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産後のアイツ

毎日あまり眠れない。

最近、さびしがり屋になったのか、ニンタマは何度も目を覚ましてはグズる。

授乳の時以外にも急に目を覚まして、寂しくなるのか泣くのだ。

なだめていると、旦那さんもなだめるつもりで 「可愛いなぁ」 と、大きな声を出す。ニンタマは益々寝なくなってしまう。

もしくは、旦那さんが大きな声で寝言を言うので、ニンタマが目を覚まして、泣いたりする。

したがって、私は布団に入っている時間が8時間あったとしても、全然眠れていないような気分。

布団にいる時間が6時間程度が平均なので、疲れが溜まり、時々、鬱気味になる。

起きている時に「疲れた疲れた」と、言ったり、溜息をついたり、旦那さんにご飯「これ、どこにしまうの?」「ごはん作って」などと、 言われると、露骨に嫌な顔をしてしまう。

旦那さんは洗濯ものを畳んでくれているのだが、私が自分のスパッツが見つからないと、騒ぐと、旦那さんは自分が畳んだせいで無くなったかのような言われようや、日頃の私の鬱気味な態度に腹が立った様子。

「じゃあ、もう畳まないよ!」
「じゃあ、ご飯も作らないし、離乳食も作らない!」
と、喧嘩になる。

結局仲直りをしたが、鬱状態は治らない。

旦那さんがが稽古に出かけてからも、ニンタマ相手に鼻水を垂らして泣いていると、いつもはうるさくグズるニンタマも不思議そうな顔。

こんなに何もやる気が起きないなんて、これからどうやって生きて行ったいいのだろう?と、しばらくグズグズしていると、脳裏に「産後鬱」という言葉が浮かんだ。

「あたし、もしかしたら、産後鬱って奴かしら?」

そう思ったら、何か急に楽になった。

産後鬱の詳しい症状は知らないが、「ホルモンのせいで起きる症状で、本人のせいではないので、周りの理解が重要です」みたいなことを言われていた気がする。

「そうか!私のせいじゃないんだ!」

急に気が楽になる。

最近、ニンタマの世話をする人としか認識されていない気持ちになっていた。

世話がまともに出来ないなら、用無しなのでは?という被害妄想にも陥っていた。

おそらく、これも産後鬱の症状に違いない。

物凄く疲れていたが、こういう時に家にこもっていると、ろくなことにならない。

日が暮れるまで、出かけて気を紛らわそう。

普通のお母さんたちは赤子がいようと、ちゃんと家事をやっている。

だが、泣かれたり愚図られると何もできない。

「どうせ何もできないなら、出かけてしまおう。そうだ!桜でも見に行こう。」

ニンタマをオンブして五日市街道を爆走。

重いなぁ・・・。

玉川上水沿いを行けば桜が咲いているだろうと思ったが、全く開花していなかった。

咲いていたら適当にサイクリングして戻るつもりだったのだが、咲いている所を求めて走るうちに小金井公園まで行ってしまった。

ニンタマの重さで、サドルが食いこんできて股間が痛い。

仕方なしに公園を一周。 ニンタマはとっくに眠っていた。

「桜・・・咲いてないなぁ」

汗をダラダラ流して、股間の痛みに耐えているうちに鬱気分は消し飛んで行った。

思春期の時、「車輪の下」などを読んだり、厭世的な気分になっても、部活で朝連などをすると、すっかり上機嫌になったことを思い出した。

ニンタマに桜を見せることも出来ず、無駄に体力を消耗するようなサイクリングになってしまったが、何故か少し元気になった。

飲んで帰って来た旦那さんに 「私、産後鬱ってやつかも」 と、話す。

旦那さんには「マタニティーブルーとか、産後鬱とか流行ってるものは一通り経験しておきたいって思ってるんじゃないの?」 とからかわれる。

心外だったのだが、そうなのかもしれない。

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モンスターvsモンスター

古くから懇意にしているBさん一家に会う。
Bさんは50代半ばだが、30代前半の奥さんと1歳6カ月の息子さんKちゃんがいる。
Kちゃんも、4月から奥さんが職場復帰するので、保育園へ行くことになっている。
以前から、お互いの子供を会わせようと話していたのだが、新型インフル流行などで伸び伸びになっていた。
だが、保育園へ通い始めると、中々会う機会も作れない・・・ということで、会う事になった。

Bさんから、阿佐ヶ谷のスターバックスで待ち合わせと言われていた。
旦那さんと一緒に向かう。
Bさんは息子のKちゃん相手にご飯を食べさせたり、若干てんやわんやな感じだった。
奥さんは昼まで職場へ行っていて、あとで合流とのこと。
この日はBさんが朝から面倒を見ていた模様。
1歳半のKちゃんは椅子の背もたれに登ったりジュースをまき散らしたり。
Bさんはテンパっているようではあったが、ヒーヒー言いながら楽しそうだった。

間もなく旦那さんは稽古へ。
スタバは静かに読書しているようなお客も多いから、うるさいと思われているだろうなぁと思いつつ、お互いの子供を抱っこしたり、近況を報告したり。
しばらくすると、Bさんが
「お、お前ウンコしたな」
と、 Kちゃんのオムツを替えることになった。
オムツ交換台どころか、トイレも無い店内。
こういう時は本当に困る。
私も、子供連れを嫌う人には、嫌がられるだろうなぁと思いながらも、公共の場所でこっそりオムツを替えたこともある。
「目立たないようにガードしようか?」
と、言うものの 「大丈夫大丈夫」 と、Bさん。
Bさんも長時間、一人でKちゃんを外出させたことが無いようで、焦りながらもテンションが高い。
ニンタマが娘なので
「キンタマ、みたことないだろ。ほら、キンタマだよ」
と、見せてくれる。
隅っこの座席に毛布を引いて、オムツを開けてみると、ウンコはしていなかった。
「なんだ、お前ウンコしてなかったのか〜」
Kちゃんはキャッキャしながら、動き回るので中々オムツがはめられない。
そこへ、隣の隣の席で長時間勉強をしていたメガネをかけた30代前半くらいの真っ白なカシミヤのショールを羽織った女性がやってきた。
ああ、抗議だ。

「ちょっと・・・ここは、公共の場所なんで〜、ウンコとかそういう下品な単語を大声で連呼するのはやめていただけませんか!」

ん?
飲食店でオムツ替えするということへ対する衛生面の抗議より下品な単語についてのクレームが先なのか・・・と、思いつつ
「すみません〜〜!」 と、深々と丁寧に謝った。

「それに・・・ここはモノを食べたり飲んだりする場所ですよ。そういう場所で、こういうことをするのは衛生的によくないと思うんですよ」
「はい、すみません」
「下品だと思うんです」
「ほんと、すみません〜」

何度も謝るが、かなりしつこく言い続けられる。
Bさんは暴れるKちゃんにオムツを履かせるのに、一苦労していた。

「あなたに言ってるんですよ!あなたに!」

カシミヤのショールの女性は顎をしゃくりあげながら、Bさんに訴えた。
Bさんはチンコ丸出しのKちゃんにオムツを履かせる手を止めて、
「あなた・・・頭がおかしいんですか?」
と、言い始めた。

「頭がおかしいのはアナタでしょう。下品だと思うんです!」

Bさんの返答にも問題はあるが、衛生面よりウンコやらキンタマというボキャブラリーに過剰に反応する女性もちょっと異様だった。
注意するにしても、
「こういう所でオムツ替え・・・やめていただけますか?」
と、シンプルに言うだけでいいでは無いか。
私も何度も謝っている。
ちょっとしつこすぎるのではないだろうか?
段々腹も立ってきた。
よせばいいのに、
「あなただって、赤ん坊の時があったでしょう?多かれ少なかれ、こういうことがあって大きくなってるんですよ」 と、言い返してしまう。
すると、女性は 「私はありません!」 と、血相を変えていた。

「なんだ、この女・・・いい年して処女なんじゃねぇか?」

いい年して処女でいることに何の問題も無いのだが、のど元までセクハラめいた言葉が出かかった。
「ああ、じゃあトイレも行かないんでしょうね!」と、言うと、女性は席へ戻って行った。
すると、ニンタマが泣き始めた。
よく、子供が注意される と、自分が謝らずに「あのおばちゃんが怒るからやめなさい」 という親をかねがね軽蔑して来ていたが、ついつい同じことをやってしまう。
「ごめんね〜、怖かったね〜、ごめんごめん」
こんな態度では子連れに理解のある人の心証も悪くしてしまう。

その後、ニンタマのオムツ替えは駅構内にある、オムツ交換台の無いトイレで行った。
幅20センチ位の冷たい洗面台の上から転げ落ちないように、押さえつけて交換した為、ギャン泣きされる。

Bさんの奥さんが合流したので、近くのファミレスへ移動。
ファミレスというだけあって、子連れにとってパラダイスだった。
子供を座らせる椅子もあ るし、オムツ交換台もある。
離乳食まである。
実際オムツ交換するスペースが無いお店は多い。
基本的にはそういうお店には赤子連れで来るな・・・ということなのだ。
文句を言った事は無いが、自分も、出産前にはうるさい子連れを迷惑に思ったこともある。
だが、今まで迷惑を掛けられたから、自分は掛けないようにしよう・・・とは思わなかった。
そんなふうにしていたらどこにも出かけられない。
開き直りかもしれないが、今まで迷惑を掛けられた分、今度はちょっとくらい迷惑をかける側に回らせて下さい・・・と、若干図々しくなってきた。

そんなトラブルはあったが、Bさん一家と久しぶりに沢山話せたのは良かった。

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おっぱいを巡る戦争

蟹を食べに連れて行ってもらう。蟹はとてもおいしかった。
ニンタマには人参入りのおかゆを離乳食に持参。
人参かゆの色が微妙に蟹に似ている。同じモノを食べている気になってくれたのか、パクパク食べていた。
食べに行く前にゆっくりしてしまったので、この日は書き物が出来なかった。
だが、父も奥さんもニンタマが来て嬉しそうだった。

帰りのつくばエクスプレスでニンタマがあざらしのような声をあげて泣き始めた。
最近外出先では泣かなくなっていたので、焦る。
疲れてぐったりしていたが、立って揺らすと泣きやむので、40分程立ちっぱなしで揺らし続けた。
降りる直前にやっと寝た。

疲れている上に寒くてぞくぞくしたので、早く寝たかったが、一人で風呂に入れる元気も湧かず、寝室で部屋を暗くしてニンタマとごろごろ。
風呂に入れればすぐ寝てくれるのだが、全く寝る気配が無い。
子供がいると、自分が具合が悪くても休めないのか・・・と、初めて実感。
しかも最近下の歯が本格的に生え始めた。
怯えていた割には噛まないものだなぁと思っていたが、今日は何度も噛まれた。
その度に「痛い!」 と、声を荒げて思いっきり鼻をつまんだ。
その瞬間はびっくりして漢字の米という字の様に顔をくしゃくしゃにして、びっくりしているが、指を離すと、にやにやしてやがる。
絶対に分かっていない。
どうしたら、噛んではダメだと分かってくれるのだろう。
今度噛んだら、もっと思い切り鼻をつまんだ上にオデコをはたいてやろうか?
だが、転んだりのけ反って頭をガンガンぶつけても、一向に懲りていない様子。
頭部の痛みには鈍感なのかもしれない。
手の甲を思い切りつねってやろうか?などと、考える。
だが、不思議なものでそう思ってからはまだ、おっぱいは噛まれていない。
だが、指を噛まれた。
しばらく跡がつくほどの強さだった。
びっくりして、ハタいたり、つねったりは出来なかった。

旦那さんが帰ってきて、お風呂に入れてくれた。
お風呂後はあっさり寝た。
寝顔を見ながら 「ニンタマ可愛いなぁ」 と、旦那さん。
先日はニンタマにほほ笑まれて
「おいおい、こっち見るなよ!眩しすぎるぜ!」
と、叫んでいた。
「可愛いな、可愛いね」と、同意を求められる。
確かに可愛いのだが、散々おっぱいを噛まれていると、にこにこ「ほんとね〜」などとは言えない。
おっぱいをめぐる戦いが始まった。
ここでいかなる態度を取るか・・・ということが今後の子育てに響いて来そうな気がする。

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つくば行き

保育園へ行く前にニンタマをあちこち連れて行っておこうと、つくばの父の元へ。
出来たら、父と奥さんにニンタマを見て貰い、書き物が出来ればとも思っていた。
以前は乗り物に乗ると、瞬く間に寝ていたニンタマなのだが、最近はあまり寝なくなった。
以前は電車が混んでいても、子連れだからと言って、優先席付近に立つのは、席を譲ってもらおうとしている魂胆がバレバレであさましく思われそうと、その付近には近付かなかった。
だが、9キロ近くのニンタマを抱き、着替えやらオムツやら、ノートブックを持って歩くのは、キツイ。
最近では、混んでいたら恥も外聞も無く優先席付近へ立てるようになった。
適度な負荷は人間を鍛えるが、ニンタマを1、2時間連れ歩くと、しばらく寝込まないと、立ち直れないほどのダメージ。
早く、自分で歩いてくれないかなぁと思いつつ、今度は追いかけるのが大変になるのだろう。
一つの難所をクリアーすると、すぐに別の課題が降ってくる。
きっとこれが成人するまで続くのだろう。
もう引き返せないので、観念しているが、怖い。

つくば駅で父と奥さんが待っていた。
父と奥さんに見て貰って3時間ほど、書き物が出来た。

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元・小学生と赤子

朝起きると、小学校のクラスメートのタナからメールが来ていた。
小学校の担任のI先生が亡くなったとのこと。
随分前から具合が悪いとは聞いていた。
最近は年賀状の返事も奥様の代筆だった。
結婚、出産とNHKの「祝女」の脚本に参加しているという近況報告をつづった年賀状に、奥様から「主人に読んで聞かせたら涙を流していました」というお返事を頂いた。
それからずっと先生のことが気になっていた。
毎週でも手紙を出したい・・・と思ったのだが、闘病中に却ってご迷惑かもしれない・・・などと迷っているウチに亡くなってしまった。
あれこれ考えないで、手紙を出せばよかった。

私達の小学校は6年間クラスが一緒で、I先生は1、2、3、6年と4年間もお世話になっていた。
先生は毎日、日記を書いて提出するという宿題を私たちに課していた。
毎日書くのは正直面倒臭かった。
だが、生徒40人の日記を、朝提出してから下校するまでに全部読んで、添削して、意見を書き込んだりしてくれていた。
私が学校にランドセルを忘れて帰った時、電車を降りてから「ランドセルが無い。あれ、消えた、不思議だなぁ」と、書いていた。
日記には先生から「ぼんやり」と、書き込まれていた。
母と喧嘩をした時も「私のお母さんは自分の事を美人だと思っています。本当はブスなくせに」などと、低能のような 悪口を書いていた。
その時も、「どっちが悪いかよく考えてごらん」と、書き込まれていた。
あんなアホな日記をきちんと毎日読んでくれて、ちゃんと意見も書いてくれた。
そして、日記が溜まると製本してくれた。
書いている時は苦痛だったが、その日記は大人になった自分にとっては貴重なものになった。
私は、馬鹿な内容の日記ばかり書いていたので、いつも点数は低かった。
でも、今でも文章を書いたりすることが好きだったり、書くことで幾分収入を得られるようになったのは、この日記のお陰ではないだろうか・・・と思っている。

お通夜は今日、告別式は明日とのこと。
これは行かなければ・・・。だが、ニンタマを連れて行く訳にもいかない。
急ではあったが、従妹のお姉ちゃん にお願いして預かってもらえることになった。
黒い服も何も無い。
あわてて三鷹コラルでワンピース、スカート、パンツ、ジャケットの4点セット7000円のモノを購入。
よく見ると、かなり粗悪品ではあったが、選んだり考えたりする余裕も無かった。

電車で行くよりは早そうと、タクシーに乗ったら、激混み。
電車より時間がかかった上にお金もかかってしまう。
メールをくれたタナと一緒にお通夜の行われているホールへ。
懐かしいクラスメートも沢山来ていた。
我々は皆40歳だと言うのに、小学生の時の姿がちらついて、大人のようにふるまっているのが、不思議に見えて仕方が無い。

クラスメート達で小平の居酒屋へ。
一番馬鹿でみっともない時期を一緒に過ごしたせいか、妙に気楽で、お通夜だと言うのに、楽しく盛り上がってしまう。
母乳が溜まって大変なことになっているのに、ついつい長居をしてしまう。
近々、皆で先生を忍ぶ会でもやりたいと、話し合う。
帰りの電車を待っているホームで旦那さんから電話。
ニンタマの狂ったような泣き声。
電車だと乗り換えの待ち時間で一時間以上かかる。
これはヤバイ!・・・と、またもやタクシーで帰宅。
勿体ないが、あの泣き声を聞いてしまっては生きた心地がしない。
家へ着いたら、案の定まだ泣いていた。旦那さんも 弱っていた。
哺乳瓶でミルクは飲まなかったらしいが、すぐにおっぱいに吸いついてきたので、授乳。
やっと大人しくなったと思ったら、再び狂ったように泣き始めた。
「どうしたの?」 と、抱きあげたらニンタマの身体から妙な空気音。
途端に私の髪の毛や布団に大量のゲロが噴射。
まだ苦しそうなので、ずっと身体をさすっていたが、 風呂に入っていた旦那さんが戻ってきたら、ニヤニヤして飛び跳ね始めた。
ゲロにまみれたので、私も風呂に入りたかったが、再び泣きそうだったので、服だけ着替えて寝ることにした。
ニンタマが興奮しているので、再び同じ布団で3人で寝た。
ゲロ洗いてぇ・・・。

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ママ友さんと5倍デー

今日は近所の薬局のポイント5倍デー。
先日の旦那さんの「ポイント10倍だ〜!」という寝言はこれのせいなのかもしれない。もしくは微妙な予知夢か?

昨年の5月に母親学級なるものに参加した時、知り合ったTさん宅へ。
他の参加者達がお昼休みにファミレスで交流していたのだが、握り飯を持ってきていた私とサンドイッチ持参のTさんは近所の公園で一緒になったのがきっかけでお友達になった。
その後、彼女がウチの近所の産院に入院したりでなんとなくお付き合いが続いている。
Tさんのお子さんS君はニンタマより2カ月早く生まれていて、今は8カ月。
10.5キロを超えて、ハイハイやつかまり立ちをしていると言う。
8カ月でつかまり立ちは早い方だとは思うのだが、ニンタマがハイハイをしたり、つかまり立ちをしたりしたらどうしたらいいのだ?と、日々怯えている私は、Tさんがどのように対応しているのかも知りたかった。
お部屋に入るなり、S君に匍匐前進でお出迎えされる。
そして、冷蔵庫やら、台所やら机や椅子・・・どこにでも捕まっては立ちあがって、尻をゆっさゆっさ揺らして「むぉ〜〜〜〜」と、叫んでいる。
先日同じ産院で出産したIさん宅へ遊びに行った時、同じ月齢のT君とニンタマは転がりながら、見つめあったり、ほほ笑んだり、手をつないだりしていた。
だが、Sちゃんは動く事に夢中なシーズンらしく、這いまわったり立ち上がったりで大忙し。
ニンタマはお座りしながら、もくもくとオモチャで遊ぶ。
二人の赤子はほとんど接点を持たなかった。
這いまわる子供に対して、何か画期的な方法でもあるのでは?と思っていたが、Tさんは危なくなると、ひたすら追いかけては止めるという、シンプルな方法を取っていた。
それはかなり大変そうだった。
本当に目が離せない。
ガスコンロのスイッチが大好きで、しょっちゅうスイッチをいじっている。
危なくて仕方が無い。
こうすれば安心・・・という方法はなさそう。
大変さを目の当たりにして、ますますハイハイやらつかまり立ちをされるのが怖くなった。

帰宅後、ポイント5倍デーのことを思い出す。
雨の中、再び外出してオムツを二袋買った。
Iさん宅では7カ月から食べられるというお米で出来たウエハースのようなお菓子を与えていた。
遊びながら、口に入れたりできるので、自分がお腹が減っている時にちょっと間が持つようだった。
さっそく真似をして、 購入。
最近いよいよ本格的に離乳食をあげなければダメになってきた。
離乳食をあげていると、食べさせるのに忙しく、自分のご飯が全然食べられないのだ。
しかもこちらが何かを食べていると、それまで楽しそうに遊んでいた癖に、腹が減るらしく「よこせ!」と、言わんばかりに叫ぶのだ。
だから、いつもニンタマに見つからないように、こそこそミカンやバナナ、干し芋をろくに噛まずに、大急ぎで食べては腹を膨らましている。
だが、このウエハースを与えて時間を稼げば、ちょっとは自分のご飯も食べられそう。
そして、自分で歯磨き・・・みたいなシリコン製の歯ブラシもどきも購入。
初めてこの製品を見た時には生後半年の子が自分で磨ける訳ないだろう!アホか!と、思っていた。
だが、歯が生えてきたので、ガーゼで歯を拭いてやろうとしたら、異常な抵抗をされた。どうしたものか・・・と思っていた。
するとT さんが歯磨きは出来ないけれど、その歯ブラシもどきは、オモチャの様に口に入れてご機嫌に遊ぶと、教えてくれた。
それも購入。
ニンタマのモノしか買っていないが、3600円も出費。
だが、ポイントはかなり溜まった。さすが5倍デー。

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悪夢のループ?

昨日、一昨日は明るくなってから、ニンタマに目をこじ開けられた。
だが、今朝は違った。
今朝・・・というか夜中にやられた。
普段は、寝ている間にニンタマが首を振ったり、小さな声や泣き声を上げる度に起きて添い寝で授乳をしている。
大体、3、4回は起きて授乳をしている。
一々起き上がって抱いて授乳している人もいるらしいが、私は添い寝なので、それほど辛さを感じてはいなかった。
この時もいつもの授乳だろう・・・と、 授乳の態勢になる準備をした。
だが、ニンタマは首を振って飲まない。
「おや?」 と、顔を覗き込むと・・・、薄暗闇の中黒目がちのニンタマの目がギラギラ輝いていた。
ヤバイ、これは昨日と同じ目だ。
授乳の時は飲みたそうなサインを出していても、いつも目は閉じていた。
これは・・・飲みたいサインじゃない!
慌てて、寝たふりをする。
だが、遅かった。
ニンタマとはさっき目があっていた。
私が起きている事はバレているのだ。
薄目で見てみると、案の定、視界いっぱいにニンタマの手が迫ってきた。
そして、こじ開けられた。
こんな夜中に何故、起きる?遊びたいのか?軽く途方に暮れる。
とりあえず、オムツを替えてやる。
嬉しそうにタップダンスのような激しい動きを始めた。
私はこんなに眠くて辛いのに、何故こんな元気なのだ。
悪夢か?
とりあえず、身体を撫でながら 「ネンネ、ネンネ」と、唱え続けた。
だが、寝ない。
ぐずぐずすること小一時間。いきなり静かになった。
「寝たか・・・」
すると、今度は旦那さんが 「ポイントが10倍なんだよ!」 と、大声をあげた。
おそらく近所の薬局のポイントの夢でも見ているのだろう。
だが、その声でニンタマが起きてしまった。
再び「ネンネ、ネンネ」 となで続ける。
ニンタマが寝たかと思うと旦那さんが 「ぬぉ〜〜〜〜」 と、奇声を発した。
「ニンタマが人参を食べた〜」
また、寝言。
人参を食べた夢を見たのだろう。
再びニンタマが起きる。また寝かしつける。
また旦那さんが 「ポイント10倍だ〜!」
おいおい、またポイントの夢かよ。
なんだ、このループは。
ようやく騒ぎが収まった。だが、今度は私が眠れない。
仕方なしに携帯でニュースを見たり、隣の部屋でぼんやりしたり。
ああ、眠い。喉も痛い。
朝の6時位まで眠れず、その後ようやく少しだけ眠ることができた。

今までは私と旦那さんの間にニンタマがいた。
だが、今は私が旦那さんとニンタマに挟まれてる。
ニンタマは寝ていると私に近づいてくる。
ベビー布団 から私の領域へ転がって来る。
旦那さんは私越しにニンタマを見たいので、やはりこちらに迫ってくる。
私は以前にも増して、狭いスペースに挟まれることになってしまった。
ニンタマも旦那さんも豪快に鼾をかいて、気持ち良さそうに寝ては、叫んだり寝言を言う。
元々眠れない性質の私がこの二人に挟まれるのは結構キツい。

今日はニンタマの6カ月検診。
先生はニンタマを見て、 「大きいなぁ・・・・。ていうか、体格がいいいんだな。いや、大きいなぁ。まあ普通なんだけどね。いや、体格がいいねぇ」 と、つぶやいていた。
つまり毎日赤ん坊を見ている人から見ても、若干びっくりするほど大きいけれど、異常な程では無い・・・・ということなのだろう。
鼻水が出すぎる事を相談すると、機械で鼻を吸ってくれた。
ニンタマはもの凄い雄叫びをあげて抵抗をしたが、吸われた後は気持ちが良かったのかしばらくご機嫌になった。
病院で抗生物質と痰切りの薬のムコダインを処方された。
熱も無いのに抗生物質を飲ませるのはちょっと抵抗があったので、薬剤師に相談してみた。
「先生のご判断なので」 と、言っていた。
薬剤師の母に電話で聞いてみた。
「そりゃ、よくないとは言えないわよ。でも、本当に飲んでいいと思っていたら、『飲んだほうがいですよ』って言うわよ。本当は飲ませない方がいいと思ってるからそういうのよ」と、言っていた。
なるほど。
とりあえず、まだ抗生剤は飲ませないでおこう。
だが、鼻水はなんとかしてやりたい。
口で鼻水を吸うには限界があるようだ。
とりあえず、鼻吸い機なるものを買ってみよう。
あれだけ鼻が詰まっているから夜中に寝ないのかもしれない。
鼻がすっきりすれば、夜中に迫りくる手や、暗闇の中ギラギラ光っている黒目がちの瞳におびえなくて済むかもしれない。
しかし、赤ちゃんのいる風景というのは、世間的には平和や幸せの象徴のようになっている。
確かにそういう局面もある。
だが、どんなに具合が悪くても休めないし、生命の存続を脅かされるような恐怖や、ウンコに塗れて、タップダンスをされたりという最悪な修羅場やらも背中合わせだ。
とにかく、ここ数日ニンタマに目をこじ開けられる恐怖のせいで緊張して眠れない。
早めに布団に入っても、ニンタマが寝ているウチに寝ておかなければ・・・・という強迫観念が強すぎて、却って眠れない。
よく眠れている時は、可愛いわが子だが、眠れない時は真剣に敵のようにも思える。
だから・・・寝たい。

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春への準備

この日も朝方ニンタマに目をこじ開けられた。
それでも必死に寝たふりをしていると、母が我々の寝ている部屋からニンタマを救出しに来た。
母に起こしてもらって、ニンタマは嬉しそう。

この日は保育園へ着て行く服やモノへの名前つけをした。
母が手伝ってくれた。
母は私と同じくガサツでズボラなタイプ。
「私がやってやる」 と、言っていたものの、大して期待していなかった。
だが、予想に反してかなり上手だった。
考えてみたら、小さい時沢山洋服を縫ってもらっていた。
下手に違いないと決めつけていて、悪いことをした。

こういう手作業は人と一緒にベラベラしゃべりながらやると楽しいが、一人でやると相当辛い。
しかもニンタマと二人きりで相手しながら縫っていたら、危ない上にはかどらずヘトヘトになっていただろう。

夕方、母は帰って行った。
働いているので、長期でいられない。毎回トンボ帰りだ。
ゆっくり出来ると良いのだが。

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母と娘とその娘

朝方、寝床でニンタマがモゾモゾ始めた。
カーテンが引いてあるので、まだ薄暗い。
私の位置からはニンタマの頭頂部が見える。
薄目を開けて様子を見てみると、いきなり首を反らし私の顔を見た。
あわてて寝ている振りをしながら、引き続き薄目で観察。
すると、 「コイツ・・・本当は起きてんじゃねぇの?」 という、猜疑心に満ちた顔で私の顔を覗き込んでいる。
そして、両手を私の顔に伸ばしてきた。
「痛ッ!」
声にならない声をあげそうになった。
ニンタマはいきなり私の目の下を引っ張り目をこじ開けようとしたのだ。
今まで、旦那さんと私の間で寝ている時は布団をバンバン叩いたり、首を左右に振ったり私や旦那さんの身体を叩いたりで寝ていたくないアピールをしていた。
だが、それはなんとかごまかしたり、しのいだり出来る程度のものであった。
だが、目をこじ開けられるのはどうしようもない。
わが子ながら、あの猜疑心に満ちた顔のアップと、薄暗闇の中ブラウン管に迫って来るような手の映像は怖いものがあった。
あわてて、寝返りを打って寝たふりを続けると、ニンタマはもっと私の方へ転がってきては圧力をかけ、悲しげな声を上げたり、野太い声で威嚇したりが続く。
「怖い怖い」
怖さに負けて、今起きたかのような糞芝居をして、ニンタマに「おはよう」と、声をかけた。
すると、先程の猜疑心に満ちた顔がパッと明るくなって、 嬉しそうなダンスを始めた。
それは確かに可愛い。
だが、怖さは消えない。コイツ・・・怖ぇ・・・。

起きた後、この恐怖体験を分かってもらおうと母にまくしたてるのだが、母は 「オホホホホホ」 と、笑って面白がるばかり。
今日は偶々かもしれない。
明日以降はやらないかもしれないし、あまり気にしないことにしよう。

母と吉祥寺へ。
4月から保育園へ入園するニンタマの服を買いに行ったのだ。
お下がりを山程貰っているので、枚数的になんの不足もない。
だが、保育園はシャツとパンツじゃなければならないのだ。
ロンパースのように上下つながっているモノはダメらしい。
そして、フード付きの服もダメなのだ。
フード付きやツナギやスカートで可愛い服を沢山いただいているというのに、それらの服は寝ている時か土日にしか着せられない。
そして、足りないシャツやフードの付いていない上着を買い足さなければならなくなった。
一緒にあれこれ言いながら、服を見るのは楽しかったが、ウチのような貧乏家庭がそのような贅沢をしていいのだろうか・・・と、落ち着かない気持ちにでもあった。
ニンタマに似合うかどうか顔映りを確かめたいのだが、ニンタマはすぐに服を掴んで舐めようとするので、オチオチ確認もできない。
ニンタマからすれば、何か渡されたと思ったらすぐ取り上げられるので、弄ばれたような気持ちなのかもしれない。

夜は最近三鷹に出来たモツ鍋屋へ。
昔は、臭いモツが多かったが、最近、おいしいモツの店が増えた。
母においしいモノを食べさせてあげたいと思ったのだが、結局母にごちそうになってしまった。

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子と母とまたその母

仙台から母がやってきた。
「また、太って目が小さくなったんじゃない?」 と、どんどん体格が良くなっていく孫娘の器量を気にしていた。
母が来ると、話に花が咲いてしまい、ニンタマの寝かしつけが甘くなってしまう。
添い寝の授乳で適当に寝かしつけては、布団からぬけ出してはおしゃべりをしていると、何度も目を覚まして 「あう!」 と、叫び声を上げる。
結局面倒臭くなって布団から出してやると、異常なテンションでぴょんぴょん飛び跳ねて、大興奮。
赤ん坊ってこんなに寝ないものなのだろうか。

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はえてきた

あれほどどんな時でもニンタマと一緒に寝ると宣言していた旦那さんが、言った。
「ニンタマ、なんでこんな大の字で寝るんだろう。子供って皆そうなのかなぁ・・・」
確かに、まだ身長が70センチ弱のニンタマが158センチの私や180センチ弱の旦那さんより、一番布団の中で場所を取っている。
「一緒に寝たいけど、踏みつぶしそうで心配」 と、周囲の誰もが思っていたことなのだが、旦那さんは初めて気付いたようだ。
そんな訳でベビー布団を復活させて、我々の隣に敷くことにした。
父親と母親に囲まれて寝るのに慣れていたので、一人だけ別の布団になったら動揺するかと思いきや、普通にすやすや寝ていた。
寂しがっているのは我々だけのようだ。

ニンタマは昨日、下の歯が生え始めた。
口の中を見ようとすると、ベロを出して隠してしまうのだが、時折授乳中に怪しい感触を感じていた。
そっと指を入れてみたら、ガリっと尖がった感触。
「ああ・・・生えてしまったか」
生えなければ困るのだが、授乳中にこの歯で噛まれたりして流血したりしやしないか、怖くて仕方が無い。
まあ、大多数の母親がなんとかしてきたことなのだから、なるようになるのだろう。
そうはいうものの、ビビりまくる。

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麻痺する感覚

三種混合の予防接種。
子持ちになるまで知らなかったが、子供の予防接種の多さにびっくりする。
全部で11種類程ある。
一度接種するのに、一万円かかるものなどもある。
今日は三種混合の予防接種の2度目。
一度目の時は、針を刺されるまでご機嫌だったニンタマも顔を真っ赤にして泣いていた。
頭をぶつけたりしても、 ケロっとしているので、痛みの感覚が無いのかと思っていたが、そうではないらしい。
今日も泣くのだろうか?
遠山の金さんの様に、片方の腕と背中を出して診察中もぴょんぴょん飛び跳ねていた。
この後何が起こるかも分からずに呑気に跳ねて・・・と、不憫になる。
私と看護師さんに身体を抑えつけられても、ヘラヘラ笑っていたが、針を刺されたら野太い叫び声をあげて、10秒程泣いた。
だが、すぐに忘れてすぐにヘラヘラしていた。

この小児科は14時から15時の間は予防接種や検診をやっているらしく、注射におびえて泣き叫ぶ赤ちゃんの声があちこちから聞こえてくる。
自分が、そういう声に触発されて怯えて泣くタイプだったのだが、ニンタマは叫び声を聞いても呑気にヘラヘラしている。
まだ、赤ちゃん過ぎてモノが分からないのか、小さい事は気にしないタイプなのか、馬鹿なのか分からないが、親としては楽だ。
今のうちにせっせと注射を済ませてか無ければ。

ニンタマは花粉症なのか、最近熱も無いのに大量の鼻水を垂れ流している。
拭いてやろうとすると、激しく憤ってこちらを威嚇する。
赤子のくせにちょっと怖い。
口で鼻水をすすりとろうとすると、烈火のごとく怒って泣く。
「こっちだって、好き好んでアンタの鼻水を舐めたい訳じゃないんだぞ!苦しかろうと思って、やってやってるのに、その態度はなんだ!」 と、腹が立つが、相手は赤子。
嫌がるのを抑えつけて、鼻に口をくっつける。
赤子ながら、凄い力なので、中々うまく吸えない、何度も失敗してはニンタマに威嚇されたり、殴られる。
こちらも少しS気分が入ってしまう。
ほんの少しだけ鼻水をすすることが出来た。
「ざまあ見ろ!」と、勝ち誇った気分で、ニンタマを眺めると、物凄い醜男に唇を奪われた貴族の娘のようなさげすんだ目つきでこちらを睨みつけている。
ハナクソと鼻水だらけのくせに、なんという高慢ちきな態度なのだ。
だが、私が吸い取った鼻水は氷山の一角だった。
後から後からずるずると出て来る。
口で吸うのは諦めてタオルで拭いてやろうとするが、激しく首を振って、「おうおう!」と、叫ぶ。
そして、自分の手で鼻水をこすって、目の上まで鼻水でピカピカになっている。
「馬鹿め・・・」 と、思っていると、かわいらしく私に抱きついてきた。
腹が立っていたが、すぐにキュンとして「よしよし」と、抱きしめる。
ニンタマは私の胸や腕に 顔をこすりつけている。
「ん?」
いつの間にかニンタマの顔は綺麗になっていた。
私が着ていたパーカーの胸と袖に鼻水がびっしょり。
「おのれ・・・」
こちらが拭いてあげようと、試行錯誤していた時は、あれほど抵抗していた癖に・・・。結局私の服に鼻水をなすりつけてるじゃないか!
「なすりつけるくらいなら、タオルで拭かせろ!コラ!口で鼻水啜らせろや!この小娘!」 などと、怒鳴れないので、黙ってパーカーを洗濯機へ入れた。
その後、着替えてニンタマのオムツ替え。
ニンタマが自分のウンチに向かって踵落としを繰り広げて、足がウンコまみれになった。
一生懸命拭いているうちに着替えたばかりの私のジャージの袖にウンコが着いてしまった。
昨日食べさせた、人参の混じったウンコ・・・。
また、そのジャージのウンコ部分をつまみ洗いしてから、静かに洗濯機へ入れた。

しかし、昔は口で鼻水をすするなど考えられないことであった。
よく、「私は子供の鼻水を口ですすってやったもんだ」と、自分が愛情深い人間かのように得々と語る年よりがいた。
そんな年寄りを見るだに
「けっ!そんな自慢なんか糞面白くもねぇ」
と、思っていた。
だが、自分が口で啜るようになって、分かった。
やはり、これは愛情の問題ではなかった。
どちらかと言うと、麻痺だ。
赤子が産まれてからというもの、ろくに眠れもせず日に10回以上もウンチやおしっこにまみれて、オムツを替える日々。
いつの間にか、「このウンチやおしっこはまだ、食べ物を食べてないから汚なくない」と、思うようになる。
汚なくないから、触ってしまっても平気。
それが平気になると、赤子が食べ物を食べてからのウンチも平気になっている。
毎日の世話という、圧倒的な労働量の前では汚いなどという感覚は麻痺させてしまったほうが、楽なのだ。
そんなわけで、鼻水を汚いという感覚も麻痺する。
しかも、赤子は元々自分から出てきたものだ。
まだ小さいうちは自分と同じものの様な感覚もある。尚更麻痺しやすい。
喫茶店などで、客が残したレタスなどを使いまわして、もう一度出してしまうのも、麻痺だ。
毎日食べ残しに接していたら、洗えば使える・・・と思うのはごく自然のことのような気がする(やらないが)。
赤子のウンチや鼻水が平気になるのと、喫茶店で野菜を使いまわすのも根っこは同じことのように思った。
ただ、喫茶店で野菜を使いまわすと非難され、赤子のウンチを汚いと思わないとか、鼻水を口で啜ることなどは美談にされがちだ。不思議。

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うなぎが食べたかった

年に数回、池谷のぶえさん主催で調布のうなぎ屋「鈴木」さんへ集まり、うなぎ会をやっていた。
時々参加させて頂いていたが、この日は「鈴木」さんの10周年記念パーティー。
またもや、ニンタマ連れで参加させていただいた。
普段は11歳以下の子供は入店出来ないのだが、この日はお許しを頂いていた。

この日も池谷のぶえさん、峯村リエさん、猫背椿さん、佐藤真弓さん、吉本菜穂子ちゃん、桜井章喜君、高山のえみちゃん、野間口徹君・・・以外に鈴木さんの知り合いの俳優さん達などがお店に集まっていた。
ニンタマはまたもや、濃い役者さん達にあやされて大はしゃぎ。
家ではあんなご満悦な顔は見たことがない。
ただで、このメンツにサービスしてもらうなんて、なんてラッキーな赤子だろうか。
このレベルが当たり前だと思われたら、大変だ。
家で何をしても笑ってくれなくなるのではないだろうか?心配になる。

鰻はとろけるほどおいしく、他の人がニンタマをあやしてくれている間にガツガツ食べる。
始めてここの鰻を食べた時の衝撃は、何度食べても色あせない。
ニンタマのことは普段9時頃に寝かしつけていたが、私が鰻を食べたいばっかりにこの日は11時過ぎまで居残ってしまった。
「赤ちゃん大丈夫なの?」と、聞かれるたびに「今日はお昼沢山寝てるので・・」と、言いわけをしていたが、良識のある人には「とんでもない!」と、説教をされてしまうだろう。
でも・・・鰻を食べたかったのだ。
途中から暑さや煙や眠さで、グズり気味のニンタマを抱っこ紐であやしながら、食したので、落ち着かなかったが、それでもおいしかった。
ギリギリバスを逃し、タクシーで帰宅。
勿体ないことをした。

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そんな宏にあやされて

ここのところ、旦那さんが夜勤明けに毎朝ケーキを買ってきてくれていた。
ホワイトデー週間・・・ということだったらしい。

ホワイトデー当日、ニン タマを旦那さんに見て貰い、私は自転車キンクリートSTORE「富士見町アパートメント」のAプログラムとBプログラムをマチネとソワレで観に行かせてもらった。
観てみたいお芝居は沢山あるのだが、娘を見なければならないので、全部は観に行けない。
旦那さんと持ち回りで順番にお芝居を見ている。
座・高円寺へ行くのは初めて。立派な小屋でびっくりした。
もっとサブカル臭がぷんぷんしているかと思ったのだが・・・。
我々のような貧乏劇団には敷居が高いが、素敵な小屋だった。
お芝居も4人の作家さんの作品それぞれが、かなりの力作。
同じセットが休憩の間に様変わりしていて、全く毛色の違う話に仕上がっていた。
Aプログラムに出ている清水宏さん、Bプログラムに出演している池谷のぶえさんからお知らせを頂いたのだが、他の役者陣も気になる人ばかり。
作家陣も演出の鈴木裕美さんにも興味津々だった。
そんなわけで、高円寺へ向かったのだった。

マチネはBプログラム。
赤堀さん作の「海へ」は、男の人ならではの作風。
女性には絶対に書けないタイプの話だったが、かなり好み。
ここでも清水宏さんが素敵過ぎだった。
マチネ終演後、旦那さんがニンタマを連れて高円寺まで来てくれた。
カフェへ入って、こっそりニンタマに授乳。
しばらくしたら、清水宏さんが、カフェへ顔を出してくれた。
そして、ニンタマ相手に、小一時間顔ギャグやら凄まじいパフォーマンス。
日比谷野音でワンマンライブをやる人を、至近距離で貸し切り状態。
わが娘ながらなんと贅沢なことだろう。
赤子相手でも、清水さんは常にパワフル。
ニンタマの動きに擬音や声をつけたりで、私も旦那さんも爆笑。
若干難易度の高いギャグも、清水さんの人間力というかパワー押しで、ニンタマはキャイキャイ大喜び。
さすが清水さん・・・と思っていたが、
「いや〜、俺もこれ一日中だったら疲れるわ」
と、言っていた。ちょっと安心した。
ソワレも観劇。
こちらの2本も素晴らしかった。

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おとうさんの10倍

今年8月に買ったカメラが不調。
ニンタマをおんぶして、新宿三井ビルにあるキャノンサービスセンターへ。
だが、そこの充電池を使うとカメラが動くではないか。
どうやら充電器に問題がある模様。
だが、荷物が重くなると家に充電器は置いてきてしまった。
「メーカーに出してもカメラは正常ですと戻って来る場合があることを御了承ください」と、言われる。
とりあえず、至急充電器は郵送することにした。

こんな用事のために8キロ以上あるニンタマとオムツやら着替え諸々を持ち歩くのはこりごり。
ニンタマと出かけると、宝船旗揚げ当初、何千枚ものチラシを連日コピーしては運んだり、折り込みに行っていた事を思い出す。
そのまま、帰るのもなんなので、ついデパートへ行ってしまった。
近々出産する人へお祝いのものを見ていたら、可愛い涎掛けと帽子があった。それを買う。
ウチのニンタマは素敵な涎掛けを沢山いただいているので、全く買う必要はない。
だが、何故かニンタマにも買ってしまった。
今まで頂きもので全部済ませて来たし、ウチのような貧乏家庭がすぐ着られなくなる子供服を浮かれて買うなんて分不相応なのだ。
だが、デパートは危険すぎた。
あれほど近付かないようにしていたのに。
頂きもので充分可愛いのに、無駄な買い物をしてしまった。

帰宅後、旦那さんが新しい涎掛けと帽子を被ったニンタマを見て
「いいなぁ、お父さんの今着てるシャツは300円だぞ〜」
と笑っていた。
ニンタマの涎掛けと帽子は併せて3000円超えていた。 10倍ではないか。

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リフレッシュ休暇

昨夜、酔っぱらった旦那さんに押しつぶされないように、ニンタマを隣の布団に移動させていたので、目を覚ました旦那さんが、「あれ?なんでそっちの布団に寝てるの?」と、怪訝な顔をしていた。
仕方が無いことだが、ちょっと不憫になる。

信じられないほどの晴天。
ムーチョと大関君は夕方まで滑る予定だったが、我々と一緒に車で東京へ向かう事に。
「こんな綺麗な所だったんだねぇ」 と、雪景色ドライブに溜息。
すべてのインターチェンジで休憩して記念写真を撮り、買い食いをしながらダラダラ帰る。
出産してからこんなのんびりしたり、純粋に遊んだのは初めて。
子育て以外のことに全般的に腰が重くなっていたことを実感した、重い腰を上げるにはかなり、思い切りが必要だった。
入社2週間で辞めた広告代理店の私の直属の上司に「遊べ遊べ。遊んだやつほどいい仕事をする」と、言われたことがあった。
「このスケジュールで遊べるか!」と、腹が立ったものだが、ちょっと意味が分かった気がした。
忙しい中遊ぶのは体力やエネルギー量が無ければ無理。
そして、遊ぶのが好きな人には、仕事も遊びのように楽しむ才能がある人も多い。
何でも楽しめて、エネルギー量がある人は仕事でもなんでもこなせる。
子育てがしんどくなって、青色吐息の時には遊ぶ気力も起きない。
子育て自体を遊びのように楽しんで、仕事も遊びのように楽しんで、遊ぶ気力も残しつつ、遊んだことでリフレッシュして、さらに子育てや仕事に楽しく臨めるようなサイクルで生きていけたら理想なのだが・・・中々難しい。

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ニンタマと雪景色

ニンタマが起こせ!と言わんばかりにキャイキャイ言い始めたので、まだ疲れているが観念して起きる。
エボラ君やムーチョも起きる。
前日の旦那さんが柱に頭をぶつけて大変だった件をまくしたてると、「酔っぱらったら、一人で寝るように言っとくよ」 とのこと。
しばらくすると旦那さんも起きてきた。
前日の件は何も覚えていなかったようだが、反省してる様子。
朝ごはんに雑炊を作ってくれた。
二日酔いでダメだろうと思っていたが、ちょっとだけなら滑ってもいいと言っている。
こうなると私も心がザワザワしてくる。
「でも、板無いし・・・借りるのも面倒だし・・・」
「板、あるから」 と、ムーチョ。
「ブーツをビンディングに合わせるのも・・・」
「ブーツもあるから・・・」
ムーチョは板もブーツもオークションで多めに揃えていた。
滑らない理由が見つからない。
「ニンタマが・・・」
「交替で見てればいいじゃん」
「じゃあ・・・ちょっとだけ」
こうしてゲレンデへ出発。
私はいつも馬鹿の一つ覚えのように苗場プリンスへ行っていたが、ムーチョは若干小規模な浅貝を根城に滑っているらしい。
無料の休憩所があり、かなり空いている。
まるで自分の家かのように寛げる。
初めは旦那さんがニンタマをソリに乗せて、雪の中引いて歩いてみた。
だが、全くの無感動。
疲れるわりに報われないのですぐに戻ってきた。
私はムーチョとエボラ君とゲレンデへ。
ここ数年はスノボだけだったが、久しぶりにスキーにした。
私が滑っていた当時と、今とは大分フォームやスタイルが変わってきているらしい。
最近は昔の長くて重い板とは違い、身長より短めのカービングが主流らしい。
確かに、昔の板に比べたら俄然滑りやすい。
ムーチョに最近の滑りについての講習を受けて、何本か滑る。
ちょっと滑っただけで、信じられない程脚力が落ちていることに気付く。
だが・・・気持ちがいい。
しばらく滑ってから旦那さんと交替。
女子更衣室など誰もいないので、授乳もし放題。
我々以外客はほとんどいない。
ムーチョとエボラ君がソリにニンタマを乗せて、ロビーを歌いながら練り歩く。
ニンタマはキャッキャキャッキャと大喜び。
雪の中では無感動だったが、陸では楽しいらしい。
不景気で嫌なことも多いが、景気が良くてゲレンデや休憩所が混んでいたら、こんなことは考えられない。
まるでセレブがゲレンデ全体を借りきっているかのようだ。
こんな勢いでは近々このゲレンデ潰れてしまうのでは?と、思うほどであったが、とにかく快適で気楽。
ニンタマが生まれてから半年、自分の娯楽はすべて我慢の日々だった。
これまで何度もスキーやスノボをやってきて、散々気持ちのいい思いをしていた が、今日の滑りはそれを上回るものだった。
普段の生活とかけ離れているので、文字通り夢のようであった。
子育て中だからという理由で、何でも我慢しなければと、勝手に自分で可能性を狭めていたのかもしれない。
何度も断っていたのに、誘い続けて貰って、こんな気持ちの良い思いが出来て良かった。

旦那さんとムーチョ達は越後湯沢へ買い出しへ。
私とニンタマだけリゾートマンションへ戻る。
皆が飲み始めると、楽しくなってしまい、お風呂に入る支度なども面倒になるだろう。
今まで、一人でニンタマを風呂に入れたことが無かった。
必ず、 風呂で身体を洗う係、身体を拭いて服を着せる係に分かれて入れていた。
だが、世の母親は一人で風呂に入れているのだろう。
これを機に私も挑戦してみよう。
脱衣所を温めて、ニンタマエリアを作り、そこへ転がして、私が先に風呂に入る。
ドアを開け放しながら、浴槽に隠れて「いないいないばあ」をしたり、話しかけながらはいってみたが、髪を洗い始めたら気が触れたように泣き始めた。
あやすにもこんなびしょ濡れで泡だらけでは無理。
必死で話しかけるが、泣きやまない。
パニックになりながら、洗髪を終え、ニンタマの服を脱がせて浴槽へ。
いつもなら、風呂が大好きですぐご機嫌になるのに、中々機嫌が直らない。
私の腕の内側をチュウチュウ吸い始めた。
凄い力で痛い程。派手なキスマークが出来てしまう。
なんとか騙し騙し身体を洗って、入浴を終える。
一人で風呂に入れるのが、こんなに大変だとは・・・。
ニンタマも怖かったようだが、こちらも泣かれすぎてトラウマ気分。
余程のことが無い限り一人で風呂に入れるのは嫌になってしまった。

今日も旦那さんが、エビやら蟹やらタコやらを切ったり、茹でたり、板長になってくれた。
ムーチョが旦那さんに
「酔っぱらったら一人で寝ないとダメだよ」
と、諭してくれた。
「わかった」 と言うかと思いきや 「嫌だ!」 と、突っぱねる旦那さん。
どんなに危ないと言っても無駄であった。
「俺は・・・絶対コイツの横で寝る!」 と、見たことが無いほどの男らしさで断言していた。
最早、止めることは出来ない。
その晩は旦那さんが先にニンタマの横で眠り始めた。
ちょこちょこ覗きに行って、自分が寝る時にこっそり旦那さんからニンタマを引き離して隣の布団で寝た。
安心して寝ることが出来た。

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寝ぼけ父子

思い立って苗場へ行く。

3月半ばから旦那さんが舞台の稽古に入ってしまう。
4月からはニンタマも保育園。
本当は南国に行って来たいと思っていたが、日程的にも金銭的にも無理。
せめて苗場に行けないものだろうか・・・と思っていた。
数日前、よく一緒にスキーやスノボに遊びに行っていた映像のムーチョから、3月中に行けない?と、誘いを受けた。
出産以来、ろくな運動もしていない。
2、3時間おきの授乳の日々にぐったりしていて、滑るなんて無理、と思っていたが、雪景色をニンタマに見せて親子でのんびり出来たら・・・そして、最近友達付き合いからも遠ざかっていたので、夜にはスキーから戻って来たムーチョ達とワイワイやれれば楽しいではないかというくらいのつもりだった。
ムーチョを始め、同行するエボラ君、大関君も旦那さんの後輩。楽しかろう。

前日の夜中に出発したムーチョ達に荷物を預け、夜勤明けの旦那さんと東京駅で待ち合わせて新幹線へ。
荷物を減らしたはずなのに、何故か大荷物。
そして、土曜午前の新幹線は混んでいた。
偶々ホームに停まっていた新幹線の自由席に空いている席を発見して乗り込む。
出発ギリギリだったが、無事に座ること が出来た。
3人掛けの席で窓際には60代くらいの女性。
迷惑かと申し訳なく思ったが、赤子好きだったのか優しげに話しかけてくれて助かった。
行きの中央線でも、60代のご婦人に
「何カ月ですか?」
などと、話しかけられ、孫の写メールを見せられたりしていた。
赤子連れだと、一気に人との距離が縮むようだ。
初対面の人の孫の写メールを見せられたり、
「3カ月なのに8キロもあるんですよ〜」
などと、困っているような自慢のような話をされるのも、出産前だったら鬱陶しいと思いそうだったが、結構楽しい。

新幹線に乗り込んで、夜勤明けの旦那さんを寝かせてあげなければならないと、早々にお手洗いへ行く。
後は自分があやして越後湯沢まで抱っこするつもりだった。
だが、お手洗いから戻ってくるとニンタマはウンチをしていた。
気配というか匂いで大量だと分かった。
空いていて、おしっこだけならば座席でこそっと替えることも可能だし、授乳も出来る。
だが、大量のウンチは如何ともし難い。
車掌さんに頼んで多目的室を借りる。
多目的室はかなり遠く、抱っこをして車内を移動するのにヘトヘトになる。
越後湯沢は意外と近い。
すみやかにオムツ替えや授乳を済ませて、席に戻らなければ。
焦りながら、大量ウンチの始末をして、授乳。
ふと外を見ると、 雪景色。あわてて、席へ戻る。

その頃からなんとなく嫌な予感がしていた。

しばらくすると、旦那さんも私と同じ不安を口にした。
「これ、新潟直行じゃないかな・・・」
やはり・・・。
東京を出発してから大宮にも止まっていないのでおかしいと思っていた。
だが、車掌さんに聞くと、新潟までの料金、そして、新潟から越後湯沢まで折り返す料金まで取られてしまうかもしれない。聞く訳にもいかない。
通りすぎる駅名も電車の速度が速すぎて読めない。
車内の電光掲示板を眺めると「長岡駅を通過中」と、表示されていた。
旦那さんと一緒で良かった。
一人でニンタマを連れての道中だったらショックで泣きそうだったが、軽く笑って立ち直ることが出来た。
ギャグでエボラ君に「さよなら越後湯沢〜」と、メールを送る。

新潟で再び東京行きの新幹線に乗り換える。
そこでも年配の女性に話しかけられる。
電車の乗り間違えた話をしたら、
「あらあら、ダメなお父ちゃまとお母ちゃまね〜」
と、言われてしまう。全くだ。

なんとか越後湯沢へ着いた。
そこで、昼ごはんを食べたり、駅の傍にある寺泊から魚を卸している店でアンコウ(激安、激ウマ)を買ったり、日本酒の試飲をしたり。
駅前の高橋という酒屋はいつも凄いおいしい日本酒をガンガン試飲させてくれる。
この日はいくつもの蔵から試飲のブースが出来ていて、ちょっ とした試飲大会だった。
私は授乳中なので、舐める程度にしておいたが、旦那さんは試飲だけでフラフラになっていた。
試飲中にニンタマが「俺にも飲ませろ〜!」と、言わんばかりに「おうおう!」と、攻撃的な声をあげていた。
杜氏っぽいおじいさんに「おやおやあんたはお酒の味がわかるのかい?」と、頬ずりをされていた。

バスに乗って苗場のリゾートマンションへ。
疲れ果てて、騒ぐニンタマの相手をすることも出来ず、気絶するように寝る。
ムーチョ達が戻ってきてから、食事の支度をしなければ・・・と思っていたが、授乳やらニンタマの世話に追われていたら、旦那さんが一人でアンコウ鍋を作ってくれた。
鍋と日本酒に喜ぶムーチョ達に気を良くして、鼻歌を歌いながらガンガンツマミを作り始めた。
大関君とエボラ君はニンタマに会うのは初めて。
だが、かなり可愛がってくれて、大助かり。
ニンタマも構われて嬉しそう。
大勢の人がいると、構わなくても上機嫌になる。
自分の家で二人きりでいるより、楽でのんびり出来た。
「明日滑ろうよ〜」 と、何度も言われたが、「いや〜」と、お茶を濁していた。
だが、滑るつもりが一切なさそうだった旦那さんが「ちょっとだけなら」と、言い始めた。
旦那さんが一番その気が無さそうだったので、滑るという選択肢を捨てていたのだが、そんな様子を見ると、こちらもその気になって来た。
だが、旦那さんはかなり酔っぱらっていた。
明日になると二日酔いでそれどころではないかもしれない。
様子を見なければ。

私は12時ころに寝床へ。 その後、3時頃旦那さんが寝床へ。
家よりも狭い一人用の布団なのに、無理やり3人で収まろうとしていた。
「空いてる布団あるから、もっと広々寝てもいいんだけどね〜」
と、言いながらも小さくなって布団に入る。
旦那さんが寝着くと今度はニンタマがお腹を減らして目を覚ました。
授乳をしていると、寝ぼけた旦那さんが寝返りを打って、柱に頭を激突。
鈍い音がした後、ぶつかった衝撃の反動でこちらにゴロンとひっくり返って来た。
だが、目を覚ましている様子も無い。
こんな音をさせても痛くないのか・・・と、驚きながら授乳を続けていると、数分後に 「痛い!頭が痛い!」 と、騒ぎ始める。
ニンタマがびっくりして飲むのを止めてしまった。
母乳だけがスプリンクラーみたいに噴射。
授乳を続けるか、旦那さんのフォローに回るか悩むが、 「痛い痛い」と、大騒ぎ。
ニンタマも暴れ始める。
「痛いの?氷で冷やす?」
と、聞くと、
「冷やす」というので、冷蔵庫へ。
氷がなかったので、保冷剤をタオルで包んで戻ると、旦那さんは鼾をかいて寝ていた。
「冷やすんでしょ?」 と、おでこにタオルを押してるが、払いのけられる。
ニンタマは目がギンギンに冴えて、布団を蹴りとばしてズリ上がってくる。
旦那さんが、ニンタマの上に覆いかぶさる。
「ちょっと、ニンタマつぶれるから!」
と、ニンタマを避難させるが、どんどん転がってくる。
何度もニンタマの上に膝を乗せようとするので
「わざとなの!?」 と、声を荒げると
「わざとじゃないよ〜〜〜!」 と、物凄い傷ついた顔をしていた。
久しぶりに何も気にしないで楽しく飲んでいるから、まあいいかと思っていたが、これでは私が全く眠れない。
ニンタマの興奮が収まり、やっと静かに寝始めると旦那さんが
「うぉ〜〜〜!イテェ〜!」「ニンタマ可愛いなぁ〜!」などと、叫ぶので、ニンタマが目を覚まし、布団から脱出しようと、暴れる・・・・というループが延々と続いた。 ヘトヘト。

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BEN・Eによろしく

小学生の頃から便秘に悩まされてきた。
緊張しやすい性質らしく、タイミングを逸したり忙しかったり、興奮していると何日も滞ってしまう。
あれこれ 試行錯誤したが、ダメだった。
長年の経験で、一番よく無いのは便秘を気にしすぎること・・・という結論にたどり着いた。
気にしすぎていることが原因で余計悪化するのだ。
あれこれ薬を一生懸命飲んでいた時も、ひどくなる一方だった。

便秘とはいえ、当然全く出ない訳ではない。
学生の頃、スキー部で合宿をしていたが、合宿中は2週間だろうが、3週間だろうが殆ど出たことは無い。
どんなに薬を飲んでもダメだった。
いつも、合宿から帰る途中、当時住んでいた花小金井という駅に着いた途端、耐えられない便意に襲われた。
だが、数週間分の着替えやスキーウェア、 ブーツ、板・・・・という尋常ではない大荷物。
自宅までの道のりは大変。
帰るだけでも大変なのに、猛烈な便意。
便意があるのは嬉しいが、正直拷問のようだった。
だが、合宿帰りに限らず、いつも今はダメ!・・・というような時にばかり便意を催す。
たまたま、家から二駅ほど離れたところから歩いて帰って、通りがかりの店で安い米やらお買い得な食材などを買って、大荷物で長距離を歩いている時にも頻繁に催す。
こういう時に催しても大概トイレは無い。
脂汗を垂らして、家まで帰ってトイレに駆け込むハメになる。

なぜ、今来てほしい・・・と待ち望んでいる時には来ないのだろう。
自分なりに分析すると、緊張したり興奮しやすいタイプの私の神経はちょっとやそっとのことではオフ状態にならないのだろう。
無目的に歩いていたり、買い物に夢中になったり、荷物の重さに気をとられている状態でやっとオフになる。
そして、長距離歩くのが適度な刺激になって催すのだろう。

しかし、これを逆手に取って、便秘を防ぐつもりでやってもダメなのだ。
便秘にいいと言われる方法も沢山ある。
白湯を寝起きに一杯飲む、生姜湯を飲む、おからを食べる・・・、軽い断食・・・など、どれも最初は効く。
だが、3回目には効かなくなる。
そんな中でも最近、結構効いているのは酵素だ。
母から送ってもらっている酵素を一日、一、二包飲むと割と快腸。
だが、それだけではダメだ。
白湯を飲む、生姜湯を飲む、繊維質を摂る、軽い断食、適度な運動をその日の調子によって組み合わせなければ効かない。
組み合わせるというと難しそうだが、朝起きて空腹でなければ、前日の食べ物がちゃんと消化されていないのだろう・・・ということで白湯だけ飲む。
足りなければ、水分多めのフルーツか、生姜湯、味噌汁などで軽い朝食。
そんな感じで内臓を休め、食欲が湧いたらちょっと野菜多めの普通の食事。
逆に食べる量が少なすぎて、活力が湧かないような時や異常な飢餓感がある時には胃の調子が良ければ、玄米やおから、イモなどをガツンと大量に食べる。
そして便秘になっても気にしすぎない・・・
こんな感じで今は週に4回程度お通じがある。
週に4回程度では立派な便秘症かもしれないが、平気で2週間お通じが無いような時よりは大分進歩だ。

あと、重要なのはどんなに気を許した人であろうが、人と一緒にいると、ダメだ。
旦那さんと一緒の時でも中々便意は催さない。
だが、ニンタマと一緒の時は催す。
元々、自分の体の一部だったからだろうか?
まだ、自分と別の人間という感じがしないのかもしれない。
だが、ニンタマと二人きりの時に便意が催すのは怖い。
今はまだいいが、ハイハイが出来るようになったら、何をするか分からない。
危なくて、一人で置いてトイレになど行けない。
皆そういう時にはどうし ているのだろう。
トイレに連れて来るのだろうか?
それとも、固定出来る椅子などに座らせているのだろうか?
いずれやってくるその事態が気になって、夜も眠れない。

今日は旦那さんとニンタマと、年金事務所と税務署へ行き、3時間程歩いた。
その後旦那さんはお仕事へ。
私は、ニンタマの初節句の料理の買い物をし て帰宅。
だが、長時間歩いた後、大量の買い物を下げて歩いていたせいで、まだ家まで数百メートルもある所でとてつもない便意。
ニンタマも重ければ、荷物も重い。
だが、小走りなどしたら、大変なことになりそう。
振動が響かないように慎重に歩いて、嫌な汗を書いて命からがら帰宅。
抱っこ紐からニンタマを下す時間ももどかしい。
しかも、ニンタマも愚図っている。
だが、いい大人がウンコを漏らす訳にもいかない。
ニンタマを絨毯にポイっと転がして、トイレへ駆け込む。
ギリギリセーフ。 とても気持ちが良い。
すっきりしてみると、あの苦行が嘘の様。
愚図るニンタマを優しく抱き上げると、ニンタマのお尻からも不穏な音。
「お!」
ロンパースのボタンを開けて匂いを「クンクン」嗅ぐ。
かなり香ばしい。
気のせいかもしれないが、ニンタマは「ウンチ」という言葉を覚えているように思える。
「ウンチしたの?」 と、囁くとニヤっと笑って、私の腹に顔を埋めた。
脱がせてみると、オムツからもはみ出る程の大量ウンチ。
「大漁だ〜大漁だ〜!」 と、テンションを上げてオムツ替え。
すっきりしたからか、愚図っていたのが嘘のようにご機嫌。
目にも止まらない早さで足をバタつかせ、手で腹を太鼓のように打ち付け「ウキャウキャ」 と、声を上げる。
ニンタマは歩いていないが、ずっとおんぶや抱っこでゆられていたので、腸が刺激されたのかも。
親子でほぼ同時にスッキリ。

その後、ニンタマを段ボール箱に入れる「箱入り娘」状態で遊ばせて、ちらし寿司とお吸い物を作る。
椎茸と人参を味醂、酒、醤油で煮て、アナゴをタレとお酒で蒸し、すし飯と混ぜてからゴマ、錦糸卵、刻み海苔、三つ葉をトッピングしてみた。
お吸い物は国産のハマグリが高かったので、だし汁にホタテを入れて醤油で適当に味付けしてみた。
帰宅した旦那さんと、ガツガツ食べる。
ビールも飲んでしまう。
ニンタマがヨダレを垂らし、「よこせ!」と、言わんばかりに手足をばたつかせて奇声を発するので、 「お前にはまだ早いぞ」 と、ただのおかゆをちょっとだけ食べさせた。
味も何も無いおかゆなのだが、もの凄い勢いで食べ、まだ飲みこみもしないうちに「もっともっと」と、 催促する。
嬉しそうに声をあげて、大興奮。
ただのおかゆでこの浮かれよう。
まだ食べられないとは言え、不憫になる。
ニンタマのお祝いという口実で、我々だけがご馳走を食べた。
家が狭いので、人形も飾っていない。祝ったことになるのだろうか。

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昭和の乙女 キンドーちゃん

ニンタマはよく男のコに間違えられる。
丸坊主だからだ。
八割型男だと思われる。
そして、しばしば「何、これ?剃ってるの?」 などと、言われる。

私自身小学校に上がるまで、髪の毛を切る必要が無いほど、毛が少なかった。
生まれた時も丸坊主。
だから、いつか生えるのだろうとあまり気にしていなかった。
だが、男の子に間違えられる度に私が
「坊主だから」 と言うと、
「大丈夫だよ」「そのうち生えるよ」 などと、慰められる。
本気で心配している訳ではないのだが、あまり慰められると却ってもしかしたら生えないのかしら?と心配になったりする。

私も旦那さんも今は男らしいニンタマに髪の毛が生えたら、きっと女の子らしく可愛くなるに違いない・・・と漠然と思っていた。
今日は旦那さんに、私の髪の毛をニンタマかぶせた状態で写真を撮ってもらった。
それを見て、 「ニンタマ・・・坊主の方がいいかも。髪が生えない方が可愛いかも」 と、旦那さん。
いきなり大人の髪の毛を被せて不自然なせいもあるが、マカロニほうれん荘のきんどーちゃんみたいになってしまった。
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だが、ニンタマは妙に嬉しそうだった。

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