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乳をしぼる

滋賀のお義母さんが帰る。
ニンタマがいると中々休みたい時に休めない。
仕事もなかなか思うように出来ない。
分かっていたことだが、いろいろ考えないといけない。

母乳をあげた後、意味もなく抱っこをしていると可愛さのあまり泣けてくる。
「こんな家に生まれてくれてありがとうよ~、あんた苦労するよ~」
などと、話しかけるとついつい号泣してしまう。
そんな時間があったら、寝たり仕事をすればいいのだ。
いろいろ要領よく出来るようにならないといかんなぁと思う。

夜、従妹のMちゃんに来て貰って、搾乳の仕方などを教えてもらう。
3人の子供を育てたMちゃんはおっぱいをしぼるのもウマい。
コップに溜まった母乳を飲んでみると、思ったよりもウマかった。
Mちゃんは子供の離乳食などに搾乳したおっぱいを使ったこともあるらしい。
恐る恐る口をつけた旦那さんも母も 「割とおいしい」と、驚いていた。

夜中、ニンタマの呼吸がおかしくなる。
最近いたずらに母乳を欲しがっては、ぐずったり身をよじって踏ん張って長い時間つらそうにしていたかと思うと、オムツからあふれ出るような大量のウンチをしたり、ちょっと様子が変わって来ていた。
母乳の飲み過ぎなのではないか?
母乳が気管支に詰まっているのではないか?
何かのアレルギーではないか?
と、旦那さんとオロオロ。
眠くて死にそうなのに、心配で眠れない。
様子が落ち着いてきてからも、中々眠れなかった。

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孫かわゆし

再び仙台から母がやってきた。
狭い家で5人で寝る。

母がニンタマをあやしているのを見ると、私もこんな風にあやされていたのだなぁとしみじみ。
私より余程子供好きだ。
私など、ちょっとしつこく泣かれただけでも
「面倒くさいなぁ」と、重い腰を上げるのだが、母は
「ああ、ヨチヨチ」と、とろけるような顔をしている。

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それはたぶん父親似

父の奥さんがニンタマを見にやってきた。
ニンタマは、旦那さんが出産に立ち会う為に長々休みを取ってくれていたのに、大阪で仕事がある日をよりによって選ぶかのように産まれてきた。
人の思惑通りにならないというか、タイミングを外すというか・・・。

そんなニンタマなので、ニンタマを見にきた人がいる間はいつもコンコンと寝ている。
起きている時は「ぎぇ~ぎぇ~!」などとものすごい声で泣いたりもする。
退院してからは母乳の出が良くなったからか、大人しく寝るようになったのだが、ここ最近ウンチやらおしっこやらおっぱいだけではなく、構ってほしい時にもギャン泣きするようにもなっていた。
だが、2時間以上もかけて見に来てくれたのに、寝続けて全然起きない。
夕方近くになってやっとぼんやり目を開ける。
なんとか抱っこした写真なども撮影できた。
起きたニンタマを見せられて安堵した。

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義母と検診とブヒブヒと

退院前の検診で胎盤の一部がまだ子宮に残っていることが判明。
子宮収縮剤を飲んで一週間後に検診に来るように・・・と言われていた。
ニンタマを連れて行くと行ったら、
「あなたが抱っこするのは重いでしょうから」
と、お義母さんが付き添ってくれた。
従妹に貰ったスリングをお義母さんが掛けてニンタマを入れてみるが、どうにも態勢がおかしい。
ニンタマは大人しくなったが、窮屈すぎてぐったりしているようにも見える。
結局ほとんどスリングから出したまま連れて行く。

検診の結果、まだ胎盤は子宮内に残っているらしい。
引き続き子宮収縮剤を飲み、来週また検診になった。
一か月検診まで胎盤が残っているようなら、機械的な処置・・・ということになるらしい。

つまり機械を子宮に入れて掻き出す・・・ということなのだろうか・・・。

痛そう。入院などになったら嫌だなぁ。

助産師さんのところへ挨拶へ行くと、体重を測ってもらえた。
出産時2808gだったニンタマは一時、2680gまで体重が落ちたが、入院中に持ち 直し、退院時には2814gになっていた。
最近見た目ににもかなりコロコロしてきたので、どのくらい増えているのだろうと気になっていた。
「3274グラム・・・毎日平均76.6g増えてます!」
「76.6?」
「何度計算してもそうです」
普通、この時期の赤ちゃんは30~40gずつ増えるものらしい。
食べても食べてもお腹が減るし、妙に疲れると思っていたが、全部吸い取られていたのか・・・。

順調です!と、太鼓判を押され一安心。
助産師さんがニンタマをスリングに入れると、すんなり気持ちよさそうな状態に治まった。
こんな風に入れられるのか。
これなら大丈夫と安心する。

タクシーを呼んで三鷹へ帰る途中、ニンタマがおっぱいを探すあらぬ方向を掘り起こすように首を動かしブヒブヒ言い始めた。
「おっぱいですね」
緊張しながら、タクシーで授乳。授乳中に
「どの道を通りますか?」
などと、聞かれパニック。
考えている間にもニンタマが乳首を外しておかしげな方向を向いて子豚のようにブヒブヒ言い始める。
アワアワしていると三鷹には数えるほどしか来ていないお義母さんが、すんなりと説明。
三鷹に住み始めて1年の私よりちゃんと説明出来ている。
付き添ってもらって良かった。

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ギボちゃん

旦那さんのお義母さんが来てくれて、食事、洗濯、掃除・・・と何の心配も無い生活。
申し訳ない気持ちにはなるが、とても助かる。
疲れていた旦那さんも、やっと一心地ついた様子。
私も、合間を見て眠れるようになった。

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ぐったり

自分が元気なのか、疲れているのかよく分からない。
ただ、立っているのがしんどい。
起きた時は元気なのだが、2、3時間したり、授乳を何度かするとふらふらになる。
やろうと決めていた産褥体操もちゃんとやれていない。
なんとなく焦る。
寝てばかりいるとお義母さんにぐうたらな嫁だと思われるのでは・・・と、動こうとすると「いいからじっとしてて」と、言われる。
そのことばに甘えて寝ていていいものか・・・と、あれこれ悩むが、どうやら本当にぐったり寝ていていい様子。
だが、旦那さんには前もって何度も、産後は動けないと言っていたのだが、そのことは今一つ分かってもらっていないような気がした。
ぐうたら寝てばかりいたら顰蹙を買うのでは・・・と心配になったりもする。

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ベビーグッズと男らしいニンタマ

昨日とは別の従妹夫婦がベビーチェアやベビードレスなどを持ってウチに来てくれた。
ベビーチェアは写メールで見て予想していたものよりずっと豪華でびっくり。
これはかなり重宝しそう。
ベビードレスも赤ちゃん服のカタログなどでも見たこともないような素敵な代物。
散歩で頻繁に神社へ行っていたので、お宮参りなどするつもりは全くなかったのだが、こんなドレスを見てしまったら、せめて写真は撮りたいと思ってしまった。
女のコなのにハゲボウズで、男らしい顔つきのニンタマには全く似合わないとは思うが、似合わなさぶりがさぞ可愛かろう・・・と親馬鹿気分。

母が帰り、旦那さんのお母さんとバトンタッチで私達家族の面倒を見てくれることになった。

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妊婦界のルール

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やっと、ニンタマの体重が増えた。
しかも一晩で150gも増えた。
毎日泣かれたり吸いつかれたりで母乳の分泌が良くなったようだ。
片方のおっぱいをあげると、もう片方の胸元がぐっしょり濡れていてびっくり。
湧き上がる母性などの実感もないが、泣かれたりニンタマが飲みたそうなサインを出すとおっぱいが出てくるようになった・・・。
40歳間近で自然とかけ離れた生活をしているけれど、ちゃんと動物なのだなぁと自分の体に感心した。

今日は従妹達がニンタマを見に来てくれた。
それぞれ2歳の子供を連れて来ていたが、わずか2年でこんなに大きくなるのか・・・と改めて思う。
もともと子供好きでは無いはずなのだが、ニンタマを孕んでから子供がやたら可愛く見える。
ニンタマがこんなに小さいのはほんの僅かの間なのだ。
従妹達は私を疲れさせてはいけないと気を遣って早く帰ろうとしてくれていたが、こちらが楽しくてついつい引きとめるようにべらべら話してしまう。
結婚したり妊娠したりで、親戚と触れ合うことが増えてきた。
40間近にして改めて付き合い始めたが、 小さい時の思い出が共通だったり、無条件に親しみを感じる。


午後には旦那さんの弟さんの奥さんと子供のTちゃんが来てくれた。
Tちゃんはつい最近会ったはずなのに、びっくりするほど成長していた。
この間は赤ちゃんっぽかたったのに、今は少年っぽい。
赤ちゃんと少年ではえらい違いだ。わずか1、2か月で・・・。

この日は助産師さんにお願いして添い寝をしながら授乳する時のポジションを見て貰った。
わずかな工夫やアドバイスを聞くと授乳が各段に楽になる。
横抱き、添い寝、フットボール抱き、立て抱き・・・授乳にもさまざまな形がある。
フットボール抱きなんて誰が考案したのだろう。
アドバイス通りに実践すると、だいぶ授乳の効率が上がった。

先日トイレで遭遇したつるっと産んだ妊婦Iさんと話す。
つるっと産んだように見えたが、彼女から話を聞くとやはり大変だったらしい。
それを聞いて何故か安心した。
僅か3日早く生んだだけの私だが、助産師さんから仕入れたおっぱいテクを教えてあげたら、凄い先輩のように扱われた。
妊婦界は週数が上だと先輩に見える。
でも、私より遅い予定日なのに早く生んだ人はもう先輩に見える。
定期健診の時、赤ちゃん連れで退院する女性や、一か月検診に来ている女性が何かスターの様に見えたものだ。
私も退院する時、そんな風に見えるのかしら?と、くだらないことを考えた。
Iさんとは退院後も会う約束をした。

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退院日

退院日。
すっかり入院生活に慣れて来たので、退院するのは気が重い。
入院中は出産をイベント感覚で楽しめたが、帰宅したら日常だ。
どんな日常になるのやら恐ろしい。

入院前にある程度、出産後の生活を考えて部屋の改善を図っていたが、臨月間近になって重いものを持ったり些細な家事が、しんどくなっていた。
8月20日頃から、家事の大半を旦那さんがやってくれていた。
私が入院してからも、ニンタマを家へ迎えるべく布団に乾燥機をかけたり、埃を払ったり、準備を頑張ってくれていた。

従妹のMちゃん夫婦が退院する日に迎えに来てくれたが、私は荷造りにテンパって支払うお金がどこにあったかわからなくなったり右往左往。
荷造りやら運ぶのもお世話になってしまった。
当初タクシーを呼んで普通に退院する予定だったが、お願いできて本当に良かった。
慌て過ぎて、お世話になった助産師さんにろくに挨拶も出来ないまま退院。

旦那さんのおかげで部屋はかなり整然としていた。
そこへ退院してきた荷物がどっさり置かれると、旦那さんの顔が曇った。
せっかく頑張って綺麗にしたのに、この荷物をどこにしまったらいいのか・・・と、思うのも無理はない。
これはどこにしまう?あれはどこにしまう?と質問の集中砲火。
でも、こちらはまだ傷口も痛く、久々の外出でぐったり。
判断能力も思考能力もなければ、立ちあがるのもしんどい。
だが、それは全部私の荷物。
泣きそうになる。
ニンタマのオムツ替え、授乳も重なるが、根性で動き回る。
いつでもおむつ替えや授乳やニンタマの着替えが出来るグッズを枕もとへセッティング。

ちょっとでも寝なければ死んでしまう・・・とウワゴトのように呟いてこと切れる。

入院中興奮状態であまり休めなかったのが悔やまれる。
30分ほどぐったりすると、旦那さんのご両親と仙台の母がやってきた。
旦那さんのご両親が収穫した沢山の野菜を持って来てくれた。
母も山ほどお土産を持ってきた。
旦那さんのご両親は夕方には弟さんの家へ。
母だけが残った。
私も旦那さんも疲れ切っていたが、はじめは興奮状態で出産ビデオなどを母に見せたりしていた。
だが、夜になると急にぐったり。

母がお風呂に入っている間に少々喧嘩。
本当は綺麗になった部屋を見せた時に私にもっと喜んだり、ほめたりしてほしかったのだろう。
だが、慌ただしすぎて感謝を表す余裕がなかった。
旦那さんから見ると、せっかく自分が綺麗にしたのに、感謝もしないで率先して汚して回る張本人のように見えたのだろう。
じゃあ、どれが私の散らかした荷物なの? と聞くとその時点ではそういうものは無くなっていた。
私もあてつけがましくワザワザ重い布団などを担いで、「これが邪魔なの?」と、泣いたり。

だが、母がいる前で喧嘩などできない。
シャワーを浴びながら、なんとか気持ちを落ちつけようとする。
子供が生まれると夫婦仲にヒビが入ることもある・・・という噂は聞いていた。
ウチは大丈夫と思っていたが、そうなってしまったのかしら・・・。
子供が生まれると妻が子供の母親にしか見えなくなって、その役割をうまく果たせないと忌々しく思われるのだろうか・・・。
せっかくニンタマが出てきて今が一番幸せなはずなのに・・・と、悲しくなって来て、気持ちは全く落ち着かない。
すると、旦那さんがやってきて、あっけなく仲直りをすることになった。
ほっとした。

夜、寝ようとした矢先にニンタマが不自然な方向へ首を向けてタオルやら服やらなんでも口に入れようと暴れてブヒブヒ言い始めた。
初めは分からなかったが、だいたいブヒブヒ言う時はおっぱいが欲しいのだ。
眠いので添い寝の態勢で授乳を始めると、突然母が枕もとへやってきた。
ニンタマが寝てばかりいて、つまらない!とぼやいていたので、起きておっぱいを吸うニンタマを見たかったのだろう。
それはいいのだが、新米母親の私にとって授乳はまだまだ結構大変。
乳首を上手に口に入れないと、母乳シャワーがニンタマの顔にかかってしまったり、ニンタマも吸うのが下手なので、すぐに乳首を外してはブヒブヒ言うので、呼吸を合わせるのに一苦労。
そんな時に
「私はね・・・6歳のころに生後一週間の赤ん坊を抱っこして外へ連れてったんだよ・・・」
などと、テンション高く話し始める。

今、結構大変だから、そんな話を聞く余裕はないよ・・・。
しかも眠いし・・・。

余程、嬉しいのだろう。
母は平日は働いているので、たまの休みに来てくれるのは本当にありがたいのだが、返事をするのもままならないほどヘトヘト。

明け方、旦那さんが寝言を言った。
「うわ、ニンタマ・・・顔がウンコまみれだよ。大丈夫だよ。すぐ綺麗にさせるから・・・」
それを聞いて、不安が再燃。
綺麗にするから・・・じゃなくてさせる?それって誰にさせるってことなのかしら?やっぱり、私なのか?

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赤子のループ

一晩中ニンタマに授乳していたにも関わらず、ニンタマの体重は減っている。
出産時は2800gあったのに2600gまで落ちてしまった。
産まれてから一時的に体重が減るという噂は聞いていたが、本当だった。
あれだけおっぱいに吸いついていたが、何度もブリブリウンチもしていた。
ウンチめ・・・。

午前中にもお友達が二人、ニンタマを見に来てくれた。
慣れない育児や出産についてしゃべりたいことがたくさんあって、興奮してしゃべりまくる。
外に出られないので、人が来てくれるのは嬉しい。
ニンタマがデビューするのも嬉しい。

夜も学生時代の友人達がワラワラと来てくれた。
でも、すぐにニンタマの授乳タイムになってしまい、皆15分くらいで帰って行った。
その晩は授乳、ちょい寝、ウンチ&おしっこ→授乳、ちょい寝、ウンチ&おしっこ・・・のループが明け方まで続いた。
しんどかったが、助産師さんが来てくれて色々な授乳パターンを教えてくれた。
おっぱいのあげ方一つでも色々あるのだな・・・と、奥の深さを感じた。
明日も色々聞いてみよう。

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初の添い寝

出産直後から完全母子同室。
よく母体を休ませるために、赤ちゃんを新生児室に預けることになっている病院も多い。
だが退院してから途方に暮れるのも困るので、ここで接するのに慣れて、分からないことを減らしておいたほうが行く行く楽ではないか・・・と、そういう病院に決めたのだ。
初日から添い寝。
踏みつぶしそうで心配だったが、意外と大丈夫。
旦那さんが夜勤だったので、ニンタマと二人きりで夜を明かした。
寝ないという噂を聞いていた通り、赤ちゃんは寝ない。
一人でどうしたらいいか途方にくれながら、格闘。
だが、昼間は意外と寝てくれる。

夜中、マタニティヨガで一緒だった人とトイレで会った。
「出産が楽しみ!」
と、言っていたとてもポジティブな人だった。
陣痛の最中らしい。だが、とても元気そうに見えた。
入院が早すぎるのでは?と思うほど溌剌としていたが、朝5時頃に寝ないニンタマの授乳でヒーヒーしている時に出産をしていた。
つるっと産む人って本当にいるんだなぁとちょっと羨ましくなった。

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ニンタマよこんにちは

昨日まではいなかったニンタマがいる・・・という不思議な事態。
頭では分かっていてもまだピンと来ていない。

昨日陣痛で苦しんでいる時に親友に付き添ってもらいながらトイレまでの廊下を歩いていると、他の部屋で生まれたてで弱々しい動きをしている新生児を目撃。
親友に
「あんなのが出てくるから」
と、励まされたのを思い出した。
確かにそんなのが出てきた。

推定体重は40週の二日目で3090gだった。
38週の時点で3000g超えをしていた割に増えていないと安心していたが、出産予定日過ぎるとどんどん巨大化するのでは・・・と心配していた。
だが、実際のニンタマは2808gと若干コンパクトだった。
産まれてすぐに3回もウンチをしたので大分減ったらしい。

2000cc出血したせいもあって、朝から点滴。
トイレに行く時にはナースコールをするように言われ、スタッフ二人に支えられる。
普通に歩くだけで「歩けるんですか?」と、目を見張られた。
貧血よりも股間やお尻の痛みの方がしんどい。
そう言うと、それに関して当たり前すぎるらしく、
「ああ、はい」
と、聞き流される。

又従妹の夫婦がお見舞いに来てくれた。
3人の子供を育てたMちゃんは流石に赤ちゃんの扱いがウマい。
授乳を終えたニンタマを抱えてさっさとゲップをさせてくれた。
後で母から、電話が来た。
「あんた、全然抱っこも下手くそでゲップもさせられないらしいね。Mが心配してたわよ」
と、言われた。

入院部屋に風のように院長先生が現れ
「元気?」
と、言われた。
私はニンタマを眺めていたので、
「あ、元気みたいです」
と、答えたら
「あなただよ」
と、笑われた。
「あ、私ですか」
と、答えようとしたら院長先生はすでに消えていた。

泣き声も何もかも弱弱しくて、頼りない。
あんなにドンドコ暴れていたニンタマがこんなか弱いとは・・・。
だが、まだ外に慣れていないだけかもしれない。
時折片目だけ薄目を開けて周囲を窺って悪だくみをしているような表情をしている。警戒心たっぷりな顔。
様子を見て大丈夫そうだな?と、分かってきたらあの暴れっぷりを発揮するかもしれない。
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ドキュメント・出産

出産当日

破水をしたものの、陣痛が進む気配も無いので家でのんびりしていた。
夜の12時頃から度々耐えがたいほどお腹が痛くなる。
これは・・・もしや本格的な陣痛?
時間を測ってみると、15分間隔から10分間隔の痛み。
初産の場合、陣痛が10分間隔になったら入院と言われていた。
一度病院へ電話をする。
来てもいいといわれるが、またフライングになっても恥ずかしい。
もう少し様子を見てみることにする。

2時頃には15分間隔だったり8分間隔だったりだが、確実に定期的な痛みが襲ってくるようになった。
旦那さんは朝の8時には大阪へ出発してしまう。
旦那さんがいる時に入院したほうがいい。
入院する為に支度を始める。
ご飯を食べておこうとするが、食べている間にも痛みが襲って来て、口に米を入れたまま深呼吸で耐える。
痛みが引いてから次の痛みが来る前にがつがつかっ込む。

タクシーの中で、3度ほど陣痛が来た。
車内では混成合唱団が歌う「小さい秋」が流れていた。
夏に生まれるはずだったのに、秋生まれ確定になってしまったニンタマ。
名前は決めていたが、これは「小秋(こあき)」という名前をつけろってことかしら?
痛さのあまりにそんなことを思ったり。

病院へついてから、赤ちゃんの心音と陣痛の数値を計る。
どうも病院へ来るとプレッシャーからか陣痛が遠のいてしまう。
本当は水中出産を希望していたが、破水してしまったので普通に分娩台での出産に変更。
残念だが、水中出産は自分で産み落とした赤ちゃんを取り上げたり、陣痛が遠のいたら自力でプールに出たり入ったりでかなり体力がいるらしい。
希望した人の半分しかうまくいかないという体力勝負の挑戦だ。
すぐ挫折するかも?と思っていたので簡単に諦めがついた。

入院部屋で少しでも眠ることに。
部屋にはベッド一台と付き添う人のためのソファーベッド。
「俺、そばにいた方がいいかな?」
と、旦那さんが、同じベッドに来て陣痛の度に腰をさすってくれた。
ありがたいのだが、痛みが半端なく、触られると却って痛さが増してしまう。
陣痛の合間に寝てしまった旦那さんがいると、狭い空間で痛みに耐えなければならない。
結局ソファーベッドに移動してもらう。
眠ろうとじっとしていると却って陣痛の痛みと向き合う形になってしんどい。
多少体を動かしている方が楽だった。
助産師さんがバランスボールを持ってきてくれる。
バランスボールで跳ねていると赤ちゃんが下がりやすく子宮口も開きやすくなる。
ガンガン跳ねて、陣痛が来ると股関節を伸ばして深呼吸を繰り返す。
だが、次第に疲れてきた。
かなり長いことバランスボールで粘ったが、赤ちゃんは一向に下がってこない。
今度は助産師さんが巨大なビーズクッションを持って来てくれた。
それに覆いかぶさるようにしていると良いらしい。
痛みが無い時は楽な姿勢で覆いかぶさって、陣痛が来たら四つん這いで背中と腰を丸くして深呼吸。

旦那さんが、朝の7時に三鷹メイトの親友に電話。
病院に来てくれるように頼む。
旦那さんもギリギリ粘って9時まで居てくれることになった。
こんな痛みでのたうっている人を置いて、出かけるほうもしんどいだろうと、可哀そうになる。
旦那さんは翌日の朝9時頃まで戻って来られない。
いる間に産めなかったら翌日まで待って産みたい・・・と思っていたが、この痛さを24時間以上耐えられる気がしない。
その時点ではお昼ごろの出産になる気がしていた。

朝の9時頃、親友と旦那さんがバトンタッチ。
彼女は飲み物やおにぎり、チョコレートなど沢山買ってきてくれていた。
痛みの間にちょこちょこ食べる。
長い付き合いだが、ここまで痛みにのたうち回って獣のようになっている姿を見せるのは初めて。
だが、酔っ払って正体不明になったり、性質の悪い状態になっているのは何度も見られている。

気がつくとお産が終わるだろうと思っていた12時を過ぎていた。
助産師さんに「だいぶ進みましたね。」と、言われる。
嬉しくなる。

「ちょうど、今半分くらいまで来ましたね。これからもっと痛みが強くなって行きます」

後で親友にあのときの私のショックを受けたような顔は忘れられ無い、と言われた。

副院長先生の診察を受けて午後から陣痛促進剤を打つことになった。
当初、なるべくそういう処置の無い出産を希望していたが、痛さのあまりにどうでもよくなっていた。
睡眠不足がたたって、体力もない。
陣痛に耐えるための四つん這いのポーズのまま気が遠くなって何度も訳が分からなくなっていた。
陣痛の合間に親友にカメラの使い方を説明。
こんな大雑把で大丈夫なのだろうか・・・というような説明しかできない。
分娩台へ移動。
促進剤を打っても疲労のあまり眠気が襲って来て、あまりパッとしない様子。
だが、しばらくすると、凄い痛みが襲ってくるようになった。
親友に頼んで、好きな韓国ドラマ「バリでの出来事」のサントラやこの日のために編集したCDをかけてもらう。
陣痛の合間には韓国語の歌を口ずさんだり。
だが、次第に体力を消耗して行き、断念。

「神様、ごめんなさい。私、出産舐めてました。もう、なんでもいいからこの痛いのなんとかしてください。私のような軟弱モノにはとても耐えられそうにありません。無理です。」

何度も弱気になった。
この一日が一生続くような気がした。

韓国語の歌のCDを何度も聞いたので、今度は口笛の曲が入ったCDを掛けてもらう。
痛くない時には口笛も吹く。
歌うことも口笛を吹くことも助産師さんに提出したバースプランに書いていたことだった。
だが、口笛も疲れるのでいつの間にかやめてしまった。

陣痛が凄いペースで襲ってくるようになってきた。
再びビーズクッションに覆いかぶさって痛みをしのぐ。
初めは呼吸だけで耐えていたが、いつの間にか自分でも聞いたことが無いような唸り声を出していた。
こんなに叫んだら、芝居ではすぐに声を枯らすよ・・・と思うような声。
しかし、体の奥からしぼり出るような声だからか、声帯に負担がかかっていない様子。
出しても出しても声がかれる気配が無い。
不思議。ちょっと感心する。
だが、声を出すとやはり体力を消耗する。
途中で止めてみたり。やっぱりしんどいので出してみたり。

出産体験の情報で、トイレに行くと陣痛が進む・・・というものがあった。
だが、私の場合トイレに行くのはとても苦痛だった。
まず、行く途中に痛みで動けなくなり、ようやくたどり着く。
便座に座るという行為も腰にものすごい重さと痛みが来て、切なすぎて息が出来ない感じになる。
下着を脱いでしまったら、痛みのあまり永遠に履けない気がしてしまうが
「ぬぉ~~~!」
と、叫んでなんとか履いたり、陣痛で壁に持たれたりしながら戻る有様。
そんな訳でそろそろトイレに行った方がいいかもしれない・・・と思うと怖くて仕方がなかった。
何度か意を決してトイレに行ったが、行くたびにしんどさは増して行った。

親友が撮影をしていると、助産師さんが
「カメラマンなんですか?」
と、尋ねる。
「いえ、今日初めてカメラ持たされて・・・」
と、親友。
家族以外の立ち会いはめずらしいらしく、友達だと言うと驚かれる。
親友は私の様子を写メールで旦那さんに送り続け、旦那さんからの励ましのメールを私に見せ続けてくれた。

院長先生にも診察してもらう。
子宮口がまだ7、8センチしか開いていないらしい。
10センチにならないと全開では無い。
「でも、子宮口が柔らかくて薄いから、これイキんだら全開するぞ」
と、先生の誘導の元、イキむように言われる。
「ウンチを出すようにイキんで」
そんなことしたらウンチが出てしまうよ・・・と思いながら、最早出てしまってもかまわない・・・という開き直りでイキむ。すると
「ほら、開いた!」
と、院長先生。
周りの助産師さん達もちょっと驚いている様子。
今まで妊婦本や母親学級的なところではイキみたくなるのを、我慢するのが大変・・・ということだった。
だが、私は全くイキみたくならない。
ちょっと様子が違うようだ。
それから、分娩台でイキみ続ける。
思わず目をつぶると
「目は開けてください」
と言われる。
そうだったそうだった!
イキむ時は目を見開くようにって本にも書いてあったのに、私としたことがミステイク!
目を思いっきり見開く。
後で、親友が撮った映像を見ると、猫ひろしのTシャツを着て、明らかに異常な程目を見開いている私が映っていた。
その映像を後に見て、旦那さんも私も噴き出すほど、おかしな顔をしていた。

普段はイキむ時、お尻をすぼめるようにイキんでいたので、全開にするイキみ方は自分の体を壊す方向。
どうしても抵抗がある。
だが、自分にとってのタブーを犯す方向で臨むと
そうそう、その方向!」と、褒められる。
「上手上手」とも言われる。
こんなに褒められるのだから、もう生まれるだろう・・・と思ってから数時間。
明るかった窓の外が薄暗くなってきた。
「トイレに行きましょう!」
と、言われる。

トイレ・・・!

しんどさを思うと気が乗らない。
「お産が進むので頑張って行きましょう!」
のたうちまわりながら、トイレへ。
戻ってきたら、今度は四つん這いでイキむように言われる。
今の自分にとって四つん這いは苦行に思えた。
その旨を言ってみたが、
「何度か頑張って見てから普通の分娩のポーズに戻ってもいいし」
と、諭され四つん這いに。
これが、半端ない苦しさだった。
弱音は吐かないつもりだったのに、何も考えられなくなり、
「これ、イッテェ~~~~~!」
と、叫んでしまった。
いかんいかんと気を取り直す。
もんどり打ちながら、苦痛に耐える。
自分の意思でわざわざ痛い方向へ頑張らなければならない。
頑張るほど、体が壊れそうな、腰が砕けるような恐怖が襲ってくる。
自棄になって「腰を砕いてしまえ!」と、自分を破壊する方向にイキみ続ける。
四つん這いをやめて普通の分娩のポーズに戻っていいと言われた時には、ほっとした。

再び院長先生が来たり、副院長が来て診察をしたり。
全力を使ってイキむと、本当に最後の最後にスタミナが切れるからペース配分をした方がいいと、助産師さんには言われていたが、院長先生には毎回もっと全力で頑張るように言われる。
陣痛が来る度に深呼吸をして、一旦息を止めて、2回から3回イキむ・・・ということを続けて3時間あまり。
副院長先生の指示で助産師さんが、注射やらハサミを用意していることには気付いていた。
出来れば会陰切開はしないで行きたい・・・と思っていたけれど、やっぱり切開が必要になってしまったのね・・・。
でも、早く済むならどうでもいい。
陣痛促進剤に引き続き、会陰切開に関しても最初のプランとは違ってしまった。
だが、とにかくこの痛みから一刻も早く解放されたい。
ニンタマの頭が見えてきたような事を言われる。
発露ってやつかしら?
「ハッハッハッハと呼吸してください!」
あれ?これってもう頭が出て後は赤ちゃんが出てくるだけって状態になった時の呼吸では?
言われた通り
「ハッハッハッハ」
と、短い呼吸を繰り返す。だが、
「もう一度だけイキんで下さい!」
と、指示が来た。
イキむこと数回。
どのタイミングか分からないが切開する時に備えて麻酔の注射も打たれていた。
「ちょっとだけ手伝うだけですから」
と、赤ちゃんの頭を吸引する機械を使うことになった。
それを体内に入れられても、最早痛いのかどうかもわからなかった。
よく分からないタイミングで「ブシュ~ッ」と、音がした。

「生まれました!」

周囲がざわざわした。
え、全然手応え感じなかったけど・・・出たの?
あれだけの痛みが続いた割には拍子抜けするほどなんの違和感も無く出てきたようだ。
副院長先生や助産師さん達が何やらごそごそしていると、
「フンギャ~フンギャ~」
と、ドラマでよく聞くような赤子の鳴き声。
血だらけのウニュウニュした物体を胸元へ持って来られた。
よく見ると確かに人だった。
あれ?血に混じって肘あたりにウンコみたいなものが・・・。
これ、私がこのコと一緒に出したのかしら?
若干、不安。
「ニンタマ・・・本当に出てきた・・・」
当たり前のことだが、びっくりした。

これか・・・これがいたのか・・・。

親友に声をかけられ安堵のあまり
「にゃ~~~」
と、言っていた。
以前から多分女のコと言われていた通り女のコだった。
しばらく血まみれのニンタマを抱いていたが、間もなく風呂やら体重測定で連れていかれる。
「赤ちゃん胎毒下しを飲ませるまでもなく、たくさんウンチしてますよ。もう、3回もしました」
と、助産師さん。
産まれた瞬間からいろいろ測定をして服を着せてもらうまでの間に3度もウンチをしたらしい。
母体にいるときに溜まった毒を下す漢方薬を初乳より先に飲ませると、アレルギーが起きにくいと聞いたので、母に漢方を煎じて貰った漢方薬を助産師さんにお願いして飲ませてもらうことにしていた。
ああ、ニンタマの腕についていたウンコは私のでは無かったんだ、ニンタマのウンコだったのか・・・。
ほっとする。

ちょっと雑談などをしていたが、胎盤が中々でて来ない・・・という事態になってしまった。
癒着がひどくて取り出せないらしい。
いろいろ処置をされるが、ものすごく痛い。
産み落としたら、それ以上の痛みはないと思っていたのに・・・痛すぎる。
しかも、体に力が入っていたからか、寒くもないのに歯がガチガチ鳴り始めて全身が痙攣するように震え始めた。
何これ?
テレビで見たマラリヤ患者みたい。
ちょっと大変なことになってるようだけど、大丈夫かしら?
「頭をぼんやりさせる薬を入れます」
というようなことを言われた。点滴を打たれる。

気がつくと大分時間が経っていた。
親友はまだそばに居てくれた。
旦那さんが夜の仕事をキャンセルしてこちらへ向かっているらしい。
胎盤も食べた。
調味料として、朝、親友にゴマ油と塩を買って来て貰っていたのだ。
レバ刺し気分。
思ったより不味くもなかったが、ヤバい程おいしいわけでもなかった。
精がつくらしいが、割とあっさりしていた。

私は自分のことで切羽詰まっていて彼女のいられるケツの時間を聞いていなかった。
仕事があったのに、それを押してそばにいてくれたらしい。
私が目覚めてしばらくしてから、仕事へ戻って行った。
何時まで居られるか聞いて、その時間に出してあげれば良かった。
でも、彼女がいたから乗り切れた。
変に「痛いの?可哀そうにねぇ」などと、オロオロされたら、自分でも悲創感たっぷりになって戦う気力が保てなかったのではないかと思う。
常に明るくふるまってくれて、飲み物を飲ませてくれたり冷たいタオルで汗を拭いてくれたり。
本当にしんどい時に必要なのは、余計な励ましでは無いのだなぁと実感。

助産師さんから、胎盤を取る処置をしている時、私が2000cc出血したと聞かされた。
だが、興奮しているのでべらべら話す。
添い寝の態勢で初めての授乳。
仙台の母、従妹のMちゃん、父からそれぞれ病院へ電話があったと聞かされた。
予想では旦那さんに立ち会ってもらって出産するつもりだったので、旦那さんに連絡を頼んでいたのだが、旦那さんは仕事。
「たぶんその前に生まれると思うけれど、もし7日に出産になってしまったら来てもらえるかな?」
と、頼んでいた親友にも、陣痛が始まって入院して朝になってから急いで来て貰った。
あまり現実的に考えていなかったので、連絡のことは忘れていた。
朦朧としながら電話で報告。
出産したのは、9月7日、夕方の6時27分。
分娩所要時間15時間8分。
その後も10時過ぎるまで分娩台にいた。

夜の仕事をキャンセルした旦那さんが来てくれた。
ニンタマはどちらかというと旦那さんに似ている気がしたので、
「似てるよ」
と、言うと、旦那さんがよく分からない顔をしていた。
「でも、旦那さんに似た子供が生まれるのっていいですよね」
と、助産師さん。
「そうですね。黒人とかじゃなくて。自分の子だって安心しますよね」
私がそう言ったら困惑していた。

「いや、好きな人に似てるって嬉しいじゃないですか」

心の美しい発言にハッとした。
冗談のつもりとはいえ、そんなこと言わなければ良かった。反省した。

ほっとしたからか、その後のことは朦朧としてあまり覚えていない。
覚えているのは出血の割に元気だと驚かれたこと。
数値は覚えていないが、自分としてはびっくりするほど血圧が高かったこと。
重病人のように車椅子で運ばれて部屋まで戻ったこと。
ベッドの上でも添い寝で授乳している写真が残っていたので、授乳もしたのだろう。
妊娠中から、できれば二人目も欲しいと思っていたが、こんな痛い思いをするのはもう金輪際無理・・・。
でも、とりあえず、無事にニンタマを取り外し出来たので満足。
お腹はまだ、妊娠6か月位の状態。
ああ、中身が無くなったのに、こんな状態なのか・・・。
驚いたが、最早どうでもいい。

疲れと興奮で眠れなかったが、驚くほどその後のことは覚えていない。

090907_2012~01

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出産!(思わぬ服で)

ニンタマを無事に出産。
陣痛がなかなか進まず、促進剤をガンガンかけて出産。
出産後胎盤が出てこないので麻酔をかけて取り出し2000ccほど出血したらしい。
出産後痙攣して震えが来た以降記憶が無いのでよくわからないけれど、その後胎盤はごま油と塩でちょこちょこ食べた。
割と旨かった。

旦那さんが陣痛の途中で大阪へお仕事に行き、途中から三鷹メイトの親友とバトンタッチ。
彼女がいてくれたおかげで、頑張れた。
入院してから約14時間30分、何度か弱音を吐きたくなったが、テンション下がって却って辛くなり、頑張れなくなりそうなのでなんとか我慢。
何の意図も無く猫ひろしTシャツを着て出産に臨んだら、助産師さんと先生にウケてしまった。
不思議に思ったが、親友が撮影した映像を見たら、はみだしチャンピオンと書いてある赤Tシャツを着ていきんでる姿は笑えた。
記憶になかったが、出産後、親友に「産まれたよ」と言われて第一声で「にゃ~」と言っていて我ながらびっくりした。

ニンタマはハゲボウズだったがかわいかった。
親友に感謝。
詳細は後日にアップしたいと思います。

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破水?

病院へ電話をしてみた。

「昨日の夜から一時間に一度ほど陣痛っぽい痛みがあって、まだ大したことは無いと思っていたのですが、先ほど普通に座っていたら液体が出てきたので心配になりまして・・・。でも、どこも痛くはないんですけど…一応気になって」

「高位破水かもしれないですね」

妊娠本で調べて、私もそうかもしれないと思っていた。
一度病院へ行くことになった。
まだ来なくていいと言われると思ったのだが、意外だった。
これでただの尿漏れだったら、恥ずかしいなぁと、思いつつも何故かちょっとワクワクしながら病院へ。
結構元気なのでもっとフーフーしたりしてないと格好つかない感じ。
一応旦那さんにも一緒に来てもらう。

すぐに帰る羽目になるかと思いきや「予定日過ぎてるからこのまま入院ってことになるかもしれませんね」と、言われ驚く。
お腹の張りと赤子の心音などを調べる為、分娩台へ横たわる。
破水をしているかどうかも調べる。
リトマス試験紙が青くなれば破水らしい。
最初破水してる感じでは無いと言っていた助産師さんが、リトマス試験紙を見て言った。
「破水はしてる」
うっすら青くなっていた。
隣の分娩台にも破水した人が来ていた。
低気圧の影響があるのかも・・・と助産師さん。
お腹の張りは大したこと無さそうだった。
それ以上破水している訳でも無い。
ニンタマも元気そうだった。
子宮口もまだ指一本分しか開いていない。
陣痛もまだまだ本格的ではない。

「間もなく先生が来るので、診察の後帰りますか?」
と、言われる。
このまま入院?とワクワクしていたのでちょっとがっかりする。
しばらく休んでいると、再びダラダラと液体が流れてきた。
調べてみると、血液の混じったかなりの量の液体がスパッツにまで溢れ出ていた。
助産師さんに伝えるとびっくりするほど大きなナプキンを貰う。

診察後、入院したければしても良いと言われる。
とりあえず、昼ごはんを食べて一休みしてから考えることにする。
アイスやキッシュなど入院したら当分は食べられないような物を食べる。

旦那さんは一度帰ってもらうことにした。
そのまま入院することになったら、明日大阪へ行く支度を持って、夕方に病院に来てもらうことにした。

助産師さんの話では、おそらく今日はまだ出産にはならないとのこと。
ただ破水になったら感染などの問題も出てくるので、48時間以内に出産をした方がいいとのこと。
だが、今のところ特に危険な状態でもない。
早めに入院したものの、陣痛が来ないでお産が進まない人はよく、後から入院した人が次々に出産して焦ることが多いらしい。
そういう気分的なことをコントロールできるタイプなら、入院しても大丈夫・・・と言われる。
とりあえず、夕方までベッドで寝かせてもらって休む。
その間、隣の分娩台にいた人は出産した。
「生まれましたよ」
「この泣き声は女のコですね」
などと言う声が響いている。
声で分かるのか・・・と驚いたが、入院して何度もこんな声を聞いたら確かに焦るかもしれない。
一度帰ってみることにした。

痛みで、昨日のようにスタスタ歩けなかったが、なんとか歩いて駅へ向かい電車で帰宅。
汗だくだった。
シャワーを浴びたいが、破水したら風呂やシャワーは駄目らしい。
だが、どうにも気持ち悪い。
軽くならシャワーを浴びてもいいか、聞けば良かった。

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ふたりで散歩

7日には旦那さんがお仕事で大阪へ行ってしまう。
その晩に帰京するが、そのまま夜勤。
予定としてはその前にニンタマを取り外しているつもりだった。
満月の前日と3日後に出産が集中する・・・という情報を先輩ママから得た。

ん?3日後?7日じゃないか!

7日前になんとか出てきてもらうか、もしくは7日はなんとしても持ちこたえる訳にはいかんだろうか?
だが、こちらの都合ばかり言っては可哀そう。
ニンタマの都合で出てきてもらうしかない。
そうは思うものの、悪あがき。
よく臨月になったら2時間散歩しろとか3時間散歩しろとか、トイレ掃除しろとか床掃除しろ・・・などと言われている。
床やらトイレの掃除は自発的にやる分にはいいが、
「妊婦さんはトイレ掃除した方がいいわよ」
「床の雑巾がけがいいいみたいよ」
などと言われると、悪気がないのは分かるが無性に腹が立つ。

という訳で散歩だ。

それまでも意識的に歩いてはいたが、疲れている日は一歩も家から出ない日もあった。
自分で不良妊婦と言っていた先輩も朝5時に起きて2時間散歩していた・・・と言っていたので驚いたが、私はせいぜい平均一日30分程度。
時間が短いので、なるべく早足で良い姿勢をキープすることを心がけてはいた。
30分程のストレッチもせいぜい3日に一度。
最近風呂場でシャンプーの間だけ軽いスクワットや腰回しをしたりしているが、全然足りていないのかもしれない。
たまには2時間の散歩というのをやってみた方がよいのかも。
ただ一人で2時間も歩くのを楽しめるタイプでも無い。
旦那さんに散歩に付き合ってもらうことにした。
とりあえず深大寺の方へ行こうということになった。
私のビジョンとしては、深大寺までバスに乗って、植物園やら深大寺付近を歩く・・・というものだった。
だが、なんとなく旦那さんについて歩いていたが、一向にバスに乗る気配がない。
「どこからバスに乗るの?」
と、尋ねる。
「バス?乗らないよ」
どうやら、深大寺付近まで歩いて、限界になったらバスなどに乗ればいいと思っていた様子。
初めは驚いたが、気持ちを切り替えて歩くことに。
久しぶりにいい感じの汗も出てきた。
三鷹から徒歩で旅に来たかのようなのどかな光景。
地図やバスの路線図で遠いと思っていた深大寺だったが、一時間ほどで着いてしまった。
ムーチョに勧められて買った一眼レフのカメラで写真撮影。
ただの用水路などが、小粋な小川に見えてくるから不思議。

深大寺には沢山蕎麦屋があった。
どれも同じだろうと、適当な店に入った。
深大寺まで歩いて来たせいか、美味い気がする。
「流石に本場はウマいね」
と、旦那さん。
大して舌も肥えていない貧乏夫婦なので、本当のところは分からないが、気分は大事だ。
値段も良心的だった。
量も少ないのに、ざる蕎麦だけで1000円超えたりする気取った店も多いが、天ざる蕎麦と、とろろ蕎麦を頼んでも2000円以下。
安さを望めばキリがないが、コストパフォーマンス的には満足。

「どうする?このまま歩いて帰るか?バスに乗って調布まで行って電車で帰る?」
と、旦那さんに聞かれた。
「まだ2時間歩いて無いから、歩く」
調布まで歩くことにした。
途中で河原に降りた。
出産予定日過ぎた妊婦が何やってんだと怒られそうだが、5つくらいの石を飛び跳ねて河を横断したり、河原から普通の道路に戻る道が見つけられなかったので石垣に設置されている梯子をよじのぼって柵を乗り越えたり、かなりアクティブなことになってしまった。
石の上を飛び跳ねている時は、自分の体を思いのほか軽く感じたが、臍より高い柵をよじ登ろうとした時は重すぎてびっくりした。

調布駅まで歩くと急に疲れを感じた。
パルコへ入って、レストラン街に設置されていたソファで休む。
休んだ途端にニンタマが服の上からも分かるほど激しく動き始めた。
こんな眺めもそろそろ見納めだと、腹の動きを楽しむ。

一休みしたら今度はデパート内を歩き回る。
流石に腰が痛くなってきた。
適当なバスに乗って武蔵境へ向かう。
バスの優先席で携帯をいじっているおばさんをおじさんが注意していた。
「おかあさん!」
同じような年齢なのに「おかあさん」と、話しかけていた。
「ここは携帯禁止だよ。まあ、障害者はいないだろうけどね。ガハハ」
嫌な雰囲気にならないように注意しようとユーモアを交えたつもりらしいが、「障害者」って・・・。
マナー違反の人を注意してるアンタの方が、無神経なのでは?
以前宝船の稽古期間中に深夜バスに乗っていて、注意されたことを思い出した。
優先席と気付かずに翌日の稽古予定をメールで打っていたら、酔っ払いに「おい!」と、注意されたのだ。
「優先席だと気付きませんでした。すみません」
と、謝ったのだが、
「どうせくだらない用事なんだろう!」「殺すぞ!」「殴るぞ!」
と、絡まれて恐ろしい思いをした。
あれに比べれば、マシだろうか。

武蔵境のイトーヨーカ堂のフードコートで抹茶にソフトクリームが載った飲み物を飲んで一休み。
まだ腰が少し痛んだが、三鷹まで一駅。頑張って歩いてみた。
これで3時間以上は歩いただろう。
多少飛び跳ねもしたし、産気づくには十分な努力はした。
だが、夜遅くなっても特に変化は無い。

仕方がない。風呂に入って寝るか・・・。

風呂でいつもどおりスクワットやら腰回し。風呂から上がって体を拭いていると久々に生理痛のような苦しい痛みを感じた。
「お?」
トイレに行くと、おしるしめいたほのかな出血。
だが、期待し過ぎず寝る。
夜中の1時半頃、再びお腹がしくしく痛む。
治まる。
今度は3時40分頃しくしく痛む。
治まる。
1、2時間に一度痛みで目を覚ます。
これもまた治まるのだろうか?それとも・・・。
目を覚ます程の痛みとは言え、我慢できないほどでもない。

朝になってここまで書いていると、何の前触れもなくちょっと液体が漏れてきた。
だが、破水にしては量も少ない。
破水した人がよく言う「プチッ」という音もしなかった。
それに今はどこも痛くない。
一応病院に電話した方がよいのだろうか・・・。
予想では「痛みが定期的になるまで待ってみてください」と、言われる気がする。
始めておしるしが来たと思った2週間以上前に電話した時も、そう言われたしなぁ。
神経質だと思われるかもしれないが、よくわからないので一応電話してみよう。

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夜は満月

母乳育児のことを考えると、あまり刺激物は食べない方が良いらしい。
個人差もあるだろうが、かなり食べ物に制約が出てくるようだ。
というわけで、今のうちに刺激物が食べたくなった。
ランチタイムに近所のタイ料理屋へ。
いつも混んでいる店なだけあって、おいしかった。

その後、玉川上水付近を散歩。
太宰治はここらへんで死んだらしいが、川は見るからに浅い。
旦那さんと、こんな浅い川で溺れるのは不可能な気がするが、昔は深かったかねぇ・・・等と、どうでもいいことを話す。

その後、夕方まで個別行動。
出産に合わせて仕事を休んでくれていたが、四六時中一緒にいたらお互い何も出来ない。
大体夜までは勝手に過ごす。
私はおいしいパン屋兼カフェでPCに向かった。
向かいの席に私とほぼ同じ大きさのスイカ腹の妊婦がいた。
末期までお腹が大きくなると足も閉じられなくなる。
閉じるとお腹を圧迫してしまうのだ。
私はスパッツなので、ガツンと開いて座っていたが、彼女は膝丈のワンピース。
それで足を開いているので、ばっちりパンチラ状態。
それが気になってチラチラ見ていると彼女は同じ頃の妊婦としてこちらが気になっているのか、ちょっと話でもしたそうな様子。
うっかり話でもしたら仕事にならない。
それに彼女も私のどこかが滑稽だと思って見ていただけで、話したそうな様子というのは私のうぬぼれかもしれない。
気づかない振りをして仕事を頑張る。
仕事の質は良くなかったが、頑張れたのは良かった。

夜は久しぶりにちょっとだけ料理をしてみた。
と言ってもバジルの葉とニンニクと胡桃と塩をフードプロセッサーに掛けただけ。
それでパスタを食べ、さらにパン。
炭水化物&炭水化物という魔の組み合わせの夕食。
「太った~!」と、泣きそうになる。
パスタを食べたいと言った旦那さんを逆恨みしそうになる。
だが、パンまで食べたのは私。

この日は満月らしい。
来るか来るか・・・?と期待していたものの、何事も無かった。

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へ問題

旦那さんと井の頭公園内へあるウサギ館へ。
蕎麦粉のガレットを食べる。パリパリして美味い。

昼寝をしてから、近所のヤマダ電気へ。
PCの容量が少ないので、外付けのハードディスクとやらを買いに行く。
今後ニンタマの写真や動画を沢山撮ることになるだろうから、今のうちに買っておかねば・・・と思ったのだ。
だが、どれがいいのやらさっぱりわからない。
とりあえず「一番簡単なのを下さい」と、購入した。

マクドナルドでPCに向かって仕事を頑張るが、やはり頭がぼんやりしている。
3行くらいしか進まない。
ニンタマが生まれる前でこの有様。
産まれてから一か月したら、本格的に仕事を再開しなければならない。
私の頭はちゃんと働くのだろうか・・・。
やるしかないので、考えても仕方がないのだが心配になる。
今、怠けておいた方がやる気が出るのでは・・・と、思ったり、
ここで怠けてしまうようでは産まれてからも頑張れない・・・と思ったり。
そんなことばかり考えて無駄な時間を過ごしてしまう。

夜は先日から頭を悩ませていたauの通信カードの件でお客さんが来ることになっていた。
去年ロリータ男爵でお世話になった役者さんが、auのサポートセンターで働いているとのことで、助けてくれることになったのだ。
まさに私のようなトラブルを抱えた客相手に電話でサポートをしているらしい。
夜10時頃に三鷹へ到着・・・ということだったが、人身事故が起きたらしい。
小一時間電車は停まっていた模様。
間の悪いタイミングになってしまい申し訳なく思う。
結局、通信カードと私のPCの接続が悪いのが一番の問題だったが、ショップの店員やら普通にサポートセンターでたらい回しにされていた時には全然教えてもらえなかった疑問点やらも解決。
素人の私でも簡単に接続できるように、セッティングもして貰えた。

彼にPCを見てもらっている間、私は待ち切れずに先にケーキを食べたり、座った拍子に「プッ」と、屁をコいてしまって
「ごめんね~、最近お腹重くて緩くなっちゃって・・・」
言い訳したりと、ロクなことをしていなかった。
旦那さんはせめてものお礼に・・・と、私にも出したことが無いような美しいオムレツを作っていた。
機械音痴な我々が一か月かかっても解決できないような事が、一晩で解決。
助かった。
出産前に一つ不安が解決した。ありがたい。

彼の帰宅後、旦那さんに「屁コいちゃったよ」と話したら、
「芝居をやっている先輩としても、女の人としても、それまでのポイントがここまでだったとしたら、一気に下がったんじゃない?」
と、身振りで説明されながら笑われた。
だが、「私は、いつでも屁をコいたり、ボロボロ食べ物を零しながら食べたりしてもポイントを下げるような生き方はしてない!そういうジャンルで勝負してないんだ!」と、生き方レベルの力説をした。
本当のことは分からない。
どこで勝負しているのか?というのも我ながら不明。
ただ、自然体などという胡散臭い生き方がいいとも思わない。
自分なりに男受けを考えたり、些細なポイントでカワイコぶったり、計算したり、それなりに工夫してるつもりは・・・あるのだ。
その世界では余程臭い屁でなければ、屁など大した問題では無い。
まあ、コかない方がいいには決まっている。

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お腹の中はのんびり屋

いつも熟睡するタイプの旦那さんが、あまり眠れなかったという。
私の陣痛が始まって入院するのでは?と緊張していたのだ。
陣痛の痛みはこんなもんじゃないと言っていたのだが、始まったと思い込んでいたようだ。
のたうち回るほど痛くはあったが、これからはあまり痛みを訴えないようにしなければ。

今週も検診へ行けてしまった。
「巨大化している気がします」
と、訴えると推定体重を測ってくれた。
思ったより増えていなくて3090グラム。
3500越えをしているかとビビっていたので安心した。
ここのところ、食欲が旺盛でモリモリ食べ過ぎていた。
当然体重も増えていた。
ニンタマが肥えているのだと思っていたが、肥えているのは私だった。
だが、安心はできない。
ニンタマが巨大化している訳では無くても産道に脂肪がついたら難産になってしまう。
この日も赤子は先週とあまり変わりが無い様子。
子宮口は柔らかくなっているらしいが、全然開いていない様子。
そして、股間に頭をグリグリ押し付けられるような痛みを感じているので、大分降りて来たはずだと思っていたが、あまり下がってもいない様子。

太ってはいかんと思っていたのだが、この日もアイスクリーム工房へ。
キャラメルと宇治金時のアイスをダブルで食べる。
ウマすぎる。
来週もここでアイスを食べられてしまったらどうしよう。

今日も先生に「何事もなかったら・・・また来週」と、言われた。
37週目でそう言われた時は
「何事も?ってもう生まれるの?早すぎる・・・」
と、気持ちの準備も出来ていなかったが、もはや40週を超えた。
本当に出てくる気があるのだろうか?
私よりちょうど一か月早い予定日だったコも「出てくる気あるのかなぁ」と、言っていたが、41週目には産まれたらしい。
以前旦那さんに
「私に限っていつまでも出てこないのじゃないだろうか・・・」
と、不安を訴えたことがあった。
「何?自分は特別な人なの?」
「いや、普通」
「じゃあ、出てくるよ」
と、当たり前のことを言われた。
中学生の時、初潮を迎えた後、しばらく生理が来なかった時があった。
何の身に覚えも無いが、知らないうちに妊娠したのではないだろうか?と怯えたことを思い出した。あの頃から思考回路が成長していない。

先週から旦那さんが仕事を休んでくれていたが、明日は仕事。
7日以降には普通に毎日お仕事が入っている。
なるべくお休みの日に出てきて欲しいものだ。
こんなことを考えても何も変わらないし、なるようにしかならない。
時間の無駄なのだが、ついつい考えてしまう。

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ニンちゃん

朝にはやはり腰に痛みが走る。
だが、体が温まってくると治ってしまう。

昼過ぎからスタバで仕事PCに向かう。
夕方の6時過ぎまで粘るが、頭がぼんやりしているせいか、仕事が捗らない。
捗らないわりに疲れて、気持ち悪い。

旦那さんがごはんを作ってくれたので、食べてからしばらくすると、激しい胎動を感じた。
あまりに動き回るので、痛くて脂汗をかいてのたうち回っていた。
「いよいよかな?今日かな?」
と、旦那さん。
「いや、陣痛ってのは多分こんなもんじゃない。これはただニンタマが暴れ回っているだけだから」
というのだが、旦那さんは慌てて支度を整えていた。
「呑気だし、今まで痛い思いいっぱいしてるから、こんなもんじゃないって言って気付かなかったりするんだよ」
と、言われる。
だが、陣痛は規則正しい波で訪れると言うが、この痛みは不規則だ。
子宮の収縮って感じの痛みでも無い。
とりあえず、お風呂に入る。
体が温まったらやはり治まってしまった。
痛いのは困るが、毎回治まってしまうのも困る。

それにしてもでデカくなった。
そして、力強く動くようになった。
初めは腸の動きと区別がつかないくらいだったが、次第に金魚のような感じになり、いつの間にやら人らしい動きをするようになったニンタマ。
腸やら金魚にはバカらしくて話しかける気持ちにならなかったが、人っぽくなってくるといつの間にか、毎日語りかけるようになってしまった。
一応、旦那さんが名前を考えているのだが、普段は
「ニンタマや~い!」
と、腹をたたいたりしている。
最近この4文字も面倒になり「ニンちゃん」になったりしている。
いつの間にか考えていた名前より馴染み深くなっていた。
「もう・・・ニンちゃんでいいか」
と、旦那さん。
「へ?どんな字?」
旦那さんが携帯で「にん」と打ち込んで変換すると
「荵(ニン)」という「葱(ネギ)」そっくりの字が出てきた。
「何、このネギみたいな字?」と、爆笑していると、腹にドスドスという動きを感じた。

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