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自粛生活中…ちょっと自己嫌悪の日々

自粛で、子供らと一緒に過ごしていると、中々自分の作業がはかどらない。

一緒でも、皆が各々の作業をできる環境にできたらよいのだが。

やろうと思うことが、全然進まない。

コロナの報道を見続けていると、いつの間にか時間が経ってしまったり、ネットで買い物をするのに、時間がとられては、これは必要な時間なのだと自分に言い訳をしたり。

 

自分に言い訳をしないで清々しい時間を過ごして生きて行きたい。

 

そんな時、ちょっとうさん臭いと思っていたある起業の宣伝動画を見た。

動画の作成者は、時間の優先順位をつけて迷っている時間を減らす…ということを訴えていた。

これは、まさに今の私に必要なことだ・・・。

無理かもしれないが、ノルマがないと、緩み切ってしまいダメ人間になり果てている自分にとっては、何か一筋の光が射したように思えた。

自分が無能になってしまったような無力感は、無為な時間を過ごし過ぎていたからに過ぎない。

今、ここで何かを改めないと、本当にただのダメ人間になってしまう。

気が付くと、調べものをしているつもりが、いつのまにか全く関係ないネットニュースを見てしまったり、スマホを見ている時間に人生を吸い取られしまっていた。

生活と自分を変えないとダメだ…

 

昼はニンタマがサンドイッチを作ってくれた。

パンにハムとレタス、レタスとウィンナーを乗せただけのものだったが、ホームベーカリーで焼いたパンだったので、余計な味付けがなくても美味だった。

このくらいのことでも、子供がやれるようになると、本当に助かる。

 

「社交辞愛」のDVDを送る作業をしたりしていて、必要だけれど自分にとって重要でもない作業を済ませられた。

自分にとっての重要な時間は、やはり、なんでもいいから、文章を書き続ける時間だ。

駄文であろうが、書き続けることにしか、道はない気がする。

 

15時過ぎに、また子供らと井の頭公園へ。

公園には、やはり沢山の人がいた。

今日も池を一周。

大声でブツブツ叫びながら歩いている男性とすれ違う。

元々そういう人なのかもしれないが、こんな状況ならこういう人も増えるだろう。

普段よりも歩いたり走っている人が多いようにも思えた。

 

距離を取っているから大丈夫だとは思うが、どんどん感染者が増えて行ったら、外に出ること自体できなくなるかもしれない。

 

ベンチでは、引き続きシナリオ年鑑に載せる候補のシナリオを読む。

音楽ありきの映画で、実際に生身の役者が魅力的に歌ったり楽器演奏をしている姿で、二割増し、三割増しになる作品だと思った。

読み物として読む分には、それなりに面白いのだが、シナリオだけの完成度で読むと、音楽が歌のメッセージで確実に上乗せされるタイプの作品の評価は難しい。

 

夜は、内藤剛主演の一課長のドラマを観る。

野間口君が犯人だった。

こういう役をやらせると天下一品だなぁ…。

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テレビに向かって怒鳴り、公園を散歩…そしてマスク

午前中。

 

モーニングショーを観て、色々なことへの怒りでテレビに向かって怒鳴りまくる。

 

普段は温厚な態度を心がけているのだが、テレビに向かってはついつい罵詈雑言を浴びせてしまう。

 

シナリオ作家協会のシナリオ年鑑に掲載する作品選びの為、作品を読む。

素晴らしく面白い作品に当たった。

どれもそれぞれ面白かったのだが、なんとなく横並びな感じがしていたのだが、これは断トツ。

映画でも観たくてたまらなくなる。

 

 

シナリオを読んでいる最中に、プン助に算数の質問を何度もされて、中断された。

 

67・94÷9・45みたいな計算をやっている。

 

長年算数をやっていなかったので、ここら辺の段階になると、勉強しなおさないと怪しい感じ。

 

ママは意外とバカ・・・と認定されるの時間の問題だろう。

 

昼は、焼きそばを作ってみた。

骨折後、初めての料理。

まだ、あまり動かせないし、重力がかかることができないので、具材はかなり大雑把に切り、肉以外のものは全部電子レンジで熱を通した。

炒める時間を最小に済ませれば、このくらいのメニューは作れることが分かり安心した。

15時から、井の頭公園へ。

子供らは西園で遊び、私は池を一周ウォーキング。

戻って来ると、プン助が、逆上がりをしているニンタマの邪魔をしたり、ブランコに乗っているニンタマの邪魔をしたりしていた。

こちらには気づいていない様子。

 

ベンチで、別のシナリオを読む。

映画で観たら、中々ショッキングで感情移入したのだが、好きか嫌いかで言うと、あまり好きだとは思えなかった。

 

作者が何かを主張したいがために、登場人物を過剰に不幸にしている話は、ちょっと苦手。

 

帰る時間になり、子供らに声をかけるが、プン助は嫌がり、遊具で遊び続けようとする。

「帰る時に帰らないと、遊びにこられないよ」

と言っても、効果がなく、

 

「先に帰るね」

と、歩きだすと、

「ママの意地悪!」

と、鬼のような顔で、小突いてくる。

だが、私が骨折しているので、そこは手加減してくれる。

ここで手加減してくれる辺りが、救いだなと思う。

なんとか説得して、豆腐屋さんでおからドーナツを買って帰る。

 

 

母の友達から、手作りマスクが二枚送られてきた。

最初、アベノマスクかと思ったが、書きなぐったようなボールペンで書かれた宛名で、すぐに違うとわかった。

花柄でとても素敵な、マスクだった。

私が作るただ、長方形のものではなくて、立体的なマスク。

あれ、作ってみたいなぁ。

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初の登校日

 

コロナ自粛の最中、初の登校日。

昨年末から不登校が続いてたプン助だったが、1月2月と、毎朝1、2時間の格闘をして、やっと通えるようになった矢先のコロナ休校。

 

4月からはクラスも担任も変わってしまう。

また行かなくなってしまうのではないかと、心配していた。

案の定、昨日まで行くと言っていたのに、急に行かないと言い始めた。

 

説得に説得を重ね、マンションの玄関まで行くが、座り込んで動かなくなるプン助。

管理人さんに声をかけられ、状況を説明しようとして、ついつい感極まり、涙ぐんでしまい、恥ずかしさでいっぱいになる。

 

この日は、教科書を取りに行くだけなので、すぐに帰れるのだが、どうしても説得できなかった。

この日は学年ごとに時間差通学になっていたので、学校に連絡して、午後に教科書を取りに行くことになった。

プン助も、午後ならば行けると言う。

 

人目に付きながらの登校が嫌なようなので、午後なら人に会わないで済むとのことだった。

午後にはすんなり登校したのだが、

 

「こんな時間に学校へ行くと変に思われる」

 

と、何故かランドセルをちゃんと背負わず、片手で抱えるように持っている。

ランドセルを持っている時点で、学校に行くのはバレているのだし、意味はないと思うのだが・・・。

 

 

新しい担任の先生は、昨年のニンタマの先生だった。

「来てくれたんだ!嬉しいよ!よろしくね」

 

既に問題児として、有名らしいので、受け持つに至って、色々気を遣ってくれているようでもある。

 

当分登校はないので、説得する必要性はしばらくないが、今後どうなっていくのだろう。

 

私の公園への散歩に子供達もついて来た。

子供らは、井の頭公園の西園で遊び、私はウォーキング。これは日課になりそうだ。

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退院!

退院

日に日に、体が動くようになって来ている。

 

この病院で目撃する患者さんの中で私よりも早く歩く人を見たことがない。

聞けば私は最年少らしい。

早々に病院を出られる準備をして、会計を済ませ、家へ戻る。

ちょっとの間会えなかっただけなのに、子供が格段に大きくなったように見えた。

 

家はやっぱりいい。

健康な光に満ちている感じ。

あの恐ろしい感じはなんだったんだろう。

食べ物も、おいしい。

お風呂に入る為に服を脱ぐと、やはり痣がすさまじい。

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術後、二日目

昨日は着替えがあったり、体を拭いたり・・・ということがあったのだが、日曜日にはないらしい。

「日本人は知らない中国セレブ消費」https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%96%E6%B6%88%E8%B2%BB-%E6%97%A5%E7%B5%8C%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E8%A2%81-%E9%9D%99/dp/4532263654

という本を読み、夜は「麒麟が来る」を観たあと、消灯時間後は、こっそり「下町ロケット」を観た。

下町ロケット、やっぱり面白いなぁ。

隣のおじいさんは、昨日は静かだったので、もう騒ぐ元気もなくなっているのかと思っていたが、今日はまた、野太い声で「おーい!おーい!」と、叫んでいた。

 

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術後、一日目 

  絶食後の待ち遠しい朝食が来た。

まだ左手が動かし辛いので、食べるのも大変だった。

 

昼ごはんくらいからは、右手で食べられるようになった。

左手でフォークやスプーンで食べるのも上手になっていたのだが、残り少なくなった食べ物を掬って食べるのは左手だと難しいので、右手を使った。

 

手術後は熱が出るものど聞いていたが、やはり体が熱っぽい。

絶えず37・4℃くらい。患部を冷やすようにアイスノンを貰うのだが、固すぎて、当たると痛い。

体全体が暑いので、背中や首やあちこちを冷やして、溶けかかって柔らかくなってから患部を冷やした。

 

隣の部屋の人は昼間は割と静か。

ご家族がお見舞いに来ていたり、お医者さんが来ている時は、比較的安定している様子。

夜も静かだった。

しかし、病院は昼間はいいのだが、暗くなってくると、なんとなく恐ろしい。

 

隣の人の荒い息遣い、数十分おきに聞こえるゴゴーっと、痰を吸うような音。何かの機材の電子音。時折、あちこちでピンコーンピンコーンと聞こえたり。

トイレに行こうとすると、私の十分の一くらいの速度でヨタカタ歩いている、生気の無い老婆に必ず遭遇する。

部屋の隅で、ただ車椅子に座ってぼーっとしている老婆。トイレで用を足しながらも、「ふー」「ああ…よっこらしょ」「っとぉ・・・」などと、うめいている声。

そして、なんとも言えない饐えた臭い。これは、体の内部の腐敗というか、炎症の匂いなのか、巡りの悪い体が発する老廃物の匂いなのか。

不安と苦痛を感じている人が身近に沢山いることが、気配でビンビン伝わってきて、何とも言えない恐怖を感じてしまう。

自分の具合が少し良くなって来たら、少しは違う心持になってくるのだろうか…。

志村動物園を見て、コロナで死んでしまった志村けんを観ると、ますます強く、死を意識してしまう。

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鎖骨骨折 手術当日

朝6時以降は飲み物も禁止。
点滴が始まる。
間違えで朝食が運ばれて来た。
え?食べていいの?
と、食べたくなったが、喜んでウホウホ食べて手術中止になっても困る。
確認して貰うとやはり、食べてはダメとの事。
点滴をされているからか、さほど喉は乾かない。
シナリオ年鑑を作る委員をやることになった為、シナリオ作家協会から送られた脚本を二つ読んでおく。
手術後は、痛みなどで辛すぎて読めないかもしれないと思ったのだ。
早く手術済ませたいような怖いような。
考えれば考えるほど怖い。
金属のプレートを鎖骨にくっつけてビスで固定することのだ。
劇場の仕込みなどで、たる木にビスを打つ光景はよく目撃している。
あんな凄い音をたてて、打ち込むビスを、鎖骨に打ち込むなんて…
想像するだけで、怖い。
全身麻酔も怖い。二度と目覚めない確率もゼロでは無いのだ。
深く考えないようにしてるうちに旦那さんが来て軽くて雑談。
間も無く呼び出され手術室へ入る。
台の上に乗り、軽く固定され、息を吸うように言われる。
二回目の深呼吸の後に、全く意識がなくなる。
目が覚めると、もう自分の入院している部屋に戻っていた。
看護師さんや、旦那さんに話しかけられるが、全く動けないし、口も回らない。
数年前に全身麻酔の手術を受けた時は、痛みはつらかったが、もっと体は自由に動いた。
痛みが抑えられている分だけ、体が動かないのだろうか・・・。
最も苦手なタイプの不快な感覚。
旦那さんがいるから話したいが、話すのもままならない。
動けないのに、眠れもせず、辛い時間が続く。
やっと意識が遠のいてよかった…これで数時間やりすごせる・・・と思うとすぐに、血圧だの体温を測ると、起こされてしまう。
発狂しそうなしんどい時間をなんとかやり過ごし、明け方には、少し動けるようになって来た。
動けるようになると、しばらくしたらペットボトルの水なども飲めるようになってきた。
点滴が外れ、尿道の管も抜かれると、やっと一安心。
これ、骨がくっついて一年後くらいに、プレート外す時もやるのだろうか…。
ずっと体の中に金属があるのも嫌だが、もう一度全身麻酔をかけられて、同じような思いをするのかと思うと、早くも気が重い。

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新井友香

 

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鎖骨骨折で入院 

入院。
最初、5人部屋希望していたのだが、急遽個室に変更。
個室でも、5人部屋でも変わりないかもしれないが、コロナが心配になったのだ。
面会は、今日と手術の前後だけらしい。コロナ対策で、通常面会禁止らしいのだ。
誰にも会えないと分かると急に寂しくなる。
手術の説明など受けてから旦那さんは、帰宅。
隣は、相当具合の悪そうなおじいさん。ほとんど動いていないように見えたが、夜になると呼び出しブザーを何度も鳴らして、「おい!おい!」と、叫ぶのだった。
あまりに何度も呼ぶから、看護師さんに「寂しいからって、叫ぶのやめて!みんなびっくりするよ!」
と、怒られていた。
確かに、「おい!おい!」は、横柄で感じ悪いが、余程辛いのだろうなぁ。
そんな人の息遣いや、痰を吸う音までよく聞こえてしまう。
こんなに煩いのなら、5人部屋でも変わらなかったのでは?と、思いつつも、同じような人が同室にいたら、もっと気になって仕方がなかっただろう。
手術前だから早く寝たいと思っていたのに、全然眠れなかった。
夕食以降は絶食。
夜中はとにかくお腹が減ってひもじかった。

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鎖骨骨折 再び・・・

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3月31日に、転倒して鎖骨を骨折してしまった。

 

15年程前に、左の鎖骨を骨折したのだが、今度は右。

 

前回は宝船の稽古中で、稽古を休めなかったので、クラビクルバンドというバンドで固定して、治したのだが、今回は手術をすることにした。

手術の方が数日休むだけで、圧倒的に社会復帰が早いのだ。

 

コロナ自粛中、大暴れする子供二人がいる家で全く役立たずというより、介護が必要な状態になってしまっては、家庭が成り立たない。

 

2日から入院し、3日に手術をすることになり、朝から入院、手術での保険適用を調べたり、限度額認定の書類を取りに役所へ行ったり、産婦人科に子宮がん検診の結果を聞きに行ったり、意外と忙しく過ごした。

 

夜は、コロナで亡くなった志村けんの追悼番組を観た。

 

子供らは大喜びで大爆笑していた。

今の子供にとっても面白いんだなぁ。

 

骨折した直後、初めてスマホ画面に出たニュースが志村けんさんの訃報だった。

 

その日は、骨折のショックが大きかったのだが、追悼番組を観て、改めて悲しい気持ちになった。

 

昔お化け屋敷でアルバイトをしている時に、ある番組の収録で志村けんさんが入って来て、めちゃめちゃ怖がってくれたことを思い出した。

 

お化け屋敷では、素直に怖がるお客さんもいるけれど、自分はこんなもん怖くないと証明したいのか、威圧的に「こわくねーよ!」と、叫んだり、「ご苦労さん」「時給いくらですか」と、一段上に立った態度で、バカにしようとするお客さんも多かったりする。

 

時には、うっかり怖がってしまったことに腹を立てて、ふざけんなよ!と、暴力をふるうお客さんもいたりする。

 

でも、志村けんさんは、怖がる絵面があったほうが面白いということをよくわかって、敢えて大袈裟に驚いてみせてくれている面もあったかと思うが、脅かす側にとって理想の怖がり方をしてくれた。

脅かすことがお化けアルバイトの仕事上のサービスだとわかってくれていて、そこに敬意を払ってくれているようにも感じられて、とても嬉しかった。

寂しいなぁ…。

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