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耳鼻科と小児科との狭間で

11月6日に断乳して2週間以上経った。
断乳して一週間後に助産院でおっぱいにアンパンマンの顔を書いてもらった。
それ以降、一緒にお風呂にも入れるようになった。
アンパンマンの顔だから・・・というより、マジックで汚れている胸を見て「なんじゃこりゃ」と、険しい顔をしていた。
断乳3日目にバンドエイドを張って、その上にクマの顔を描いていた時はちょっと笑っていたのだが。

断乳10日目あたりにある変化が起きた。
丸顔に描かれていたアンパンマンの顔の輪郭がゆがみそら豆みたいな形になって行った。
胸の上部にパンパンに溜まっていた母乳が無くなり、全体的にタレパンダみたい。
まだマジックの跡も残っている。
しなびた上に小汚い胸に、ナーバスな気分。
だが、服を着るとすぐに忘れてしまった。
時折針で突き刺したような痛みが走るが、頻繁に母乳を出していた胸とは最早別物。
早いもので、あのジワっと湧いて来る感覚も忘れてしまった。
絞ればまだ液体は出るのだが、もう透明な液体になってしまった。
この状態でも、状況が変わって再び授乳しようと思えば、まだ出るようになるのだろうか?
授乳しない生活は楽かというと、まだ分からない。
前はちょっとぐずればとりあえず、おっぱいで黙らせていたが、もうその手は使えない。
なんとなく丸腰の気分。
だが、夜中に目を覚ます回数は確実に減っている。
服やパジャマがびしょぬれになることも無くなった。
いい面も不便な面も半々という感じ。

先週の水曜日、ニンタマの鼻水がひどく、保育園の勧めで、耳鼻科へ。
以前受診した時は白だった。
今回も白だと思い込んでいた。
だが、黒だった。
「ニンタマ君は中耳炎です。抗生剤での治療は治らないお子さんもいると念頭に置いておいてください。鼓膜を切開した方が治りは良いですが、ご両親でよく話し合ってください」
鼓膜を切開?
最早君づけで呼ばれたことなど、まったくどうでもよくなった。
ビビるが、割とポピュラーな治療らしい。
耳鼻科は異常に混んでいる。 2時間待ちなど、ざら。
歩き始めたニンタマと待合室で2時間・・・というのは、めちゃめちゃ大変。
ニンタマは知らない人の膝に登ったり、座っている人達にぶつかりながら、走り回り本棚の本を全部出そうとしたり、自分の家のように振る舞い、とても楽しそう。
だが、常に追いかけ回りの人に謝って回るのは結構な心労だった。 へとへと。
治療としては、薬を飲みつつ、鼻水を吸いに通院せよ・・・とのこと。
鼻水なら近所の小児科が吸ってくれる。
赤ちゃんの治療は無料なので、こちらの懐には関係ないが、耳鼻科では治療の一環として処置料が派生している。
近所の小児科は、とくに処置料などは関係なくオプション的に吸ってくれる。
M耳鼻科の先生はよく小児科を引き合いに出す。
「小児科の治療ではそこまでしませんが、耳鼻科に通院するのとどちらがよいか、よくお考えくださ い」・・・という感じのことを何度か言われた。
馬鹿じゃなければ、小児科より耳鼻科がよいってわかるでしょ?という無言の圧力を感じる。
小児科の方が近く、鼻水を吸うだけなので、待ち時間も少ない。
耳鼻科はただ鼻水を吸うだけでも治療の人と同じ扱いなので、ものすごく待つ。
小児科の方が子供の扱いに慣れているので、あやしながら処置をしてくれるが、M耳鼻科では何の情緒も無く、ズボっと鼻の穴に突っ混む。
親としては、待ち時間にどこかに行かないように追いかけ回ったり、謝って回りながら1時間ほど待ち、ギャン泣きされるより、殆ど待たずにあやしながら、鼻を吸ってくれる方が体力的にも精神的にも楽。
旦那さんも「もうM耳鼻科には行きたくない」と、こりごりな様子。
旦那さんが別のS耳鼻科につれていくと、そこの先生の方が親切で空いていたという。
だが、M耳鼻科から薬も貰っている。
最初の状態も把握しているため、今回は小児科と合わせてM耳鼻科に通うことにした。
旦那さんがペニシリンアレルギーだということをあまり気にしていなかった私は、M先生にそのことを伝え忘れていた。

診療が遅かったので、翌日調剤薬局へ薬を取りに行く。
旦那さんが、薬剤師さんに「これ、ペニシリンじゃないですよね」 と、聞くと「ペニシリンじゃないけれど、薬に構造式が似てます。もう一度聞いてきた方がいいですよ」 と、言われてしまう。
もう一度聞くためには、また診察を受けなければならない。
また1時間以上待たされなければならないのか・・・。
暗澹たる気持ちになった。

だが、その日はちょうどM耳鼻科は休み。
小児科に事情を説明して、別の抗生剤を出してもらった。
1日分しか出してもらえなかったので、翌日またM耳鼻科へ。
通う内に朝8時半から受付をしていることが分かり、毎朝8時20分ころに耳鼻科に並んで、30分に診察券を出して、一度家へ戻って、9時過ぎに再び病院へ行く・・・というサイクルになった。
8時20分に並んでも6、7番目なので、30分ほどは待たされる。
この時間は抱っこひもやおんぶ紐であちこちに行かないようにして待つことにした。
毎朝へとへとになりながら、耳鼻科へ通っているのだが、ニンタマの中耳炎は一向によくならない。
初めは左耳だけだったのに、右耳までなってしまった。
抗生剤のせいか下痢にもなってしまった。
耳に違和感があるのか、よく耳に指を突っ込んだり、夜中に急に熱を出したり、泣いたり。
「治りが悪いようなら、切開という方法もありますが、切開しても1週間くらい治らないお子さんも多いですから、そのつもりでいてください」 と、言われる。
きっと、薬を飲んでも治らないじゃないか!切開したのに治らないじゃないか!・・・と、苦情を言われることが多いのだろう。
だが、そんな風に言われると、中耳炎なのに不治の病のように聞こえてしまう。
来週は仙台へ行く。
ニンタマは保育園が好きなので、通えないのは寂しがるかもしれない。
だが、以前も長期保育園を休んだあとは体調も良くなった。
戻ってからもほかの子が風邪をひいていても全然うつらなかった。
常にちょこちょこ病気をしていると、ほかの病気にもなりやすい気がする。
一度完全に治れば、少しのことでは大丈夫になるのではないかとひそかに期待している。

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我が子は天才

旦那さんは今日からお芝居の稽古。
ファミリーサポートの人に来て貰って、外でお仕事。
ファミリーサポートの人から「絵本やお歌の内容もよく分かっていて・・・1歳2カ月でねぇ〜」などと、言われて親バカ気分になる。
だが、最近の成長は目覚ましい。
9月によたよた歩き始めたが、今はもう走って追いかけっこなどもしている。
「お薬飲もうか」というと、薬のある棚を指で差し、
「お風呂入ろうか」と言うと、風呂場へ行き、
「ご飯食べようか」と言うと台所でウロウロしたり、自分の子供用椅子を引っ張って運ぼうとしたりする。
読んでほしい絵本を次々に出すので、「このご本しまったら、読んであげるよ」と、言うと読み終わった本を棚に入れようとする。
うまく入れられないのだが、一応運ぶ。
「これもしまって、これも」と、何度もやらせると面倒くさくなって、本を投げつけたりするが、「投げちゃダメだよ、ちゃんと仕舞って」 と言うと、投げた本を拾って棚まで運んだりする。
どこの子供もそんなモノだと思うのだが、ちょっと前まで、寝ているしか能がなかったのだ。
「なんと、聡明になったことか・・・」と、感動してしまう。
その度に普通のことだし、できるようにならないと困るわけで・・・と、自分に言い聞かせる。
そうでもしないと、わが子を天才のように勘違いしていしまいそうになる。
現に旦那さんは頻繁に「ニンタマは天才だよ」と興奮している。
旦那さんが天才だと言うたびに「いや、普通なんだよ」と、言い聞かせている。
旦那さんに言い聞かせながら、自分にも言い聞かせている。
危険危険。

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交替育児

夜中にニンタマが発熱。39度5分。
インフルエンザの予防接種をする予定だったが、断念。
朝には少し下がった。
耳で測るタイプの体温計だと38度5分。
脇で測る体温計では37度5分。
旦那さんがセリフを覚えたり、歌を覚えたりしなければならないので、ニンタマを外へ連れ出した。

病院を受診、予約していたママチャリを取りに行き、ファミレスのキッズプレートに挑戦したあと、公園、スーパーなどを巡る。
2001年に購入して、何度撤去されたり、盗まれたりしても見つけ出して乗り続けていた自転車を手放す決心をして、子供乗せ自転車を購入した。
はじめは今までの愛車に一時的に座席をつけて乗り続けようと思っていた。
スタンドがフラフラするので、頑丈なスタンドに付け替え、後ろの座席に子供用座席も付けた。
だが、おそろしく不安定。
元々27インチでかなり大作り。
その高さに子供を乗せるのに一苦労。
車体が細いタイプだったのだが、後ろに子供用座席をつけたら、バランスが悪くなり、子供を乗せていなくても風が吹くと揺さぶられてしまう。
ニンタマを乗せていると、ぐらぐらする。
恐ろしいので、結局おんぶをして乗っていた。
いつか慣れるだろう・・・と思っていたが、ニンタマは益々重くなる。
現実的には益々フラフラするとしか思われない。
その間、街行く子供乗せ自転車をよく観察した。
どうも子供乗せ自転車は車体も太ければ、子供を乗せる前輪が後輪より一回り小さい。
他にも様々な安全機能がついている様子。
10年乗っていた愛車を見捨てるのは忍びないが、安全と快適さには変えられない。
電動式にも興味があったが、予算的に厳しい。
三鷹には坂も少ないし充電なども面倒くさそうだと、自分に言い聞かせて我慢した。

ブリジストンのアンジェリーノという自転車を購入。
乗ってみると、あまりの快適さにびっくり!
今まで、お んぶしたりフラフラしながら命がけで乗っていた苦労がバカとしか思えない。
余りの快適さにニンタマと共にどこまでもサイクリングへ行きたくなった。
だが、近場のガストへ。
ニンタマはハンバーグやソーセージは、吐き出していたが、ただの色のついた砂糖水で作ったようなゼリーを大層気に入っていた。
最近良く噛まずに丸のみする傾向があるので、ゼリーは喉越しがよさが心地よかったのかもしれない。

13時頃に帰宅。
旦那さんと交替してニンタマを見て貰う。
私は外へ行きお仕事。

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気分転換とぶっちゃけトーク

ここの所、夜中にちょいちょい熱を出すニンタマ。
だが、保育園に行く時間になると熱が下がる。
そして、少し足元がフラフラしているのに、自ら玄関へ行き靴を履こうとする。
かなり保育園が好きみたいだ。
前はちょっと悲しそうな顔をする時もあったが、最近は旦那さんに保育園に連れて行ってもらう時、私にニコニコと手を振る。
迎えに行っても、最初は手を打って喜ぶが、すぐにどこかに遊びに行ってしまう。
まだ遊び足りない様子。
だが、自分のロッカーを覚えていて、中にある洗濯物や荷物を取り出す手伝いをしてくれたりもする。

今日は15時から保育園で懇親会。
わらべ歌などで遊んでいる様子のビデオを見せて貰い、歌を教わったりした後、今子育てで何で困っているか・・・ などについて事前に提出したアンケートを元に話し合う。
私は、
「オムツ替えで暴れた時にどう乗り切ればいいのか?」
「歯磨き中い暴れられたらどうしたらいいのか?」
「小児科などに連れてくと、すぐ歩いてどこかに消えてしまうのだが、どうしたらいいのか?」
などと書いていた。
他の方はあまり書いてなかったのか、私ばかり発言することになり恥ずかしかった。
具体的な解決策は無かったものの、皆そんなものらしいことが分かり、気が楽になった。
そして、他のお母さんが「子育てで疲れた時に子供に当たらずに、気分転換をする方法は?」という質問をしていて、そこで園長先生を交えてかなりのぶっちゃけトークになった。
生ビール持って来い!と、言いたくなる会合だったが、思いのほか楽しかった。

夜は清水宏さんが出演している「アジアンスイーツ」を観にスズナリに行った。
ニンタマに長々愚図られて、「こんなに頑張っているのに、自分が無能だからだろうか?」と、オイオイ泣いていたら、旦那さんが「お芝居でも見に行って来なよ」と、ニンタマを見てくれることになったのだ。
最近、一人で黙々とパソコンに向かう仕事ばかりだったので、人と会話をすることが少ない。
そのせいかたまに人と話すと、テンションがおかしくなる。
聞かれたことに答えずに、人の話を遮ってまでどうでもいい話をしてしまったり、会議でも無駄話ばかりしてしまう。
バランスを取るには人の集まる所へ行った方が良いのだろうが、またおかしな態度になってしまうのでは?と緊張した。

お芝居は非常に勉強になった。
終演後清水さんにご飯に誘っていただいた。
観に行ったお芝居の出演者と飲む・・・昔だったら毎週やっていたことだが、凄く特別なイベントのように感じた。
浦島太郎的な気分だったが、とても楽しかった。

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母体の仕組み

断乳一週間。
ニンタマの風邪は治らず、拭いても拭いても鼻水があふれ出て来る。
隙あらば、鼻ちょうちん。
朝、起きたら鼻から下が鼻水でカピカピ。
4軒先の小児科で鼻水を吸ってもらう。
「ギエ〜ギエ〜」 と、目の周りが充血するほど、泣きわめく。
物凄い量の鼻水が出たが、家についたら既に鼻水をずるずる出していた。
再び、家の鼻吸い器で吸う。
「ギエ〜ギエ〜!」
焼きごてでも当てられいるかのような、有様。
その後、傷ついた心が癒えないらしく、ずっと泣き続け、ひさしぶりに私の服をめくって胸を出そうとしていた。
だが、すぐにやめてしくしく泣き続けていた。
今、いいよ〜と、胸を出したらどうなるのだろう・・・と、魔がさしそうになるが、我慢。

胸はまだ痛いが、確かにピークは越えたようだ。

1年2カ月に渡っての授乳ライフは、私にとっても多大な影響を及ぼしていた。
喫煙者だった時に、無意識に「一服したら・・・」という習慣がついていたが、ぼんやりしていると、無意識におっぱいを飲ませそうになってしまう。
電車に乗っていようが、人が沢山いようが、「飲ませろ〜」と、せがまれて困ったり、面倒に思う事も多かった。
急いで出かけたいのに、吸いついてきて苛々する時もあった。
だが、何かあったらすぐ胸を出す・・・という習慣が染み付いてしまっている。
胸を出そうと思っては、 「あ、いかんいかん」 と、やめている。
禁煙では2週間くらいでその習慣を忘れて暮らせるようになった。
あと、1週間くらい経ったら、無意識に胸を出そうとする癖が収まるのだろう。
しかし、妊娠出産する前は人が授乳したり、断乳したりすることがこんな一大事だとは知らなかった。
体験してみると、赤ちゃん連れの人が時折授乳している様子に気付くようになったが、以前は町中で授乳している人がいるとは、全く分からなかった。
断乳がつらい・・・というのも聞いたことがあったが、こんなに大変だとは聞いてないぞ!と、びっくりしている。
終わってしまえば、大したことは無いのだろうが、このしんどさ、もっと世間にメジャーになっても良いのでは?
授乳中で楽だったのは、生理が無いことくらいだった。
人によっては、関係無しに始まる人もいるらしいが。
母乳を作るホルモンと、排卵を促すホルモンは別もので、母乳がジャンジャン出ている間は排卵が抑えられてしまう。
よって、生理もしばらく来ない人が多いらしい。
断乳すると、ホルモンバランスも変わるはず。
最近、ぼんやりしているのはそのせいのような気がする。

断乳前日に授乳中のニンタマの写真や動画をこっそり撮っていた。
ニンタマが寝た後、それを見ては涙ぐむ。
子育ては、まだまだ続き、むしろこれからが本番。
しみじみしている暇など無いのだが・・・、ちょっとセンチメンタル。
ホルモンバランスのせいだろうか?

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嘆きのボイン

断乳4日目くらいから、楽になる・・と聞いていたが、全然楽にならない。
今まで、怖くてサイズを測ったことが無かったが、後はしぼむ一方だと思い、バストのサイズを測ってみた。
「93センチ!」
衝撃を受けた。
妊娠中から随分大きくなり、授乳中に突入。
それまで着ていた服が、どれもきつくなっていた。
だが、断乳を始めたら、今までよりさらにサイズアップ した。
こんな感じの胸・・・どこかで見たことがある。
明らかに偽パイだろう?と、分かってしまうような女性の胸なのだ。
「あの女優、絶対シリコン入れてるよ〜」 と、言われるような明らかに不自然なお椀がくっついているような形。
そして、とうとう皮膚が少し裂けた。
下手に刺激すると母乳が湧いてしまうので、触らないようにしていたが、ちゃんとクリームなどを塗っておくべきだった。

少女の頃、赤ちゃんにおっぱいをあげると胸が垂れる・・・という話を聞いて、「ぜったいやだ!私はミルクにしよう」 と、思っていた。
だが、母乳育児絶賛の世の中。
自然な流れで母乳育児に燃え、とうとう妊娠線も入ってしまった。
絶対嫌だ!と思っていたのだが、割 とどうでもよくなっていた。
人間はうまくできているなぁと、妙に感心した。

日々の生活が怒涛すぎて、ちょっとのことは本当にどうでも良くなってきた。
本当はよくないのだろう。
ここで頑張る人と自他ともにどんどんおばさんになっていく人に分かれるのだろうなぁ。
昔はおばさんになりたくないと思っていたが、今は日々がつつがなくすぎるなら、おばさんで全然構わない・・・と、思うようになってしまった。
実際は40歳なので、立派なおばさんなのだが、少しは危機感を持たないといかんのでは?と、ちょっと心配。

俄か入れパイ状態はあと数日。
そして、先輩妊婦さん達から聞かされてきたように見事に萎むのだろう。
それさえ、悲しくなくなっていたらどうしよう。
ちゃんと悲しんで、危機感を持って、身体を鍛えたりする気持ちになると良いのだが。

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4日目の複雑な気持ち

一日中37度から38度まで行ったり来たりしていたが、ずっと元気でご機嫌だった。 夜も泣かずに寝た。 泣かれると、辛いが、泣かないと「もう忘れちゃったのかい?」と、複雑。

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乳を断って3日目

今日の朝も元気なニンタマ。
もしや、断乳は順調?
ニンタマが平気そうなのはありがたいが、私が失恋でもしたかのように落ち込む。
胸は信じられないほどコチコチに張って、腕もあげられない。
肩も痛く、頭も痛く、目も痛い。
身体がしんどいので、鬱気味になった。

助産院へ行って、母乳マッサージを受ける。
少し楽になったが、夜にはまたもやパンパン。

保育園から帰って来たニンタマの声がおかしい。
明らかに枯れている。
この日は旦那さんが夜勤。
私が抱き続けると、やはり服をめくろうとしてきた。
「もう、バイバイしたでしょ?」 と、言うと、こんな悲劇の芝居見たこと無い・・・と言う位悲しく辛い顔をして泣き始めた。
またもや、二人でおいおい泣く。
そして、夜中に発熱。
びっくりするほど、身体が熱い。
声枯れは風邪だったのか。
断乳は母子ともに調子が良い時にやるものらしい。
下痢が収まって体調も良くなったので、決行したが、3日目の晩に発熱。
「あげてしまおうか」と、一瞬、気持ちが揺らいだ。
ニンタマも我慢しなければならないが、あげないのも我慢だった。
これが、初日だったら、間違いなくあげてしまっただろう。
しかもあげられる口実がついて、ちょっと嬉しいと思ったに違いない。
我慢、我慢。

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乳を断って2日目

昨晩泣いたのが、嘘の様に昼間は元気。 この日は夜も旦那さんが、寝かしつけてくれた。 朝まで全く起きなかった。

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乳を断つ

1歳2カ月をめどに断乳しようと決めていた。
土日は旦那さんの夜勤が無い。
ここで始めないと、稽古も始まってしまう。
本当はもっと長々あげていたかったのだが、来年の宝船の稽古などを考えると、やめておいた方が安心だ。
稽古中は人に見て貰う機会も増えるし、ことによると数日預けたりするかもしれな い。
数日前からニンタマには「もうすぐバイバイだからね」と、言い続けていた。
1歳2カ月とは言え、こちらの言っていることはなんとなく分かっているらしい。
ネットで調べたら、ちゃんと言い聞かせれば納得してくれるらしいことが書いてあった。
そんなもんかと、一応宣言してみると、ニンタマも私の胸に向かって「バイバイ」と、手を振ったりしていた。
「おや!ホントに分かってるのかい?」と、少し感動したり。
昨晩から、おっぱいを飲んでいるニンタマを見るとじーんとして涙が出てきたりもした。
だが、気を強くもって「よし、じゃあ最後だよ」と、飲ませると、結構あっさりと飲み終わってしまった。
「よいのかい?」 と、思ったが、キリが無いので終わりにした。

昼には原っぱ祭りなるイベントに連れて行く。
映像のムーチョ、りえちゃん夫妻とそのお嬢ちゃんHちゃん、りえちゃんのママ友さんとそのお嬢ちゃんMちゃんと、旦那さんで遊ぶ。
ステージでバンド演奏などもやっていた。
ニンタマはステージの近くに駆けて行った。
歩くのが下手なのが、ちょうど踊っているように見える。
旦那さんのメキシコ土産の服を着ていたせいで、かなりファンキーだった。
ステージ近くで踊っているように見える赤ん坊に、喜ぶ人達がいて、写真を撮られたりしていた。

昼間は楽しく過ごし、断乳のことは忘れていた。
だが、夜になると、豹変。
簡単に納得したと思っていたが、狂ったように泣き始めた。
「もう、バイバイって言ったでしょ?」 と、言うと身をよじって首を振って泣き続けた。
見たことはないが、シャブ中患者の禁断症状のようだ。
気をそらそうと、おもちゃを見せたり、遊ぼうとすると益々怒り、手がつけられない。
言い聞かせたことは分かっていなかったようだ。
女体の神秘で、泣かれると、母乳が湧くシステムになっている。
ジャンジャン湧いて来る。
これ以上胸の皮膚に収まりきらないほどの母乳が湧いてしまう。
だが、吸わせられない。痛くて仕方が無い。
ようし・・・こうなったら・・・と、こちらも泣き始めた。
こちらもおいおい泣いて、ニンタマの顔に涙を掛けたら、ちょっと驚いたみたいで、一瞬泣きやんだ。
しばらく二人でおいおい泣いているウチに寝た。
夜中に、二度程起きては服をまさぐってきた。
2回とも30分程泣いて、収まった。

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