« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

祝女で書いた作品と夢

祝女を観た知り合いや友人から「どれを書いたの?」と、しばしば尋ねられる。

確かに大雑把にこれを書いた、あれを書いた…というのはあるのだが、厳密に一人だけで書いているとも言えない。

とにかく数を書くことを優先しているので、ボツになったり、とりあえず寝かせている作品も沢山ある。

大昔に書いたものが復活することもある。

その際、「こんな感じに書き直して下さい」と、注文を受ける場合もあれば、いつの間にか全く違う代物に変わっている事もあり、現場で急に変わることもある。

また、他の作家さんが書いたものを託され、「あるあるな会話やギャグを思いつけば足して下さい」と、言われることもある。

自分で書いたものの方が好きな場合もあるが、アレンジされたモノの方が分かりやすくて面白いと思う場合もある。

結構アバウトな共同作業になっている。


自分の劇団だったら、これは絶対こういう演出で…などとこだわるが、一度提出してしまった作品に関しては、あまり気にしなくなっている。多分、次に何を作るかの方に頭が行ってしまうからだろう。

本当は、もう少しこだわった方がいいのかもしれないとは思うのだが……。


また子育て&妊娠中ということもあって、頭がぼんやりもしている。最近は書いた端から書いた事を忘れて行く。

これではどの作品を書いたかも忘れてしまいそうだ。

それではイカン!ということで、「祝女」シーズン3で、どの作品を書いたかを、ここで記しておくことにした。


去年までは作家が少なくて、ほぼ半分のコントを担当していたのだが、あまりにもしんどかったので「作家さんを増やして下さい」と、いつもお願いをしていた。

その願いが叶ったのか、作風が偏るのが良くないということになったのかは分からないが、今年は作家さんが増えた。

少し楽になるかな?と思ったが、ボツになるモノが増えただけで、労力的にはあまり変わっていない気がする。

10月15日放送 「愛人同盟」「恋侍」

10月22日放送「夜11時の女 宇佐美怜」「考えないシープ」「にゃ〜ちゃん」

10月29日放送「恋侍」「ユリ&マキ」「愛人同盟」

11月12日放送「ドラマチックカップル」

11月19日放送「34歳の恋愛」「愛人同盟」

11月26日放送「恋侍」「おさげさん(前半部分)」「主婦は知っている」

12月10日放送「愛人同盟」「ドラマチックカップル」「俺の影響」

12月17日放送「ユリ&マキ」


いつか、気に言っている作品やボツになったけれど、自分では大好きな作品を集めて、舞台などでやれたら…などと夢見ているが、実現するのは難しいのだろうな。


 

|

かっちこちのデカ物

昨日、全然仕事が出来なかったので、3時間程寝てから夜中に起きてPC作業をした。
だが、1時間くらいすると、ニンタマが私がいないことに気付き 泣く。
慌てて、添い寝をしては寝かしつけ、また作業…というのを何度か繰り返した。
だが、その添い寝のおかげで、私も無理しすぎる事なく休めたかもしれな い。
そして、病院から処方された酸化マグネシウムが効いたのか、夜中にも便意。
びっくりする程、かっちこちのデカ物が出た。
もしかすると、私はこれを赤ちゃんの頭だと勘違いしたのではないだろうか…。夜中で寒かったのだが、しげしげと眺めてしまった。

お腹にスペースが出来たせいか、急にお腹が減ってしまい、夜中にチョコレートやクッキーを沢山食べてしまった。

夜になると、さすがに母に疲れが出たようだ。
ご飯作れなかったよ…と、ヘトヘトの様子。
「ご飯なんていいよ~」
と、荒れ果てた部屋で、レトルトカレーを食べる。
この日は久しぶりに兄も帰って来た。
ニンタマは兄に遊んでもらい、大喜び。
私が「お兄ちゃん」と、言ったり「おじちゃんに遊んでもらいなさい」と、言ったりで混乱するのか「おじいちゃん」と、言っていた。
「おじいちゃんだ~いすき」
と、飛びついていた。
抱っこできない私や母と違い、アクロバティックな遊びもしてもらえて、嬉しそうだった。
ニンタマの便秘は少し改善しているようだ。
便はまだまだ固いが、一応3日続けて出ている。
12日は出血していたが、昨日と今日は血も出ていない。
このまま良くなると良いのだが。
便秘に苦しむのは、私に似てしまったのだろうか?

|

ニンタマ、ピーポーに乗る

母がニンタマの為に買った、ペダルの無い自転車の組み立てが上手く行かず、午前中にトイザラスで見てもらう事になった。
赤ちゃん本舗にもよって、ニンタマが店舗で履ける簡単な靴、踏み台、オマルなども見ることにした。
午前中だけだと言うのに、病み上がりの母と9ヶ月妊婦と2歳児の外出は思いのほかハードだった。
ヘトヘトになって戻り、ニンタマがウンチをしたがったので、オマルに座らせていたら、私の方が急に便意を催してしまった。

「ママ、トイレに行って来るよ」

と、トイレに行くが、3日程便秘だったため、苦しいだけで中々出せない。
無理矢理踏ん張ると、ある程度は出せたのだが、どう考えてもまだ残っているという状態で、トイレから出られなくなってしまった。
イキミすぎて、お尻が痛い上に、股間にまるで巨大な頭が下がっている様な感触。
そんなはずは無いと思いながら、まさか赤子が降りて来ているのでは?と、不安になる。前回の出産では10時間以上陣痛が続いても全く降りて来なかったので、こんな簡単に下がって来るとは思えないのだが、明らかに股間がおかしい。
とりあえず、母に異変を訴え布団に横たわる。股間が盛り上がり、中がめくれているような感じがして、とても普通に座ることが出来ない。
これから仕事に行こうと思っていたが、とても無理だ。
ニンタマが
「ママ~、抱っこちて~」
と、飛び乗って来るので、
「ママ、お腹痛いの~。乗らないで~」
と、お願いすると、
「ニンタマちゃんは足が痛いの~」
と、キャイキャイはしゃいで、覆いかぶさって来る。
苦しくて死にそうだったが、笑ってしまう。
助産院に連絡をした。
自分としては「ウンチを息んだだけで下がるなんてありません。大丈夫ですよ」と、言って貰いたかったのだが、
「近所で出来るだけ大きな産科を受診して下さい」
と、言われてしまった。
母がこちらにいる兄弟に電話をして、病院情報を収集したが、こちらでお産をするわけでも無いのに、受け入れてくれそうな所は無かった。
病み上がりの母とまともに座ることも出来ない私と、暴れ盛りのニンタマで、なんとか病院に駆け込んでも、見てもらえないかもしれない。
見てもらえたとしても、この状態で1、2時間待たされたりということはどう考えてもありえない。
母も私もニンタマを抱っこ出来ないし、どこかへ行ってしまっても、追いかけることも出来ない。

「確実に診てもらうには、救急車しかない」

と、母が電話をかけた。
救急車の名前を聞いた途端、ニンタマは大喜び。
「ママ、早く支度しなよ~」
と、早くも玄関へ飛び出し、靴を履いて私を急かす。
普段は「履けないの~、履かちて~」と、甘えるくせにこの時の動作は俊敏だった。
這うように動いて支度する私に「ノロノロするな」と、言わんばかり。
私は、股間の感覚がおかしくなっているので、尿意もあるのだが、出せずとても苦しい。
救急車のサイレンが近づいて来ると、ニンタマは益々ヒートアップ。
「ピーポーに乗れるの嬉しい?」
と、聞くと
「うん」
と、わくわくしている様子。
だが、私が担架で運ばれているのを見たらさすがに驚いたようだ。
「ママ病気なの?」
と、やっと神妙な顔になった。
救急隊員の人に状況を伝える。とても良い人だったが、何故か言われたことと違う報告ばかりしていて、驚く。
「ウンチを息み過ぎて…」と、何度も言ったのだが、
「子供が流れそうと言っています」「排尿しようとしたけれど、出せないみたいで」
と、一向にウンチの事を言わない。
何か気でも遣っているのだろうか?それとも、そんなふざけた理由では収容してもらえないと、収容してもらえそうな言い方をしているのだろうか?
結局、東北大に搬送してもらえる事になった。ニンタマはいつの間にか眠ってしまった。
病院につくと、隊員さんが母に
「荷物はこちらで持ちますんで、お母さん、お子さんだけ抱っこして下さい」
と、言っていた。カテーテルを通したということだけでなく、14キロのニンタマを高齢の母が抱っこするのは無理。かといって、担架にのせてもらう訳にもいかない。
「私もカテーテルやったばかりで…」
と、弱り切る母。
隊員さんが上司のような人に
「抱っこしてもいいですか?」
と、許可を取ってニンタマを抱っこして、車を降りた。その瞬間ニンタマはパチっと目を開けたが、そのまま病室まで抱っこしてもらっていた。
産科の方では
「すわ!出産か!」
と、思っていたようで大勢の医師や助産師さんらしき人や看護士さんが待機していた。なんだか申し訳ない気持ちになる。
内診や超音波検査と、お腹のモニターチェックをされた。
この時点で、すでに股間にあった固い塊は姿を消していた。
結果的には赤ちゃんが、かなり下がって来ていて、子宮頸管が短くなっている状態で切迫早産と診断された。
子宮頸管の長さが2・5センチ。この段階だと、3センチは欲しい所で、2センチを切ると入院なのだそうだ。11月29日の検診では4・2センチあり、早産の心配は無いとお済みつきだったのだが…。
だが、以前4D撮影の時
「結構下がって来てますね。夕方とかで、お母さんが疲れると、下がって来るんですよ~」
と、言われた事を思い出した。確かにこの日はとても疲れていた。
「助産院は内診しないからリスクが高いんだよね~」
と、お医者さん。
だが、その後若い助産師さんらしき人が私にこっそり
「Y助産院なんですか!凄いですね~!」
と、話しかけて来た。
きっとその助産師さんにとっては憧れの助産院なのだろう。私の手柄でも何でもないのだが、ちょっと嬉しくなった。
自覚症状は無かったが、お腹も張っているらしい。張り止めと、便秘の薬を処方され、
「なるべく早く東京へ帰るように」
言われる。
その際
「子供は抱っこしないで誰かに付き添ってもらいなさい」
と、言われた。
それは不可能だ。旦那さんは本番直前で昼夜稽古だ。
そして、母も仕事をしている上にニンタマを抱っこすることは出来ない。
最善策としてはこちらで無理しないで体調を整えることしかないだろう。
診察が終わる頃にはニンタマは床を這いつくばる勢いで、眠そうだった。
だが、抱っこできないので、苦労しながらタクシーまで歩かせ、帰宅。
タクシーで寝られると、部屋まで抱っこで運ばなければならないので、ドキドキしたが、車好きなので興奮してハイテンションになっていた。
やっと帰宅。
洗いものは溜まり、部屋はメチャクチャになっていた。
片付けたかったが、さすがに、立つとお腹が張るというのが分かった。
母が
「アンタは寝てなさい」
と、言うので横たわっていたが、母が洗いものなどをしていると、病み上がりなのに大丈夫なのだろうか?と、心配になった。
結局ニンタマな大復活して、全然寝なかった。
母の助けにならねばと思っていたが、大変な思いをさせてしまった。

|

ニンタマ働く?

三鷹に母が来ているときは、若干母を舐めていた様子のニンタマだったが、こちらは母のホーム。
ニンタマの方がアウェイ。
三鷹より全然広い家に住み、車を運転して、薬局オーナーとして働く姿は三鷹の我が家にいる時とは別人に見えたのか、俄然尊敬の目を向け始めた。後を追って、なついている。
そのせいか、私は割とすんなり仕事へ行けた。
今日は昨日とは打って変わって、自分も白衣を着て仕事をしたがったり、「お大事に~」
と、客に声をかけたり。
無視するお客さんにも愛想を振っていたらしい。
母が休憩をとりたがっても、店から戻りたがらず、困る程だったらしい。
ニンタマが手に負えなくなったら、私も早めに戻ることになっていたが、「ゆっくり仕事をしておいで」と、言われ安心した。

|

仙台へ

旦那さんが、稽古で昼夜共に忙しくなってくると、仕事をしながら、家事子育て全てを担うことになり、しんどいので仙台の母の所へ行こうと計画していた。

母やパートさんにニンタマを見てもらえれば、お迎え時間を気にせず仕事に行ける。
だが、母は狭心症で入院して手術をする程体調を崩していた。
本来なら、ニンタマを見てもらうどころか、私が付き添って面倒を見なければいけない状況。
だが、お仕事があるので、それも難しい。仙台行きは諦めようと思っていた。
しかし、母はニンタマを溺愛している。顔を見たいに決まっている。だが、連れて行って無理して体に障っては不味い。
とりあえず、行くだけ行って顔を見せて、私が全く仕事にならなかったり、母が疲れたりしたら帰ればいい…ということになった。
仙台へついてみると、母は見た目は元気そうだった。
手首にカテーテルを入れた痣がなければ、とても入院、手術をした人には見えなかった。
とりあえず一安心したが、ニンタマに会えた興奮で一時的に元気なだけかもしれない。
あまり無理をさせないようにしなければ。
その日、ニンタマは母の薬局へ連れて行かれ、私はちょっとだけお仕事をした。
だが、人見知りして母につきまとい、すぐに戻って来た。
母は店で仕事にならず、困ったようだった。
前途多難?

|

仲良し老婦人二人組

お仕事の会議に行く前の準備の為にカフェに入って、メールチェックをしたら、本日の会議は明日に延期という知らせ。すでに、注文していたのでしばらくここで一仕事することにした。すると、隣にいた母よりも明らかに年配のご婦人二人から
「あら、おめでた?」
と、話しかけられてしまう。
「楽しみねぇ~」
「どっちか分かってるの?」
「あら、そう~。男の子~。男の子はいいわよ~。楽よ~」
「優しいの男の子は」
「お母さんが穏やかに怒らないで育てたら、大人しくて優しい子に育つの。時々お父さんが鶴の一声で怒るので十分~」
「育て方よね、育て方~」
「上のお子さんと2つ違い?あら調度いいじゃない。あんまり離れると、お母さんを取られたくないって、上の子が意地悪するのよ~」
「あら、ウチは五つは慣れているけど、可愛がったわよ~」
「あら、やっぱり育て方かしら~」
「そうよ~、育て方育て方~」
などと、延々と仲間のように話続けられてしまう。普段なら、仕事が出来ない!と、イライラする所だったが、今日はそれほどイライラしなかった。
多分、必死に話し相手を探しているおかしな人ではなかったからだろう。
「お仕事頑張ってね」
と、割とすぐに解放してくれた。
ご婦人達はその後もしばらく二人で話し込んでいたが、
「あ~、沢山話して楽しかった~」
と、帰って行った。近所にいる仲良しとカフェで週に2、3回お茶をするのが、恒例のようだった。時々、若い時の「お姑さんが、子供を全然みてくれなかった」などと、愚痴っていたが、根に持っている様子でも無い。
物欲し気に話し相手を求めて、食い付いて来る人と違って、豊な老後を送っているように見えた。ちょっと羨ましくなった。

|

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »