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ウェンディとプリキュアとしずかちゃん、そして会社

 

保育園へ行く途中に、大きなカード会社がある。
そこには、毎朝大勢の女性(年齢層も20代から50代くらいまで)が出勤している。

私は幼少時から、自分でお金を稼げるようにならないといけないという意識が希薄だった。
それは、当時女性の多くは専業主婦であったからかもしれない。
幼稚園の頃、学校というものが小学校、中学校、高校、大学まであって、大学までいかないとのんびりできないのか…と、思っていた。
後に「高校や大学は行かなくてもいいらしい」と、いう情報をゲットし、
「じゃあアタシはいかない!」
と、言っていた。
働くという選択肢は考えたことも無かった。

中学まで通ったら、のんびり好きな事をしながら暮らせると思っていた。
だが、段々高校、大学に行かないなら働くというのが、一般的で、学校へ行かないからといってのんびりできる訳では無いことがわかって来た。

漠然と、通訳になりたいとか演劇をやりたい、キャリアウーマンになりたい、婦人警官になりたい、文章を書きたいとう夢はあったが、それは夢であってお金を稼がなければならないということと、全く結びついていなかった。

学生になっていくつかはアルバイトをしたが、私はとても無能で、何度もクビになったり、無能ぶりを驚かれたりして来た。

今心残りなのは、どうして、もっと自分で稼いで生きて行くという気概が無かったのだろうということだ。

掃除も選択も料理もできず、事務処理能力も勤労意欲も皆無なまま成人してしまった。

これは社会人として生きるにおいて、致命的なことだ。
実際とても生き辛かった。

そんな状態で我が子をを世に送り出すことだけは避けたい。

自分のことは自分でやれるようにして、自分の食い扶持は稼いで生きなければならないという感覚だけは、身につけさせなければと、思っていた。

それで、毎朝、会社へ通う人達を見ながら
「皆ああやって、働きに行くんだよ」
とか、
「ニンタマちゃんも、大きくなったらあそこで働く?」
などと、働くのが当たり前に思ってもらうために語りかけていた。
「いいけど、ママと一緒に働きたい」
と、ニンタマ。
ニンタマが働く年齢の時に、私がその会社で雇ってもらえるとは思えないが、
「そうだね、じゃああそこで一緒に毎日働こう」
と、口約束していた。

だが、最近
「ニンタマちゃん、ウェンディになりたい。ウェンディのお仕事したい」
と、言うようになった。
ピーターパンの影響らしい。
ウェンデイのお仕事って…。
そんなもんねぇよ…。
「ん〜、ウェンディのお仕事は難しいかもしれないね、でもああいう風に舞台とかで歌ったり踊ったりするお仕事のことかな?」
自分達のことは棚に上げ、演劇みたいなことをやりたいと言われたら困るなぁと思いつつ、聞いてみた。
「違うよ!ウェンディのお仕事!」
面倒くさくなったので、
「そっか〜、やれるといいねぇ」
と、適当に答えておいた。
そして、次第に
「ニンタマちゃんプリキュアのお仕事をしたい」
「しずかちゃんのお仕事したい」
とやりたい仕事が増え始めた。

「あれ?ウェンディのお仕事は?」
「だから、ウェンディのお仕事したあと、プリキュアになって、その後しずかちゃん!」
「へぇ〜、色々忙しいねぇ」
4歳の言う事だ。まあ、こんなものだろう。
勤労意欲を期待するのも気が早すぎる。
「だからぁ〜、ママと会社で働くのは、その後でいいかな?」
会社のことはすっかり忘れていると思っていたら、覚えていたらしい。
「そうだね、ウェンディと、プリキュアとしずかちゃんのお仕事の後、ママと一緒に会社で働くか」
「楽しみだね〜!」
4歳時の描く未来はとても楽しそうではあった。

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よく「子供に言ってはいけないNGワード」とか、「感情で怒ってはいけない」…みたいな見出しを雑誌はネットの記事で目撃する。

その度に、ムカムカする。
できたお母さんなら、「そうそう、あたしはわかってるわ」
などと思うのかもしれないが、まったくできていない私としては、その記事を書いた人へ
「おめぇがこうやったらうまく行ったっていう自慢じゃねぇ?」
「たまたまおめぇの子供は、うまく行ったかもしれないけど、それが他の子供全部に当てはまるとでも思っているのかい?」
「感情で怒るんじゃなきゃ、何で怒るんだよ!世の中では感情で理不尽に怒られたり、攻撃されたりするんだから、おうちでもちょっとくらいその練習しておいたほうがいいじゃない?」
と、飲み会で語りたくなるほど、いらいらする。

といっても、子供連れだとおいそれと飲み会へは行けない。
稽古から疲れて帰ってきた旦那さんが、テレビを見てリラックスしたいと思っている時を捕まえて、しゃべりまくるしかない。

でも、そういう時の旦那さんはとても反応が鈍い。
「そっちは特に話したいことはないみたいね!」
もやもやが解決されないので、旦那さんに当り散らす。
「そんなことはないよ」
と、言いつつ会話は盛り上がらない。

ああ、飲み会行きたい…

どうでもいい馬鹿な話とかたくさんしたい。

でも、旦那さんが飲んで帰ってくる日、こちらは早く寝る気満々でいると、酒とつまみを買ってきて起されたりする。

旦那さんとしては、サービスのつもりらしいが、夜中の2時ころに熱く語られると、お願いだから寝かせてくださいって思う。

なかなかかみ合わない。

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遠い道のり、ケチなお父さん

保育園へお迎え子供らを迎えに行く。
ニンタマとプン助は補食を食べていた。二人が
「ママ~!」
と、飛びついてくれるのはとても嬉しい。だが、口の周りに牛乳で白い髭が出来ていて、いつもそれを私の服になすり付けようとするのが、ちょっと嫌だ。
プン助の教室へ荷物を取りに行こう!と、廊下へ出ると、二人は廊下の端から端まで走り出す。
長い廊下なので、走りたくなるのはわかる。こちらも、走らせてあげたいが、多分注意をしないと
「あのお母さん、全然注意しないわ」
と、思われてしまう。安全対策というよりは、私の下らない見栄で
「廊下走っちゃだめよ~」
と、声をかける。
当然のように無視される。

そして、プン助の教室へ。
汚れた服やら、使用済みオムツなどをリュックへしまい、明日必要な衣服やオムツ、タオルなどのセッティングを済ます。
さあ、今度はニンタマの教室へ!…と思うが、スムーズにはいかない。
レゴが大好きなプン助が、教室のレゴで遊び始めている。
「ニンタマの教室にもレゴあるから、そっち行こう!」
と、声をかけるが
「あなの~(やなの)~!あなの~!」
と、拒否。
抱きかかえようとしても、信じられない素早さでゴロゴロ転がったり、全力で抵抗される。
プン助の教室のレゴセットにはワニがいるのだが、ニンタマの教室にはワニはいない。
「ワニはいないけど、トラがいるよ!」
と、プン助を説得してくれるニンタマ。
「わあ~~~い!トラだって~~~!行こう、行こう!」
と、客席が300くらいある劇場でやる芝居のように大袈裟に、言ってみる。
だが、43歳の大芝居も無視される。
丸太を運ぶように、プン助を横にかつぎ、
「あなの~~~~!」
と、絶叫される。
ニンタマの教室へ行くと、諦めたらしくそちらのレゴで遊び出す。
先ほどは微塵も関心を示さなかったトラの背中に必死にレゴを積み重ねている。
ニンタマの着替えやタオルを回収&セッティングして、
「じゃあ、お家帰ろう!」
と、声をかけると、またもや無視される。
「ママお腹へっちゃったなぁ~~~!お家帰ってご飯食べよう~!」
黙々とレゴで遊ぶ二人。
「ねえ、ウチにもレゴあるじゃん!ウチで遊ぼうよ~~~!」
知らん顔の二人に痺れをきらせ、無理矢理上着を着せるが、床に転がり叫ばれながら、抵抗される。
いつになったら、家へ帰れるのだろう。

なんとか靴を履かせるも、プン助は駐輪場と真逆の方向へ脱走。
丸太を運ぶポーズで、プン助を自転車まで連れて行くと、今度はニンタマが無理矢理、自転車に乗ろうとしてペダルを漕ぎ始める。
お腹が減り、早く家で食事の準備をしたいのに、いつまでも帰れない。
「10回漕いだら、おしまいね」
こういうと、大体30回位漕ぐことになるのだが、一応止めてくれる。
やっと、二人を自転車に乗せ、漕ぎ始める。
ニンタマが歌を歌い始めたので、合わせて歌う。プン助も聞いた覚えも無いと思うのだが、歌い始める。3人で歌って楽しいなぁと思っていると、
「歌わないで!」
と、ニンタマ。
一人で気分良く歌いたいらしい。
マンションの駐輪場へついて、二人を降ろす。今度はプン助が背丈からして不可能なのに、自転車によじ上ってペダルを漕ごうとする。
ニンタマは他所の自転車のペダルをいじったり。荷物を持って、マンション入り口で
「早くおいで」
と、声をかけるが、プン助は
「あっち、あっち」
と、違う入り口を指差す。
遠回りになるのだが、そちらにはちょっとしたスロープがある。そのスロープが気に入っているらしい。
違う入り口から入り、エレベーターへ。
やっと自分の部屋の入り口へ。
所が、プン助もニンタマも階段で上の階へ登り始める。
あきらめ気分で上の階まで付き合う。上の階の廊下から外の眺めを見てはしゃぐ二人。
お迎えに行ってからもう一時間以上経っている。
ひとしきり遊んだ二人を連れ戻す。
人さらいかのように、抵抗されながらも、玄関に押し込む。靴を脱がせようとするも、拒否される。
しばらく放置。

ニンタマに手を洗うように言って、食事の支度。
何度か玄関で泣いているプン助に靴を脱いで中に入ろうと促すが、抵抗される。
無理矢理、手を洗わせてから、リビングへ転がしておいた。
すると、あれほど家に入るのを拒否していたのに、すぐにレゴを出して遊び始めた。
レゴで遊んでくれるのは助かるのだが、まだ不器用で、うまく嵌められないと発狂したみたいに叫び、レゴ同士を打ち付け、
「えきあい~~!えきあい~!(できない)あ~~~~~!」
と、泣き叫ぶ。
そんな合間に食事を作り、なんとかご飯並べたら、20時を回ってしまった。
食事中、
「プン助君がね、ママの事ケチだって」
と、ニンタマ。
「ママ、ケチじゃないよね?ケチだなんて言われたら、悲しいよね」
「う~ん、別にいいよ、ケチって思われても」
「ケチなのは、お父さんだよね」
唐突に旦那さんの話題が出て来た。
「え?なんで?お父さんケチじゃないよ?」
「ケチだよ。だって、髭ばっかり剃ってさぁ~」
ん?髭を剃るとケチ?
どういうことだ?
「髭ばっかり剃るとケチなの?」
「自分ばっかり髭そってさぁ、ニンタマちゃんに剃らせてくれないんだよ~!」
さも不当なことかのように訴える。
「ニンタマちゃん、お父さんの髭そりたいの?」
「ニンタマちゃんだって、剃りたいんだよ~!」
「いやぁ~、それは無理じゃない?」
「なんで?」
「まだ、ニンタマちゃんは上手に手を動かせないから、顔とか切られちゃうって思うんじゃない?顔が血だらけになっちゃうって」
「なんで?」
「間違えて、顔切られちゃうかもって」
「なんで?」
「間違えて顔を切っちゃうかもしれないでしょ?」
「なんで?」
「なんで?」
「なんで?」
なんで攻撃に耐えきれなくなり
「もうちょっと大きくなったら剃らせてくれるかもよ?お父さんにお願いしたら?」
と、言っておいた。

その後、風呂を湧かし、洗濯物を干し、子供らを風呂に入れ、寝かしつけ、洗いものを始めた途端に、目を覚ましたプン助に泣かれ、再び寝かしつけ…とやっていたら、旦那さん帰宅。
テレビを観てご飯を食べたそうな旦那さんにガンガン話しかけ、テレビを消させ、私もビール。
ここまでの道のりが、長かった。

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ニンタマ金持ちになりたい

昨日、子供らの服の整理をしたのだが、頂いたお下がりで、去年大きすぎると思って着せられなかった服や、今年の春に頂いて、この冬に着せようと思っていた服の半分くらいが小さすぎて着せられないことが判明。
絶対自腹では買えない素晴らしう可愛らしいお洋服。
つんつるてんだったり、胸のボタンが留らなくてもなんとか着せたい!
と、
「これ、ちょっと着てみて」
と、言うのだが、なんとか着れそうな服でも
「きつい!きつい!」
と、大騒ぎ。
親戚でニンタマより三歳年上の女の子がいて、いつもその子から素敵なお下がりを頂いていた。
だが、ニンタマは4歳になったばかりだというのに、110センチ近くあり、どうみても小学生の大きさ。
そろそろ、お下がりは頂けなくなるだろう。いつも当然のように可愛い服があると思っていて、その有り難みをわかっていない。
親としてはちょっとキツくても、もう可愛いお下がりは頂けなくなるのだから着ろよ!って思ってしまうのだが、危機感の無いニンタマは決して頑張ってまでは着ようとしない。
つい腹が立って、
「ニンタマ、大きくなっちゃったから、もうお洋服誰からも貰えないんだからね!」
と、意地悪く言ってしまう。
「そっか~。でも、買えばいいだけだし」
と、意に介さないニンタマ。
「そうね、西松屋でシャツとパンツはなんとか買ってあげる」
「え?ニンタマちゃんスカートがいい。あとワンピースとかドレス」
「スカートとかワンピースとかは買ってあげられないよ」
「なんで?」
「ウチは貧乏だから。シャツとズボンは保育園で着なきゃいけないから、頑張るけど、他は無理」
四歳児になぜこんな意地悪を言ってしまうのだろう。
「ウチはなんで貧乏なの?」
「お父さんとお母さんが、若い頃にお金持ちになろうってあんまり考えなかったからだよ」
「ニンタマちゃん、貧乏なのやだなぁ。ニンタマちゃん、お金持ちになる」
「そうだね、頑張ってね。多分、頑張らないと、お金持ちにはなれないからね」
ニンタマはしょんぼりした顔をして、ゴロゴロ寝転がっていた。

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タルトVスルメ

Photo 10月20日
雨。
コミュティセンターで祭りをやっているので、連れて行ってあげたいが、旦那さんも不在で雨の中すぐ抱っこ!というプン助を連れての外出を思うと、腰が重い。
遅い朝ご飯の後、間持ちがしないで、昨晩夜中の3時まで夜なべして作ったパイナップルとバナナのタルトをニンタマとプン助に見せる。
「わ~~~!おいしそう~~~!」
と、大喜び。
先ほど朝ご飯を食べたばかりだというのに、
「ニンタマちゃんお腹減ってたんだ~!」
と言うニンタマの言葉に押され、
「じゃあ、ちょっとだけだそっか~!」
と、タルトを切る。
ちゃんとしたタルト型もなく、フルーツの汁が漏れたせいもあって、切り分けるとグチャグチャ。
普段は、お手伝いを嫌がるのに、率先して皿を出すニンタマ。
果たしてお味は?
「おいしい~~~!」
「おいしくてほっぺたがおちそう~」
プン助も、まだ言えないのにニンタマの真似で
「おっぺあちとう~」
と、頬をぺちぺち。
なんて、良い時間かしら!
ああ、中々子供達にこういうことをしてあげられないけど、出来れば週に一回くらい、タルトやケーキをやいてあげたい…。
そんな甘い気持ちになっていると、プン助が唐突に
「こえこえこえ~~!」
と、何かを指差し、立ち上がる。
タルトは大分残っている。
喉でも乾いたのかしら?
「お茶、ここにあるよ」
と、お茶を飲ませようとすると
「こえこえこえ~!」
と、怒りまくる。お茶ではないらしい。
色々なものを手にとって
「これ?」
と、聞いてみるが怒るばかり。
一体何かしら?
テーブルに、昨晩旦那さんが、つまみに買って輪ゴムでとめたスルメの袋があった。
「これ?」
と、スルメを差すと、
「こえこえ」
と、頷くプン助。
タルトがまだ沢山残っているのに…。
「じゃあ、一口だけよ」
と、小さい糸くずくらいのスルメを差し出すと、
うれしそうにシしゃぶり始めた。
それを見たニンタマが
「ニンタマもニンタマも~~!」
と、催促を始めた。
「タルトちゃんと食べてよ!」
というと、
「もう、いらない!」
と、皿を乱暴にこちらに押しやった。
夜中の3時まで子供らの喜ぶ顔を想像して頑張ったのに、百均で買ったようなスルメの足下にも及ばないって…。
43歳の私は、
「じゃあ、もうタルトは下げるからね!」
と、怒り気味に言うと、
「うん、下げて」
というニンタマ。
悲しくなり、
「もう、ママ二度とタルトなんか焼かない!いいね!」
「ああ、もう、作らなきゃ良かった!」
と、男に拗ねる小娘みたいに、当てつけがましく言うが、子供らはスルメに夢中で聞いちゃいない。
しつこくしつこく
「もう、ニンタマは安物のお菓子でいいね、ケーキとかタルトはママと父たんだけで食べるから!」
と、言うとやっと聞こえた様子のニンタマが
「やだ!」
と、叫んだ。
お!乗って来たと思ったのも束の間。
「ニンタマだけ安物はやだ!プン助も安物じゃないと!」
と、言うので
「プン助が安物なら、ニンタマも安物で言い訳?」
と、聞くと
「それならいい!」
と、満足げな顔をしていた。
ああ…。
子供らの喜ぶ顔を…って思ったけど、別にそんなことしなくてもいいんだよな、ホントは。
こちらの自己満足でしかない。
夜中まで自分の趣味でタルトを焼いただけなのだ。

報われない。
昔は、お付き合いしている人相手にこちらの努力が報われない、わかってもらないと嘆いていたが、その相手が子供になっただけなぁ。

凹む。
凹む原因は、子供らがわかってくれないことではない。
自分がいつまでたっても、このような事に一々衝撃を受けて、子供ら相手にいじけたり、拗ねたりしていることにだ。
この分では老人になっても、自分の思い描いていた大人にはなれていなさそう。

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親業むいてない

1歳8ヶ月のプン助は、食事中にいつも、テーブルに足を乗せたり、テーブルを足で蹴って自分の座っている椅子を動かしたりしている。
その度に
「テーブルに足乗せないでね」
「危ないから、やめて」
と、注意するものの、うれしそうにニヤニヤしているだけで、全く辞める気配が無い。
言ってわからなければ、体で覚えてもらおうと、
「め!」
と、足をペチンと叩くと、自ら
「め!」
と、言って自分の足を叩いて喜んでいる。
痛さが足りないのはわかっているが、あまり強く叩くのも嫌なので、
「やめないと、ペチンするよ~」
と、手には~っと息を吹きかけ大きい身振りで叩くそぶりをすると、目を細めて足を降ろした。
実際に叩くより、効果があると言えばあるのだが、3秒後にはまた、足をテーブルに乗っける。
効果は3秒。
そして、その様子を見ていた姉のニンタマが、
「足降ろさないと、お姉ちゃんも怒るよ~!」
と、大喜びで足を叩こうとするではないか。
「やめてやめて!プン助ペチンしないで!」
というと、
「ママだってやってるじゃん!」
と、不服そう。
苦し紛れに
「ペチンしていいのは親だけなんだよ」
と、言うと
「なんで?」
と、返される。う~ん、なんでだろう?
尤もらしい理由もひねり出せず
「とにかく駄目なの!」
と、ねじ伏せてみたものの、説得力は皆無。
一歳児と四歳児相手でもへどもどする日々。

2年後、3年後にはどうなってしまうのだろう。

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骨盤底筋問題(すごく遡ってます)

4月23日(大分前に遡りますが)
昨年、2月に出産して以来、ずっとある不快感に悩まされていた。高齢出産のせいも
あるのか、一人目出産のダメージが修復されないうちに、二人目を産んだからか、私の骨盤底筋がぶっこわれてしまったのだ。

最近、テレビでやたらと骨盤底筋を鍛える特集をやっているが、まるで私の為にやっ
ているのか?と思う程。

元々、やっていたのに、今まで関心がなかったから気付かなかったのか、本当に最近
脚光を浴びた題材なのか。

第一子出産の時も直後は、不快な症状があり、産道附近全てに異変を感じたが、次第
に気にならなくなった。

だが、第二子出産時は翌日から、明らかに

「これはおかしい!」

と、衝撃を受けていた。

助産院でも相談に乗ってもらい、産後は色々な病院を転々としたり、電話で相談した
りしていた。

骨盤底筋が緩むと、子宮、膀胱、直腸が下がって来る。その結果、排尿、排便、入浴
全てに支障を来していた。

産後は、義母や母にかなり助けてもらい、2ヶ月近く布団から出ない生活を送っていた。

でも、産後のケガ的な痛みがなくなっただけで、症状は治まらなかった。

こういう症状を骨盤臓器脱というらしい。助産院の提携している産婦人科では

「出産っていうのはね、骨盤底をいじめていじめていじめまくる事なんですよ。自然自然って、自然出産に拘る人に限って、それで何かあると大騒ぎするんです。子育てに専念していれば、忘れます」

などと、言われ、言い返すことも出来なかった。
不快な症状が消えない限り、忘れるはずはない。
子育てなどの大変さで後回しにするしかなくなるだけだと思う。

近所の産婦人科にも

「形状が変わるのはよくあることです」

で、済まされた。

どちらからも骨盤底筋体操をするようにと、体操の仕方を図解で示したプリントを貰ったが、具体的な指導はされず。

そして、相談センターから紹介された骨盤臓器脱の権威と言われる先生の元へ。

「大丈夫です!治ります」

と、断言して貰え、初めてほっとした。ここでも運動を図解したプリントを貰った。

始めの3ヶ月が勝負とのことで、せっせと運動して、3ヶ月後にまた来るように言わ
れた。

希望を持って、運動を自分なりに続け、3ヶ月後、その後半年後に診察を受けた。

そして、一年以上経った。

治ると言われていた症状は、全くよくならなかった。

お風呂に入れば、痛み、トイレに行く度に恐怖を感じる日々。

そして、今年の4月の診察では症状がステージ1から2に進行していると言われた。

よくなっているとは思わなかったが、悪化しているとは…!

しかし、先生は

「まだ、手術するほどではありません。様子を見ましょう。では、半年後に」

と、言うだけだった。

駄目だ…!

この先生の言葉に大分救われたが、ここでは直してもらえない。

もっと具体的に治療をしてくれたり、相談に乗ってくれる所を探そう。

、色々調べてみると、四ッ谷と横浜に良さそうな病院があった。四ッ谷の方が近い。

四ッ谷の病院へ電話をすると、6月半ばまで予約はいっぱいらしい。

6月まで待ってみるか…。

そう思っていたら、旦那さんが、近所の接骨医院で電磁波で筋肉を鍛える機械がある
所を見つけて来てくれた。

聞いてみたら、そういう症状にも「対応できると思います」とのこと。

それを聞いて、電磁波で体を鍛える機械なら、自分で持っていたことを思い出した。

母から大昔に貰ったEMSだ。

これで骨盤底も鍛えられるのか?

しかし、EMSにも高周波、低周波、干周派?などといろいろあるようだ。

私が持っているのは低周波のもの。アウターマッスルは鍛えられるが、インナーマッ
スルは鍛えられそうもない。

この症状はインナーマッスルを鍛えられないと駄目に違いない

高周派…、干周派…。

楽天などでも、色々なEMSが売られている。確実に効果があるならば買ってみてもよ
いが、なければ無駄に高額の機械を買うのは馬鹿馬鹿しすぎる。

う~ん。

さらに調べてみると、ExMIなる磁気刺激療法も存在した。

「骨盤のリハビリサロンシルエット」…という所にそれは存在するようだ。

http://www.salonsilhouette.jp/character/pelvic-care/

フランスでは産後の女性の骨盤を整えるのは常識らしい。知ってはいたが、日本には
そんな所があるとは思わなかった。あったらいいのに…と思っていた施術を受けられ
る場所があったのか…!

迷った末に施術を受けてみることにした。

市ヶ谷の靖国神社近くのサロンへ言ってみると、長年フランスに住んでいたらしい雰
囲気を醸し出した先生がにこやかに迎えてくれた。

そして、カウンセリング。おそらく一時間くらい、じっくりこちらの話を親身に聞い
てくれた。

ああ…。母親以外にこの問題をこんなに親身に聞いてくれた人がいただろうか。旦那
さんも聞いてくれるが、体が丈夫な人なので、今ひとつわからず、ニコニコと「産め
てあともう一人かなぁ」などと言ったりする。もう一人頑張りたい気はやまやまだっ
たが、もしそんなことになったら、残りの人生ずっと排尿、排便、お風呂に支障を来
すことになる可能性大だ。自分の体を十月十日かけて、積極的にぶっこわして行くこ
とになる。精神的にも肉体的にも耐えられる自信は全く無い。

経験者としてよりそって、親身になって話を聞いてもらえるだけで、これほど癒され
るとは…。

施術を受ける前から、それだけでかなり満足してしまった。

接骨医院や整体の専門の方が聞いたら心外かもしれないが、私は本来はそう言う所で
体を治してもらえるとは思っていない。基本的には故障は自分で治すしかない。

自分でストレッチをしたり、軽い負荷をかける運動をしたりするのが一番なのだ。そ
の方法や目安を教えてもらうのは良いが、頼るのは間違いな気がする。自分でケアし
てもどうにもならない所を助けてもらう、もしくは自分でケアする時間も気力も無い
時の助けにはなる。

そうは思っていても整体に通うのは、「お疲れですね」「頑張りすぎですよ」などと、
労りの声をかけられ、心に寄り添ってもらえるからだ。

先生の相槌やアドバイスに癒され、さっそく磁気刺激療法を受けた。着衣のまま、た
だ長椅子のようなベッドに腰かけるだけなのだが、思わず

「ぬぉぉぉぅ!」

と、叫んでしまうような、物凄い衝撃が股間を襲って来た。

だが、不思議なことに全く不快ではない。

今まで地味に股間や肛門を締める運動を続けて来たが、この機械はどんなに頑張って
もそんなに締められないっていうほどの動きを、問答無用にさせられてしまう感じ。
20分も経つと、股間もお尻もぽっかぽか。

う~ん、なんか凄く効いた感じ。

その後、簡単だけれども、地味に体に効く体操を教わり、整体を受けてその日は終了。

症状を改善する為には何度か通って施術を受ける必要があるとのことで、その計画を
立ててもらう。

正直お安くは無いが、この先のことを考えしばらく通う事にした。

何より、あの磁気刺激療法の椅子はちょっとやみつき。

あの椅子に座って強制的に骨盤底筋をギュッギュッ!と、やられると、その日は一日
腰がしゃんとするような気がする。

丹田と言われるあたりに力が入り、足取りも軽くなる感じ。ああ、この機械、家に欲
しいなぁ。

7月26日

突然だが、9月頭に手術を受けることになった。

手術と言っても、命に関わるようなものではない。出産の後遺症で骨盤底筋がゆるみ、骨盤内の臓物系が下垂してきて、日常生活がちょっと不便になっていたので、その症状を緩和するために、あちこち切ったり張ったりするのだ。

死ぬわけでは無いような症状で、体にメスを入れるのは怖いが、毎日お風呂に入った
りトイレに行く度にナーバスになり、このままでは旅行に行くのも気が重いという状態が続いていた。

4月に骨盤底筋を鍛えるサロンへ行き、希望を見いだしてはいたのだが、6月に予約
を入れていた病院で検査したところ、運動だけではどうしても治らない箇所があると
のこと。

そのことは薄々感じていた。

幼少の頃から便秘がちだったが、昔から便意があるのに出せない時があった。

妊娠中からその症状はひどくなった。

産後、股間の違和感に悩まされ、色々調べた所、直腸にポケットが出来てしまう直腸
瘤という症状ではないかと自分なりに思い至った。

妊娠8ヶ月の頃、出したいのに出せず、いきなり股間が盛り上がって来たので、まさか切迫早産?と、救急車を呼んだこともあったが、あれは正に、ポケットに溜まってしまって出せなくなってしまったからに違いない。

いくつかの病院でそう説明したものの、そこをきちんと調べてくれた所はなかった。

四ッ谷の病院で初めて、はっきり直腸瘤と診断され、MRIの画像で自分の状
態も説明してもらった。

いくら運動で筋肉を鍛えても、直腸側の壁が伸びて出来てしまったポケットはどうにもならない。
手術するのがオススメと言われた。

2泊3日の入院ですむと聞き、安心したが、その後6週間程、重いものを持ってはいけないと、言われた。

重いもの……重いものか…!


今、私は11・8キロと18・7キロのもの(ニンタマとプン助)を毎日担いだり、
持ち上げたり、運搬したりしている。

好きで担いだり、持ち上げている訳では無い。

泣きわめく奴らをなだめたり、隙あらば車に向って走り出しかねないので、仕方なく
担いだりする必要があるのだった。

ああ…どうしたものか。

旦那さんに相談したら、

「受けた方がいいよ。入院中は仕事入れないようにするし」

と、言ってくれたが、退院後はお仕事で10日程関西へ行ってしまう。

義母と母にも家に来てもらえるようにお願いしたが、二人とも高齢だ。

3歳と1歳の相手は、肉体労働だ。折角手術を受けるのだから、ちゃんと安静にして
治りをよくしたいが、母達が疲れ果ててしまうのも心配。

どうなることやら。

まあ、今から心配しても仕方がないので、直前まで色々手はずを考えてのんびり構え
よう。

9月4日
入院手術。
朝、パン一枚を食べてから絶食。
昼過ぎにニンタマと旦那さんと一緒に病院へ。
入院する部屋でのんびり過ごすが、空腹が辛い。
ベッドの上でニンタマがはしゃいで、時折説明に来る看護士さんの話が中々聞けない。

14時から飲み物も飲めず。

17時から手術予定だったが、前の手術が長引いているようで、18時過ぎまで待たされる。
ああ、いっそ早くやってくれないだろうか…。
空腹が辛すぎる。

やっとお迎えが来て、一人で手術室へ移動。

手術台へ横たわる。
布をかけられ、手術着を脱がされたり、体を台に固定されたり。

先生と軽く談笑した後、点滴で麻酔。

全然、眠くなんないぞ…!
あれ?おかしいな、ちっとも眠くならない!
何度も瞼を開けたり閉じたりして、起きていることをアピール。

空白。

体を起こされ、手術着を着せられている途中で目が覚めた。
「無事に終わりましたよ〜」
と、先生。

ほっ!

生きてた。
そうか、もう終わったのか…と、段々意識がしっかりして来る。

布一枚かけられた状態で、台に乗って1、2時間。
覚悟はしていたが、意識がはっきりするにつれ、体が冷えきっていることがわかって来た。
歯がガチガチなり始め、次第にメスを入れた部分の猛烈な痛みを感じ始めた。
「やっぱ、痛い事は痛いですね〜!」
と、訴えてみるが、看護士さんや医師は「当たり前」と、言った感じで、聞き流される。
そのまま、入院室へ運ばれる途中
「ママ〜!」
と、ニンタマの声。
旦那さんとニンタマの姿が見えた。
ホッとしたものの、猛烈な痛みはどんどん酷くなって来る。

部屋へ戻って、注射を打ってもらったが、全く痛みは引かない。

術後2時間後、待ちに待った食事が運ばれて来た。
だが、痛すぎて食べる元気も出ない。
痛さの心労か、空腹のあまり、胃も痛い。
こんな苦痛な食事は初めてかも。

プン助を産んだ直後の食事など、ウマすぎて、モリモリ食べていた。

導尿やら、点滴と管が体に入っているので、鬱陶しい。

再び傷みを訴えると、ロキソニンを貰った。
薬が効くのを待っていたが、全然痛みはひかない。
きっと、今夜は痛みのピークなのだろう。

折角独りで寝られるチャンス!と、「バリでの出来事」のDVDを持って来ていたのだが、
見る気にもなれず、痛みと向き合い、闘う長い夜を過ごした。

9月5日

朝食後、導尿の管は抜いてもらった。
この日の夜まで点滴は続く。

数時間後、自力でトイレへ。
しかし、出ない。
どんなに粘っても出せない。

看護士さんに導尿で出してもらう。
自力でおしっこできるようにならないと、明日の退院は無理。

点滴をしているせいで、すぐトイレに行きたくなる。
でも、出せない。
痛みのせいで、尿意があるのかどうかもわからなくなってくる。

何度もトイレに行っては出せず、導尿で出してもらう。

ああ。
出産の時も感じたけど、人として、何かある一線を越えてしまったような気がする。

結局、この日は自力排尿できなかった。
翌朝まで出せなかったら、自己導尿を覚えなければならない。

術後、そうなる人は多いけれど、自己導尿をしているうちに必ず出せるようになると、言われていた。
そのことにたいして不安は無かったが、小さい子供がちょろちょろしている環境で、自己導尿したりできるのだろうか?
不安になる。
この日はお見舞いなどで、あっという間に夕方。

日中にバリでの出来事は観られなかった。

夜、意地になって2話まで観るが、途中で眠くなって寝てしまう。

9月6日
この日の昼に自力排尿が突然できるようになった。
だが、その後、看護士さんに導尿してもらうと、まだまだ残ってた。
結局、自己導尿を覚えることになった。
排尿後に決まった時間に自己導尿。
その度に量を測って、連続して2回100ccを切ったら、導尿はやめてよいとのこと。

導尿自体は思ったより簡単だった。
これで、介護などで女性の導尿をしなくなった時はばっちりだ。
だが、毎回ちょっと痛い。
そして、鏡で毎回自分の尿道を確認して、カテーテルを入れるという作業はかなりナーバスだった。
こんなこと一生やらないで済む人も沢山いるだろうに…。

旦那さんに迎えに来てもらって、昼すぎに退院。

痛みのあまり、歩くのも大変ではあったが、何とか電車とバスで帰宅。

やっと落ち着ける…そう思ったが、帰宅してホッとしたせいか急に便意が襲ってきた。

いつもなら、普通にそろそろかしら?って程度の便意なのだが、傷口を圧迫するのか、猛烈に痛み始めた。

腹圧をかけると激痛がするので、踏ん張ることも出来ない。

痛みのあまりにもんどりを打って泣く。

病院に電話するも、
「なるべく下剤をかけて緩い便をするようにしてください」
というだけ。
術後のよくないので、浣腸はしてはいけないらしい。
脂汗をかいて、悶絶したり泣いたり。

これ、退院しない方が良かったのでは?
この地獄は翌日まで続いた。
こうなることがわかっていたら、術後すぐに酸化マグネシウムなどの下剤を処方してもらっていれば良かった。

産後、便秘が骨盤臓器脱症状がある人にとっては致命的と言われて、ヨーグルトとオリゴ糖で便活を続け、殆ど悩みはなくなっていたのだが、術後は通常の排便では駄目だったのだ。
ゆるゆるウンチを出さないと、術後の傷に響くようだ。
その後、ゆるゆる状態を目指して、ガンガン下剤をかけた。
9月7日
やっと、悶絶する苦しみを突破できたが、今度は下剤のかけすぎで下痢ピー。
傷というより、普通にお尻が痛い。

そんな状態で、ニンタマの誕生日を祝う。
とりあえず、悶絶する痛みが収まって4歳の誕生日を祝えて良かった。

自己導尿は、数日でやらないで済むようになった。
あとは、回復を待つばかり。

でも、ニンタマとプン助の抱っこは6週間できない。その間、私だけ別室で一人で寝るようになった。

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