから・・・確かに、ニンニク麺は不味かったけど」

「ごめんね、店の人がいるから、ママ達がヤバイって思ってるの言えなくてさぁ」

あの息のつまる空気の中、無傷でいられるのも凄い才能かもしれない。土下座のお陰で窮地に追い詰められた気持ちになったが、些細なことにビクビクする身としては、ちょっと羨ましくもあった。

 

その後、お土産物屋で、お菓子やアルコール、牛乳、翌日の朝食になりそうなものなどを買ってペンションへ戻り、風呂へ入り、口直しのように皆でお菓子などを食べて寛いだのだった。

 

しかし、昨年まで、大して美味しくなかったとはいえ、去年は、それなりにカウンターの常連さんがいて、あの店主も時々会話に加わったりはしていた気がする。あの時は他のお客さんもいたので、初見の客に対する素っ気なさも大して気にならなかった。コロナ禍で、どんどん店が撤退する中、ギリギリでやっているうちに、こちらが想像つかないような精神状態になったのかもしれない。

 

そして、忘れていたが

「ここ、美味しいですよ!オススメです!」

と、私達に話したあの男性はどういうつもりだったのだろうか?

あの人のあの一言がなかったら、恐らく居酒屋Aには入らなかった。

 

あの人の一言のおかげで、大して美味しくなかった店だったけど、もしかするとおいしくなったのかもしれない・・・みたいな気持ちが起きたのだった。

※もう、今更すぎて、書くのを断念しようと思ったが3月29日のスキー旅行②を書きました。30日、31日、4月1日まで書くかは気力次第。ここから読まれる方は4月5日にアップしたスキー旅行①を読まれる方が、内容を把握しやすいかと思います。だらだらしていて本当すみません。

 

客足が途絶え、腐っていた店主のお節介な友人が何かと励ましに来ていて、「もういいんだよ」と、やる気をなくしているのに、客が来たら、あいつもその気になるだろう・・・と、私達家族を送り込んでやろうとしたのだろうか?

 

それとも、集金に来ていた取引業者で、糞不味いことは分かっているけれど、客が入らなきゃお金を回収できないと思い、なんでもいいから客を送り込もうとしたのだろうか?

もしくは、実は私達の直前にあそこで飲食をして、あまりに不快な思いをしていて、他の人間も同じ目に遭うがいい・・・との思いだったのだろうか。

 

最早、あの人が、「おススメ」した理由を知る方法はないのだが、気になって仕方がない。

 

その晩は、久々に家族4人で川の字になって寝た。

こういうペンションに宿泊する初日は、大概部屋も部屋に置かれていた布団も、尋常じゃないほど冷えている。布団の中が冷たすぎて、発熱体のようにいつも熱いプン助に、家族全員がしがみつくようにして暖を取って、眠りについたのだった。

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2022年3月29日 苗場スキー旅行①

(※先週のことになりますが、スキー旅行についての記録を書くことにしました。日にちはずれてますし、きっとずるずる長く続くと思いますがなんとか4月1日に帰って来るまで書きたいと思います)

 

昨年は、お仕事をしていたものの、どの仕事もまともに実現しなかった。今現在も、やるはずと言われていたお仕事を抱えている。だが、本来なら忙しいはずの時期なのに、全く音沙汰もない。PTAでも忙しいはずだったが、コロナで役員の学校内の立ち入りが土日以外ダメ…ということになり、今シーズン、スキーは無理だろう…と諦め、子供だけスキー合宿に投入することにしていたが、「あれ?これ、私も行けるのではないの?」と、いう気持ちが3月半ばからムクムクとこみ上げていた。だが、中々旦那さんに切りだせずにいた。

 

収入がピンチの我が家では、子供の合宿でさえ中々の痛手。昨年大した稼ぎもなかった私がスキーに行きたいなんて言ったら、「蟻とキリギリス」のキリギリス認定されてしまうに違いない…と怯えていたのだ。だが、子供の合宿の手配をしている最中、「この期間、俺達もいけるんじゃない?」と、旦那さんの方から言ってくれたのだ。

「え?いいの?」

このチャンスを逃すまじ!・・・と、速攻で宿の手配をしたのだった。

(後で判明したのだが、旦那さんは子供達が参加申し込みをした2回の合宿のうちの1回目をキャンセル待ちのキャンセル待ち…と伝えたことで、子供達も1回しかいけないなら、可哀そうだし、少しでも子供達が長く滑れるように親も一緒に合宿の前から宿を取ればいいのでは?と思っていたらしい。

だが、蓋を開けたらキャンセル待ちのキャンセル待ちでも、1回目の合宿に参加できてしまったので、「あれ?!子供は2回合宿行くの?だったら、俺達は行かなくてもよかったのに」と、思っていたらしい。だが、着々とその気になって準備をしている私を見て、取りやめようと言い出せなかったとのことだった)

 

そんな風に楽しみにしていたスキー旅行なのだが、我が家の旅行はいつも朝から、大変。

まず、プン助が起きないのだ。どんなに前もって約束していても起きない。そして、荷造りもどんなに自分でするように言っても、しないのだ。本人曰く、できない・・・とのことだ。私自身も異常な程荷造りが苦手で苦痛な人間なので、できない…と思う気持ちは理解できる。でも、できないと思ったことを少しでもやってみようという気持ちを持てば、ちょっとは違うのだが・・・。しかも、1回目のスキー合宿の洗濯物を畳んで、いつでも準備できるように二日ほど前から、スーツケースの上に置いておいてあるので、それを入れれば、概ね準備は出来るのだ。何故、詰めるだけのことをできないと言うのか・・・。だが、逆に言えば何故詰めるだけのことを、親がやってくれないのだ…と、プン助が思っているのもひしひしと感じる。

「つめないなら、もう行かない!」

と、脅してみるも、逆効果。結局旦那さんが、根負けしてスーツケースの上に畳んで置いておいた洗濯物の類を、スーツケースに入れた。

なんとか出発できた。だが、東京駅に向かう電車内は混んでいて、プン助は床に座り込んでしまう。

「電車で床に座っている人なんかいないでしょ?」

「疲れたんだもん」

一番遅くまで寝ていて、準備も何もしていないのに、疲れているのか・・・。こちとら、朝食の用意をしたり、おにぎりを作ったり、洗い物をしたり、動かないプン助をなんとかしようと朝から休みなく動いているのだ。疲れているのは、こっちだぞ!3歳くらいの頃は、もう少し大きくなったら、少しは楽に電車に乗せることができると思っていたが、まさか10歳になっても、このような状態だとは。

と、お茶の水駅で、人が沢山降りて、座席に座ることが出来た。よかった・・・やっと、床に座っている恥ずかしい状態から抜け出せる。プン助も飛び込むように座席に座った。だが、3分程で今度は立って手すりにつかまって、ブラブラし始めたのだ。降りた人もいたが、乗り込んで来た人も多かったので、ブラブラしているプン助は普通に邪魔だし、席が空いているなら他の人が座ったほうがいい。

「座るなら、座る。立つなら、立つ。ぶらぶらしないで」

と、極力穏やかに言うが、プン助には何も聞こえていない様子。

同じセリフを10回くらい、繰り返すと

「立つよ!」

と、プン助。

聞こえていたのか…。

 

だが、疲れているのは本当らしく、新幹線で、プン助はテーブルにつっぷして、爆睡していた。ニンタマも私の膝や肩を枕にして寝ていた。もう、私よりも6センチくらい大きい。可愛いが、重い・・・。越後湯沢の駅に着くころ、プン助は

「俺、寝てた?」

と、顔を上げた。

 

越後湯沢駅からバスに乗り、昨年も宿泊したペンションCへ。恐らく、この辺りでは最安値。そして、送迎がなくても板を担いで、苗場スキー場へ行ける距離。チェックインは3時なので、まだ部屋には入れないが、前もってスキー板やブーツを宅急便で送っていたので、早速準備をしてスキー場へ。私と旦那さんとニンタマが準備を終えても、ゴロゴロしていたプン助だったが、服や用品を全部準備してやると、割とすぐに支度を終えた。

ペンション割引料金で、リフト券を買おうとしたら、

「今年は苗場60周年ありがとうパックというのが、ありまして、3900円で一日券が買えて、1200円分の飲食チケットもついてくるそうです。こちらの割引チケットは3800円だけど、1200円の飲食チケットはつかないので、どうしますか?」

と、店主。それは、絶対に「60周年ありがとうパック」だろう。

苗場スキー場の一日券の料金は正規料金だと6000円と、かなりお高い。正規料金で買うのは、出費として痛すぎるので、毎回色々な手段で、割引で買うようにしているのだが、これはかなりの出血大サービスなのではないか?

飲食チケットを引くと、2700円!

ただでさえ、コロナでインバウンドのお客さんなども望めず、リフトなども本数を減らして、昨年から端で見ていても、苦肉の策の営業状態。それでも客足は少ないのに、いいの?大丈夫なの?シンガポールの外資系ファンドに売却されるという話もあるし、もしかしてこれは最後の大サービス?

割り引いてくれるのは嬉しいが、ちょっと不安にもなる。

売却されて、庶民の日本人には手が出ないスキーリゾートになってしまうのかもしれない・・・。

そんなセンチな気持ちを抱えながら、スキー場へ。近いとは言え、歩きにくいブーツを履いて、板を担いで歩くのは、結構しんどい。

だが、プン助はどんどん先を歩いて行く。

2,3年前であれば、「重い」「疲れた」と、座り込んで、結局私や旦那さんが手分けして持つことが多かったのだが、最早そんなことは言わずに、一目散へスキー場へ急いでいる。多少上達して、スキーが楽しくなって来たので、早く滑りたくてたまらないという感じ。ならば、朝起きてからの支度や道のりでもこんな調子であればいいのに・・・と、思いつつ、いや、ゆっくりだけどプン助もちゃんと育っているのだ・・・!と、自分に言い聞かせる。

 

やっと、スキー場の端について、板を履き始めると、旦那さんに声をかけてきたおじさんがいた。

「もう帰るんで、一日券、安く買い取ってもらえませんか?大人二人分のチケット余ってるんです」

「いくらですか?」

「1枚、2500円でいいです」

 

微妙だ。ありがとうパックで3900円で買ったチケットでしょ?1200円分飲食もしたわけで・・・。実質の価値は2700円。今の時間は午後2時。おそらくこの人達は、午前から今まで滑っていたわけで、ここで2500円で売れたら、ほぼ200円で半日滑ったことになるのよね・・・。うーん、あと500円負けてくれないかな・・・。うっすらそんなことを思っていたが、

 

「じゃあ、買います」

と、旦那さん。

あらら、買っちゃった。

 

板を履いて、歩きながら先ほど、思ったことを旦那さんに言う。

「だから・・・あの人達は、ほぼただ同然で、今まで滑れたことになるんだよ」

相手の言い分をすぐに飲まずに、こちらも交渉してもよかったんだよ・・・と、言う意味合いで伝えたのだが、

「そっか、お互い ウィンウィンってことだね」

と、旦那さん。

曇りの無い瞳・・・とは、こんな瞳のことを言うのだろう…。

「ウィンウィン…まぁ・・・、そう・・だね」

だめだ、これ以上は言えない。

まあ、いいか。そんな時に交渉してくる人だと、日常生活ではこっちも気が抜けない。そして、旦那さんに話しかけられたからと言って、黙っておらず私が交渉をすればよかったのだ。まあ、いいか。別に損した訳ではない。相手の得と自分の得を比べて、自分の得の方が少ない・・・とか、考えるのもどうなのだろうか…。いや、そこら辺今まで大雑把だったから、仕事などでも、料金がわからないまま何カ月も仕事をして、立ち消えて・・・みたいなことばかり、起きているのではないか?!いや、それとこれとは全く別の話なのだろうか?いや、繋がっている気がする・・・。

 

色々悶々とするが、今は目の前のお楽しみ、スキーのことを考えよう。

 

②へ続く。

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スキー旅行六日目

朝早くから荷造り。

部屋の荷物をまとめた後、地下にある乾燥室へ行き、スキー板やブーツをスノボのケースに入れに行く。

スノボのケースだとブーツや他の衣類なども入れられるので、いつもスキーケースではなくスノボケースに入れていた。

ニンタマのスキーをまとめた後、自分のスキー板をしまおうとして、愕然とする。

どうしてもスキーが収まらないのだ。

このケースに入れて宿に送ったはずなのだ。それまでこのケースに入れるのに、困ったことは全くない。

 

たった5日でスキー板が成長したのか?

いや、そんな馬鹿な…。

 

怪我をしてからというもの、妙に板を重く感じたことを思い出す。

宿の送迎バスで板を積んでもらう時、今まで普通に横向きに乗せていた板を、宿の人がある時から

「おや、長いな…」

という感じに持て余し、縦にして座席の下に入れ込んでいたこともあった。

スクールの先生が私の板を、凝視していたこともあった。

何度かビンディングの色、こんなだっけ?と思ったこともあった。

板に書いてあるアルファベットの文字もこんなだったっけ?と、違和感を感じてもいたが、全体的に赤っぽい板だったというざっくりとした印象はクリアしていた。

 

そして、深く考える前に大騒ぎしている子供達に気を取られて、すっかり忘れてしまっていたのだった。

 

だが、もはや事態は明らかだ。

 

 

いつの間にか、どこかで違う板と入れ替わったのだ。

誰かが私の板を間違えて持って行った可能性もあるが、それは考えにくかった。

 

こんな間違いをやらかすのはおそらく私に違いない。

繁々と板を名が見えていると、パッと見では気づかない箇所にマジックで〇〇〇と、名前が書かれていた。当然、私の名前ではない。

 

「ごめんなさい!○〇〇さん…!」

 

受付のおばあさんに2日から今日までの間に〇〇〇さんという人が泊まっていなかったか、聞いてみる。

「お調べしますね」

2日、3日は何を聞いても話しかけるなオーラ全開だったおばあさんだが、4日以降客が減ったせいか、親切に応対してくれた。

 

その間、スキー場にも電話をして調べて貰った。

私は自分の板のメーカーは覚えていたが、どんな種類の板だったか、ビンディングのメーカーも失念していた。店員さんに勧められるまま、そこそこお買い得の板を買っただけだったのだ。

 

某国産メーカーの名前と身長より低い板(おそらく150センチ)買ったのだが、この板に書かれているサイズは170センチで、〇〇〇さんと名前が書いてあることを伝えた。

スキー場の係のKさんという女性は非常に感じがよく、手掛かりの少ない私の話根気よく聞いてくれた。

 

170センチの〇〇〇さんの板は、宿泊している宿に置いておいてくれたら、取りに来てくれることになり、私の150センチの板に関しては、冬休みなどの忙しい時期が終わった時点で忘れらえている板を集めた中から探し、あってもなくても連絡をくれる…ということになった。

 

宿のおばあさんから連絡があり、受付に行く。

 

「宿泊者の中に〇〇〇さんって方はいなかったですね~。もう、その板を持って帰ってお使いになったらいいんじゃないですか?ずっとそれで滑れてたんでしょ?

 

確かに板の長さが20センチも違うのに、全然滑れていた。

むしろ、安定感も増していたくらいだ。

 

帰り際に重すぎて苦痛に思う以外に、違和感を感じなかった程だ。

 

「いえ、さっきスキー場にも電話したら、落とし物として取りにきてもらうことになったんです」

「あら、そうですか…。でも、あなたの板は届いてないんでしょ?板、なくなっちゃうわね…」

 

そうなのだ。私の板が届けられなかったら、当分板を買う訳にも行かない。レンタル代も馬鹿にならないと板を買ったはずなのに…。

しかし、かといってこの板を持ち帰ったら、それはネコババになってしまう。

〇〇〇さんも名前を書いているくらいだから、さぞかしこの板を大事にしていたはずだ。

烈火のごとく怒っているかもしれない。

自分だったら、絶対怒る。

 

取り違えた板が無事に持ち主の元へ届くように、願いつつ荷造りを終え、宿を後にした。

 

日帰りセンターで越後湯沢行のバスを待つ間、トイレに行きたがらないプン助にトイレに行くように説得する過程で、大ゲンカになったり、その替わりにおやつを買ってくれと言われたりしつつなんとか、越後湯沢へ。

雪国では寒い寒いと大騒ぎしていたプン助だが、東京についた途端、半そでになり、上着を着てくれなくなった。

実際の寒さよりも、ビジュアルイメージで暑さ寒さを感じているのかもしれない。

着ろ着ろと言い続けるのにも疲れ、諦めた。

 

帰宅後、冬休みの宿題が終わっていない!と、言いつつテレビばかり見ていた子供らだったが、寝る前になって大泣きしながら、宿題をやっていた。

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スキー旅行五日目

スキー最終日。

 

朝早起きをして、PC作業をしていると、ニンタマが起きてきて、

 

「6時に起こして!って言ったのに、どうして起こしてくれなかったの!」

 

と泣きだした。

こちらとしては全く記憶にないのだが、ニンタマは

 

「絶対言った!」

 

と、パニック。どうやら、早起きし冬休みの宿題をやりたかったらしい。

「いいじゃんいいじゃん、宿題なんて忘れちゃってもさぁ~」

と、言ったら、余計パニックになって

「やなの~!」

 

と、大泣き。

なんとか宥めすかして、

 

「20分でもいいからちょっとやったら?」

 

と、言うと

「もういい!明日やるから、明日は絶対に起こしてね!」

 

と、スケバンのように睨みを利かせてきた。

 

前日は、割と自分でテキパキ支度をしてくれたプン助だったが、今日は隙あらば、ニンタマや私に板を持たせようとする。

自分は先に行くのに、こちらが先に行くと、怒って拗ねて、3時間後くらいに謝る…ということを繰り返していた。

 

プン助がスキー場で行方不明になり、パニックになった私が、

 

「ママ怪我してるんだから、ニンタマちゃんがちゃんとプン助みてくれないと困るでしょ」

 

と、言ってニンタマを泣かせてしまった。

全員、疲れ気味で怒りっぽくなっていた。

 

股関節をかばいながら、滑るのにも慣れて来たので、プリンスゴンドラに乗りまくった。

 

「ママさぁ、プン君のアドバイス聞いて」

 

プン助が真面目な顔をして切り出してきた。

 

「プン君もまだ、あんまり上手にできないんだけどさ、ママ、パラレルターンをする時、足がちょっと三角になる時があって、そこ治した方がいいよ」

 

そもそも、プン助がやっているのは、基本大股開きでまっすぐ降りたり、急な斜面はなんとなく、曲がりくねって降りて来ているだけなのだが、まるで私と同じくらいか、あるいは私より上手な人が、敢えて気分を害させないように気遣いしながらするようなアドバイス。

しかも、実は自分でも実は自覚しているダメな部分を指摘され、絶句。

 

 

「だって…ママ、怪我してるから…思うように滑れないんだよ」

 

「そうだよね。でもさ、気を付けてるのと気を付けてないのは違うから。プン君もあんまりちゃんとはできてないんだけどね」

 

慰めているつもりらしいが、複雑。

しかし、自分が1年生の時に人の滑りに対して、何かを指摘しようという発想はなかった。うまいか下手かもよくわからなかった気がする。

 

私には優しくアドバイスしてくれるプン助だが、ニンタマには「全然うまくない」「下手」「全然かっこよくない」と、けなしまくって泣かせたりしている。

 

「ニンタマはママより上手だよ」

 

と、私が言っても

 

「ママの方が全然上手だよ!ニンタマちゃん、下手!」

 

と、言いはる。

ニンタマとプン助が喧嘩になり、怪我をしている私を盾にして殴り合いになるので、恐ろしくて仕方がない。

 

普通に楽しく滑りたいのに…。

それでも最後は、「もっと滑りたかった」と、満足そうであった。

私は怪我をしたが、子供ら二人は怪我もなく無事に済んでよかった。

 

その日も夕ご飯はカップラーメン。

運動の後だし、良質なたんぱく質を摂取したいのだが、外食する元気はなかった。

 

夜はだらだらテレビを見る。

もう消そうと思ったら、「3年A組―今から皆さんは人質です―」が始まり、つい見てしまう。

プン助もニンタマもドハマりしてしまった。

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スキー旅行四日目

朝、母が帰ってしまう。

 

見送りをしたかったのだが、プン助の支度に手間取っている間に、越後湯沢行きのバスに乗り遅れてはまずいと、バタバタしている間に、母は宿を出発してしまった。

これからは、子供らのことでテンパっても気持ちを分かち合える人がいなくなってしまう。

少々というか、かなり心細い。

昨日怪我した右の股関節は、起きてしばらくは、滑ったりなどとんでもない!という程、痛かった。

PC仕事をスキー場の休憩室へ持ち込んで作業することも考えたが、子供ら二人だけで滑らすのは現実的ではない。

どうしたものか…。

 

だが、色々動いている間に、股関節を曲げなければ、なんとか動けることが分かって来た。

階段を上る動きと、下に落ちているものを拾ったり靴下を履いたりするために腰を曲げる動作がヤバい。

階段を上る時は左足だけで登り、靴下はニンタマに履かせて貰ったり、でなんとかなりそうだ。

「ママが困った時にちゃんと助けてくれたり、ママが休みたいと言った時は休んでも良ければ、スキーやってもいいよ」

 

と、言うと子供らは大喜び。

長年の経験で、怪我をしてもスキー場へ行ってしまえば、テンションが上がって意外と滑ったりできてしまうような気もしていた。

 

とりあえず簡単なコースだけを滑って様子を見る。

案の定、意外と大丈夫だった。

 

股関節で良かったかもしれない。

これが、膝だったらごまかして滑るのは難しかった。

 

とにかく攻める滑りはやめて、楽に力を使わず、決して転ばないということに専念。

滑って、もう一度同じ箇所をやってしまったら流石にまずい。

プン助やニンタマが転んでも決して助けに行かないで。起き上がるのを待つ。

 

こちらが決して助けないと、意外と自力でなんとかすることもわかった。

今まで助けすぎだったのかもしれない。

 

午前中は、ちんたら楽な斜面だけを滑ったが、午後は一か八か、プリンスゴンドラで少々キツイコースにも行ってみた。

 

こちらも意外と大丈夫だった。

帰りに、湿布を買い足した。

スキーを滑るのは割と大丈夫なのだが、板を持ってブーツで歩くのはかなりしんどかった。

 

いつもよりも板が重くて長く感じる。

乾燥室は地下。

宿泊している部屋は3階。

 

事実上4階分だ。

右足を使えないので、左足だけで登る。

これが、結構疲れる。

ニンタマが傍で励ましながら、登ってくれた。

 

やっと3階までたどり着いたら、ニンタマがゲラゲラ笑いだした。

 

「ママ、廊下見て!」

 

というので、見て見ると、先にダッシュで階段を上って行ったプン助が、部屋の前の廊下に仰向け寝そべって這いまわっていた。

 

疲れたので、寝そべっているのだろうが、這いまわる方がつかれるのではないだろうか。

しかもスリッパを脱いで手に嵌めている。

そういえば、保育園でもお迎えに行くと中々帰らず、逃げ回り、廊下を仰向けで這いまわっていた。

自分には、仰向けで廊下をはい回りたい欲求が無いのでわからないが、遺伝子レベルでそういう欲求が組み込まれている生き物もいるのかもしれない。

 

 

夕食は外に行くのはつらいので、カップヌードルとパンで済ませた。

 

プン助がカレーヌードル。ニンタマが、きつねうどん。

私は、海老風味のラーメン。

 

3人で紙コップに分け合って食べた。

その後、イッテQを3人で観て過ごす。

 

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スキー旅行一日目

一月二日から五泊六日で苗場にスキーに行くことにしていた。

若い頃はそうでもなかったが、年を取ってから遠からぬ日にスキーが出来なくなるという不安から、ここ数年スキー熱が高まって来た。

子供達に対しても、普段は宿題や勉強に関しては放置しているのに、スキーに関してはアンバランスなほど教育ママになっている。

その甲斐あってか、子供はすくすくスキー好きな子供に育っている。

父が所有していた苗場のリゾートマンションはもうないので、ここ数年はどこで滑るか悩んでいた。

とりあえず、安いペンションや民宿で、電車で行けて、スキー場まで歩いていける宿を予約しよう…と、宝船の稽古が始まる前に宿を探すが、これが意外とない!

旦那さんは公演後もすぐ公演の稽古に入るので、私と子供らの3人。

仕事も何もかも忘れて滑りまくりたい…と思っていたが、子連れで5泊となると、どこも空きがなかった。

やっと見つけた所をとりあえず予約。

すると、公演中に助っ人に来てくれた母が、

「あんた一人であの子達をみるのは大変でしょ」

と、二日から五日まではつきそってくれることになった。

バスに乗り、中央線で東京駅に向かう時点でプン助が大騒ぎして、へとへと。

自分がいらないと言っていたのだが、いざ越後湯沢駅に降りて雪をみると、

「手袋!手袋!」

と、お姉ちゃんのニンタマの手袋を奪い取ろうとして、ニンタマが嫌がると、なぐりかかり大ゲンカ。

やめなさい」

と百回くらい怒鳴りながら、宿へつく。

宿では優しそうなおじいさんとおばあさんが歓待してくれた。

3時にならないとチェックインできないので、サロンのようなところに母を残し、私と子供らはスキーの支度。だが、プン助はかくれんぼを始めたり全く支度をしない。

今日はもう疲れたから、スキーに行かないで休もう…と、言い始める。

「じゃあ、ママとお姉ちゃんだけで行ってくる」

と、言うと、

「オラも行く!」

と言いつつ、サロンのソファの上を飛び跳ねたり、テーブルの下に隠れたり…。

苗場スキー場が目の前だと思い込んでいたホテルは、意外と遠く送迎バスに載せて貰い南ゲートまで。

そこから、スキー場まで、5分ほど板をかついで行くのだが、子供にとっては結構な苦行なようで、合宿などで慣れているニンタマは板とストックをかついでついてくるが、プン助は

「ママ、持って~」

と、座り込んでしまう。

「自分の物は自分で持ちな」

などと正論を言うと、そこで30分ほど時間を食ってしまうので、仕方なく板を持ってやり、プン助にはストック係になって貰った。

だが、ストックを振り回しているので、危険極まりない。

ハラハラしながらもやっとスキー場に辿りつき、念願の初リフトに乗る。

ああ、やっと滑れる…と、わくわくしていると、

「ママ、お腹減った~」

と、子供ら。

昼には旦那さんが握ってくれたおにぎりを食べたはずなのに、もうお腹が減ったのか…。

私は全くお腹が減っていなかったが、子供を空腹にしておくわけにもいかない。

無料休憩所へ行き何か食べることにした。

無料休憩所はその時乗ったリフトからかなり遠い位置にある。

降り場からまっすぐ滑るのではなく、広い苗場スキー場を横切るように下って行かないと到着しない。

私とニンタマにとってはそれほど大変ではないのだが、プン助にとっては下らずに横に進むのが、かなり難しいようだった。

しかも雪が降り積もっているので、整地されてない場所を通ると新雪に埋もれてしまう。

普通に行けば5分で行けるコースを30分くらいかかりながら、休憩所へ。

無料休憩所とは書いてあるが、軽食も売っている。

その時点で3時過ぎだったので、夕ご飯のことも考え、タコ焼きとかポテトフライを皆で分ければいいかと思っていたが、

「ハヤシライス!」

と、プン助。

「そんなもん食べたら、夕ご飯入らなくなるよ」

「入る!」

「じゃあ、ホットドッグにしたら」

「ハヤシライス」

「ニンタマは?」

「私はなんでもいい」

「ハヤシライス!」

「タコ焼きにしなさいよ?タコ焼き大好きじゃない!」

「ハヤシライス!」

揉めに揉めていると、店員さんが

「今限定商品のアップルパイがありますよ」

と提案してくれた。途端に

「プン君、アップルパイとホットドッグ」

「ニンタマはアップルパイだけでいい」

と、あっさり決まった。

ホットドッグにつけるケチャップやカラシは自分でつけるシステム。

「ママ、ケチャップとカラシ同じくらいね」

と、セレブのような口ぶりで私に言いつけ、ペロリと平らげた。

「あと、フレンチトーストも食べたい」

まだ、食べたいらしい。

「帰ったら、おばあちゃんと晩御飯食べに行くんだから、もうやめときなさい」

「大丈夫!入るから」

「アップルパイもホットドッグも、フレンチトーストも小麦とか砂糖とか油ばっかりだよ!全然栄養ないもんばっかりでお腹膨らませたら、キレる子供になるんだよ!」

全く響かないであろう、演説で言い聞かせるが、案の定聞く耳は持ってもらえない。

子供に小麦製品ばかり食べさせるためにここまで来たワケでなないのに…。

疲れ果ててしまい、

「じゃあ皆で分けて食べるんだよ」

と、結局フレンチトーストを頼んでしまう。

フレンチトーストを見て、ニンタマも

「ニンタマちゃんもちょっと食べたい!」

と、食べようとすると

「これプン君のだよ!」

と、切れ端のようなモノしか分けてあげないプン助。

「ニンタマちゃんだってもうちょっと食べたいんだよ」

と、私に泣きながら訴えて来るニンタマ。

だが、その不平等の為に戦う元気はなかった。

「ああ…もうさ、送迎バスが来るまで時間なくなってきちゃったよ。今日は、もう滑らないってことかな?」

諦め気分になってそういうと、急に焦り出す子供ら。

「ヤダ!滑る!」

「じゃあ、お迎えバスの来るとこに近い方へもどりながらすべろう」

またもや、リフトで登ってはスキー場を逆の方向へ横切って進まなければならない。

すでに薄暗くなり、雪は一層激しく降っている。

ちょっと進むごとに雪に埋まって転ぶプン助。

転んでいるプン助を待つのに疲れ果てるニンタマ。

こんなに転んで埋もれては、もう滑りたくなくなるのでは?と、心配になるほど。

これから、このコースは二度と来ないようにしようと、決意していると

「プン君、明日もここ滑りたい。沢山ころぶと、転び方の練習にもなると思うんだよね…」

と、思いがけない前向き発言。

雪に埋もれる度に重なった板をなんとかしてやったり、起きられる態勢にしてやったり、脱げた板を拾いに行ったりするので、こちらは汗だくで、息切れしまくり。

なんとか、南ゲートに近いリフト乗り場までたどり着き、1本だけ安心して落ち着いて滑ることが出来た。

ジュニア一級の検定試験に合格したニンタマの滑りを初めてきちんと見る。

確かにうまくはなっていたが、ターンの後半にはまだまだ雑さがある感じ。

勝手な認識だが、このレベルまでは誰でも行けるという上手さ。

おそらくそこを超えるのが、大変なのだろう。

私自身も、その壁の前でずっと止まったままなので、そこを超えたいと思い続けて10年くらい経ってしまった。

ニンタマは小学生なので、私よりも軽々とその壁を超えるのだろう。

関心していると、プン助が

「オラのパラレルも見て~」

と、大股開きでの滑りを見せて来た。

新雪に埋もれなければプン助は、割と自在に曲がるし、どこでも降りて来られるのだが、説明できない下手オーラが出ている。

理由は分からないのだが、実力以上に下手に見える。

絶叫しながら滑るからだろうか…。

なんとか一日目を終え、送迎バスで宿まで戻る。

すると、プン助が東京から履いてきたスノーブーツが見つからない。

スキーブーツに履き替えた乾燥室をくまなく探すがない。

誰か間違えて履いて行ってしまったのだろうか…。

受付で先ほど歓待してくれたおばあさんに

「子供のブーツが無いのですが、どこかにおちてませんでした?」

と、たずねる。

だが、

「おちてないですね~」

の一言で相手にしてくれない。

勿論、こちらが悪いのだが、普通は「どの辺でしょうか?こちらでも気を付けてみてみます」くらいはあるかと思い、途方に暮れる。

そういえば、プン助はずっとかくれんぼをしていた。隠れていたと思われる、トイレやサロンを探し回ると、ソファの下の、割と目立つ場所にスノーブーツが落ちていた。

靴はそれ一足しか持ってきていなかったので、ホッとした。

夕食はつけなかったので、雪の中、母と共に外食できる場所を探す。

一番近い場所に前にも行ったことがあるユーミン御用達らしいちゃんこ屋があった。

ちゃんこ鍋を食べたい気分ではなかったが、蕎麦やうどんがおいしかったことを思いだし、そこに入った。

すると私や母が注文するまえに

「カニください~」

と、勝手に注文するプン助。

ギョッとして

「カニなんか食べないよ!」

言うと

「え~、じゃあ飲み物はコーラ!」

と、めげないプン助。

「子供が勝手に注文するなんて、考えられない」

「コーラなんかダメ!水にしなさい」

私と母に言われても、

「カニ食べたいのに~、プン君、カニ食べたことないんだよ~」

と、哀れっぽく主張。

ここでうっかりカニなど頼んでしまったら、今後外食の度に同じことをやられてしまう。そんなことされたら、ウチは破産だ。破産以前に、人格形成にもよろしくない。

ここはビシッと阻止せねば。

ここで大人がビールなど飲もうものなら、プン助になにを言われるかわかったものではない。

大体ただでさえ、スキーをするだけでウチにとっては分不相応の贅沢なのだ。他は引き締めていかねば。

蕎麦や饂飩の他、焼き鳥を頼んでドリンクは一切頼まず、セルフサービスのお茶と水で済ます。母がごちそうしてくれたが、それでも4人で7千円は超えた。

スキー場ではちょっとの外食がとても高くつく。

その後、昔コンビニだったが新装開店し焼き鳥などがイートインできるなんでも屋のような所で、パンやビールやお菓子、ヨーグルトを買って宿へ。

大浴場ではプン助が泳いだり歌ったり、叫んだりしていた。

「他の人もいるんだから、暴れない」

 

「シャワーで遊ばない」

 

「踊らない!」

と、注意ばかりしているものの、何一つ聞いてもらえないダメ親ぶりに我ながら、ぐったり。

子供が寝静まった後、母とエビスビールで乾杯しようと思ったが、子供は興奮して全然寝ない。

「早く寝なさいね」

と、言って二人でビールを飲みだすと、案の定プン助に

「大人ばっかり贅沢をしてずるい!オラもコーラを飲みたかった!」

と、文句をつけられた。

頼む、早く寝てくれ…。

写真は旦那さんが新幹線で食べるようにつくってくれた卵焼き。

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