« 2013年7月 | トップページ | 2013年10月 »

原爆ドーム

小学校4年生の春休み、広島へ行った。母の実家の本家があったのだ。その流れで観光バスに乗り、何の予備知識も無いまま原爆ドームへ行った。
不思議な外観の建物に、違和感を感じつつ、まだ楽しい旅行が続くと信じていた。
だが……。
館内に入るなり、皮が剥けた等身大のリアルな人間達が彷徨いあるいているオブジェ。
なんだ、これは?
と、衝撃を受けつつ、中へ進むと、どこを向いても被爆した人達の写真。
火傷で顔も目鼻がどこにあったかもわからない赤ん坊の遺体や、骸骨が山のように積まれているものがあったりで、途中で恐怖のあまり動けなくなった。手で目を覆って、母に写真や恐ろしい展示物が見えない所まで連れて行ってもらった。
その後しばらく、独りでトイレにも行けなくなり、寝ようとすると被爆者の写真が眼に浮かんで怖くてたまらなかった。
トラウマという言葉で真っ先に連想するのはその時の衝撃だった。

あまりに印象深かったので、その時観光バスで他にどんなコースへ行ったのか全く覚えていない。
当時は、
「先に教えておいてくれれば良かったのに」
と、母親を少し恨んだ程だった。

それから、20年以上経ってから、地方公演で広島へ行くことがあった。

あの時はショックだったけれど、今だったら最後まで目を覆わないで見られるかもしれない。
広島へ行ったら、空き時間にもう一度原爆ドームへ行こうと決めていた。
すると、共演した女優陣皆も「原爆ドームへ行きたい」と、思っていたらしく、女優陣全員で原爆ドームへ向ったのだった。
その時、そういう人達と共演できたということを嬉しく思った。

子供の時の恐怖の記憶があったので、かなりの緊張と覚悟が必要だったが、仲間と一緒なのが、心強かった。
所が……。
久しぶりの原爆ドームは明らかに昔と違っていた。
確かに、ショッキングなオブジェや写真はあったが、以前私が途中で進めなくなってしまった顔が消えてしまった赤ん坊や、凄まじい姿の人達のの写真がなくなっていた。
それでも、涙が出てくる様な絵や体験が載った文章などがあったのだが、気持ちは複雑だった。

20数年の時を経て、私自体の記憶が色々作り変わってしまったのかもしれないが、あまりにショッキングな内容だと、来場者数にも響く…ということなのか、トラウマにならないような作りに変えたのかもしれない。

あまりに恐ろしいと、観に行く人達のハードルも上がるということで、来場者数が減るよりは、ソフトな作りにしたのだろうか。

10歳の頃に自分にとっては、突然の暴力の様な恐怖だったけれど、あれはあれで大人になってみたら、そういう経験も必要だったような気もする。

夏のこの時期が来ると、必ず原爆ドームのことを思い出す。

|

« 2013年7月 | トップページ | 2013年10月 »