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母vs赤子

先週の金曜日からお義母さんが、泊まりに来ている。
ニンタマは私と二人きりだと、結構グズるのだが、お客さんが来ているといいコになる。
目新しい刺激があるから楽しいのかもしれない。
お客さんがいたほうが、長々一人遊びをしている。
一人でおもちゃをかじったり振りまわしたり。
親子二人きりだと、相手をしてくれ!と、言わんばかりに
「へい!へい!」
と、呼びつけたり、鼻息を荒くしてこちらを見つめながら手足をバタバタさせた挙句に泣いたりする。
だから、誰か来てくれると、ほっとする。

二人きりで泣かれている時は、とっとと散歩に連れ出す。
散歩に出ると、泣きやむ。そして、寝る。
やれやれ・・・と、帰宅すると、眠って元気になって復活したニンタマは「ウキャウキャ」叫び声をあげて、ハイテンション。
こちらは8キロの重りを担いで肉体訓練をした後なので、疲れ倍増。
ぐったりしていると、怒ったニンタマに「ヘイヘイ!」と、呼びつけられる。
あまりにも情熱的に呼びつけるので、 満更でも無い気持ちになり、重い身体を引き摺ってニンタマの元へ馳せ参じ、いそいそと抱っこをしたり、話しかけたり。
すると、ニンタマは目も合わせてくれない。
そして、私の髪の毛をひっぱり頬の肉に鋭い爪を立てる。
「痛い、ニンタマ、痛い!」 と、言っても離してくれない。怪力なのだ。
「あなた、何が望みですか?」 と、聞くが、今度は降ろせ!と、身体をのけぞらせる。
やれやれ・・・と、絨毯に寝かせるとどんな悲劇俳優も顔負けの様な苦悶の表情を作って、泣く。
「え、抱っこなの?」 と、再び抱っこをしてみるが、泣きやまない。
「もしや、おっぱい?」 と、おっぱいを出してみると、猛禽類の様な動きでおっぱいに吸いつく。
そうか、お腹が減っていたのか・・・と、納得すると、すぐ飲むのをやめてしまう。
おっぱいは吸われるとその刺激でどんどん湧いてきてしまう。
スプリンクラーのように噴射しているのに、ニンタマは「ウガー」と、言うだけで飲んでくれない。
この溢れる母乳はどうしたらよいのだ。
思わせぶりな態度にその気にさせられた挙句、捨てられた女のような気分。

ニンタマが訳の分からないぐずり方をする時の対策は何種類かある。

・おっぱいをあげる。
・抱っこ
・うつぶせにしてやる。
・オムツを替える。
・オムツが汚れてなければ、股間に風を入れる
・段ボールに入れる。(ぐらぐらしないで一人でお座り気分が味わえたり、箱の感触が面白いらしい)
・高い高いなど、アクロバティックな遊びをする
・鏡を見せる。
・顔の前にタオルをぶら下げて、ゆらゆらさせたり、かぶせたりする
・顔に息を吹きかける
・ジムやオモチャで遊ばせる。
・腹やら、身体をさする。
・足の裏を噛む
等々。

対策は沢山あるのだが、疲れて何もしたくない時もある。
ニンタマと二人きりで家にいるより、外出の中でも難易度の高い新幹線移動をしている方が気が楽だったりする。
二人きりで家にいるのが一番しんどい。
だから、誰にも見て貰えない時は極力外へ連れて行く。
だが、私が友達とのおしゃべりに夢中になったりすると、退屈するらしく不機嫌になる。
だから、人がウチに来てくれるのはとてもありがたい。
昔はご飯を作ったり家事をするのも面倒くさく思っていたが、ニンタマをちょっとの間見てもらえるならば、ご飯や家事の方が余程簡単だ。
こちらが疲れていたり、空腹だったらニンタマを抱っこしたり、授乳をしたりも出来ないと言うのに、何故かニンタマは私が自分の栄養摂取をしたり、休養の邪魔をするのが得意なのだ。

授乳期間というのはとにかく、お腹が減る。
高校生の部活男子の様な食欲。
ガツガツ食べたいのに、泣いて大騒ぎされてご飯を作れない上に食べられない時は途方に暮れる。
10年後とか20年後の未来などどうでもいい。
今、この一秒をどうやり過ごせばいいの?と、困惑の連続だ。
面白いし、可愛いのだが、ニンタマの気に入る行動を取ろうとすると、何もできない。
二人きりで疲れ果てている時など、別れるに別れられない腐れ縁の恋愛モードになる。追いつめられて嫌な雰囲気になる。

ニンタマも疲れ果てた私に必死に面倒を見られるより、仙台の母やパートさん、従妹のお姉ちゃんや、お義母さんに見て貰った方が、楽しいだろう。
こちらもニンタマをちょっと預けて、少しでもお仕事をしていた方が、精神的にも楽だったりする。

世の中にはもっと愛情たっぷりに育てている母親が沢山いるようだ。
こんな根性の無い母親でちゃんと育つのだろうか・・・と、心配にもなる。
だが、周りに恵まれているお陰か、ニンタマは、毎日元気で楽しそうに見える ので、多分大丈夫なのだろう。
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おひなさま

ニンタマが女のコ・・・ということもあり、父の奥さんも、お義母さんも雛人形の心配をしてくれた。
だが、ウチは狭い。お雛様など飾る場所は無い。
もう少しニンタマが大きくなってから考えます・・・と、言っていた。
私の母も私の小さい時に買った雛人形を飾らないか?と、電話をくれていた。
その時も家の狭さにイライラしていたので、ウチにそんなモノを飾る余裕は無いよ!と、冷たく言い放っていた。
母が私の為に用意したお雛様に思い入れがあるのは重々分かっていのだが、そんな面倒なことはしたくもなかった。
大体雛人形など、買うのは高いのに売っても何の価値も無い。
一年に一度しか出さないものに金をかけて、場所をふさぐなんてバカバカしい!と、思っていた。

だが、仙台に来て、久しぶりに自分のお雛様を見た。
これが・・・素敵なのだ。
「あんたのお雛様は普通のじゃないんだよ、いいのなんだよ」
「こんな素敵なのはないよ」
「皆素敵って言うよ」
「うんと探し回って一番いいのを選んだんだから」
が口癖の母に
「そういう説明ではどこがいいのか分からない」
「どこでどのくらい探し回ったとか言わないで、ただ『いい』って言われてもね」
と、意地悪く言う私に必死になって良さを説明していた母。
だが、どんな説明より、お雛様の顔を見るのが一番だった。

私や兄が幼少の頃は貧乏で端午の節句の鎧、兜や、お雛様を買うお金は無かった。
仙台に住む祖母が同情してその都度5万円ずつくれたらしい。
兄の鎧兜を買う時には父も一緒に買いに行った。
その時は3万円のセットを買い、あとの2万円は生活費に回すことになった。
私のお雛様は母が一人で岩槻にまで買いに行ったという。
そこで5万円を大幅に上回る12万円のセットに一目ぼれして、こっそり後の生活費を切り詰めて購入したという。
12段飾りでも無く、ただのお雛様とお内裏様の二人だけが並んでいるセット。
当時の私は、友達の12段飾りの方が素敵に見えて、二人しかいないセットを物足りなく思っていた。
だが、今見てみると、ブサイクなお雛様やお内裏様、三人官女、五人囃子などのセットより、ずっと素敵だった。
顔が綺麗で上品なのだ。
吊り目で下膨れな人形が多いのだが、私のお雛様はとにかく初々しい。
一目で処女と童貞だと分かる。
そんな二人なのに、これから夫婦になるのを嬉しく思っている雰囲気が漂ってい る。「後はお若いお二人で・・・」と、声をかけたくなる。
40歳になって初めて良さが分かった。

いつかお雛様を飾っても、ニンタマも良さは分からないだろう。
12段飾りの方がいい!と言うかもしれない。
ニンタマが40歳になった時に分かるのだろうか。
その時、私は80歳か・・・。生きてるのかさえあやしい。
ましてやいつかはお雛様を飾れる広い部屋に住めるかが一番あやしい。

40歳になってもいつかは生活レベルが上がるかも・・・と、夢を見ているが、 ここで一生踏みとどまれたら恩の字くらいに思っていなければ・・・とも思う。

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だが、このお雛様・・・飾りたいなぁ。

なんとなく、お雛様の顔がわが娘のニンタマに似て見えるのは気のせいなのだろうか?親バカすぎるのだろうか?
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とりあえず皿を洗ってから出直して来い!

ニンタマを見て貰いながら、お仕事。
だが、はかどらない。
お仕事・・・と言ってはみたものの、仕事・・・という言い方はどうも偉そうで好きではない。
仕事という言葉が嫌いな訳ではなく、「仕事なんだよ」と、偉そうな顔をして言う人が多く、そういう人種が嫌いなのだ。
雑談しながら、だらだら残業をしていたりするのを仕事と称している人も多い。
特に、文章を書いたり、芝居をしたり、稽古をしたり・・・という作業は仕事と遊びとの境目がはっきりしない。
そういうものを仕事と言っていいものか。
そういう作業はどちらかと言うと、いかに悪乗りできるか・・・が大事だっ たりする。
リラックスして悪乗り出来れば、調子も上がる。
だから、仕事というよりは遊びに近づいた時の方が、充実する。
ならば、好きではないことを、お金や生活の為に頑張っている時間なら仕事なのだろうか。
お金が派生すれ仕事・・・なのだろうか?
自分の劇団の公演など、何カ月も前から脚本を書いて、沢山の人の時間の調整をして、稽古をしても赤字だったりする。
赤字のものを仕事と言ってよいとは思えない。
だが、その芝居を見て、収入につながるお仕事を振ってもらえたりもする。
自分のやりたいことをやって、お金を頂ける時と、借金を背負う時もある。
自分としては、苦手な家事をやっている方が、余程仕事の様に思える。
だが、家事は他人の家で雇われて行う場合でなければ、仕事だと思っては貰えない。
だが、苦手な家事でさえ、楽しい時もある。
他にやらなければならないことが山ほど溜まっている時や、自分がやらなくてもよいような時に限って、料理は楽しいし、拭き掃除などにも夢中になってしまう。

家事が仕事か否か・・・ということはさておき、ある程度の料理、洗濯、掃除は男女関係無く、生きるために絶対出来た方が良い。
今、世間に叩かれまくっているが、私は割と鳩山総理大臣が好きだ。
あの人が毎日皿を洗っていると聞いたからである。
政治家には自分を偉いと勘違いして、自分には他に尊い仕事があるから、皿を洗うなどという下々の仕事はしなくてもいいと思っている輩が多いように見える。
そんな輩は、ただエライ立場になってチヤホヤされたいだけだ。
私は皿を洗う人しか信用しない。

演劇を志す人は、本当に演劇が好きな人も多いが、自分の能力に見合わない程の自己顕示欲を持てあまし、進学やら就職で失敗して人生で後手に回ってしまったことを、一発逆転しようと、安易な発想で始める人も多い。
公演をやる度に赤字であったり、素人丸出しの芝居をしても、いっぱしの役者気取りだったりする。
そして、そういう人に限って、テレビでスポーツ観戦をしては、自分より頑張っている選手に向かって「馬鹿!何やってるんだ!」と、怒鳴ったり、大して政治のことなど分からない癖に「今の日本はダメだ」などと、天下国家を論じたりする。
いつかは役者として成功するつもりなのかもしれないが、風呂無しの4畳半で自分より努力している人に向かって、いい気なものだ。
大概、そういう輩に限って、部屋は汚く、皿も洗わない。
天下国家を論じる前に、お前をなんとかしろよ!と思う。

私も昔は全く皿も洗わず、掃除も出来ないゴミのような人種だった。
今も、ゴミのような人種には変わらない。
皿洗いも掃除も嫌いだ。
だが、自分が食べた分を洗う、自分が散らかしたものは片づける・・・ということが出来なければダメだ!・・・という当たり前のことに30過ぎてから気付いた。
だから、今は少しでも当たり前のことが出来るように努力をしている。
(全く偉そうに言える立場ではないが)
鳩山総理に関して、皿を洗うより、政治をちゃんとしろ!と思う人も多いかもしれない。
だが、私は皿も洗えない、もしくは自分の汚した皿を平気で人に洗わせる人間が偉そうに政治などと抜かすのは信用できない。
まず、お前の汚した皿を洗え、すべてはそこからだ・・・と、思う。
皿を洗った事も無い奴、 自分の下着も洗った事が無い奴に偉そうな態度を取られたくないのだ。
20代から40代にかけて、金にもならない演劇を続けている。
自分で辞めて行く人もいれば、どこからも舞台に誘われず、自然に遠ざかった人もいる。
20代の頃にやっていた人はいつの間にかほとんどいなくなっている。
残っているのは、本当に能力があって売れている人、売れて行きそうな人、能力はないのだが、何故か運に恵まれたり、人に恵まれたりで、生活が成り立っている人、そして、才能が有る無しにかかわらず、心底夢見がちで、生活が辛くても夢を 見続けられている人、自分に才能が無いことに全く気付かないという素晴らしい才能を持っている人のいずれかだ。
才能が無いことに一生気付かないでも幸せで暮らせるならそれが一番だ。

夢見がちに芝居をやったり、文章を書いたりという遊びと仕事の区別がつかないことやっていると、色々どうでもいいことを考える。

私はどんな文豪であろうが、自分で書くことを「執筆」と言ったりするのが嫌いだ。
他人が「執筆中です」と、言うのなら分かるが、自分で執筆なんて口が裂けても言いたくない。
「作家にはインプットとアウトプットが必要。アウトプットの作業をしたら、インプットもしなければ」などと、言っている人も驚くほど多い。
こう言うと偉そうだが、つまりは「ウンコするにはご飯食べなきゃ」「よりよいウンコを出すには、それ相応のものを食べなきゃ」ってことだろう。
インプット、アウトプットというボキャブラリーを使うのが好きな作家気取りは大抵、「執筆」という言葉も使う。
そういう人を見ると、「書きたいことが沢山あって、なんとかしたいから書くのではなくて、作家っていう人種になって、人から尊敬されたり、チヤホヤされるのが目的なのだろう」と、思ってしまう。
もちろん自分にも作家という人種になってチヤホヤされたい欲望はある。
でも、基本的には書きたいことを、なんとかしたいから書き続ける人種でなければ、本末転倒だと思っている。
何かになりたい、誰かみたいになりたい・・・では無くて、やりたいことをやっていたら、こうなりました・・・というのが理想。
役者や俳優や女優でも同じことだ。
長年芝居をやっていると、そこそこの芝居が出来れば、ド下手でもいいということが分かって来た。
テレビや映画で見ている俳優さんも、現場で会うと下手でびっくりすることもある。
でも、存在に価値があるからいいのだ。
演技が上手でも商品価値が無い人ではダメなのだ。
商品価値が無いが芝居がまあまあ上手な人が、売れている人を「下手だ下手だ」と、言うのは醜い。
それは自分に魅力が無いと言っているのと同じなのだ。

そうは思っているものの、最近スカウトされたり、何かのコンテストでグランプリを取って一つか二つの映像や舞台作品に関わった・・・という程度のキャリアの人が「役作りには苦労しましたね」などと、言っていると首を傾げたくなる。
若いうちは台本を読んでは色々な想像をしたり、演じる役と同じ体験をするように努力したりしたことを、自慢げに話すこともあるので仕方がないかもしれない。
だが、それは当たり前のことだ。
それを苦労と思うなら役者と名乗るなと思う。
私が関わるような小規模の舞台でさえ、演出をしていると「○○ (役名)の気持ちが分からない」などと、相談してくる役者さんもいる。
いつも書いてあることを覚えて言えばいいだけじゃないか、何を悩む必要があるん だ・・・と不思議に思う。
役作りをしている・・・と語る人や「気持ちが分からない」などという人に限って妙な芝居をしたり下手だったりする。
大体、普段自分の気持ちを常に理解しながら生きているのか、そんなに熟考して発言しているのか?
考えなしにベラベラしゃべっていることの方が多いだろう。
本の大雑把な 内容を理解していれば、自分がしゃべるセリフの何が重要で、お客さんにはっきり伝えなければいけない情報は何か?が分かるはずだ。
そこさえ、理解していれば、役に対する思い入れなど却って邪魔なくらいだ。
下手な役者の演技プランほど邪魔なものは無い。
上手な役者さんは重要なポイントはちゃんと伝えて、遊べる所で遊んでいる。
そういう人の手にかかったら、ただの場つなぎだったり、必要な情報を与えるだけのシーンが信じられないほど面白くなったりする。
そういう役者さんほど「特に役作りなんかしてないです」「書いてあるからやっただけ」と、言うのだ。

40過ぎてこんなことばかり言っている自分も大概青臭すぎるような気もする。
だが、この遊びとも仕事ともつかないことをやりながら、細々とでも生活が成り立ち、一生夢見がちなことや青臭いことを語っていられたら・・・というのが私の夢かなのかもしれない。

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便にまつわるエトセトラ

前日狂ったようにおっぱいを飲んでいたニンタマは朝方、顔がパンパンであった。
今日はニンタマを仙台へ連れて行くので、なんとか早めにウンチをさせたいと思っていたが、出しそうも無い。
綿棒浣腸をすると今までは百発百中だったのに、出ない。
もう一度綿棒を突っ込んだら痛かったのか大泣き。不憫になる。

初めてベビーカーに乗せて仙台へ。
仙台へ着くまで一度も寝ない。
大宮あたりからずっと抱っこをしてあやし続けたので、ぐったりする。
仙台について、しばらくご機嫌だったニンタマだが、ウンチが出ないせいか泣き始める。
再び浣腸をしたらギャン泣き。
あまりにつらそうだったので、「ごめんねごめんね」と、謝る。
だが、「ピューッ」と、ウンチが噴出した。

ニンタマは母を覚えていたのか分からないが、母が来ると身を乗り出して抱っこされたそうな顔をした。
これには母も大喜びしていた。

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いろいろな一日

盛り沢山の一日。

朝、保育園の面接と健康診断。

いつも一時保育へ預けているビルの2階が保育園。

スタッフさんも一部一緒のようで、覚えて貰っていた。

説明を聞いている間、先生方が 「ほら、これでも持って」 と、ニンタマにおもちゃを与えていた。木のおもちゃだった。

いつも堅いおもちゃを振りまわしては、自分のおでこにぶつけるので心配になった。

だが、先生方は保育のプロ。

プロが渡すのだから、良いのかなぁと黙っているとやはり、ニンタマはブンブンおもちゃを振りまわして、自分のオデコにぶつけて目をパチクリしていた。

「あらあら!」 と、先生方も驚いていた。

そうか・・・プロだって言っても毎日見ている親の方が、わが子の事を分かっていて当然なのか。

しかし、痛がらない。

以前も自分でオモチャを打ちつけてオデコにこぶをつくっていたのに、泣きもしない。痛みってものが分からないのだろうか?

ここの保育園は搾乳した母乳を届けることが可能らしい。

粉ミルクしかダメという保育園が多かったので、安心した。

せっかく母乳が出るのだし、粉ミルク代も馬鹿にならない。

タイミング良く搾乳出来た時は母乳を届け、面倒くさい時や、絞れなかった時は粉ミルク・・・と、選択できるのは素晴らしい。

結局どうなるのかは分からないし、ほとんど粉ミルクになるかもしれない。

でも、色々希望を聞いてくれようとする姿勢に好印象。

ニンタマは 「大きいわね〜」 「よく分かってる」 「感情が豊かですね」 などと、言われていた。

大きいのはどこに言っても言われるので、やはり巨大なのだろう。

よく分かっている・・・というのは、初めて入った場所を見て、キョロキョロあたりを見回したり、おもちゃを見せると、好きなモノに手を伸ばしてつかんだり、振り回したりする事のようだ。

感情が豊か・・・といのは、声を掛けられると「きゃっきゃ」と、笑って愛嬌をふりまくから・・・のようだ。

だが、私と二人きりの時は私が必死に顔ギャグや変顔のストップモーションをして見せても、知らんふりだったりするのだ。

ニンタマには舞台でギャグが滑った時のような敗北感を何度も味あわされている。

だが、新顔の人が、軽く「ばぁ!」と言うだけで「キャイキャイ」大喜び。

私は、飽きられているのだろうか?

それとも世話要員や食料タンクであって、面白要素は期待されていないのだろうか?

ちょっと複雑だ。

「特にお願いしたいことは無いですか?」 と、言われたが保育園の人は保育のプロなのだから、優しくしてくれるだろうし、可愛がってもくれるだろう。

だが、「無いです」と言うと、子供に無関心な親のように思われそう。

考えに考えたが、思いつかなかった。


健康診断の為に、保育園のスタッフさんと15分程歩いて小児科へ。

移動の途中でニンタマは寝てしまう。

寝起きをに服を脱がされ股間節を開かれたり、お腹を押されたり、のどに棒を差し込まれたり・・・ですっかり不機嫌になる。

その後、近所に用事で来ていた三鷹メイトの所へ顔を出すが、ニンタマはまだ不機嫌が治らず、失礼な態度。

ニンタマを旦那さんに託し、三鷹メイトとお茶をする。

ニンタマがいない状態でおしゃべるするのは久しぶり。

いつも話の良いところでニンタマが泣いたり、おっぱいをあげたり・・・という風にブツ切れで話していたので、じっくり話せて気持ちが良かった。

まともに話をする気持ちよさを久しぶりに味わえた。

その後、従妹にニンタマを預けてケラさんと緒川たまきさんの結婚パーティーへ。

いつもマタニティウェアだったり、授乳しやすい服装しか着ていなかった。

だが、ガードルをがっちり履いてウェストラインがきっちり出る服を着てみた。

すると、やはり腰周りがきつい。

妊娠出産で体型が崩れたことを実感したが、ガードルで固めているので見た目はバレなさそう。

「子供生んだのに、全然体型変わらないねぇ」と、言われるのが目標と、旦那さんに力説。旦那さんはどうでもよさそうだった。

パーティでは久しぶりに沢山の知り合いに会った。

馬鹿にされてもいいので、ニンタマの写真も持ち歩いて、見せびらかした。

そして、いとうせいこうさんが「サブカルパーティ」と、言った通りサブカル好きにとっては堪らないメンツが次々と歌ったり演奏したり。

大槻ケンヂさんやら、田口トモロウさんやら。

ケラさんも緒川さんも飛び入りで歌っていた。

最後までいると、ニンタマを寝かしつけるのが夜中になってしまうので途中で帰宅。

従妹に電話すると、電話口からもニンタマが「キャイキャイ」興奮して笑っている声が聞こえた。エラい躁状態だと言う。

家で寝かしつけると、狂ったようにおっぱいを飲み、寝た。

寝たと思ったらハッと起きて、また狂ったようにおっぱいを飲みを繰り返していた。

父の奥さんが現像してくれたニンタマの写真が届いた。

プリクラにしたりポストカードにしたりしてくれていて、大変な力作。

早速携帯に張り付けた。

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さがしもの

探し物ばかり。
朝方、必要なハガキが見つからず、探しまくる。
旦那さんも一緒に探してくれた。
ニンタマは退屈して泣く。

ハガキを探している最中に自分の確定申告の書類を発見。
保育園には旦那さんの確定申告の写しが必要。
提出期限は2月26日だ。
「確定申告早めにお願いね」 と、頼む。
自分の探し物は諦めるが、旦那さんはまだ何か探している。
「無い、無い」 と、探しながら棚のモノを取り落してはイライラした様子。
「何か探してる?」 と、聞くと、源泉徴収票と、健康保険の領収書が見つからないという。
先週大掃除した時に「ここに置いておこう」と、思った場所から消えているらしい。

え!それが見つからないと確定申告できないじゃん!・・・てことは・・・保育園に書類を提出できない・・・て、ことは内定取り消し?

狂ったように探すが出てこない。
「多分捨てたんだよ」
「いや、捨てるはずないよ」 と、部屋をくまなく探す。
ニンタマは泣き疲れて憐れっぽく指をしゃぶっている。
結局見つからない。
「書類再発行できないの?」 と、聞くが、源泉徴収票を発行している会社に電話をしたら、土日はお休み。
考えても仕方がない。
月曜日になんとしても再発行をお願いしようと、探すのは諦める。

人生の3分の1は探しものばかりしている気がする。
この無駄な時間はなんとかならないものだろうか。
整理整頓上手になりたい。

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ぴちぴちニンタマ

ニンタマはオムツ替えが大好き・・・だと思う。

朝、起きて、オムツを換えようとロンパースのボタンを外すと、足を高々と上げる。

新しいオムツをセッティングして、お尻を拭いてあげているとなお一層足をあげて、自分の足首を掴んで協力的。すっぽんぽんの下半身を見せびらかすように大股開きで、ニコニコと気持ち良さそう。赤ちゃんだから良いが、大人だったらセクシーすぎる。

私は小学生の時、チビだったので、いつも椅子に乗って着替えていた。

水着に着替える時にクラスの男の子達の複数が私のすっぽんぽんを見たと、自分の母親に報告したらしく、それを聞いた私の母は当時の担任の先生に相談したという。

先生は「そのウチ恥ずかしがるようになりますよ」と、笑っていたらしい。

ウチのニンタマもそんな風になってしまうのだろうか。


ウンチを拭くと宇宙語の様な訳のわからない発音で声を上げる。

今日はその音声が偶々「it’s OK」と、聞こえて、びっくりした。ネイティブっぽかった。

そしてニンタマは、どうやら飛べると思っている・・・気がする。

寝返りをしてうつ伏せになると必ず、のけ反って手と足を浮かせて「キーン」とでも言いそうな体勢をとる。

だが、当然飛べない。ウンウン唸っては浮こうとして、力尽きて床に突っ伏して泣く。

「飛べないから」と、抱っこしてあげると切っても切っても鋭い爪で私の頬を掴む。

また、従妹から貰ったジムにぶら下がったオモチャをバシバシ叩いたり、蹴ったりするので、そこで遊んでいる時に迂闊に近づくと、顔にオモチャをぶつけられる。

洋服を着せようとしたり、ボディーマッサージをしてあげていると、かなりの力で腹や胸を蹴る。

赤ちゃんながら、かなりの威力。「いてぇ!」と、叫んでも涼しい顔。

「悪気は無いんだろうけど、痛いよ」

と、母に電話で訴えると、

「悪気なんてあるわけ無いわよ、ニンタマに〜〜〜」

と、大喜びしていた。

娘が孫に虐待されているというのに、この喜びようは何だろうか。

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ちょっとお腹の出た普通の人として

「祝女」スタッフさん達とランチ打ち上げ。

昨日に引き続き、ニンタマを一時保育へ4時間預ける。

昨日もそうだったが、預ける2時間前から支度に必死。

風呂上がりには寝たままでも着せやすいボタンがたくさんついたツナギのちょっとヨレヨレしたもの(ロンパース)を着せている。

そのまま寝かせる。

お古や頂きものの服がたくさんあるので、全部万遍なく着られるように、朝起きると小奇麗なモノに着替えさせることにした。

だが、着替えさせた途端に、大量なウンチをして肌着やロンパースまで溢れかえる・・・という事態が頻繁に起きた。

また、着替えさせている時には足を高々と上げる癖がある。

その時におしっこをするとオムツをしていても背中やお腹におしっこが流れてしまう。

おしっこで服がずぶ濡れになり、さらに新しい服を着せた途端にウンチをして、またまた服を着替えさせるなどということもザラ。

だから、ウンチをしてから着替えさせることにした。

すると、中々ウンチをしない。

しびれを切らして、着替えさせると途端に大量ウンチをする。

「うわぁ〜!」 と、私はショックを受けているが、ニンタマはすっきりして涼しい顔。

ウンチが出て気持ち良い上に、大好きなオムツ替え。

歌を歌っているような不思議な声を上げる。

ウンチの前はずっと泣き続けたり、グズリ続けるので出かける支度をしようと、寝かせると「あう!」と、抗議の声をあげて、こちらを呼びつける。

仕方なく抱っこをしに行くと、目も見ないで知らんぷりする。

必死に「イナイイナイバア」をしても、無反応。

なんだか、気恥ずかしくなって、再び寝かせると「あう!」と、呼びつける。

無視すると泣く。こちらもイライラしてくる。

こういう時は大体ウンチだ。

たまには綿棒に馬油をつけて、浣腸をして排便を促すこともあるが、なるべく自力でさせた方がいい気もする。

だが、外出中に服を汚すレベルの大量ウンチをされたら、恐ろしい。

だから、外出前には必死にウンチをさせる。

ウンチをすると、ご機嫌になるが、空腹になる。それで授乳。

すると残りのウンチをしたり・・・でまた、オムツ替え。

どんなに早く支度をしても、いつもギリギリになってしまうのだ。

預けるまでに疲れ果ててしまう。


ランチ打ち上げの為に渋谷へ行く途中、電車で爆睡。


ランチのお店の場所は、簡単に分かると思っていたが迷う。

渋谷は何年通っても分からない。

道玄坂、宮益坂の区別がつかない。

文化村やコクーンやオンエアーイーストにも何度も通ったのに、いつも迷う。

10分程遅れてしまう。

授乳、子育て中で世界が狭くなっていて、社会的な場へ来ると、焦ったり挙動不審気味になって、そんな自分が不安になる。

でも、お料理もおいしく、一緒に番組を作り上げたスタッフさん達に久しぶりに会えて嬉しかった。

身軽な外出は久しぶりだった。

いつもは8キロのニンタマを抱えているので、街をのんびり歩く気にもなれないので、ついついアイスを買い食いしたり、バーゲンをのぞいたりしてしまう。

長い妊婦生活の後は子連れの外出で、世間的には庇護される人種だった。

妊婦の時は時々席を譲ってもらったりもした。

譲ってもらえなくてもお腹が大きいのに涼しい顔で立っているだけで、自分をエライなぁと自画自賛したりしていた。

ニンタマ連れの時は、見知らぬ人にほほ笑まれたり、声を掛けられたり。

ただ、腹を膨らませたり、子連れだっただけで、特別自分が何かしたわけではないが、普段よりは注目されたり、世間に大事に扱われるのに慣れてしまっていた。

だから、ニンタマ連れじゃないと、身軽ではあるが、丸腰で出歩いているような不安が付きまとう。

ハンディ(腹がでかい)も無ければ武器(赤子好きな人にとっては)も無い、妊娠前よりちょっとお腹の出た普通の人。

楽だけど、ちょっとつまらない。

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保育園事情

ニンタマを一時保育へ預ける。

一時保育に預けると、楽になりそうだが、意外と大変。

オムツや着替え、タオル・・・など持っていくものが多い。

そして、身につけているものすべてに名まえを書かなければならない。

お古でヨレヨレしたものなら、タグに名前を書くのも抵抗が無いが、新しくて綺麗な服に名前を書くのにはちょっと抵抗がある。

刺繍などとまどろっこしいことなど、出来ない。

結局、一時保育へ預ける時は、一番古そうな服やタオルを持たせる。

いかにも貧乏丸出しで、わが子ながら不憫になるが、本当に貧乏なので仕方が無い。

そして、ミルクやおっぱいをいつどれだけ飲んだか?最後に寝たのはいつか?排便はどんな状態か、体温は何度か?などと紙に書いていかなければならない。

赤子をあやしたりしながらこれらの支度をしているだけで疲れ果てて、ぐったり。

預ける時にニンタマより大きい子供が泣きだしたら、ニンタマもつられて泣き始めた。

これは進歩かも。以前はよその赤子が泣いていても、周りに興味が無いのか涼しい顔をしていたが、共感するようになったようだ。

ここのところ、保育園のことで気もそぞろだった。

認可の保育園に入園出来たら、これからも仕事がスムーズにできるが、三鷹は待機児童が多い激戦地区。

無認可の保育園でさえ、何十人待ちと言われる。

去年の11月頃からその筋に詳しいお友達に、何度も相談していた。

2月3日に電話で内定状況を問い合わせて確認・・・と、いうことだったが、ニンタマを一時保育に預けてPCを取りに家に戻ったら、ポストに三鷹市から手紙が入っていた。

ダメだったらどうしたらいいのだろう・・・と、どきどきしながら、封を開けたら内定の通知だった。

仕事が出来ると、ほっとしたが、ちょっとだけ寂しい気持ちにもなった。

一日中一緒にいると、頭が爆発しそうになるのに不思議。

よく、保育園に入れると可哀そう・・みたいなことを言われる。

だが、子供も一日中同じ相手といるよりは、色々な人に会ったほうが楽しかろうとも思うし、どのような環境でもそれなりに適応していくはず。

可哀そうとは思わないが、高齢出産なので、ニンタマが大人になるころにはこちらは老人。

一緒に過ごせる時期は短い。

こちらが勝手に寂しく思うだけのことだ。

そして、貧乏なので仕事をしなければ、ニンタマの住む場所も食料も確保できない。選択枝は無いのだ。

でも、一日中ニンタマと一緒に過ごすほうが、仕事をするより大変だったりする。

可愛いと思っているのだが、流行りの語りかけ育児などをやってみると、10分で頭が白紙になり、ぼーっとして無言になってしまう。

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