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産む場所を求めて・・・

Y助産院の説明会へ。
方向音痴の私を心配して、旦那さんが現地まで一緒に来てくれた。
旦那さんはそのまま帰ったが、説明会には夫や子供同伴、母親同伴の人ばかり。
単品で参加は私だけだった。
こんなことなら、一緒にいてもらった方が良かったかもしれない。

私は最近、赤ちゃんが産まれる瞬間の写真や映像を見ただけで、涙が出る・・という謎の病にかかっている。
嫌だ嫌だと思うのに、泣いてしまう。
産院ではそんな写真やスライドを沢山見せられて、涙を堪えるのに必死。
神の手を持つ助産師さんは
「女性が子供を産むのに、男の医者にハサミで大事な所をバチンと切られて、旦那さんが喜ぶようにちゃんと縫っておきましたから・・・」
などと、当たり前に言う環境で女性が出産させられて来たことに、静かな怒りを持っているように見受けられた。
会陰切開をすると確かに素早く赤ちゃんを出せるのかもしれないが、その後一ヶ月くらい、座るのも痛く、トイレが地獄だった。
あの痛みが無かったら どれほど楽だろう・・・とは思っていた。
だが、前回のお産で陣痛促進剤も使わず、切開も吸引もしなかったら、間違いなくもっと長い間のたうち回っていたと も思う。
無事に産まれれば何でも良いではないか・・・とも思うのだが、前回のお産にはやはり心残りがあった。
麻酔を掛けて、会陰切開して吸引分娩だったせいか、あれほど何時間も痛みに苦しんでいたのに、出て来た感覚が全くわからなかったのだ。
親友や助産 師さんに
「産まれたよ〜」
と、言われてから
「へ〜、出て来たんだ〜」
と、思ったくらい感覚が無かった。
ウンチでさえ、出てくるときは
「お、出る出る〜」
と、分かるのに、感覚が無かったからさっぱりわからなかった。
その後、出産映像などで、妊婦さんが
「もう、出る〜」
などと叫んでいるのを何度か見た。
「へ〜、普通は分かるのか〜」
と、なんとなく羨ましくなった。
いきみたくなるというのも、全くわからなかった。
人に聞くと、いきむのを我慢するのが大変で、ゴルフボールやテニスボールをお尻にあてがったりするらしいのだが、私には全く必要なかった。
少々怖いけれど、皆と同じいきむのを我慢する・・という感覚も味わってみたい。
そして、切開したせいで血まみれのニンタマと対面したのだが、次回は出来れば血に染まっていない赤子と対面したり、出てくる赤子を自分で受け止めたりしてみたい。
高齢なのに、出産にそんな夢や希望を抱くのは贅沢なのだろうか。
病院ではかなり長時間下半身はすっぽんぽんであったが、この助産院ではそんなことは無いらしい。
肩や背中、腰の汗のかき具合で、お産の進行がある 程度わかるらしく、やたらめったら内診もしないらしい。
そして、付きっきりで背中や腰をさすってくれたり、フォローしてくれるようだ。
ただ、ネックなのはここで何らかのトラブルがあった時、府中の病院で出産しなければならなくなることだ。
三鷹から府中は遠い。
最悪なのは助産院で何日も苦しんだ挙げ句、府中の病院に搬送された場合だ。
どちらにも料金が派生してしまう。
遠い上にかなりの出費になってしまう。

午後には家からバスで30分くらいのKクリニックへ行ってみた。
こちらは入院する時には手ぶらでいいです・・・みたいなちょっとセレブ的雰囲気なのに、料金はそれほどお高くなくすぐに予約が埋まると評判のクリニック。
バス停からも近く、予約していたので全く待たされなかった。
そして、ホテルの様に綺麗。
ウンチやおっぱいにまみれた生活をする前に、ひと時のうっとりする時間を持てそうな雰囲気。
ああ、こんな素敵な所で束の間、優雅な気分を味わいたい・・・そんな気にさせられた。
極め付けは先生。
思いのほか若くて、かっこいい。
なのに、人の心を癒すようなほのぼのしたオーラ。
今まで、沢山の妊婦に惚れられて来たに違いない・・・。
男性だというのに、このホッとする感じは何かしら・・・。
「あ〜、出血は嫌ですよね〜。原因はこれです」
と、超音波映像で子宮内にある血の塊を示してくれた。
「これは赤ちゃんの袋とは別の場所なので、影響はありませんよ〜。でも、しばらく出血は続きますね。」
と、分かりやすく説明してくれた。
JINは観た事無いが、声が大沢たかおの様。
この先生は絶対にいい先生だ・・・何故か確信した。
ただ気になったのは、病院に入る前にゴミを捨てに出て来たスタッフらしき女性が疲れ果てた顔をして歩いていたことだ。
その後、説明をしてくれた女 性フタッフも偶々かもしれないが、険がある感じだった。
結局先生が良くても、お産の最中に長く一緒にいるのは助産師だ。
先生はお産の進みが悪ければ促進剤 を打って、麻酔をしてチョキンと会陰切開するだけなのだ。
通ったら、惚れてしまいそうな先生とそんな関わりをしてもなぁ・・・。
色々葛藤しながら、帰宅。
さてどうしたものか・・・。

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どこで産もうかな

分娩する病院を決めかねていた。
今まで検診に行っていた病院以外に、評判のいい近所のクリニックにも偵察に行った。
とてもいい感じなのだが、入院が1日しか出来ない。
出産した翌日に家に帰って来たら、ニンタマもいる。
いくらしんどくても、動かない訳にはいかない。
旦那さんだって、仕事もある。
何でもやって貰って平気なほど、私は心臓が図太くない。
ニンタマの出産の時は4泊5日入院した。
それでも退院時はヘ トヘトだった。
家へ帰って来た時、旦那さんも疲れ果てていた。
私も死にそうだったが、寝ているのは憚られた。
お義母さんが来てくれなかったら夫婦共倒れ だったと思う。

今候補に思っているのは、バスで10数分のKクリニックと、国分寺にあるY助産院。
Kクリニックは評判も良いようで、早くしないと予約が埋まって しまうらしい。
Y助産院も神の手を持つ助産師さんがいるという噂。
前回は高齢だし、病院の方が安心と思って、なるべく自然なお産をしてくれるとう病院にお 任せした。
だが、私は仕事にかまけて、ろくに散歩もせず、夜更かしばかりしていた。
体を冷やすから妊娠中は良くないと言われているアイスもガツガツ食べて いた。
そのせいか分からないが、出産時には全く陣痛が進まず、促進剤をガンガンかけることになり、最終的には会陰切開をして吸引分娩になった。

その上、胎盤が癒着していた。
出産後麻酔をかけて処置をすることになり、2ℓも出血したのだった。
助産院は結構管理が厳しいという。
だが、ある程 度、強制力があった方が、ちゃんと早く寝たり、アイスをガマンしたり散歩したりするのでは無いだろうか?そうなれば、スムーズに陣痛が進んだり、胎盤が癒 着したりということは無いのでは無いだろうか?
そう思う一方、過ごし方はあまり関係が無く、体質のせいだったのかもしれないので、何かあったら怖いから、やっぱり病院がいい?と、葛藤する。

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安静にしてなさい

産婦人科で検診。
41歳で妊娠しようとするのは人に寄っては、問題無いかもしれないが、人によっては相当難しいだろう。
そう思って、ホルモンの数 値を調べたり、子宮内膜の厚さを見て貰ったりするため、近所のレディースクリニックへ通っていた。
だが、ここは分娩をやっていない。
妊婦検診をするなら、 分娩する病院の方がいいだろう・・・と思っているものの、
「では2週間後に来てください」
と、言われると、無断で止めるのもどうかと思う。
一応、私の体に ついて色々調べているデーターもある。
早い所データーを頂いて紹介状を書いて貰うつもりで出向いた。
たまたま母が来ていたので、母が見た事が無いだろう超音波映像を見せてあげたいと思い、一緒に診察を受けた。
出血はいつものことだし・・・と、のんびりした気持ちでいたら、
「妊娠中の出血は異常なことです。止血剤を出します。とにかく寝ていて欲しいんですよ。テレビ見ても本読んでてもいから、横になってて下さい。何故、もっと早く来なかったんですか!これからはすぎに受診して下さい」
と、怒られた。
そんな大袈裟な・・・と思いながらも、内診ビビってしまった。
母は超音波映像を初めて、見て
「元気そうだねぇ」
と、わくわくしていたようだ。
その足で仙台へ帰り、私は母子手帳を司政センターで貰ってから家で安静に過ごす生活を始めた。

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靴下を握りしめ、涙堪える

昨日も昼間に突然、疲れがピークになり、寝ないと死にそうに気持ち悪くなったが、今日も同じ状態。

明らかに前回の妊娠時より、だるい気がする。
年齢のせいだろうか?
母に聞くと産後のダメージは人によっては4、5年引きずる人もいるらしい。
産後の気が不足した状態が原因で病気になる人は多いという。
私もまだ万全じゃないのに、妊娠したので、ぐったりしてしまうのだろうか?
しかし、授かったというのは一応準備が整ったということだとも思う。
この状態が一時期のものであればいいのだが。
夜には親友と旦那さんと扉座観劇。
予々いい役者さんだと思っていた山中崇史さんが本当に素晴らしかった。
途中で泣きそうになり、鞄の中からハンカチをまさぐったが、出て来たのはニンタマの靴下。
もう、それ以上探す気になれず、泣きそうになると靴下を握りしめていた。

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ゴリラがウチに・・・

やっと、妊娠6週目。
一応ここで流産の確率はぐっと減るらしい。
だが、12週くらいまでは安心できない。
不思議と前回ほど、酒を飲みたくなったり異常に菓子ばかり食べたくなったりもしない。
前回は胸がパンパンに張って、痛くて眠れない程だったのだが、今回は全く変化無し。
ホルモンの数値が低いと言われたことと何か関係あるのだろうか。
悩みは尽きない。
悩んでもいいことは無く、無駄でしかないと分かっているのだが、無駄ばかりしてしまう。
ニンタマに下腹を見せて
「ここに赤ちゃんいるんだよ、ヨシヨシして」
と、言うとヘソを指差して
「赤ちゃん!いたね〜」
と、つついていた。そして、自分のヘソも出して、
「ニンタマちゃんの赤ちゃんもいたね〜」
と、ツンツンしていた。
その後絵本をながめ、ゴリラを指さすので
「ゴリラだよ」
と、教えてあげた。
「ゴリラ、そこで見た!」
と、台所を指差す。
「え?ウチにゴリラがいたの?」
と、聞くともっともらしい顔で頷く。
「それは・・・ひょっとして父たん?」
と、聞くとマジメな顔で頷いていた。
旦那さんはよくゴリラに似ていると言われていたが・・・、実際そこまで似ている訳でも無い。困惑。

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今まで通っていた産婦人科には引き続き来る様に言われていたが、分娩はやっていない。近所で少し評判の病院があったので、偵察がてら行ってみた。
受付の女性もとても感じが良い。
「多分、妊娠しているのですが、出血が続いてお腹が痛いので・・・」
と、伝えると、混んでいて座る椅子が無いのを心配して、椅子を出してくれた。
「ありがとうございます」
と、感謝していると、
「あら?保険証は?」
と、言われる。先ほど渡したはずなのだが、受け取ってないと言う。
椅子を出してもらっている間に、無意識にしまったのだろうか?と、鞄を必死に探すが無い。
渡したとしか思えないのだが、元々注意力散漫でそういうことには全く自信が無い。
5分ほど必死で探していたら、受付の女性が
「あ!ここにありました!」
と、謝って来た。
自分がなくした訳では無かったと判明して一安心。

先生は50代位の男性。
内診しながら
「ふんふん・・出血は芳しくないですが、そんなヤバいって感じじゃないですよ〜。出血する人いるんですよ〜」
と、のんびりした口調。
「あ!でも、立派な嚢ですねぇ〜。あれ?胎芽も見える。立派立派。大きいですね〜。6週くらいって言ってもおかしくないですよ」
4日前、小さめと言われたばかりだったので、驚く。
測る角度に寄っても色々サイズは違うのかもしれない。
まだ5週4日目だと言うのに、心拍も取れた。
普通は7週位で取れるものらしい。
「成長早いですね〜」
と、先生。
大きさで出産予定日が割り出されるのだが、前の病院では2月13日。
こちらの病院では1月31日。
随分と開きがあるものだ。
ここでは、お腹が痛くても出血しても育つものは育ち、ダメなものはダメなので、神経質にならないように・・・と、言われた。
なんとなくほっとする。
だが、お腹が痛い時や、出血していると、やはりビビってしまって、ガンガン動く気にはなれない。
前回も「安静に・・・」と、言われ一ヶ月近く動かないようにしていたら、精神的に参ってしまった。
今はニンタマもいるし、安静など無理。
良くわからないが、騙し騙しやっていくしかない。

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マイナートラブルありつつ妊娠継続中

心配していた通り、毎日出血。
そして、腹痛。
寝ていれば少し痛みは収まるが、出血は止まらない。
だが、基礎体温は依然として高い。
おそらく妊娠は 継続しているはず。そうは思うものの、ずっとムカムカしていたのも収まって、食欲も旺盛。
つわりが楽になるのは嬉しいが、ちょっと気になる

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二人目の嚢が見えたけど

もっと待っても良かったのだが、気になって産婦人科へ。
内診される時は何を言われるか、ハラハラする。
「ああ赤ちゃんの嚢が見えて来ましたね。」
と、言われ一安心。
だが、本来5週目なのだが、大きさが4週目程度しかないらしい。
この時期は日々成長するので、この位の誤差はあまり気にしないように言われた。
しかし、小さいと言われると気になる。
気になっていた事も質問する。
「前回も妊娠初期にかなり、出血をしていて怖かったのですが、そういう時はどうすれば、良いでしょうか?」
「横になっててください・・・としかいい様がありません。なるべく横になる。葉酸のサプリなどを取る、栄養に気をつける、自転車に乗らない、重いものを持たない」

分かっていたことではあるが、無理難題だ。
ニンタマの送り迎えは自転車じゃなければ、無理。
そして容赦なく「抱っこ〜抱っこ〜」と、せがむ。
「ママ、お手々痛いの〜」と、やんわり断ったりすると、床に突っ伏してオイオイ泣いて動かない。どうしたものか。
次は胎芽(妊娠7週目までの赤子は胎児では無く胎芽と言われるらしい)が見られて、心拍が取れるか?というハードルがある。2週間後位に行けば良いらしい。その頃まで無事でありますように。

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フライング検査と早寝早起き

5月26日に思い立って、妊娠検査薬を試してみた。
本来生理予定日より一週間後から使用するものだが、この日は予定日の4日前。

ニンタマの妊娠に気付いたのは、生理予定日の前日だった。
この時もかなりうっすらだった。
4日前では、もし妊娠していたとしても反応しないかもしれない。

去年の11月以降生理が復活したので、第二子のことを考えはじめた。
以来、毎月基礎体温をつけ、ここぞ!と思う日にはエントリーをして来たのだが、撃沈し続けていた。
何度も妊娠初期、兆候、妊娠検査薬、フライングなどとう言葉を検索ばかりしていた。
鍼にも通い、産婦人科へも通い始めた。
子宮内膜が薄い、女性ホルモンの数値がやや低い・・・などと指摘され、来期から本格的に治療をしようと思っていた時期だった。

今回は生理予定日5、6日前の24、25日頃から、お腹が痛かった。
生理が始まる前の痛みとは違った。
生理は妊娠しなかった子宮内膜が剥がれ落ちる現象で、
「ああ、剥がれ落ちてるのね・・・」
と言う感じの腰の重さ、鈍痛があった。
だが、今回は横っ腹がやたらチクチクする。

ネットで調べた情報によると、妊婦界(実際の妊婦さんと妊娠希望者の世界)には排卵日から7日〜11日くらいかけて、受精卵は子宮にたどり着き、着床するのだが、その時、着床痛という痛みを感じる人がいるという都市伝説がある。
実際は科学的根拠は全く無いらしい。
だが、
「これは!着床痛では!」
と、鼻息が粗くなった。
そしてニンタマがやたら私にベタベタするようになってきた。
子供が出来ると、上のコがベタベタしてくるという都市伝説もあるのだ。
普段は大好きな豆乳が不味くて飲めなくなった。
異常に早すぎるけど、つわりでは?!と、いても立ってもいられなくなった。

本来なら、数日待っていれば、基礎体温が下がり、生理が始まるか、体温が下がらず生理も来ずに妊娠・・・と分かるのだ。
だが、一刻も早く知りたくて気もそぞろ。
ダメならダメで早く来持ちを切り替えたい。
「うっかり酒でも飲んじゃったら大変だし」
と、理由を付けて検査したのだった。

果たして、結果は陽性だった。

だが、反応が出るまで結構時間がかかった。
まだ安心はできない。

実は、宝船の公演初日も検査薬で陽性反応が出ていたのだ。
だが、すぐに体温が下がって、生理になってしまった。
こういうのを化学流産と言うらしい。
検査薬が無い時代には分からないで済んでいたのだが、今は検査薬でフライングをする人も多く分かってしまうのだった。
なので、28日にも再び検査。
前より反応も早く陽性が出た。
30日、1日、そして、今日。
今の所、陽性反応は出続けている。
周期で言えば今は4週 目になる。
だが、この段階ではまだ病院に行っても何も見えない。
4週目後半から子宮内に胎嚢という嚢が確認できて、6週〜7週で心拍の確認が取れないと妊 娠成立とう訳にはいかないらしい。
そこで成立しても、12週くらいまでは流産の確率が高い。
高齢ならばなおさらだ。
どうなることか。
もしダメでも落ち込まないように、気持ちの準備をしておかなければ。
医者からは
「なるべく横になってください。出来ることはそれだけです。それで育つ子なら育ちますから」と、言われた。
仕事もあるので、そんな訳にはいかない。
しかも妊娠したのは最近腹筋とフラフープを始めて血行が良くなったからのような気もする。
軽くフラフープくらいは続けたい。
その替わり、なるべく早く寝る事にした。
考えてみたら、ニンタマ妊娠中は夜更かしや寝不足続きだった。
書き物ばかりしてろくに歩きもしなかった。
陣痛が微弱で促進剤をガンガンかけても、お産が進まなかったり、胎盤が癒着して2リットルも出血した。
どうなるか分からないが、今回はとにかく今から早く寝てみる。

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