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魔のゴールデンウィーク

保育園がお休みだと、仕事は全くできないどころか、PCでメールを見るのもほぼ無理。
だが、仙台から母がやってきてくれた。
ソロで二人育児をする日々が続き、母が来るのが待ち遠しかった。
ニンタマも私とプン助の3人だと、しっかりしなければと我慢することも多いのか、母が来ると嬉しそうに甘えていた。
そして、私も一日2時間程二人を見てもらって、仕事をさせてもらえる。

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ヒ〜ヒ〜の二人育児

二人育児は毎日訳が解らないまま過ぎて行く。
旦那さんが、稽古へ行くと小娘のように心細い。
今日は打ち上げらしく、寝かしつけタイムまで、ピンでなんとかしなければならない。
ニンタマと昼ご飯を食べている間、息子のプン助は座布団の上に放置。食べながらも時々「あう!」
と、手足をばたつかせながら、奇声を発するプン助が気になって仕方が無い。
だが、あまりプン助にばかり気が行くと、ニンタマが不安定になる。
大泣きしない限りはニンタマに専念しなければ。
自分の食べカスや食べかけの米粒を嬉しそうに
「はい、どうぞ~」
と、私に食べさせるニンタマ。
面倒なので、
「ありがとう~」
と、食べると
「ママに食べさせちゃった~!ニンタマちゃん、食べさせちゃった~!」
と、一人で大ウケして爆笑。
なんとかご飯は平和に終わる。
DVDを見たがるニンタマに
「ママ、プン助ちゃんにおっぱいあげて、ニンタマちゃんの歯を磨いたら、コミュ二ティーセンターに行って、ニンタマちゃんにご本読んであげようと思ってるんだけど、行かない?DVDは帰ってからにしない?」
と、誘いをかける。
「行く~!」
と、大喜びするので、6キロ越えているプン助を抱っこして近所のコミュ二ティーセンターの図書室へ。
紙芝居をいくつか読んでいると、プン助が泣き始める。
読み聞かせくらいはいいが、赤子が泣き始めるとさすがに迷惑。
図書室を出て、飲食コーナーで「隣のトトロ」の本を読み聞かせる。
これではニンタマは物足りないはずなので、近所の神社へ連れて行く。
すると、砂利道に四つん這いになってはしゃぎ始めた。
砂利が飛び散って迷惑になるので、
「駄目だよ、砂利あぶないよ~」
と、注意するが全くきかない。
「あ、鳩のウンチがそこにいっぱいついてるよ~!」
と、驚いたふりをしたら、ニンタマは慌てて立ち上がった。
鳩が苦手なのだ。
その後、お参りをした。
「プン助ちゃんが大きくなりますように」
と、手をパンパン打っていた。
その後、中々神社を出てくれない。
お腹が痛いとしゃがみ込む。
イライラしながらも、3分で帰れる道のりを15分ほどかけて帰宅。
へとへと。
これからご飯を作り、風呂に入れ寝かしつけなければならないとは…。
プン助はともかく、ニンタマだけでも昼寝をさせなければ何も出来ない。嫌がるニンタマを寝そべらせながら、絵本をよんでやる。
絵本を読見終わった後、
「怖い棒を持ったおじさんが来るから寝たふりをしないと!」
と、脅して目を瞑らせる。
ニンタマは怯えながらも私の髪の毛を数本ずつ引っ張り続け、15分ほどして、やっと静かになった。
プン助を抱っこ紐に入れて、ご飯を作る。
首や肩の血液が圧迫される上、プン助の頭が邪魔で調理しにくいが、泣かれ続けるよりは精神的に楽なのだ。
寝付いたプン助をソファに降ろすと10分もしないで、泣く。
眠いのに眠れないと泣いているようだ。
眠いなら、寝ればよいのだが。
オムツを替えたり、授乳をすると1時間などあっという間に過ぎてしまう。
なんとか、ご飯を作り終えると、寝ていたはずのニンタマが奇声を発した。恐ろしい夢でも見ているようだ。
あまり長々昼寝をさせると、夜寝なくなるので起こさなければと、体を揺らすと
「怖い、怖い~」
と、号泣。
怖いおじさんの話で脅したのがいけなかったのだろうか…。
寝覚めの悪いニンタマをくすぐったりしてなんとか笑わせるが、食事の用意で本人が好きな赤い皿をわざわざ並べてあげた途端、
「ニンタマちゃん!青いお皿が良かった~!」
と号泣。
昨日までは
「赤いお皿が良かった~!」
と、泣いていたのに。
最早因縁をつけられている年か思えない。
ニンタマが大泣きすると、プン助も狂ったように泣く。
ああ、私も泣きたい。
スリングにプン助を入れて授乳をしながら、自分もご飯を食べ、
「食べさせて~!」
と、甘えるニンタマの口にもスプーンを運ぶ。
やっと食事が終わると、テーブルの下に潜るニンタマ。
私と目があっているのに
「ニンタマちゃん、ど~こだ?」
と、聞く。
「テーブルの下」
と、言っても
「ニンタマちゃん、ど~こだ?ニンタマちゃん探して~!」
と、言い続ける。
仕方なしに、見えない振りして
「あれ?いない。カーテンの後ろかな~?おかしいな?トイレかな?」
などと、付き合う。
食後にテーブルの下にいく時は大体ウンチをしているのだ。
「ウンチ?」
と、聞くと
「うん。」
と、答えるので
「トイレ行こうよ~」
と、言うと
「いかない!」
と、険しい顔。
次第に臭い匂いが漂ってくる。
臭い匂いを漂わせながら
「ニンタマちゃんど~こだ!」
と、言うので
「トイレかな~?ウンチしたい人はトイレにいるはずだもん」
と、トイレに探しに行くふりをしながら、食器をさげたり風呂の支度。
戻って来ると、まだテーブルの下でニヤニヤしている。
「ニンタマちゃんど~こだ?」
面倒になり、黙っていると
「トイレかな?って言って」
と、台詞を指定してくる。
「トイレかな?」
と、言うと
「ばぁ~~~!」
と、叫びながらやっとテーブルの下から出て来た。
オムツ替えを出来てほっとする。
その後、プン助を脱衣所でバウンサーに座らせ、扉を開けながらニンタマと入浴。
プン助が泣くと、手を振ったり声を掛けたり。
扉が開いていると寒くて暖まらない。
なんとか、ニンタマの風呂を済ませ、バスローブを羽織ったままニンタマにパジャマを着せ、DVDを見せる。
その間にプン助を風呂に入れる。
一人で入浴させる為、スイマーバなる首浮き輪を購入した。
これを上手に使うと、赤ちゃんを湯船に浮かべながら、自分の体を洗ったりも出来るらし い。
首に浮き輪を装着して湯船に浮かべてみると、プン助は何の迷いもなく足で私の体を蹴って水中を漂い始めた。慣れて来ると、壁やぎりぎり届く浴槽の底を 蹴ってくるくる回ったり。
これは面白い。
お腹にいた時の感覚に近くなるのか、本来の自由を取り戻したかのように当たり前の顔で泳いでいる。
目を離さないように大急ぎで自分の体を洗って、今度はプン助の体を洗うべくスイマーバを外す。
途端に体の重みを感じて不自由そうになったプン助。
本当の俺はこんなじゃないんだ~!と、地団駄を踏むかのような動きをしがなら、泣き始めた。
体を洗った後、再びスイマーバを装着すると、
「そうそう、これこれ」
という満足げな顔。
プン助の風呂を終えると、ニンタマのDVDも終わっていた。歯を磨いてやり、寝室へ。プン助に添い寝で授乳しながら、ニンタマに絵本を読み、そのまま寝かしつけ。
「トントンして~」
と、言うので背中を叩いてやる。眠くなったニンタマが再び私の髪の毛を引っぱり始める。
痛みを堪えながら、授乳をしながら、背中をトントン。こちらも眠くなる。
そのまま眠りかけると、手が止まるらしく
「トントンしてよ~~~~!」
と、ニンタマに怒られる。
プン助とニンタマが静かになり、そっと寝室を抜け出す。
食事の後片付けもしないで、風呂に入っているので部屋はとんでもないことになっている。なんとか食器をさげ、散乱した衣類を片付け、ニンタマの保育園に提出する保育ノートにある程度の書き込みをする。
皿を洗おうとすると、寝室からプン助の荒い鼻息が聞こえて来た。
「おいおい、さっき飲んだばかりだろ…」
と思いながらも再び授乳。
いつになったら皿が洗えるのだろう・・・。
意識が途切れた頃、旦那さんが帰って来た。
「俺が洗うよ」
と、旦那さんが食器を洗ってくれた。
凄く助かったのだが、眠りかけては起きているので、お風呂に入って食器を洗った旦那さんが熟睡してからも、夜更けまで眠れなくなってしまった。
ああ、明日も朝6時40分には起きなければならないというのに。
疲れているから、寝なければと焦れば焦る程、目は爛々としてしまう。
寝不足でスタートする明日は、辛い一日になりそうだ。
眠いのに眠れないと泣くプン助の気持ちが解る気がした。大人だから泣かないけど。

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ギャグ?

息子のプン助はニンタマに比べてかなり甘えっ子のような気がする。
今でこそ、「ママ~!」「父タン~!」と、甘えるようになったが、ニンタマは割と他人行 儀赤ん坊だった。
だが、プン助は泣いていても目が会うとニパっと嬉しそうに笑い、そのまま立ち去ると泣き狂うので、申し訳ない気持ちになる。
スキンシップ したり、触れるととても嬉しそう。
ニンタマは、自分からベタベタする時以外、気が乗らないと手をつないでも振り払う。
「チュッチュして~」と、言うのでほっぺにちゅっとすると、汚 いものが触れたみたいに「ふきふき」と、手で拭う。始めは驚いたが、ニンタマがちゅっとした時、私も「ふきふき」と、手で拭うと「ふきふきしないで~」 と、言いながら嬉しそうに笑う。
最近では自分で「ふきふき」と、言いながら「ママがふきふきするって言って~」と、台詞を指定してくる。
言いなりになって
「ママがふきふきする~」
って言うと、
「ニンタマちゃんがふきふきするの~」
と、言いながら結局自分で頬を拭く。
よく解らないが、ギャグのつもりのようだ。

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遅ればせながら

遅ればせながら、2月14日に出産しました。

2月頭の予定日大分前から兆候があったのに、実際にはまたまた予定日を大幅にオーバー。
その経過をざっと記します。

1月23日
朝から下腹部に懐かしい生理痛の様な痛みが始まった。
この日は満月。
「これは!」
と、わくわくした。だが、何も起こらなかった。生理痛は続いた。

1月26日
三鷹の自宅から調布まで歩いた。前回はこのコースを歩いた翌日破水したのだ。ちょいちょい、歩けなくなるほどお腹が痛んだが、何も起こらなかった。

1月31日
新小金井から自宅まで一時間程歩く。途中で歩けない程、お腹が張り、電柱にしがみつく。
「もう歩けない」
と、泣きそうになりながら、自宅までたどり着く。陣痛っぽい痛みがあったのだが、帰宅すると収まってしまう。
試しに15キロのニンタマをおぶって踊ってみたが、お腹は抜群の安定感で、ちくりとも痛まない。
まだか…。

2月2日
検診。お腹の子は元気。「2月11日過ぎると夫が忙しくなるので早く産みたいです~!」と、訴える。
6日予定日の助産院仲間のお友達と、
「節分生まれの子もいいよね」
と、話しながらランチ。
帰りに国分寺から三鷹まで歩く。11キロの道のり。
途中で苦しくなるが、帰宅すると何ともなくなる。

2月3日
昨日ランチをしたお友達からベイビー誕生の知らせ!よし、私もあやかるぞ!と、運動に勤しむ。

2月5日
ニンタマが発熱。見た事も無い程ぐったりしていたので、休日だったが救急へ。インフルエンザではなかったが、熱は39度。早く産みたいと思っていたが、「今日は産めない。持ちこたえなければ」と、いう気になる。心配して、仙台から母が駆け付ける。

2月6日
ニンタマの熱下がり一安心。

2月7日
娘の熱ぶり返す。娘の出産立ち会いは諦める。

2月8日
新月なので期待をしていたが、旦那さんが病み上がりの娘を公園へ連れ行き、ニンタマの熱が40度を超える。またもや心配で産めない気持ちになる。
「出て来い」と思ったり、「今日は出て来ないで」と思ったり。これでは、お腹の子供もどうしていいかわからないだろうと、申し訳ない気持ち。

2月9日
検診。旦那さんが11日に地方の仕事へ行ってしまう。母に娘を見てもらい、なんとしても9日か10日に産みたい。
助産師の矢島さんに「早く産みたいですか?」と、聞かれ「はい!」と即答。内診で刺激をしてもらうった後、特性のお通じが良くなるドリンクを頂く。その後、
「マッサージチェアに乗りましょう!」
と、矢島さん自ら私の荷物も持って、サロンへ案内してくれた。途中で富士山が見えるコースを歩く。雲がかかっていたが、富士山は綺麗に見えた。
「あら、今朝はもっと綺麗に見えたのに」
と、矢島さんは残念そうだったが、素敵な時間だった。
普通、母親の都合で早く産みたいなどと言ったら、怒られそうなものだが、親身に聞いてもらえた上に、手を尽くしてくれることに感動。
ああ、これだけでもこの助産院に決めてよかった…と、しみじみした。
お通じが出た後、マッサージチェアに乗って陣痛がついて来る確率は50%とのこと。
わくわくしながら、マッサージチェアに乗る。いい感じに下腹部に痛みが走って来た。
このまま歩いて三鷹に帰ろう。陣痛が始まったら、タクシーで戻ればいい。だが、その前に腹ごなしだ!
スローカフェという名前の通りスローなカフェで優雅にランチでもするか…と、店内に入り、椅子に座った途端、お腹に異変が起きた。慌ててトイレに駆け込むこと数回。
ご飯を食べた後、お腹が収まって来た頃を見計らって、自宅へ歩き始める。
陣痛よ、ついて来い!
戦闘態勢ばっちりな状態で延々と11キロを歩く。途中、何度か怪しい痛みが来るのだが、定期的では無い様子。そして、それもいつの間にか収まってしまった。
どうやら陣痛がついて来ない方の50%になってしまったかしら?

2月10日
 母に毎日「どう?産まれそう?」と、聞かれる。仕事を休んで来ているので、12日には帰ってしまうのだ。この日はお姑さんがやって来た。産後は お姑さんにお世話になる予定。無理矢理仕事を休んでいる母がいる間に産んであげたかったが、なんとなく母がいる間は産まれないような気がしていた。母は元 来くじ運が悪いタイプ。お姑さんは外出すれば晴れるし、一緒に歩いているとかなり高確率で100円、500円と小銭を拾ったりする。
皆が揃っている今日に産 めれば一番良いのにな…と思いながら、一日は終わった。

2月11日
おしるしが来た!11日から14日まで地方へ泊まり込みの仕事のはずだった旦那さんの予定が変更になった。11日の夜に帰宅して、12、13、14日の 予定はなくなり、15日にまた出発になった。今日の夜か、12、13、14日の間に産まれれば立ち会ってもらえる…と、明るい気持ちになる。

2月12日
とうとう立ち会えなかった母が、仙台へ帰ってしまう。
夜中に娘が大騒ぎして、明け方まで一睡も出来なかった。気が早い、赤ちゃん帰りか?こんな体調で産気づいたらしんどいなぁとナーバスになる。

2月13日
何事も無し。15日旦那さんは東北へ行き、16日から毎日夜勤の仕事に入る。やはり、立ち会ってもらえない運命なのだろうか。

2月14日
朝からお腹が痛い。朝から痛むことはそれまでなかったのだが、今まで散々今日かも?と思っては肩すかしだったので、かなり懐疑的だった。
Y助産院から電話。
午後にマッサージチェアに乗りに行くことにした。出掛けようとしたら、
お姑さんに
「パンでも食べて行ったら?」
と、言われる。出発が後れるなぁと思ったがお腹はペコペコだったので、食べることに。
後から考えると、お姑さんにこの時パンを食べて行ったらと言われたのが、大正解だった。
パンを食べていると、いきなり股間に「パチン」という何かがはじけたような感触。
破水では無さそうだ。子宮口あたりが、急に開いたのかもしれない。お腹が痛くなる。
「違うかもしれませんが、陣痛かも」
と、助産院に電話。まだお産の為というよりはマッサージチェアに乗りに行くだけのつもりだった。産気づいたら、御の字というつもりで荷物も持って 行くことに。電車でいくつもりだったが、大事をとってタクシーの方がいいかと思っていると、2、3分で再び激しい痛み。いくらなんでも早すぎでは?と思っ ていると、タイムリーに旦那さんが帰宅。
一緒にタクシーに乗り込む。
その頃には
「間違い無い。これは陣痛だ。しかもかなり進んでいるはず」
と、確信していた。痛すぎて、どういう体勢でいればいいか見当もつかなかったが、腰をさすってくれる旦那さんの手が意外な程気持ちよかった。
ニンタマのときは、的外れすぎて触られるとイライラしたのだが、格段に上手くなっていた。学習会へ参加した効果があったようだ。
タクシーから降りて、這うように助産院の玄関をのぼり、廊下でへたり込む。助産師さん達がわらわらと出て来て向かえてくれた。痛みで頭がいっぱいで記憶は途切れ途切れだが、そのまま抱きかかえられ、トイレへ行きおしっこをすることに。
だが、家を出る前に済ませていたこともあり、どうしても出せない。そのまま診察室へ行き、内診。
子宮口はほぼ全開らしく「すごいすごい!」と、褒められた。
自分の意志や努力で開いたり閉じたりした訳ではないから、私の手柄では無いのだが、「なんかわからないけど、いい感じってことだな」と、嬉しくなった。
ニンタマの時は病院に駆け付けた時点で1センチも開いていなかった。だから、今回は割と早いかも?と、思ったものの、全開になった後の流れってど んなだったっけ?と、勉強したはずなのに忘れてしまっていた。うろ覚えで覚えているのは、「牛のような地を這う呼吸」をしたあと、「色っぽいというか切な い声の呼吸」をする時間があったということ、その後、イキみたくなってもすぐイキんではいけないらしいこと。頭が見え始めてからは股間が「焼けるように」 痛み、そこからが「一時間くらいかかる」らしい…ということくらいだった。 (これは初産の目安だったらしく、経産婦は色っぽい声の呼吸をする時間は殆どなく、もっとずっと早いテンポで進むと、産後に判明)

「目標時間3時!」
という声が聞こえた。
陣痛が始まったのが1時38分。タクシーに乗ったのは2時過ぎ。助産院に到着したのは少なくとも2時半過ぎのはず。いくら経産婦のお産が早いとは言え、3時っていうのは早すぎだろう。陽気な助産師さん達のギャグか?と思っていた。
和室に入ってからしばらくは牛を意識して呼吸。お化け屋敷でバイトをしていた時、こんな声でうめき声あげていたことを思い出した。旦那さんにしがみつきながら、矢島さんに腰をさすってもらう。
「ああ、ゴッドハンド…」
痛みの中で至福の気持ちを味わった。
痛いのに、矢島さんの手が気持ちいい。
冷え症の私が夏か!?というほど、汗だく。髪の毛までべちょべちょ。42年の人生の中で一番という程の汗。
夫に、本格的にお産に突入したら家に置いて来たニンタマとお姑さんに連絡して呼んでもらうように頼んでいた。もう、こちらの向かっているらしい。
「着く前に産まれちゃうかもしれないって」
と、旦那さんに言われ驚く。痛いことは痛いが、そんなすぐに産まれて来る実感は湧かなかった。ただ、一秒たりとも堪え難い痛みが襲って来て、どう してよいかわからなかった。より痛む方向に頑張らなければ進まないということだけは解った。だが、どうしても体が痛みから逃げようとしてしまう。
もたれている座椅子の足をぺちぺち叩いてみても、痛みは全くおさまらない。
ぺちぺち叩いているリズムに合わせて、何故かテンションのあがった旦那さんがノリノリで私の肩をぺちぺち叩いたので、
「うるさい!」
と、怒鳴ってしまった。
実は以外と亭主関白な旦那さん。そんな彼にこんなぞんざいな口を聞いたのは初めてかもしれない。
「はい」
と、しゅんとしていた。
その後、あまりの痛みに旦那さんの肩を噛みそうになり、慌ててやめる。
「なんじゃこりゃ~~~!」
思わず、叫びだすような痛みに襲われる。お腹の赤ちゃんが動いているのだろう。進んでいるのは嬉しいが、痛い。
もう少しの所で何度も
「ちくしょうめ~!」
と、叫びそうになったが、
「お母さんはお前が産まれる時ちくしょうめ~!って言ったんだよ」
と、後々まで言われそうなので、かろうじて堪えた。
だが、ニンタマの時には我慢して言わなかった「痛い!」という単語を何度も連発した。
ニンタマの時は一度でも痛いというと、自分の気力がなえてしまいそうだったが、今回は叫んだ方が早く進む気がして、叫びまくった。
体位というか体勢を変えることになった。座椅子にもたれている体勢から、便器のような椅子に座ってみて踏ん張った後、
「どの体勢が踏ん張りやすい?」
と、聞かれとっさに
「じゃあ、横向きで」
と、横向きで足を抱える体位をすることになった。他にも立って旦那さんの首にぶらさがってイキむ体勢などもあったが、立つのはしんどいかな?と思ったのだ。
だが、横向きになった途端、違う様な気がした。
「あ、これじゃないかも」
と、叫んだものの、もはや体を動かすのも辛く、
「あ、でも、とりあえず、これで(頑張ってみます)」
と、その体勢で踏ん張ることにした。どのみち、どの体勢も大変に違いない。
しかし、流れ的にもう踏ん張ったりイキむ流れなのだろうか?
自分的には頻繁に襲って来る痛みが凄まじいので、イキみたいのかどうか全くわからない。よくイキむのを我慢するのが大変と聞いていたが、ニンタマの時は最初から最後まで全くイキみたくならなかった。今回もまだ、イキみたい実感はなかったが、イキみタイムに入ったらしい。
すでに別室に到着していたニンタマとお姑さんも入って来た。
ってことはやっぱり、もう出産間近ってことなのか…。
心配していた2歳のニンタマの立ち会いだが、雰囲気に飲まれたのか、やや怯えているものの、神妙な顔で大人しくしてくれていた。
矢島さんの言葉に促され、陣痛の波が来る度にイキむ。だが、イキめばイキむ程、体がぶっこわれそうな痛みにぶち当たる。ついびびって腰がひけそうになる。そんな時、助産師さん達の励ましに頑張らざるえない気持ちになる。
「よ~し、ヤケのヤンパチだ!」
と、高齢の体にムチを打って、全力でイキんでみる。初めは効率の悪いイキみ方をしていたようだが、それでも少しずつ進んだようだ。
「頭が見えて来たよ~」
という声に、初めて本当に間近なんだと実感。
「髪の毛いっぱい生えてるよ」
の言葉につい
「やった!」
と、ガッツポーズ。
今でこそ、ベリーショートとも言えなくもない髪型になった娘だが、産まれたときは頭がつるつる状態で、いつも「剃ってるの?」と、聞かれて不憫に思っていたのだ。そうか、今度は生えているのか…と、テンションが上がる。
でも、確か、頭が見えてから焼けるような痛みになって、その後出て来るまでは一時間くらいかかるって話だったっけ。確かに焼けるようなって言葉がぴったりの痛み。
これが一時間?!マジか!痛すぎる…
そう思っていると
「もうすぐ会えるよ~」
という声。そして、
陣痛に合わせて、
「イキんで」
と、促され続ける。しばらくすると
「ふぁ~ふぁ~」
と、助産師さん達に体の力を抜くように「ふぁ~」という声を出しながらの呼吸を促される。
焼けるような痛みが辛すぎて、腰が引けて逃げたくなるが、逃げてもお産が長引いて疲れるだけだ。頑張らねば…。
イキみが下手ながらも時々いいイキみをしているらしく、
「そうそう」
と、褒められる。そんな調子でやっと赤ちゃんの頭が出て来た。だが、目も悪い上、横向きの体位だと、自分からは足が邪魔で、頭が今ひとつよく見えない。もどかしい。早く見たい。
そう思って、俄然やる気を出してイキむ。すると
「ふぁ~ふぁ~」と、イキみを止められる。
この辺りでやっとイキみたくなる感覚が解って来た。というか、出したほうが楽ということが解って、早く出してしまいたくなった。
助産師さん達が誘導してくれて、やっと赤ちゃんの顔が見えて自分の手で抱いた時は、まるで何かの映像を観ているかのようだった。産まれたての赤 ちゃんは皆ガッツ石松に似ていると言うが、確かにその通りで、スライム状のネバネバした液体を鼻から出したガッツの顔がドアップで迫って来た。
その顔のインパクトが強く、一瞬痛みをすっかり忘れた。
「ずっと、お腹でどんどこやっていたのはアンタだったのかい…。」
スライムだらけではあったが、お腹から出たての赤ちゃんはホカホカ。しばらく、胸に抱いた後、夫が臍の尾を切り、計測の為に娘とお姑さんを伴って、部屋を出た。

思い残す事は無い…。満足だった。夫と娘に見守られ、体から出て来る実感を味わいつつ、血まみれじゃない赤ちゃんを抱く…というのが、今回のお産で一番願っていたことだった。
全て叶った。
だが、肝心なことを忘れていた。前回癒着して大出血した胎盤問題だ。
この後、やはり癒着して出て来なかったり、大出血して病院へ搬送なんてことになったら、えらいことだ。改めて気が引き締まった。

胎盤は癒着しないでちゃんと出て来るのか?出血は?
心配をよそに、矢島さんと助産師の遠藤さんが、慎重な手つきで胎盤を取り出してくれた。前もって、胎盤問題を相談していたので、子宮を収縮させる 点滴を打ってもらっていたためか、出血もそれほどではなかった。
病院搬送を免れ、改めてホッとした。胎盤自体は副胎盤という非常に珍しい形状のモノだった らしく驚かれていた。
どうも、できそこないの胎盤がもう一つあり、そこにも臍の尾があったようだ。
後で、
「こういう胎盤は私も初めてです」
4000人以上の赤ちゃんを取り上げた矢島さんがそう言っていた。

その珍しい胎盤も食べた。
前回の出産でも食べていたのだが、今回の方がさっさと出て来たせいか新鮮で美味しく感じた。
冷酒が飲みたい味。
旦那さんもニンタマも食べた。
旦那さんは微妙な顔をしていたが、ニンタマは「おいしい!」と、もっと食べたそうにしていた。

陣痛が始まったのが、1時38分。出産したのが4時16分。
一人目を16時間かけて産んだ自分としては、
「はや!」
と、痛みも忘れ超安産では?と思ったが、どうやら、本当はもっと早く産まれると思われていた様子。
私の後に出産した人も皆、じゃんじゃん早く産んでいた。
子宮口が全開になり、イキみ始めてからの時間が思いのほか時間がかかったようだ。旦那さんががニンタマとお姑さんが到着する前に産まれちゃうかも しれないって…と言っていたことを思い出す。私がギャグだと思っていた「目標時間3時」と、いうのはあながちギャグでは無かったのかもしれない。
「ああ、私、ウンコ出すの下手だからなぁ」
子供の頃から便秘がちで、微妙な便意を感じてイキんでも兎のフンのようなもものしか出なかったかと思うと、突然マックスの便意を感じて耐えきれずドカンと出すかのどちらかのパターンで、頃合いの良い便意みたいなものを感じにくい体質のようだ。
最近私より高齢で初産を果した友人は陣痛では丸二日苦しんだと言っていたが、イキむ段階では、すぐにどうすればいいかわかって、そこからは早かったと言っていた。彼女昔から自分はウンチを出すのが得意と豪語していた。
でも、便秘体質の自分としては上出来。
(ちなみに、3190グラムの男児でした。
思ったよりコンパクトでしたが、一ヶ月検診では4630グラム。
4月4日の助産師の訪問での計測では5900グラム。今は6キロ越えをしていると思われます)

それにしてもY助産院恒例という産後の乾杯ビールはとてもおいしかった。
Photo

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