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3人の大晦日

旦那さんが1月3日の誕生日プレゼントにオーダーメイドの手袋を作ってくれるというので、京王多摩センターの革製品のお店へ。
オーダーメイドの革手袋は嵌めたまま読書が出来るらしい。
手袋を無くすのは小銭を出したりする度にいちいち外すからなのだ。
外す機会が減れば無くす機会も減るはず。

ニンタマ連れでお店に行ったら、店主さんも最近孫が生まれたばかりらしく、えらく可愛がってくれた。

革の色ステッチの色で迷いまくる。
黒でもグレーがかった黒や茶色っぽい黒などバリエーションに富んでいるのだ。
手袋だけ見ると、黒い革に赤いステッチのものが素敵な気がしたが、服に合わせることを考えると、茶にオレンジのステッチの方が合う。
しかし、無難な選択をするより、いっそのこと赤い革に紫のステッチなどにしてみたくなったり・・・。
だが、結局は大した冒険は出来なかった。

出来上がりには10週間かかる。
手袋をする必要が無い時期になりそうだが、楽しみ。

夕方からまたお仕事。
一応年越しそばは食べた。
旦那さんの実家で作っている大根おろし、お義母さんが山から採って来たナメコで、ナメコおろしそば。
これは非常にうまかった。

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友人宅へ

夕方まで三鷹馬車道でお仕事。

夕方からニンタマ連れで三鷹メイトの親友宅へ。
久々に会って話せてほっとした。
話したい話もたくさんあったのだが、会っただけでかなり満足して、言おうと思っていたことを忘れてしまった。
久々においしい日本酒を飲んで楽しい時間を過ごした。

途中から旦那さんも合流。
22時過ぎてもまだまだ話し足りない感じだったが、ニンタマを寝かせなければならない。
いつもは21時頃寝かしつけていたのだが最近、ちょっと夜更かし気味。
旦那さんにせかされなければ、もっと長居してしまっただろう。ダメ親である。

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片づけと鍵の行方

旦那さんが午前中に仕事の研修へ行ったので、ニンタマと二人で留守番。
仙台と滋賀滞在中の荷物を広げたら、部屋がえらいことになった。
もともと部屋におさまっていたはずのものなのに、入れるスペースが無い。
部屋がモノだらけで狭い。
腱鞘炎は治ってはいないが、仙台でも滋賀でも料理をしたり、家事をしないで済んだので幾分マシになって来た。
ニンタマも7キロを超えてかなり重くなったが、首も据わったので豆腐を崩れないように持ち運ぶ扱いをしないでも大丈夫になり、手首への負担も減ってきた。
ちょっと動かしすぎたら痛むのでだましだまし使わないければならないし、完治することはなさそう。
かと言って、使わないと筋肉も弱りそう。
ちょっとずつ使うなら大丈夫だろうと、料理や片づけをやる。
ニンタマが愚図るので、おんぶに挑戦。
しばらく大人しくなったので、そのまま動く。結構キツイ。
世間では母親が軽々子供を抱っこしたりおんぶしたりして見えるが、重労働だ。
1時間ほどおんぶしていたら、泣き始めるので、絨毯の上に転がすと、一人で寝返りの練習に励み始めた。
その隙に家事。
ちょっとするとまた愚図り始めるので、今度はうつ伏せにしたり、足の運動を手伝ったり、一緒に転がったり遊ぶ。
ご機嫌になったので、再び家事。
しばらくするとまた泣き始めるので、授乳。
その後、抱っこヒモで抱っこしながら、服を畳んだり。
元々家事労働は苦手で段取りも悪い。
ただでさえ、人の何倍も時間をかけてやっていた。
それが、ニンタマと一緒だと、恐ろしいほど捗らない。
仙台でニンタマを見てくれていたパートさんは、ニンタマをほとんど泣かせることもなく、洗濯、掃除、料理もテキパキやっていた。
料理の品数も多く、洗濯ものの畳み方も綺麗。
そして楽しそうニンタマと遊んでもいた。
神業としか思えない。
私より2歳年上なだけなのだが、4人の子供を育てていて一番下のお子さんは9 歳。
そんな人を見ていると、家庭の主婦は有能じゃないと務まらないと思った。
同じ時間が流れているはずなのに、午前中いっぱいかけてもなかなか部屋が整わない。

昼過ぎに帰って来た旦那さんに
「綺麗になった?」
と、聞いたが「え?」という顔をしていた。
しつこく「ずっと片づけしてたんだよ〜」と、訴えると
「ああ・・・ちょっと」
と、部屋をキョロキョロ見回していた。
「ニンタマをおんぶしたり抱っこしたりしながらで物凄い大変だった!」
と、なおも訴えると、やっと
「あ、本当だ。部屋が広くなったね」と、 言ってくれた。
きっと、何も言わなければ気付かない程度にしか出来ていないのだ。
それなのに、ぐったり。
久々にキャベツと生ハムのパスタを作り、向かいのカフェへ。
書き物の仕事。
途中、旦那さんからニンタマが一人で哺乳瓶を抱えて飲んでいる写メールが送られてきた。
仕事は思うように進まなかったが7時頃帰宅。

吉祥寺に住む従妹のMちゃん家族とご飯。
Mちゃんの家の近くの居酒屋でMちゃんとMちゃんの子供たち(高校生の女のコと小学校5年の男のコ)と私と旦那さんとニンタマ。
鍋を食べる。
9時過ぎに旦那さんは夜勤へ。
家へ戻ると、いつも鍵を入れているポシェットに鍵が無い。
旦那さんが帰ってくる朝まで家へ入れないのか?と、緊張が走る。
一人ならマンガ喫茶やらファミレスやらで時間を潰せるが、ニンタマがいるとそうはいかない。
ホテルか?今から泊まれる所などあるのだろうか?
荷物をひっくり返して探し回るが見つからない。
途方に暮れてコンビニ前のベンチに座り込む。
コートのポケットに手を入れて策を練っていると、手に鈴の感触。
鍵に付けていたキーホルダーであった。
一瞬ラッキー!と、小躍りしたくなった。
無事帰宅出来て、一安心。

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3人ぼっち

26日に車でお義父さん、お義母さんが交替で運転して三鷹まで送ってくれた。
そして、お義父さん、お義母さんは今日滋賀へと帰って行った。
長々一緒に暮らしていたので、急に3人ぽっちになってしまい心細い。

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育児の驚き

クリスマスイブに引き続き、クリスマスも滋賀のマンガ喫茶にこもりながら、お仕事。
おっぱいが張るので、3時間置きにコップにおっぱいを絞っては捨てている。
自分の体から絞り出されている栄養だ。
母乳は身体にいいとも聞く。
だが、なんとなくゴクゴク飲む気持ちにはなれない。
きっと、カルシウムやらビタミンやら含まれていて、下手なサプリメントより身体にいいに違いない。
でも、どうも飲めない。味はそれほどまずくもないのだが・・・。

最近すっかり育児日記になりつつあるが、子供が生まれると日々今まで体験したことがないことに驚くことばかり。
子供以外なにもないわけではないのだが、衝撃を受けたことから書いていくと、どうしてもそうなってしまう。
一昨日は私が家へ帰ると、ニンタマが自分の手で哺乳瓶を持って、搾乳した母乳を ゴクゴク飲んでいた。
「自分の手で持っている!」 ということに衝撃を受ける。
手を、目的を果たすために使えるようになったことにびっくりしてしまう。
大人なら当たり前だが、生まれたての時はくしゃみをしたり、大きな音にびっ くりしたはずみに手がひょいと持ちあがったり、おっぱいを飲もうとしても自分の手が邪魔で飲めずにブヒブヒ泣いたりしていたのだ。
たまたまこの時はまぐれで哺乳瓶を持ったらしく、その後はてんでダメであった。
だが、まぐれが増えてコンスタントに持てるようになっていくのだろう。
寝返りもハイハイもまだ、ちゃんとは出来ていない。

滋賀での生活も今日で終わり。
11月半ばから滋賀、仙台、滋賀・・・とニンタマと共に放浪していたが、明日から三鷹。
ほっとするものの、恐ろしくもある。
実家は広い上に、ご飯もお風呂も用意してもらえた。
そして、ニンタマを見て貰えた。
家には常に何人かの人手があり、泣かれてちょっと煮詰まっても笑っていられた。
仕事にも専念出来た。
これが、明日からは狭くてちょっと泣かれただけで、家じゅうに響きわたる声にひりひりしながら、食事作りや掃除、すべて二人でやらなければならない。
のんびりした時間ももてなくなるだろう。
滋賀の家にいる時でさえ、おじいちゃんおばあちゃんがいなくて、我々夫婦とニンタマのみになると、ニンタマはいつもよりぐずって泣く。
誰も相手にしていなくても、周りに人がいて賑やかだと、落ち着いて一人遊びをしている。
これが、マンツーマンになると、もっと顕著になる。
なぜ、人手が多くて余裕がある時は泣かずに、人手がない時にばかり狂ったように泣くのだろう・・・。
とはいえ、生まれて2カ月ちょっとから、3カ月半という期間に車に乗り、新幹線に乗り、飛行機に乗り、めまぐるしい環境の変化。
大人にとっても変化にとんだ日々だ。
訳も分からず、いる場所や周りの人が変わる環境というのは、かなりの負荷でもあっただろう。
三鷹へ帰ったら、環境に慣れるのにまた、時間もかかるだろう。
ひどく泣かれる日々を覚悟しておかなければなぁ・・・。

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うごめく赤子

今日、ニンタマは寝返りに引き続き、ハイハイに近い動きをし始めた。

まだまだだけど。
また、昨日に引き続き寝返りにも挑戦していて、出来ずに疲れては休んで、また挑戦して、を繰り返していた。
疲れ果てたからか、出来なくて悔しいからか、泣き始めた。
負けず嫌いらしい。
最初に成功したのは裸の時だった。服を着てるとやりにくいようだ。

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お食い初め

自分の育った家ではそういうことに縁がなかったこともあり、お宮参りやらお食い初めなど、「けっ、バカバカしい」と端からやる気がなかった。
赤ちゃん雑誌などで見ても他人事のように見ていた。
だが、親戚からベビードレスを貸して貰ったら着せたくなった。
滋賀の旦那さんの両親と神社に行って記念撮影だけするつもりだった。
だが、私が普段着でいたら「その格好で行くの」と聞かれた。
お義母さんは、真珠のネックレスをしていた。
もしやと思って、
「一応神主さんとかになんか木の枝振り回してもらうのやりますか?」
と、尋ねると、そのつもりだった様子。
慌てて申し込んだら、一万円かかると言われびっくりした。
だが、儀式は面白かった。
儀式の間に泣く赤ん坊やら、ウチのニンタマみたいに寝ている赤ん坊やら。
引き出物を見たら、お食い初めの食器が入っていた。
こんなもの邪魔になるだけだ、その分料金安くしてくれ、と思ったが、せっかくあるのだから、使わねば・・・。
と言うわけで、産まれて100日の儀式、お食い初めをやった。
そんな気持ちでいたのにお義母さんが鯛を綺麗に焼いて、お吸い物やナマスを綺麗に盛り付けてくれた。
不信心なはずの自分も何か晴れがましい気分になった。
既に味噌汁やら汁物を何度か舐めさせていたので、正確には初めてではないが、とりあえず世間的にやれといわれている儀式はやった。
やってみるとそれなりに充実感。
我々のような世間知らずの夫婦だけだったら、やらなかったであろう儀式。
こんなにきちんとやってもらえて、ニンタマの3カ月の人生は今のところ幸せなはず。
ニンタマは不思議そうに箸を舐めては顔を歪めていた。
おいしいと思っているわけでもなさそうだが、箸を差し出すと必ず舐める。
やはり食いしん坊なのだろう。

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写メールにはお義父さんの指が入ってしまった。

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初めてだらけ

今日は仙台の母の元から旦那さんの実家の滋賀へ移動。
移動手段は飛行機だ。
こちらでニンタマの面倒を見てくれていたパートのNさんとNさんの娘さんに送られて、空港へ。
授乳室で大人3人は笹カマなどを食べて、ニンタマはオッパイ。
名残を惜しむ。

3か月で飛行機・・・。気圧の変化もあるので、耳抜きなど出来ない赤子は大変らしい。
ドキドキしていたが、ニンタマは飛行機が上昇したり、下降する時を見計らうかのように寝ていた。

仙台でもたびたび足を上げては横にコロリと転がることが度々あったので「もうすぐ寝がえりするかもね」と、母と話していた。
その時は漠然と来月当たり?と思っていた。
だが、今日風呂上がりに身体を拭いて耳掃除をしようとしていたら、いきなり転がり始めた。
たまたまお義父さんも見ていた。
すわ!寝返りか!?と思ったが、その時は力尽きてしまった。
気を取り直して、もう片方の耳掃除をしてオムツをつけようとした時、再びコロリ!
そして・・・うつ伏せになったのだ。
下になった手を完璧に抜いて、起き上がるまでは行かなかったが、自力でうつぶせになった。
こんなに早く寝がえりをするとは・・・!
嬉しいけれど、目が離せなくなるのでもっと後でもよかったのに・・・と、面倒に思ったり複雑。
今日は、初飛行機に寝返り・・・と初めてづくしだった。

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母の本音

今日は母の店のパートさんがニンタマを預かってくれている。
そのパートさんは私より2歳年上なだけなのだが、22歳の娘さんを筆頭に子供4人を育てている。
一家そろって子供好き。
普通なら他人の赤ちゃんなど面倒臭いはずなのに、旦那さんまで一緒に迎えに来てくれたり、一番下の9歳の女のコも「一日中家にいるなんて、妹みたい」と、喜んでくれているらしい。
なにか魂のレベルが私などとは違う徳の高い人のような気がする。
この子供好きなパートさんがいるお陰で、こちらで仕事が出来ている。
私など、忙しい時にニンタマがウンチをすると一瞬
「面倒くせぇな〜。しばらく放っておいてもいいかな。今、お腹減ってんだよ」
などと、思ったりする。
だが、気持ち悪くてギャンギャン泣かれるのもより面倒だし、やはり不憫な気がして取り替えはする。
決して、
「あらあら、かわいそうに。早く変えてあげなきゃ。自分の空腹なんてへっちゃらだわ」
という具合では無い。
一日中一緒にいると、うんざりする時もあるが、離れていると「ニンタマどうしてるかな」と、仕事の合間にニンタマの画像やムービーなどを眺めては、ニヤニヤしたり。

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はずれな接骨院

仙台の家の近所にやたら繁盛してそうな接骨医院があった。
首肩が恐ろしく張っているうえ、腱鞘炎。
たまには息抜きも必要と行ってみた。

G接骨医院はその日、かなり混んでいた。
だが、入ってみると受付には綺麗なネイルのミニスカートの姉ちゃん。
一瞬美容院かと、店を確認した程だ。
「院長の診察があるまでかなり時間がかかりますが、よろしいでしょうか?」
とのこと。
院長?ここにそんな立派そうな人がいるのだろうか?
観察していると、20代後半のバイトリーダーみたいな兄ちゃんが「大至急!」とか、叫んで仕切りまわっている。
「ん?あの兄ちゃんが院長?」
拍子抜けするが、読みは当たっていた。
そして、その兄ちゃんはとても偉そう。
私の体がいかに歪んでいるか、かなりの頻度で通わなければ、治らない状態だ・・・などと、頭ごなしに言い「通えますか?」と、言いやがる。
大体どこに行っても
「歪んでいる」
「こんなに足の長さが違う。」
「首も」
「肩も」
「股間節も」
と、脅される。
言われすぎているので、初めて言われたかのようなビビッドな反応など出来ない。
「ええ!大変じゃないですか!」とヘラヘラ笑う。
私の体験では「歪んでいる」と、危機感をあおる所は大体ハズレ
だ。
案の定ハズレだった。
「バランスを取ります」と、言っては身体のあちこちに重りを乗せて、温めながら機械で振動を加える・・・という工程を5回ほどやられる。
これで50分。
慢性化している腱鞘炎を今さらながら20分間氷で冷却される。
まるで効き目の無いというか、やっているようにみせて極力、体力を温存しているのが丸見えのマッサージ10分。
いつになったらマッサージしてもらえるのだ・・・!と、イライラしていたのだが、マッサージが全く気持ち良くないのだ。
そして、保険治療適用なのに3200円という、信じがたい値段。
今までの接骨医院では保険治療の場合500円から1300円位で済んでいた。
そして、今までの所の方がよほど気持ちもよかった。
二度と行くか!と、イライラしながら、院長には「気持ちいいです」と、お世辞を言っていたので、とても疲れた。

腱鞘炎の為、危ないので私はニンタマを風呂に入れられない。
母に入れて貰っている。
仰向けにして耳だけを押さえて浴槽に入れていると、ニンタマは風呂で母のおなかや浴槽の壁を蹴って、手で水をかいているらしい。
母は毎晩「今日も水泳しようね」と、楽しんでいる様子。
ニンタマは風呂が好きなので、愚図った時には風呂に入れると上機嫌になる。
愚図った時にはただあやしてもダメだ。
何か気分を変えてやらなければならない。
立て抱っこをしてもダメな場合は、大して濡れていなくてもオムツを替える。
もしくはちょっとだけ服を脱がす。
服を脱がせ始めたり、オムツを取ると足を上げて上機嫌になる。
やはり服やオムツは鬱陶しいのだろう。
それでもダ メは場合は、違う部屋や、外へ行く。
そして、風呂。
どうしてもダメな場合は、泣きわめく隣で深い寝息を立てて、寝たふり。
寝たふりは意外と有効で、泣いても甲斐がないとあきらめるようだ。
下手に構うと悲しみを増幅させるのか、ますます激しく泣いたりする。

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見えないベビーシッター

三鷹の家でもニンタマが天井付近や私の背後を見て、異様におびえた顔をして泣き叫ぶことはよくあった。
その度に
「何を見てるの?」
「天井はみなくていいから」
などと、言いながら、若干薄気味悪い気持ちになっていた。
仙台でも初め、あらぬ方向を見回しては
「ぎぇ〜ぎぇ〜!」と、声をひっくり返して泣いていた。
仏壇に線香をあげた瞬間に叫び始めた時も、驚いた。
だが、最近はあらぬ方向をみて満面の笑みを浮かべてにやにやし始めた。
添い寝でおっぱいを飲ませても、ちょっと飲んだり、飲もうとしては天井の隅を振りむいては、にや〜っと笑ってばかり。
集中して飲んでくれないので困ってしまう。
喃語で話しかけてもいる。
私にもかなり話しかけるのだが、それと同じくらいの勢いで天井の隅に向かって話しかけている。
しかも大体いつも同じあたりを見ている。
今までは寝る前はギャンギャン泣いて、大変だったのだが、ここのところ二日続けて天井に向かってほほ笑みながら、幸せそうに寝入っていた。
これには非科学的なことを信じない母も私もびっくり。
祖父がものすごい子供好きだったので、相手をしてくれているのではないだろうか・・・という考えもよぎったりする。
二日続けてご機嫌で、ほとんど泣かず、お利口さんにしていた。
だが、昨日一昨日はちょっと泣いたり叫んだりと揺り戻しが来た。
「あれ?今日は見えないベビーシッターいないのかな?いてくれたらいいのに」
と、こちらまで思うようになってしまった。
昨晩は久しぶりにギャンギャン泣いていた。
久しぶりだったので、結構疲れた。
夜中にオムツ替えをしているのだが、普段は寝ぼけた感じでおとなしく、起きてもそのまま再び寝てしまう。
だが、昨晩はがっちり目を覚まし、目をギラギラ輝かせて、足をばたつかせて移動するほど飛び跳ねていた。
「やばい・・また寝ないかも・・・」
と、心配になったが、天井の隅を見てにやにやしては喃語でおしゃべりを始めた。
「お、見えないベビーシッターがいるらしい」 と、少し、ほっとした。
案の定、ご機嫌のまま泣きもせず眠りに着いた。
これは仙台限定の現象なのだろうか?
旦那さんの実家の滋賀県へ行っても三鷹でも同様になるのか?
これからの成り行きが気になるところだ。
それによって、ニンタマが成長して一人遊びを覚えたのか、本当に見えないベビーシッターがいるのか、なんとなく見当がつくのかもしれない。

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東京で打ち合わせ

従妹のMちゃんにニンタマを預かってもらって、打ち合わせに行く。
Mちゃんが来る前に支度を済ませておくつもりだったのだが、いつもは朝起きてから一時間くらい寝るニンタマが全然寝ない。
そして、ちょっとでも離れると泣くので全然支度が出来ない。
よその母親は、赤ちゃんの世話をしながら家事をやっているだろうに、私は何一つ出来ない。
出した荷物をしまう程度のこともできなくなってしまう。

バタバタしながら、打ち合わせへ。強風で傘が折れる。
3時間半程度で打ち合わせを終える。

Mちゃんは「打ち合わせが終わったら街を歩いたりのんびりして戻ってくるといいよ」、と言ってくれたが、疲れ果てたのとおっぱいが張ってカチコチになったので急いで帰宅。
おっぱいが張らないように、一切水分を取らなかったのだが、大変な有様。
手で絞って160ccほど搾乳した。
下の韓国料理屋さんで外食。
ミントチョコのアイスクリームも買ってしまう。
いい母乳を出すためにアイスクリームは絶対に食べてはいけない食べ物リストに入っている。
だが、絶対だめと言われると絶対に食べたくなる。困った性分だ。
アイスを食べてメールの返信などして、ニンタマの帰宅を待つ。

ニンタマはMちゃんの家でお風呂に入れて貰ってホカホカな顔をして帰ってきた。

明日はまた新幹線に乗る。
生まれて3カ月にもならないのにもう4回も新幹線に乗っている。
随分と旅慣れた子になりそうだ。
周囲からは「インフルエンザが流行っているのに、大丈夫なの?」と、ちょっと非難を受けたりもする。
だが、ニンタマと二人で東京にいたら仕事は出来ない。
まだ首も据わらないから、預けることもできない。
こちらも移動は大変なのだが、ほかに方法が無い。
とりあえず頻繁に手洗い、ウガイをしてニンタマの顔や手を拭いているが、効果のほどはわからない。
あとはウィルスが近づかないように・・・と神頼み。

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滋賀、仙台、東京

11月26日に滋賀からお義母さんに付き添ってもらい、東京へ戻り打ち合わせに行き、27日に母のいる仙台へ。
そして、今日保育園申請と打ち合わせの為、東京へ戻ってきた。

朝早い新幹線は座席指定でもかなり混んでいた。
席につくと、私の席に明らかに酔っぱらった人が寝ていた。
何かをこぼしたようで、背広も濡れているし酒臭い。
隣の席の人で二席占領していたのだ。
最悪だ・・・と思ったが、その酔っ払いはいい人だった。
ほかの空いた席を探して、私に自分の席を使うように 移動してくれた。

滋賀でも昼間はお義父さん、お義母さんにニンタマを見て貰い、仕事をすることが出来た。
仙台でも子供を4人も育てたベテランのパートさんが見てくれた。
ニンタマと二人きりになるのは久しぶり。

保育園の申請はもっといろいろ質問されたり突っ込まれたりするのかと思いきや、書類を確認するのみ。
「はい、お疲れ様です」と、あっさり返されてしまった。
拍子抜けして、帰宅。

「久しぶりにおうちだよ〜」と、ニンタマとじゃれる。
だが、この後ニンタマはおっぱいを欲しがっては飲んで、ギャン泣きしてウンチを繰り返し、全然眠らなかった。
滋賀と仙台では自分が疲れている時は誰かがあやしてくれたが、そうはいかない。
ヘトヘトになった。

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