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母の顔

三鷹図書館でお仕事。


昼過ぎに旦那さんから電話。

「ニンタマはもう、何度でも寝返り打てるよ」 とのこと。


図書館ではおそらくホームレスであろう男性がぼんやり席に座っていた。

何度も水ばかり飲んでいた。

私は18時過ぎまでいたが、その男性はまだ座っていた。

20時になって閉館したらどこに行くのだろう。


帰宅後、ニンタマは相変わらず寝返りの練習をしていたが、疲れているのか寝返りは成功しなかった。

最近、自分の表情に新しいバージョンが加わった。

いわゆる母親ヅラだ。

幼少期の自分のアルバムでも、母が私や兄を目にいれても痛くないような顔をしてほほ笑んでいる。

ドラマなどでも母親役の女優さんはそういう顔をしている。

今まで芝居や演技では滑稽な役回りが多かったのでストレートな感情を表現する役をやったことは無かった。

だが、気付くとニンタマを見ている時、いわゆる愛情たっぷりな母親みたいな顔つきになっている。

気恥ずかしくなって、努めて大して可愛いと思って無いような顔をしようと心がける。

だが、いつの間にかドラマで見るような母親ヅラになっている。

そして、母親というものは我が身を犠牲にしても子供を守る・・・という胡散臭い定説がある。

そんなものを信じていなかったが、分かるようになってしまった。

ただ、それはあまり立派なものではない。

一年近く、大変な思いをしてお腹で子供を育て、あり得ないような痛みを伴って出産して、それからもしばらく、自分の時間など持てずに子供の面倒を見なければならない。

これほどの手間暇をかけたものに、何かあったら・・・と思ったら、平気ではいられないだろう。

母の愛などと美しいもののように言われていたが、せっかくの苦労が水の泡になるということが耐えられず、そんなショックを受けて、ダメージを引き摺りながら生きるよりは自分がどうにかなった方が気が楽・・・というものだ。

とはいえ、やはりニンタマを産んでからこんな大変な思いをして育ててくれたのか・・・と、母への感謝の気持ちを持つようになった。

子供を産んでから世間で言われて手あかにまみれたような言葉を体験として実感するようになった。

家族愛など気持ち悪いと散々反発していたのに、転びクリスチャンのような心境だ。

最近家庭の主婦を心底尊敬するようになってきた。

家事や子育てをちゃんとやるということが世の中で一番尊く、能力が必要な仕事に思える。

自分は能力が無いから家事や子育ては周りに助けてもらわなければ無理。

どんなに仕事が大変な時でも、家事労働や子育てに比べたら余程楽だ。

ニンタマとずっと向き合って家にいるのはとても大変だった。

泣かれ続けるとノイローゼ気味にもなる。

だが、数時間でも離れて仕事をすると、ニンタマに会うのが楽しみになって、疲れていても別バラ・・・という感じに面倒を見られるのだ。

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