自転車で銀行へ行った。
混んでいて、出入り口付近にしか停められない。
ちょっと迷惑な場所かも?と思ったが、5分で済む用事なので、「ま、いいか」と、そこへ停めた。
用事が済んで自転車の元へ戻ると、隣にもう一台停められていた。
私のよりさらに迷惑な場所。
私の自転車を取り出すのが困難な程、ぴったりつけられていた。
仕方なく、その自転車を少しずらして、間に入って自分の自転車を出そうとしていると、すらした自転車の主がやってきた。
ちょっと気まずかった。
その時に謝れば良かったのかもしれない。
だが、それほど悪いことをしたとも思わなかった。
隣の自転車の主(以下主)がイラっとしているのが、分かった。
ちょっとの間があった後、
「おい、今何した!」
と、凄まれた。
丸坊主で黒メガネを掛けたイカツい男。
やばいのに当たってしまった。
とりあえず、凄い殊勝な顔をして
「どうも済みませんでした」
と、言ったものの、そちらだって出入り口付近に無理やり停めてるのだから、こういう事態があるのは当たり前だろう!と、言いたくもなった。
だが、雨も降っていないのに、主は手にビニール傘を握りしめていた。
傘の先は金属。
傘を持つ手が今にも上へ上がりそうだった。
少し前に傘で目を突かれた人のニュースもあった。
理屈で正しいことを言ったからと言って、暴力を振るわれな訳ではない。
今の私は臨月の妊婦でも無ければ、赤子連れでも無い。
世間的に同情を誘うモノは何も無い。丸腰だ。
近くにお巡りさんもいない。
「何やったって言ってんだよ!」
「自転車が取れないので、ちょっとずらしました」
「ちょっと、ずらした〜?ふざけんな!」
「どうもすみませんでした」
「俺の自転車は高いんだよ!」
「どうもすみませんでした」
「どうしてくれんだよ!」
「どうもすみませんでした」
「おい!ババア!」
「どうもすみませんでした」
「お前の安いチンケな自転車とは違うんだよ!」
「そうですね〜。このオンボロ自転車は10年以上も乗ってますからねぇ〜」
主の顔にチックが走った。
「どうもすみませんでした」
「傷でもついたら、ただじゃおかないぞ!」
「どうもすみませんでした」
主は謝りながらも、反省の色が見えない私の態度にいら立っている様子ではあったが、そのまま立ち去った。
いつもなら、自転車の停めた向きが気に入らないだけでも横柄な態度で「逆だよ逆!」などと、注意をしてくるシルバー人材のおじさんが、遠巻きに見ていた。
こういう時こそ、出て来てくれれば良いのに。
下手に反論して怪我したり、時間を食うより謝って済む方が余程マシだ・・・と思いながら、ヘコヘコしていたのだが、後から猛烈に腹が立ってきた。
誰かに怒りを訴えなければ仕事に手がつかないかもしれない。
流石に泣いたりはしないだろうが、誰かに「大変だったね」と、言ってもらう必要を感じ、旦那さんに電話。
「チンピラに絡まれた〜」
「向こうだって悪かったのに、ずっと謝ってさぁ〜」
「反論したら、怪我させられるかもって思ったんだけど、悔しいよ〜」
「ババァって言われた〜」
「仲良しでも無い人にババァって言われたの初めてだよ〜」
などと、訴えるといつの間にか泣きだしてしまった。
鼻水まで出て来てしまった。
旦那さんには「謝る時もなるべく大声で謝った方がいいよ」などと、アドバイスされるが、そんなことしたら癇に障られて、余計いちゃもんつけられるか、暴力を振るわれたような気がする。
だが、訴えたら少しすっきりした。
しかし、わからない。
私の態度はあれで良かったのだろうか?
最初に自転車を停めた位置に関しては、確かに私のミスだった。
人の自転車を動かしたことも多少、悪かった。
そして、主が来た時にすぐ謝っていれば、あるいはあそこまで絡まれることはなかったかもしれない。
多少の落ち度は認める。
だが、初対面の人間に「お前」だの「ババァ」だの言われ、何度撤去されても、お金を払って執念で乗り続けている購入当時は3万円程した愛車を「チンケな安物」と、冒涜される程のこととは到底思えない。
そして、最大の目算違いは謝って済むことなら、こんな安いことは無いというつもりで、あやまり続けたのだが、そのせいで、後になって、泣く程悔しい思いをすることに気付かなかったことだ。
「本当は悪いと思ってないのに、こんなしゃあしゃあと謝れますぜ」
と、自分の人間的な余裕を感じながら謝っていたのだが、私はそこまで器の大きい人間ではなかったようだ。
結局、謝った分だけきっちり屈辱的な気分になっていた。
本心から悪いと思っていない時に謝ると、後でツケが来るなら、無駄に謝らない方が良いに決まっている。
あの時ちゃんと反論したら、あるいはここまで悔しく無かったかもしれない。
だが、下手をすると、傘で目を突かれたかもしれない。
だが、目を突かれることを怖がっている人間は喧嘩に勝てない。
悔しいのは私は竹内力だったり、あるいは竹内力の同伴者だったら、こんな目には合わないということだ。
時々自由に竹内力になれたらよいのに・・・。
ニンタマが大きくなって、このような屈辱を味合わないで済むように格闘技をやらせたくなった。
今のところ屈強な体つき。
戦って勝てると思って謝るのと、絶対に負けるから謝るのでは雲泥の差だ。
謝るという行為は余裕の無い人間には悪影響を及ぼすだけだ。
時々納得の行っていない相手に謝られる事がある。
そういう時、漠然と恐怖を感じる。
謝ってほしい訳でもないのに、謝られて、ストレスや恨みを貯められるのは却ってマイナス。
相手を思いやるとかそういう綺麗事では無く、無駄に恨まれるのは損なので、「お願いだから、謝らないで」と、お願いしたくなる。
あの無礼な自転車の主のお陰で、無駄に色々考えてしまった。
私の事を「ババァ」と、言っていたけれど、主も30歳は超えているようだった。
そして、「高い」と自慢していた自転車も、スポーツ仕様ではあったが、かなり年季が入ってボロボロだった。傷だらけにも見えた。
見ず知らずの人間のちょっとした落ち度をあげつらって、あのようにののしったり凄んだりするのは、きっと不幸せだからなのだろう。
自分も経済的には下層レベルではあるが、以前は遠すぎて叶わないと思っていた「家族を作る」という夢も、一応叶っている。
腹が立ったら、電話で泣きごとも言える。
今はまだ腹が立っているが3日もすれば、日々の大変さにまぎれて忘れてしまうだろう。
しかし、何か復讐してやりたい。あの自転車を見かけたら、ガムでもつけたやりたい。
だが、そんなことをしたら、見つかって返り討ちに合いかねない。
ああ、悔しい。