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おじいちゃんと孫

父と、父の奥さんが我が家へやって来た。

奥さんは何度か来たことがあるが、父は初めて。

お正月に父の所で撮ったニンタマの写真が実際より何割増もべっぴんさんに写っていてびっくりしたが、今日も、毎日激写している私が撮ったことが無いほど可愛い写真が撮れていた。

お土産のプリンとレーズンサンドが信じられない程おいしかった。

ニンタマは寝返りを披露していた。

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子ども集会

従妹達との集会。

世田谷区へ住んでいて、2歳と7歳の男の子のお母さんである従妹Yちゃんに車で迎えに来てもらって、石神井に住む従兄宅へ。

奥さんのNさんがキッシュやパスタでもてなしてくれた。

ここも中3の男の子、小5、小2、3歳の女の子、そして、犬が2匹ととてもにぎやか。

最近場所見知りを始めたニンタマだが、昼間だからかそれほど泣いたりはしなかった。

女3人で思う存分話したいのだが、乳幼児を抱えていると、いいところでウンチをされたり。

Yちゃんの子供の7歳の男の子H君が体調が悪いと学校を休んで来ていたので、遊ぶなら勉強をしてから・・・と、言われていたのに中々勉強をしないので、怒られていた。

やっと勉強を終えて、さあ遊ぶぞ・・・と、ゲームを始めようとしたら、テレビ画面の切り替えがうまくいかず、ゲームで遊べない。

同じ年頃のYちゃんはまだ学校から帰ってきていない。

つまらなさそうにしていたが、やっと帰って来たYちゃんは中々一緒に遊んでくれない。

じゃあ、ゲームと思うと画面の不調は治っていない。

「つまらないつまらない」と、文句を言っていたら、Yちゃんに「あなたの態度はとても失礼よ」と、怒られていた。

ああ、自分より年下で小さかったYちゃんがしっかり子供に怒っている・・・と、先輩を見るような目で見ていると、H君が泣きだした。

「だって・・・Yちゃん・・・遊んでくれないんだもん・・・ヒックヒック」と、お母さんであるYちゃんに抱きついていた。

「か、かわいい・・・」

それまでどんなに注意されても「はいはい」と、ちょっと生意気な態度を取っていたのに、この豹変ぶり。究極のツンデレだ。

でも、気持ちはよく分かった。

お母さんと弟だけが従妹の家に遊びに行く・・・と聞いて、自分も行きたいなぁと思って具合が悪い・・・と、学校を休んでまで付いてきた。

ゲームをやったり、従妹と楽しく遊んだり凄い楽しい夢を描いていたのだろう。

それが、全部敵わず、大人は大人ばかりで話して退屈して、夢は台無し。

泣いていると、まだ3歳の女の子のHちゃんがハンカチで涙を拭いてあげていた。

これまた 「か、かわいい・・・」 と、目尻が下がりっ放し。

Yちゃんは翌日は昔からの友達に家へ行くらしい。H君は付いて行くと言っていた。

Yちゃんが「パパと残った方がアナタにとってもいいわよ。ママ達は久しぶりに会ってお話がいっぱいあるんだから」と言うと、「あ〜あ、大人ってどうしてお話ばっかりするんだろうなぁ・・」と、つぶやいていた。

小さい時、いつも大人が自分に分からない話で盛り上がっていて退屈な思いをしていたことを思い出した。

YちゃんもNさんも子供を何人も育てて、しっかりしている。

いっぱいいっぱいの自分からすると、尊敬モノ。

「祝女」の感想も言ってもらえて、嬉しかった。

もっとたくさん話したかったのだが、ながらが出来ないタチでニンタマをあやしながらだと、話したいことがすぐ分からなくなってしまう。

そのうち脳も慣れてきて、ニンタマがいてもスムーズに話せるようになってくるのだろうか。

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母乳のため?母のため?

先日、中野から歩いて20分程の鍼灸治療院で骨盤調整なる施術を受けた。

骨盤骨盤とうるさいくらいに流行っている昨今。

本当に骨盤の調整が必要なのはやはり、最近出産で骨盤が開きまくった経産婦だろうと思っていた。

だが、仕事がバタついていたので、4カ月も経ってしまった。

とりあえず、妊娠出産にまつわる様々なことはなるべく体験しておきたい。

施術を受けてみると、「あ、この人はアタリだ」と、感じた。

10数年色々な整体やら治療院やらへ行ってみたが、アタリの人は少ない。

アタリの人でも、お金が続かなかったり、そこそこの治療院でも安いから通ったり、やめたり、色々してきたが、その治療院の人は触れられた瞬間に気持ちが良かった。

触る所すべてがツボ・・・。

長々マッサージしてもらった訳ではないが、産後明らかに悪化したO脚が治った。

普段から足の真ん中に重心を乗せるように心がけていたのだが、産後は何故か外側にしか乗れなくなっていた。これも治った。

回すとゼンマイのように音が鳴っていた足首もほとんど鳴らなくなった。

こういう事を大体気のせいではないか?と疑ってかかる方なのだが、本当に治ってしまったので驚いた。

そして、会ってすぐに「関節が緩いから筋肉を鍛えて支えた方がいいタイプなのに、筋肉も付きづらい方でしょう?」と、言われた。

私が長年悩んでいたことをすぐに見抜いていた。

どこに言っても、筋肉が少ないから鍛えるように・・・と言われて、運動不足のように言われていたが、2カ月毎日のようにジムに通った時でさえ、測定では筋肉が少ないと出てしまうのだ。

悩みを分かってもらったような気分。

だが、それゆえ頻繁に施術を受けなければならない・・と言われると、困ってしまう。

もはや8キロになりそうなニンタマを抱えて、中野から20分も歩いて治療に来るって言うのは、どうなのだろう。治療に行く途中に身体を壊しそう。

金銭的にもキツイ。続きそうもないだろうなぁ。

だが、そこは助産院併設の治療院なので、母乳についてのお話会もやっているという。 今日はそれに行ってみた。

ニンタマを抱えて、治療院に到着すると、「参加者が少ないから取りやめようという話もあったのですが、一応やるのでしばらくお待ちください」と、部屋へ通される。

「あれ?私しかいない?」 と、ビビる。

だがしばらくすると、その日治療を受けていたらしき、2カ月の赤ちゃんを連れたお母さん、一昨日出産したホカホカの赤ちゃん連れのお母さん、そして、4月出産予定の妊婦さんが揃った。

まだ表情も無い新生児、寝ているばかりの2カ月児、そして寝返りしたりウキャウキャ笑っては手足をばたつかせるニンタマ。

そこではニンタマが巨人のように見えた。

周りのお母さんからも「うわぁ・・・こんなになるんですね」と、なんだか憧れの視線を注がれる。

ただ、普通に出産して普通に大きくなっただけで大先輩の様な扱い。

だが、私もニンタマが生まれたての頃は1カ月検診に来た赤ちゃんでさえ、憧れの視線で眺めた覚えがある。

何もエライことはしていないのに、何故か得意げな気持ちになる。

そこではやはり、砂糖と油はを取るとおっぱいがまずくなるので、取ってはいけない、家の砂糖はすべて捨てて下さい、この時期は赤ちゃんの味覚を発達させるのにはとっても大事なので、くれぐれも薄味で砂糖や油は控えるようにしてください、おっぱいがマズいと歯が生えた赤ちゃんは乳首を噛みます、おいしいおっぱいなら噛みません、と耳に痛い話ばかりされた。

初めは詰まりやすかったので気をつけていたが、最近ではピザやフライドポテト、ケーキなども結構食べている私ではあったが、神妙な顔でウンウン頷いて聞いていた。

その話を聞いて「甘いものや油モノを取るのはやめよう・・・」と、殊勝なことは思わなかった。

そんなことを言ったら、ミルク育ちの人は皆舌バカになってるはずだろう。

それに、そこまで赤ちゃんをお大臣様のように扱って育てるのは自分には無理だ。

だが、そういう話を聞くのは面白くて大好き。

これは取り入れようと思ったのは「離乳食は作らなくていい!」という話だ。

今、保健所の指導では5カ月から離乳食を開始するように・・・となっている。

どうもモグモグ期やら、ごっくん期やらあって、それに合わせて色々な料理法が必要な模様。

だが、ここでは本人が食べたそうに手を伸ばしてきたら、あげられるモノをすり潰したりして分けてあげればいい、わざわざ作る必要なんか無い・・とのこと。

わざわざ作ると、子供が食べなくても無理やり食べさせようという気持ちになって良くない。これは私も大いに賛成だった。

昔の人がフードプロセッサーやらを使ったり裏ごしして離乳食を与えていたわけが無い。

口で噛み砕いてあげるのは、虫歯菌の問題などでよくないらしいが、食べたそうなモノを食べられるようにしてあげるのが自然だろう。

もちろん、好き好んで手間をかけて凝った離乳食をあげたければ、やるのは素晴らしいことだろう。

でも、自分には無理。

お話が終わって、お母さんやら妊婦さんだけになった。すると

「やっぱり、ずっと砂糖や油を取らないで頑張っているんですか?」

と、聞かれる。

不安そうな目で見る3人。どう答えるか迷ったが

「いや〜、食べてますよ〜。最初調子が悪かった時は気をつけてたけど、安定して来てからは全然食べちゃってます。なんか、ダメって言われるとどうしても食べたくなっちゃうんですよ!ケーキとか妊娠する前は全然食べなかったのに、あまり良くないって聞いてから毎日中毒みたいに食べちゃって・・・!」

と、言ったら妊婦さんやら新米ママさん達の顔がパーっと輝いた。

「分かります分かります!そうなんですよね、ダメって言われると、余計食べたくなりますよね〜」と、盛り上がっていた。

彼女達は食べ物の制限が厳しくて有名な隣の助産院で出産した人達。

こんな事言ってはいけないかも・・・と思ったが、自分の体のことは自分で考えて、身体と相談しながら食べればいいのだから、まあいいか。

そして、砂糖と油を食べてはいけないと言われた直後に、はらドーナツでドーナツを買い食いしながら、中野駅へ歩いた。

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羽毛の威力

最近、親子3人で羽根布団で寝ている。

ニンタマが生まれてまだ2カ月くらいまでは、旦那さんの弟さん宅から頂いたベビー布団を隣に敷いて寝かせていた。

旦那さんが夜勤の時には防水シーツを敷いて、同じ布団で寝ていた。

添い寝をしながら授乳するので、その方が楽なのだ。

自分が隣に寝ていても踏んでしまいそうでヒヤヒヤしていた。

旦那さんは寝相が悪いのでもっと危険。

そういう訳で自分だけ隣に寝て、旦那さんの隣には寝かさないようにしていた。

だが、生後2カ月半ほどして3人で仙台へ行った時、旦那さんが私と旦那さんの間にニンタマを置いて寝るようになった。

どうやら自分もニンタマの隣で寝たくなったようだ。

一時的なことだと思っていたが、三鷹に戻ってからも3人で川の字になって寝るのが定着した。

ハイレグタワー社長から結婚祝いで貰ったセミダブルのマットレスの真ん中で、ニンタマは一番場所を取って寝ている。

秋口はまだ良かった。

だが、マットレスはセミダブルだが、掛け布団は独身時代から使っている仙台の母からもらっていたシングルの布団。

親子3人がシングルの掛け布団でぎゅう詰めで寝ていた。

私も旦那さんも肩や背中がはみ出していた。

布団の上に毛布やタオルケットを横向きかけたりしていたが、不自由な態勢で寒くて仕方が無い。

練り物に巻かれたおでんの具の様な気分。

そんな時、ハイレグ時代のリーダー河原君から

「おそくなってごめんね。出産祝い何がいい?」と、電話。

格好つけて「いらないよ。気持ちだけで十分だから・・・」と、言いたかったが、「安物でいいからダブルの羽根布団が欲しい」と、オネダリしてみた。

すると、その二日後には羽根布団が届いた。

「早ッ!」 と、驚く。

だが、寒いピークに送らないと意味が無いと急いで選んでくれたのだろう。

若かりし頃はどちらかと言うと、私と同じくダメ人間サイドにいたはずなのに、いつの間にこんなデキル人になったのだろう・・・!と、感激。

しかも、温かい!

今まで毛布2枚、掛け布団一枚、タオルケット2枚、そして足元に電気毛布を入れていた。それでも寒かったのだ。

だが、羽根布団の威力は凄い。

初めはタオルケットを、抜いてみた。まだ温かい。

電気毛布を切ってみた。それでも温かい。

毛布も一枚抜いてみた。それでもまだ温かいのだ。

これは・・・かなり良いものなのではないだろうか?

西川と言ったら、布団中の布団らしい。

ダブルなので、肩もはみ出さない。

ニンタマ一人が寝ている時など、広い布団に小さな顔がチョコンと見えてかなり贅沢な有様。王族みたいだ。

四畳半の寝室はほぼ羽根布団で埋め尽くされているが、かなり快適だ。

本当に必要で欲しいものを貰うと、ありがたさは倍増。

解散して、あまり話すことも無くなっていたが、久しぶりに「仲間っていいな」的なことを思った。

元々、親は親。子供は子供・・・と思っていたので、隣には寝せても同じ布団で寝るつもりは無かった。

なんとなく、西洋はカップル単位。アジアは家族というか親子密着型と思っていた。

自分としてはカップル単位で生きようと思っていた。

だから、必要以上に親子でベタベタしたくなかった。

どんなに可愛くても夫婦は夫婦で寝て、子供は別・・・とするつもりだった。

旦那さんがいない時、ニンタマと二人で寝るのは気持ちの良いことだったが、特別な日というつもりだった。

私だけ夫婦でも寝て、ニンタマとも寝ているので、悪いなぁと思っていた。

だから、旦那さんがニンタマを隣に置き始めた時も、一緒に寝てみたかったのだなぁと特例に考えていた。

だが、3人で川の字で寝てみると、やめられなくなってしまった。

ぎゅう詰めで身体はしんどいのに、最早離れて寝るなど考えられなくなってしまった。

ニンタマが大きくなって、そろそろ一人で寝かせた方がいい年齢になったら、多分こちらの方が子離れできないような気がする。

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早熟むすめ

朝、起きて再びベビーマッサージをやってみる。

やはり特に喜んでいる様子は見られない。


お昼から、同じ産院で出産したIさんの家へ遊びに行く。

素敵なお家で、豆腐でできたみたらしだんごを作ってもてなしてくれた。

みたらし団子は普通の団子より余程ウマかった。

これから団子はみんな豆腐を入れればいいのに・・とさえ思った。


Iさんの赤ちゃん、T君はニンタマより3日後に生まれた。

大きくなれば、年が同じだと大体同じような雰囲気だが、0歳児は1カ月違うだけで別物。

同じ月齢ならではの話が出来るのはありがたい。

それにIさんは私の偏見かもしれないが、ママ友界特有の変な母性自慢みたいなものが無くて、とても楽に話せる。

T君とニンタマを転がしていると、二人は見つめあってちょっと笑ったりしていた。

前回に会った時にはお互い相手を認知さえしていなかったのに、エライ進歩だ。

そして、こちらがやれと促したわけでもないのに、手をつないでいた。

生まれて2カ月で新幹線に乗ったり、車で長旅をしたり、3カ月で飛行機に乗り、4カ月で男の子と手をつないだ。

かなりのおませさんだ。

私は甘えっ子で、一人では何もできない奥手なタイプだった。

男の子も苦手で免疫もなく、20歳すぎてもお付き合いもしたことが無かった。

だから、自分の子供は早くから何でも出来たり、男の子ともどんどん仲良くすると良いと思っていた。

滑り出しとしては順調ではないだろうか。

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おおきな女のコ

出産した産院でベビーマッサージ&産後ヨガ。

書き仕事が少しだけ落ち着いたので、旦那さんに任せっぱなしだったニンタマとの時間も作りたいと、参加する。


初めてベビーマッサージなるものの存在を知った時は、「なんじゃそりゃ!」と、頭に来た。

私は幼少時から肩コリがあったが、今のコリに比べたら大したものではない。

子供を産んで毎日抱っこをして、疲れまくっているのに、大して疲れてもいない赤ん坊のマッサージ?ふざけるな!などと思っていた。

赤ん坊にマッサージなど贅沢だ。

そんなに子供中心にしてチヤホヤしていたら、傲慢な鼻持ちならない子供になるぞ・・・とも思っていた。

だが、ここの所ニンタマを人に見て貰ってばかりで、明らかに普通の母親より触れ合う時間が少ない。

聞けばベビーマッサージをすると赤ん坊はとても喜ぶという。

ここは触れ合いの時間が少ないということを挽回する為に、マッサージなどもやってみようかと、気持ちが変わって来た。

ついでに授乳に関しても気持ちが変わって来た。

母乳も出産前はいつまでも断乳しないであげるつもりではなかった。

だが一緒にいる時間が少ないなら、授乳も貴重なスキンシップになるだろう。

自分の体に特にトラブルが無くて続けられそうなら、本人がいらないというまで続けてもいいような・・・・というか続けたい気持ちになって来た。


久しぶりに産院に行くと、大きなお腹で何度も通った事や、出産後の楽しい入院生活などを思い出す。

つい最近なのに、ひどく懐かしい。

大体は産後3カ月位の人が来るらしく、他の赤ちゃん達は皆、10月生まれ。

9月生まれのニンタマは一番お姉さんだった。

一人だけ大きくて、首の座りもしっかりしていて、高校野球に大リーガーがいるみたいな貫禄。

他の赤ちゃんがたくさん泣く中、落ち着いている。ちょっと頼もしくなる。


マッサージを開始する。

喜ぶと聞いていたが、無反応。

理想は母と子供が見つめあってほほ笑みながら・・・というイメージだったが、ニンタマは助産師さんや他の赤ちゃんや他のお母さんをキョロキョロみてはニヤニヤしていて、マッサージに関しては邪魔に思っているようでさえある。

オイルを塗られるのも、気持ち悪そう。

マッサージの効能は、よく寝るようになる、風邪をひきにくくなる、親子の信頼関係が出来るなどといいことばかり。

だが、その晩ニンタマは機嫌も悪く、全然寝なかった。


一週間ほど前の4カ月検診では7245グラムだったニンタマはこの日の計測では7600グラムになっていた。

そろそろ、成長がゆるやかになってほしいのだが・・・。

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祝女の収録へ

ニンタマのポリオワクチン接種の日。

接種した後、従妹のMちゃん一家にニンタマを預けて、「祝女」の収録を見に行く。


4カ月検診の時にも保健所の周りには生協や学資保険の勧誘の人がいたが、今日も散々勧誘される。

駅から家までの間にスーパーが5軒もある。

学資保険なども自分でニンタマ用に貯金をすればいいだけの話だ。

お金が増えたり、税金対策にでもなるのなら別だが、今一つ良く分からない。スルーする。


祝女の収録見学は楽しかった。

最近ニンタマの世話と、書き仕事のみの生活だったので、冬眠明けの動物みたいな心境。

家族以外の人と接するのも久しぶりな上に、緊張感走る現場。

普段ろくに歩いてもいないので、ちょっとの外出にもぐったりするほど体力が落ちている。

ひどく疲れたが、楽しくてニヤニヤしてしまう。放送が楽しみ。

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母と娘とその娘

ニンタマの洋服の整理を母に手伝ってもらう。

最近自分の服の畳み方が杜撰だと気付いて、直そうと努力しているのだが、なかなかうまくならない。

母が畳んでいるのを見て、これは遺伝だと思った。

もっと綺麗に畳めないか?と言ってみると

「え?これでも丁寧に畳んでいるのよ」・・・とのこと。

周りの人達が時折、私を日常生活もまともに送れないダメな人扱いするのを不思議に思っていたが、ちょっとだけ気持ちが分かった。


ありがたいことに沢山お下がりを頂いているので、1歳半くらいまでは服に困らなさそうなのだ。

だが、自分で買った訳ではない上、赤ちゃん服について知識も無い。

どういう組み合わせで着せたらいいのか、全くわからない。

母とこういう組み合わせが可愛いのではないか?これ似合いそうなどとキャイキャイ言いながら、整理した。


生まれたては顔もぼんやりしていたので、白っぽい肌着やロンパース以外は似合わなかったのだが、いつの間にか人間らしくなって、真っ赤な服なども着こなす(?)ようになってきた。

母は「私も赤が似合う、アンタも赤が似合う。この子も赤が似合う。3代で赤が似合うわね」などと、嬉しそう。

赤が似合う、似合わないの真偽の程はともかくとして、こんなどうでもいいことを一大事のように喜んでいるのが、面白かった。


母はまだ働いているので、とんぼ帰りで帰らなければならない。

土曜日の午後に浮かれながらやってきて、日曜日にしょんぼり帰って行った。

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子と母とその母

仙台から母がやってきた。

寝返りを楽しみにしていたが、ムラがあるので母の前でやってくれるか、心配していた。

だが、母が来ると、熱心に寝返りを練習していた。

いい線いっていたが、失敗してコロンと戻ってしまった時、母が笑ったらニンタマもおかしくなってケタケタ笑っていた。

その後、無事成功。

私が得意げな顔をしている・・・と、言うと

「まだそんな感情は無いわよ、純粋に喜んでるだけよ」

と、孫を天使のように思っている様子。

その晩、母は興奮して眠れなかったらしい。

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寺へ・・・

胃ガン検診、特定検診、肝炎ウィルス検診と検診・・・と、朝から検診三昧。

胃ガン検診ではバリウムを飲む。

胃ガン検診は2度目だが、とにかくクルクル回っては何度も向きを変えたりして何がどうなっているのかさっぱり分からない。

病院では新型インフルエンザの予防接種もやっていたので、ついでに打ってもらった。


先日、河原君に旦那さんが前厄だから厄除けを勧められ、調べてみたところ、近所の深大寺が良いらしい。

深大寺付近には9月にも行っていた。

ニンタマが予定日過ぎても全然生まれないので、自宅から歩いて深大寺や調布へ行った翌日に破水したのだ。

なんとなく、縁を感じて、急きょ深大寺へ向かう。

戌の日やお宮参りで、最近神社ばかり行っていたが、寺はまた違った雰囲気。

厄除けが始まるまで眠っていたニンタマは、儀式が始まって太鼓が鳴り始めたら、ビクビクっと太鼓に反応して動き始めた。

太鼓に合わせて大勢のお坊さんが大合唱。

見えないと怖がるかもしれないので、儀式の様子をニンタマによく見える態勢にして、太鼓のリズムに合わせてニンタマの腰をポンポン叩いてみた。

すると、興味津々にお坊さん達や焚かれている護摩を見ていた。

中心でお経を唱えていたお坊さんの声が素晴らしく良い声だった。

頭の形もよく、きっと素晴らし僧侶なのだろうと思っていたが、振り返ってみるとちょっと間の抜けた顔をしていた。

そして、儀式の後に目に見えるもの、見えないもの・・・について何か語り始めたが、大勢の人の前で聞かせる話にしてはノープランな感じ。

なんじゃこりゃ?と、思っていると、それまで神妙に儀式に参加していたニンタマが声をあげ始めた。

内容など理解しているはずも無いのに、つまらない話だと分かったのだろうか。


夜には三鷹メイトがウチに来た。その時ニンタマが2回寝返りをした。

以前ほど熱心に練習しなくなっていたのだが、いい所を見せようと張り切ったのかもしれない。

三鷹メイトはその瞬間を見ていなかったのだが、ニンタマは得意げな顔をしていた。

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こどもで良かった

4か月検診。

旦那さんとニンタマを4カ月検診へ連れて行った。

同じ月齢の赤ちゃんがたくさん見られるのがたのしい。

ニンタマは身長66センチ、体重7245グラムになっていた。

かなりでかい方だが、大きすぎる訳でも無いので安心した。

ここでも何度も男の子だと間違われた。


帰宅後、アザラシみたいな泣き声をあげて遊び始めた。

以前もこの遊びをしていたときは、身体に異常でもあるのかと心配になったが、おかしな声を出すのが楽しいのか、時々やるようになった。

赤ん坊だから良いが、大人だったら狂人だ。

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さびしがりやのおばあさん

ニンタマを始めて一時保育へ預けてみた。

初回ということで2時間。

知り合いに預けるのと違って、こちらもかなり緊張した。

預けなければ、仕事が出来ないとはいえ、預けてみると複雑。

一緒にいると何もできない・・・と思うのに、いないと気になって仕方が無い。

親の自分の方が、ニンタマに親の心得を仕込まれているような気持ちになった。


三鷹スタバで書き物仕事をしていると、店内でどなり散らしているおばあさんがいた。

どうやら、傘が通路に突き出していたのが頭に来たらしい。

「どいつもこいつも始末に負えない。どうして傘を突き出してるんだ!」

「始末に負えない性格してやがる!」と、繰り返す。

そのおばあさんは私の隣に座った。

傘を突き出していた人が謝ると急ににこやかになり

「どういたしまして!」と、笑顔。

「傘についた水滴を取らないとな」 と、水滴を取ったりぶつぶつ独り言。

その後、飲んでいるカフェラテらしき飲み物の蓋を取り、蓋についた泡を舐めていた。

見ないようにしていると 「忙しい?」 と、話しかけられた。

ニンタマを見て貰いながら、書き物をしているので時間を無駄にできない。

「はい」 と、答えると

「ごめんね、ちょっと聞いていい?」 と、低姿勢。

カフェラテの蓋の穴を指しながら 「この穴から飲むの?」 と、聞いてきた。

「そうです」

「ありがとう、忙しいのにごめんね」 と、ニコニコしていた。

その後も色々な人に「あそこはトイレ?」 などと愛想よく聞いていた。

どうやら、さびしがり屋のおばあさんだったようだ。

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子どもvs赤ん坊

旦那さんの弟さん一家の家へ行く。


明大前で京王線に乗り換える為に並んでいると、ホームでやる気満々でマラソンランナーが信号待ちしているような足踏みしてる人がいた。

いきなり声をあげてホームを走りだし、ちょっと怖かった。

最近こういう人によく会う。


弟さん宅へ行くと、ニンタマが泣き始めた。

弟さん一家にはいつも来てもらっていてばかりなので、たまにはこちらから行こうと思ったのだが・・・。

ニンタマの従兄にあたる4歳のTちゃんも赤ちゃんと遊ぶのを楽しみにしていたようなのに、泣いてばかり。

「Tがうるさいから、赤ちゃんびっくりしちゃったんだよ」

と、言われて悲しくなったのかTちゃんも泣いていた。


旦那さんと私が交互に隣の部屋へ連れて行ってはなだめすかす。

まだ来たばかりだと思っていたが、なだめていたら、いつの間にか3時間経ってしまった。

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母の顔

三鷹図書館でお仕事。


昼過ぎに旦那さんから電話。

「ニンタマはもう、何度でも寝返り打てるよ」 とのこと。


図書館ではおそらくホームレスであろう男性がぼんやり席に座っていた。

何度も水ばかり飲んでいた。

私は18時過ぎまでいたが、その男性はまだ座っていた。

20時になって閉館したらどこに行くのだろう。


帰宅後、ニンタマは相変わらず寝返りの練習をしていたが、疲れているのか寝返りは成功しなかった。

最近、自分の表情に新しいバージョンが加わった。

いわゆる母親ヅラだ。

幼少期の自分のアルバムでも、母が私や兄を目にいれても痛くないような顔をしてほほ笑んでいる。

ドラマなどでも母親役の女優さんはそういう顔をしている。

今まで芝居や演技では滑稽な役回りが多かったのでストレートな感情を表現する役をやったことは無かった。

だが、気付くとニンタマを見ている時、いわゆる愛情たっぷりな母親みたいな顔つきになっている。

気恥ずかしくなって、努めて大して可愛いと思って無いような顔をしようと心がける。

だが、いつの間にかドラマで見るような母親ヅラになっている。

そして、母親というものは我が身を犠牲にしても子供を守る・・・という胡散臭い定説がある。

そんなものを信じていなかったが、分かるようになってしまった。

ただ、それはあまり立派なものではない。

一年近く、大変な思いをしてお腹で子供を育て、あり得ないような痛みを伴って出産して、それからもしばらく、自分の時間など持てずに子供の面倒を見なければならない。

これほどの手間暇をかけたものに、何かあったら・・・と思ったら、平気ではいられないだろう。

母の愛などと美しいもののように言われていたが、せっかくの苦労が水の泡になるということが耐えられず、そんなショックを受けて、ダメージを引き摺りながら生きるよりは自分がどうにかなった方が気が楽・・・というものだ。

とはいえ、やはりニンタマを産んでからこんな大変な思いをして育ててくれたのか・・・と、母への感謝の気持ちを持つようになった。

子供を産んでから世間で言われて手あかにまみれたような言葉を体験として実感するようになった。

家族愛など気持ち悪いと散々反発していたのに、転びクリスチャンのような心境だ。

最近家庭の主婦を心底尊敬するようになってきた。

家事や子育てをちゃんとやるということが世の中で一番尊く、能力が必要な仕事に思える。

自分は能力が無いから家事や子育ては周りに助けてもらわなければ無理。

どんなに仕事が大変な時でも、家事労働や子育てに比べたら余程楽だ。

ニンタマとずっと向き合って家にいるのはとても大変だった。

泣かれ続けるとノイローゼ気味にもなる。

だが、数時間でも離れて仕事をすると、ニンタマに会うのが楽しみになって、疲れていても別バラ・・・という感じに面倒を見られるのだ。

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今日という一日

三鷹スタバでお仕事。

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40の実感

仕事のメールが来なかったので、歩いて5分の神社に初詣。

私も旦那さんもおみくじは大吉だった。

1月13日までに大量の書き物をしなければならないので、この日も仕事をした方が良いとは思ったのだが、思い切って、休むことにした。


まずは近所の井の頭公園隣接の動物園。
小さいうちに動物に触れさせるとアレルギーが起きにくくなる・・・という説があるらしい。

本当かは分からないが、そんなことで可能性を減らせるなら安いものだ。

茶色っぽかったり寝ている動物には全く反応しなかったが、近くから眺められて、ある程度動く動物のことは不思議そうに見ていた。

サルとリスによく反応していたが、象は大きすぎてよく分からない様子だった。

どちらかと言うと「ほら、お猿だよ」と、言っている私や旦那さんばかり見ていた。

動物園はすぐ回ってしまったので、水族館へ連れていくことにした。

動物園より至近距離で見やすいかもしれない。

吉祥寺でお昼ご飯を食べた。

旦那さんが魚民のランチへ入ろうというので、入る。

だが、食事はなかなか来ず、しかもまずかった。

ついつい魚を残す。

妊娠出産してから魚の生臭さに敏感になっている。

おそらく、古い油の匂いなのだろう。

「俺、食べないから食べていいんだよ」

と、旦那さんは誕生日の私に譲ってくれた。

だが、

「なんか生臭くて・・。せっかくの誕生日に、おいしくないものでお腹を満たしたくない」

と、言ってしまった。

旦那さんは恐縮して謝っていたが、悪いことをした。

水族館では、水中トンネルで、「ほら、マンタだよ!」と、ニンタマに見せようとするが、ここでも私や旦那さんばかり眺めていた。

「魚、魚」と、言うと、魚を全く見ないでこちらを見てほほ笑んだりする。

こういう馬鹿な所を見ると、可愛さが倍増。


帰宅後、旦那さんがチゲっぽい鍋を作ってくれた。


私が中学生の時、母が40歳になった。

母が40歳になるのが嫌で

「お母さんもうすぐ40歳になるね、イヤだなぁ」

と、言い続けて

「私の方がいやなんだから」と、言われた。

つい最近のように思える。

中学生の子供がいてもおかしくない年齢なのに、全く大人になれていない。

40歳って、こんなものだったのか。

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誕生日前日の寝返り

朝、父は仕事だというので、我々親子と奥さんと西武デパートへ行ってみた。

お正月にデパートへ行くのは初めて。

どこの売り場でも福袋だらけで驚く。

中身をみることも出来るようで、福袋なのにボロボロのものも多かった。

何も買わないつもりでいたが、通販で買ったことがある授乳服の福袋があって、つい買ってしまった。

普段は買い物に行かないので何も買わないのだが、人の買い物に付き合ったりすると、一番買ってしまうという習性をここでも発揮してしまった。

だが、噴射する母乳で洗濯も大変だったので、よしとしよう。

その晩も泊まってゆっくりして行けばと言われたのだが、いつ仕事の連絡が入るか分からない。

油断できない。夕方には筑波を後にする。


帰宅後、年賀状のチェックをしていた。

旦那さんはテレビを見ていた。

ニンタマはいつものように寝返りの練習をしていた。

力がいるようで、金切り声や奇声を発しては力んで、失敗を繰り返していた。

そして、何度も失敗をするとくやしいのか泣きだす。

いつものことだったので、奇声を聞いてもスルーしていた。

ふと、ニンタマを見るといつの間にかうつ伏せの態勢で顔を上げていた。

そして、得意げな微笑み。

あれ?旦那さんが、手伝ってあげたのかな?と、思ったがそうではなかった。

自力で寝返りをしていたのだ。

前回寝返りをしたのは、風呂に入れる前の全裸の時。

その後はずっと失敗続きだった。

今回は服は着ているが、下のボタンは外してオムツのみの状態。

その後は手伝わないと出来なかったが、寝返りをする時の回転がかなり素早くなってきた。

旦那さんは

「生まれた時は、タイミング悪い奴だと思ったけど、明日のお母さんの誕生日に合わせて寝返り打ったなぁ。」

(出産に会わせていつでも病院にかけつけられるように仕事を調整してくれていたのだが、唯一大阪へ行く仕事の日に生まれた為)

と、ベタ褒め。

見ていなかったのが悔やまれる。

ニンタマをお風呂に入れて寝かしつけて、自分も、うたた寝。

ニンタマが目を覚まし、再び寝かしつけてはうたた寝を繰り返していると、旦那さんから

「おめでとう」

と、言われた。

とうとう、四十路になってしまった。

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筑波でお正月

筑波に住んでいる父の家へ。
山のそばでビルが多いからかとても寒い。
だが、お部屋は床暖房が利いていてとても温かい。

ここは椅子文化なので、ニンタマをころがしておけない。
ソファの上にタオルなどを敷いて、寝かせる。
今はまだ頻繁に寝返りを打ったりしないので大丈夫だろう。

父はニンタマを激写しまくり、父の奥さんは抱っこしてたくさん話しかけてくれた。
おいしいチーズやらお刺身やらで、ちょっとお酒も頂いた。
夜はウェルルームという客室を借りてもらい、そこでニンタマと川の字になって寝た。

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