ムチムチ子豚を滋賀へ残し、娘と帰京し、ゴリラ先輩と語る
ニンタマを連れて、一時帰京。
先週の2日、ニンタマのミュージカルの習い事を、私のミスで休んでしまった。
9日にも9時から15時までのレッスンがあり、本来、そこは休むつもりでいたのだが、全部で四回のレッスンの中、二回連続で休むと、さすがに27日の発表会に間に合わないだろう。
仕事は新幹線の中でもできるし、8日の午後に一度東京へ戻り、9日のレッスンを受けさせ、ついでに湿疹の経過もあるので皮膚科も受診して滋賀へ戻る…という算段だ。
お義母さんにその旨を伝えた時、プン助が「プン君も行く!」と、言い張ったら大変だから、病院へ行くといって、さりげなく消えて、病院が混んでてもどれなくなっちゃった…と、いうことにした方がいい…とアドバイスを受ける。
7日に従兄の12歳のお兄ちゃんのT君も来ているが、やはりいきなり姉と母が一晩留守をするのはショッキングに違いない。
8日、プン助がT君と一緒に琵琶湖へ行くという浮かれているタイミングで、
「じゃあ、ママはニンタマと病院行ってくるね」
と言うと、全く疑いもせずに上機嫌に「バイバイ~」と、手を振っていた。
作戦成功…と、思ったのもつかの間、いつもは煩くてウザさ満載のプン助のことが気になって仕方なくなった。
新幹線で大騒ぎしている子供を見て、
「うちもプン助がいたら、大変だっただろうな。アイツがいないとなんて楽なんだろう」
と、思う一方、
「あのムチムチ野郎、今ごろ寂しがってないかな…ママとネエネがいないってショック受けてないかな」
と、ちょっとしたプン助ロス状態。
なんて面倒くさいのだろう。普段のウザさと、いない物足りなさの中間みたいなのが丁度頃合いがいいのだが、ウザさと寂しさの二択しかないのが、なんともなぁ…。
お義母さんが、
「友香さんが帰ったら、(旦那さんが)一食でもごはんつくらなくていいから、楽なんじゃない」
と言って、畑で採れた野菜をいっぱい持たせてくれた。これは、作らないワケにはいけないなぁと、スーパーで肉などを買い足して帰宅すると、たまたま早く帰宅していた旦那さんが、既に夕食を準備して待ってくれていた。
あら、ご飯つくらないで済んじゃったよ…ラッキー!
一段落して、滋賀へ電話をして、プン助に代わってもらう。
「ごめんね、病院が長引いちゃって…、でも明日必ず帰るから、待っててね」
と、伝えると
「うん、寂しいけど、待ってる…」
と、プン助。
なんていじらしくて、可愛いんだ。普段はウザイけど。
いや、普段ウザイから、たまにいじらしい事をいうと、可愛いのだろうか?
ウザさと可愛さはセットなのだろうか?
とりあえず、明日は何があろうと帰らなければなるまい。
夜、久しぶりに旦那さんと語る。
実は来年、舞台をやりたいと思っているのだが、そのことについて話した。
旦那さんには、3,4年前から、
「いい加減舞台をやらないとダメだ」
と、言われ続けていた。
ここ、数年、ありがたい事に映像の脚本を書く機会を貰い、なんとか子育てをやりながらも仕事をやれていたが、舞台となると中々難しい。
演劇の稽古は後半になると、1時~10時くらいまでやるのが、普通なのだ。
最後に私が、舞台の脚本演出をやったのは、丁度東日本大震災の時期だった。
あの頃は、まだ子供もニンタマ一人だった。
当時ニンタマも1歳半。
私の母と旦那さんのお母さんに、代わる代わる面倒を見てもらうことも可能だった。
しかし、今はプン助もいる。
家ではいつも大騒ぎして、暴れたり泣いたり叫んだり、中々平和な時間帯がない有様。
稽古期間中、子供二人の面倒を見て貰うのは、さすがに申し訳なさすぎる。私が、高齢な上、子育て下手というのもあるが、私一人でも一週間、ワンオペ育児をすると疲れのあまり、精神が持たなくなってしまう。
公演を打つには、夜子供をどうするかが解決しなければ、無理なのだ。
○解決策
・近い稽古場を借りて、稽古場に子供らを連れてくる。
→あまりアダルトな内容の稽古はできない。稽古中子供が騒いで、出演者やスタッフに迷惑をかけてしまう心配がある。夜10時まで稽古場にいたとして、その後、帰宅したり風呂に入るとなると、子供は毎日夜更かしになってしまう。
・親戚や周囲の助けが無理な日は、シッターを頼む。
→二人の子供のご飯から風呂、寝かしつけ…などをお願いできるシッターはいるのだろうか?大体、安くても自給2500円くらいだとして、どれだけ掛かってしまうのだろう?(そんなお金はどこから出て来るのか?)そして、その間、自分は宿題をみてやったり、習い事…はともかくとして、最低限の洗濯や家事ができるのだろうか?稽古は打ち合わせがあったりして、時間通りに終わらなかったりする。シッターさんに頼むには、前もって何時から、何時と決まっていなければならないはず。一体、どのようにお願いすればいいのだろう?
色々考えても、考えがまとまらず、結果、いつの間にか6年近く経ってしまった。
見切り発車的に子供を二人生んだ考えなしの私は、その時点では、6年もの間、舞台をやれなくなるとは思っていなかった。
なんとなく、2、3年でまた公演がやれるような気がしていた。
なぜ、そんなに楽観的だったのだろう…。世間知らずな若者でもないはずなのだが、自分の考えの浅さに今更ながら驚く。
実際にやりたいと思えば思うほど、道のりが遠いと自覚せざるを得なかった。
舞台の脚本だけ書かせてもらったりはしていたが、いざやろうと思うと、どんどんブランクが開いていき、どうしたものか途方に暮れていたのも確かだ。
舞台にすべてを注いで生きられた若いころ(といっても30代)とは違って、日々のおさんどんとや、家事、子供の生活にまつわることにもかなり時間とエネルギーを費やされる。
その上、体力はどんどん落ちている。
舞台から離れれば離れるほど、舞台をやりたい気持ちは膨らむのだが、最早道が見えない。
しかも劇団宝船は今まで「恋愛ホラーコメディー」をモットーに作品を作っていた。
だが、今、常に夜は家にいる生活で、周囲の恋愛事情からもとんとご無沙汰。自らが滝に打たれるように、恋愛修行をしていたのも、遠い他人事のようにしか思えない有様。
ここ数年は、糞尿にまみれ、おさんどんと家事に追われ、友達と語る時間もなく、迫りくる老いに怯え、誰とも何も分かち合えず、誰かと距離をつめて親しくなる余裕もなく、かといって落ち込む余裕もなく、完全に自分の立ち位置を見失っている有様。
何をやっても迷走としか感じられず、ずっと焦っていた。ずっと舞台をやりたいと思っていたが、今舞台をやりたいという思いも迷走なのかもしれない。
舞台をやりたいと願いつつ、数年ウダウダ悩んでいたのだが、やれない理由を考えても仕方がない。もはや腰を上げてから、やれる状況を作った方がいいような気がして来た。
というわけで、来年絶対舞台をやる…と決めたのだが、旦那さんに
「俺はずっと前から、舞台をやらないと駄目だって言ってたのに、まあ家のこととか考えてくれてたんだろうけど、ずっとやらなかったから」
などと言われ、なぜか、険悪になってしまう。
「だから、やるって言ってんじゃん!でもさぁ…どう考えても無理だったんだよ!来年からはプン助も学校だから、とりあえずお迎え行かなくても帰ってくるし、それでできるかなって思ったけど。」
「だから、そういうこと言ってたら、ずっとできないから、もっと早くやった方が良かったんだよ」
「でもさ、もうブランクありすぎて、やりたいこといっぱいあるつもりなのに、どうやったらいいかとか、ちゃんと演出とかできるのかとか色々心配だったし、子供だって熱だしたりするしさぁ」
「そういうこと言ってるから、やれないんだよ。何かを決断しないと、埋もれていくだけなんだ。お尻を切らないとやらないタイプじゃん?早く決断しないと、やれないまま終わるんだって」
「だから、やるって言ってんじゃん!」
と、堂々巡り。
久しぶりに語る時間が出来て、折角応援してくれているのに、何故か楽しい雰囲気にならず、夜は更けて行き、疲れ果てて寝る。
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