出産当日
破水をしたものの、陣痛が進む気配も無いので家でのんびりしていた。
夜の12時頃から度々耐えがたいほどお腹が痛くなる。
これは・・・もしや本格的な陣痛?
時間を測ってみると、15分間隔から10分間隔の痛み。
初産の場合、陣痛が10分間隔になったら入院と言われていた。
一度病院へ電話をする。
来てもいいといわれるが、またフライングになっても恥ずかしい。
もう少し様子を見てみることにする。
2時頃には15分間隔だったり8分間隔だったりだが、確実に定期的な痛みが襲ってくるようになった。
旦那さんは朝の8時には大阪へ出発してしまう。
旦那さんがいる時に入院したほうがいい。
入院する為に支度を始める。
ご飯を食べておこうとするが、食べている間にも痛みが襲って来て、口に米を入れたまま深呼吸で耐える。
痛みが引いてから次の痛みが来る前にがつがつかっ込む。
タクシーの中で、3度ほど陣痛が来た。
車内では混成合唱団が歌う「小さい秋」が流れていた。
夏に生まれるはずだったのに、秋生まれ確定になってしまったニンタマ。
名前は決めていたが、これは「小秋(こあき)」という名前をつけろってことかしら?
痛さのあまりにそんなことを思ったり。
病院へついてから、赤ちゃんの心音と陣痛の数値を計る。
どうも病院へ来るとプレッシャーからか陣痛が遠のいてしまう。
本当は水中出産を希望していたが、破水してしまったので普通に分娩台での出産に変更。
残念だが、水中出産は自分で産み落とした赤ちゃんを取り上げたり、陣痛が遠のいたら自力でプールに出たり入ったりでかなり体力がいるらしい。
希望した人の半分しかうまくいかないという体力勝負の挑戦だ。
すぐ挫折するかも?と思っていたので簡単に諦めがついた。
入院部屋で少しでも眠ることに。
部屋にはベッド一台と付き添う人のためのソファーベッド。
「俺、そばにいた方がいいかな?」
と、旦那さんが、同じベッドに来て陣痛の度に腰をさすってくれた。
ありがたいのだが、痛みが半端なく、触られると却って痛さが増してしまう。
陣痛の合間に寝てしまった旦那さんがいると、狭い空間で痛みに耐えなければならない。
結局ソファーベッドに移動してもらう。
眠ろうとじっとしていると却って陣痛の痛みと向き合う形になってしんどい。
多少体を動かしている方が楽だった。
助産師さんがバランスボールを持ってきてくれる。
バランスボールで跳ねていると赤ちゃんが下がりやすく子宮口も開きやすくなる。
ガンガン跳ねて、陣痛が来ると股関節を伸ばして深呼吸を繰り返す。
だが、次第に疲れてきた。
かなり長いことバランスボールで粘ったが、赤ちゃんは一向に下がってこない。
今度は助産師さんが巨大なビーズクッションを持って来てくれた。
それに覆いかぶさるようにしていると良いらしい。
痛みが無い時は楽な姿勢で覆いかぶさって、陣痛が来たら四つん這いで背中と腰を丸くして深呼吸。
旦那さんが、朝の7時に三鷹メイトの親友に電話。
病院に来てくれるように頼む。
旦那さんもギリギリ粘って9時まで居てくれることになった。
こんな痛みでのたうっている人を置いて、出かけるほうもしんどいだろうと、可哀そうになる。
旦那さんは翌日の朝9時頃まで戻って来られない。
いる間に産めなかったら翌日まで待って産みたい・・・と思っていたが、この痛さを24時間以上耐えられる気がしない。
その時点ではお昼ごろの出産になる気がしていた。
朝の9時頃、親友と旦那さんがバトンタッチ。
彼女は飲み物やおにぎり、チョコレートなど沢山買ってきてくれていた。
痛みの間にちょこちょこ食べる。
長い付き合いだが、ここまで痛みにのたうち回って獣のようになっている姿を見せるのは初めて。
だが、酔っ払って正体不明になったり、性質の悪い状態になっているのは何度も見られている。
気がつくとお産が終わるだろうと思っていた12時を過ぎていた。
助産師さんに「だいぶ進みましたね。」と、言われる。
嬉しくなる。
「ちょうど、今半分くらいまで来ましたね。これからもっと痛みが強くなって行きます」
後で親友にあのときの私のショックを受けたような顔は忘れられ無い、と言われた。
副院長先生の診察を受けて午後から陣痛促進剤を打つことになった。
当初、なるべくそういう処置の無い出産を希望していたが、痛さのあまりにどうでもよくなっていた。
睡眠不足がたたって、体力もない。
陣痛に耐えるための四つん這いのポーズのまま気が遠くなって何度も訳が分からなくなっていた。
陣痛の合間に親友にカメラの使い方を説明。
こんな大雑把で大丈夫なのだろうか・・・というような説明しかできない。
分娩台へ移動。
促進剤を打っても疲労のあまり眠気が襲って来て、あまりパッとしない様子。
だが、しばらくすると、凄い痛みが襲ってくるようになった。
親友に頼んで、好きな韓国ドラマ「バリでの出来事」のサントラやこの日のために編集したCDをかけてもらう。
陣痛の合間には韓国語の歌を口ずさんだり。
だが、次第に体力を消耗して行き、断念。
「神様、ごめんなさい。私、出産舐めてました。もう、なんでもいいからこの痛いのなんとかしてください。私のような軟弱モノにはとても耐えられそうにありません。無理です。」
何度も弱気になった。
この一日が一生続くような気がした。
韓国語の歌のCDを何度も聞いたので、今度は口笛の曲が入ったCDを掛けてもらう。
痛くない時には口笛も吹く。
歌うことも口笛を吹くことも助産師さんに提出したバースプランに書いていたことだった。
だが、口笛も疲れるのでいつの間にかやめてしまった。
陣痛が凄いペースで襲ってくるようになってきた。
再びビーズクッションに覆いかぶさって痛みをしのぐ。
初めは呼吸だけで耐えていたが、いつの間にか自分でも聞いたことが無いような唸り声を出していた。
こんなに叫んだら、芝居ではすぐに声を枯らすよ・・・と思うような声。
しかし、体の奥からしぼり出るような声だからか、声帯に負担がかかっていない様子。
出しても出しても声がかれる気配が無い。
不思議。ちょっと感心する。
だが、声を出すとやはり体力を消耗する。
途中で止めてみたり。やっぱりしんどいので出してみたり。
出産体験の情報で、トイレに行くと陣痛が進む・・・というものがあった。
だが、私の場合トイレに行くのはとても苦痛だった。
まず、行く途中に痛みで動けなくなり、ようやくたどり着く。
便座に座るという行為も腰にものすごい重さと痛みが来て、切なすぎて息が出来ない感じになる。
下着を脱いでしまったら、痛みのあまり永遠に履けない気がしてしまうが
「ぬぉ~~~!」
と、叫んでなんとか履いたり、陣痛で壁に持たれたりしながら戻る有様。
そんな訳でそろそろトイレに行った方がいいかもしれない・・・と思うと怖くて仕方がなかった。
何度か意を決してトイレに行ったが、行くたびにしんどさは増して行った。
親友が撮影をしていると、助産師さんが
「カメラマンなんですか?」
と、尋ねる。
「いえ、今日初めてカメラ持たされて・・・」
と、親友。
家族以外の立ち会いはめずらしいらしく、友達だと言うと驚かれる。
親友は私の様子を写メールで旦那さんに送り続け、旦那さんからの励ましのメールを私に見せ続けてくれた。
院長先生にも診察してもらう。
子宮口がまだ7、8センチしか開いていないらしい。
10センチにならないと全開では無い。
「でも、子宮口が柔らかくて薄いから、これイキんだら全開するぞ」
と、先生の誘導の元、イキむように言われる。
「ウンチを出すようにイキんで」
そんなことしたらウンチが出てしまうよ・・・と思いながら、最早出てしまってもかまわない・・・という開き直りでイキむ。すると
「ほら、開いた!」
と、院長先生。
周りの助産師さん達もちょっと驚いている様子。
今まで妊婦本や母親学級的なところではイキみたくなるのを、我慢するのが大変・・・ということだった。
だが、私は全くイキみたくならない。
ちょっと様子が違うようだ。
それから、分娩台でイキみ続ける。
思わず目をつぶると
「目は開けてください」
と言われる。
そうだったそうだった!
イキむ時は目を見開くようにって本にも書いてあったのに、私としたことがミステイク!
目を思いっきり見開く。
後で、親友が撮った映像を見ると、猫ひろしのTシャツを着て、明らかに異常な程目を見開いている私が映っていた。
その映像を後に見て、旦那さんも私も噴き出すほど、おかしな顔をしていた。
普段はイキむ時、お尻をすぼめるようにイキんでいたので、全開にするイキみ方は自分の体を壊す方向。
どうしても抵抗がある。
だが、自分にとってのタブーを犯す方向で臨むと
そうそう、その方向!」と、褒められる。
「上手上手」とも言われる。
こんなに褒められるのだから、もう生まれるだろう・・・と思ってから数時間。
明るかった窓の外が薄暗くなってきた。
「トイレに行きましょう!」
と、言われる。
トイレ・・・!
しんどさを思うと気が乗らない。
「お産が進むので頑張って行きましょう!」
のたうちまわりながら、トイレへ。
戻ってきたら、今度は四つん這いでイキむように言われる。
今の自分にとって四つん這いは苦行に思えた。
その旨を言ってみたが、
「何度か頑張って見てから普通の分娩のポーズに戻ってもいいし」
と、諭され四つん這いに。
これが、半端ない苦しさだった。
弱音は吐かないつもりだったのに、何も考えられなくなり、
「これ、イッテェ~~~~~!」
と、叫んでしまった。
いかんいかんと気を取り直す。
もんどり打ちながら、苦痛に耐える。
自分の意思でわざわざ痛い方向へ頑張らなければならない。
頑張るほど、体が壊れそうな、腰が砕けるような恐怖が襲ってくる。
自棄になって「腰を砕いてしまえ!」と、自分を破壊する方向にイキみ続ける。
四つん這いをやめて普通の分娩のポーズに戻っていいと言われた時には、ほっとした。
再び院長先生が来たり、副院長が来て診察をしたり。
全力を使ってイキむと、本当に最後の最後にスタミナが切れるからペース配分をした方がいいと、助産師さんには言われていたが、院長先生には毎回もっと全力で頑張るように言われる。
陣痛が来る度に深呼吸をして、一旦息を止めて、2回から3回イキむ・・・ということを続けて3時間あまり。
副院長先生の指示で助産師さんが、注射やらハサミを用意していることには気付いていた。
出来れば会陰切開はしないで行きたい・・・と思っていたけれど、やっぱり切開が必要になってしまったのね・・・。
でも、早く済むならどうでもいい。
陣痛促進剤に引き続き、会陰切開に関しても最初のプランとは違ってしまった。
だが、とにかくこの痛みから一刻も早く解放されたい。
ニンタマの頭が見えてきたような事を言われる。
発露ってやつかしら?
「ハッハッハッハと呼吸してください!」
あれ?これってもう頭が出て後は赤ちゃんが出てくるだけって状態になった時の呼吸では?
言われた通り
「ハッハッハッハ」
と、短い呼吸を繰り返す。だが、
「もう一度だけイキんで下さい!」
と、指示が来た。
イキむこと数回。
どのタイミングか分からないが切開する時に備えて麻酔の注射も打たれていた。
「ちょっとだけ手伝うだけですから」
と、赤ちゃんの頭を吸引する機械を使うことになった。
それを体内に入れられても、最早痛いのかどうかもわからなかった。
よく分からないタイミングで「ブシュ~ッ」と、音がした。
「生まれました!」
周囲がざわざわした。
え、全然手応え感じなかったけど・・・出たの?
あれだけの痛みが続いた割には拍子抜けするほどなんの違和感も無く出てきたようだ。
副院長先生や助産師さん達が何やらごそごそしていると、
「フンギャ~フンギャ~」
と、ドラマでよく聞くような赤子の鳴き声。
血だらけのウニュウニュした物体を胸元へ持って来られた。
よく見ると確かに人だった。
あれ?血に混じって肘あたりにウンコみたいなものが・・・。
これ、私がこのコと一緒に出したのかしら?
若干、不安。
「ニンタマ・・・本当に出てきた・・・」
当たり前のことだが、びっくりした。
これか・・・これがいたのか・・・。
親友に声をかけられ安堵のあまり
「にゃ~~~」
と、言っていた。
以前から多分女のコと言われていた通り女のコだった。
しばらく血まみれのニンタマを抱いていたが、間もなく風呂やら体重測定で連れていかれる。
「赤ちゃん胎毒下しを飲ませるまでもなく、たくさんウンチしてますよ。もう、3回もしました」
と、助産師さん。
産まれた瞬間からいろいろ測定をして服を着せてもらうまでの間に3度もウンチをしたらしい。
母体にいるときに溜まった毒を下す漢方薬を初乳より先に飲ませると、アレルギーが起きにくいと聞いたので、母に漢方を煎じて貰った漢方薬を助産師さんにお願いして飲ませてもらうことにしていた。
ああ、ニンタマの腕についていたウンコは私のでは無かったんだ、ニンタマのウンコだったのか・・・。
ほっとする。
ちょっと雑談などをしていたが、胎盤が中々でて来ない・・・という事態になってしまった。
癒着がひどくて取り出せないらしい。
いろいろ処置をされるが、ものすごく痛い。
産み落としたら、それ以上の痛みはないと思っていたのに・・・痛すぎる。
しかも、体に力が入っていたからか、寒くもないのに歯がガチガチ鳴り始めて全身が痙攣するように震え始めた。
何これ?
テレビで見たマラリヤ患者みたい。
ちょっと大変なことになってるようだけど、大丈夫かしら?
「頭をぼんやりさせる薬を入れます」
というようなことを言われた。点滴を打たれる。
気がつくと大分時間が経っていた。
親友はまだそばに居てくれた。
旦那さんが夜の仕事をキャンセルしてこちらへ向かっているらしい。
胎盤も食べた。
調味料として、朝、親友にゴマ油と塩を買って来て貰っていたのだ。
レバ刺し気分。
思ったより不味くもなかったが、ヤバい程おいしいわけでもなかった。
精がつくらしいが、割とあっさりしていた。
私は自分のことで切羽詰まっていて彼女のいられるケツの時間を聞いていなかった。
仕事があったのに、それを押してそばにいてくれたらしい。
私が目覚めてしばらくしてから、仕事へ戻って行った。
何時まで居られるか聞いて、その時間に出してあげれば良かった。
でも、彼女がいたから乗り切れた。
変に「痛いの?可哀そうにねぇ」などと、オロオロされたら、自分でも悲創感たっぷりになって戦う気力が保てなかったのではないかと思う。
常に明るくふるまってくれて、飲み物を飲ませてくれたり冷たいタオルで汗を拭いてくれたり。
本当にしんどい時に必要なのは、余計な励ましでは無いのだなぁと実感。
助産師さんから、胎盤を取る処置をしている時、私が2000cc出血したと聞かされた。
だが、興奮しているのでべらべら話す。
添い寝の態勢で初めての授乳。
仙台の母、従妹のMちゃん、父からそれぞれ病院へ電話があったと聞かされた。
予想では旦那さんに立ち会ってもらって出産するつもりだったので、旦那さんに連絡を頼んでいたのだが、旦那さんは仕事。
「たぶんその前に生まれると思うけれど、もし7日に出産になってしまったら来てもらえるかな?」
と、頼んでいた親友にも、陣痛が始まって入院して朝になってから急いで来て貰った。
あまり現実的に考えていなかったので、連絡のことは忘れていた。
朦朧としながら電話で報告。
出産したのは、9月7日、夕方の6時27分。
分娩所要時間15時間8分。
その後も10時過ぎるまで分娩台にいた。
夜の仕事をキャンセルした旦那さんが来てくれた。
ニンタマはどちらかというと旦那さんに似ている気がしたので、
「似てるよ」
と、言うと、旦那さんがよく分からない顔をしていた。
「でも、旦那さんに似た子供が生まれるのっていいですよね」
と、助産師さん。
「そうですね。黒人とかじゃなくて。自分の子だって安心しますよね」
私がそう言ったら困惑していた。
「いや、好きな人に似てるって嬉しいじゃないですか」
心の美しい発言にハッとした。
冗談のつもりとはいえ、そんなこと言わなければ良かった。反省した。
ほっとしたからか、その後のことは朦朧としてあまり覚えていない。
覚えているのは出血の割に元気だと驚かれたこと。
数値は覚えていないが、自分としてはびっくりするほど血圧が高かったこと。
重病人のように車椅子で運ばれて部屋まで戻ったこと。
ベッドの上でも添い寝で授乳している写真が残っていたので、授乳もしたのだろう。
妊娠中から、できれば二人目も欲しいと思っていたが、こんな痛い思いをするのはもう金輪際無理・・・。
でも、とりあえず、無事にニンタマを取り外し出来たので満足。
お腹はまだ、妊娠6か月位の状態。
ああ、中身が無くなったのに、こんな状態なのか・・・。
驚いたが、最早どうでもいい。
疲れと興奮で眠れなかったが、驚くほどその後のことは覚えていない。