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必要とされている実感

お休みをいい事に一日中寝る。何故こんなに眠いのだろう。
寒いので無気力。暗くなっても部屋から一歩も出ずに寝たり起きたり。

宅間守容疑者の獄中結婚について考えた。
二人の女性から求婚されたらしい。32歳と36歳。
結婚したのは32歳の方。
36歳の女性は、文通のやりとりで、「自分が子供を殺す前にあなたと会っていたら、馬鹿な事やってんじゃないわよ、と止めてくれたでしょう」などと、書かれていたと発表している。
しかし、結婚したのは32歳の方の女性。
やっぱり若い方が良かったのだろう。
それにしても、何故二度と社会に出てこないような人と結婚しようなどと思うのだろう。
真剣に支える人がいれば、自分のした事を自覚して人間性に目覚めるかもという、博愛精神ではあるが、理解できない。身近に結婚したいような人はいなかったのか。
また、誰かを変えたり、助けたりできるなんてそうそう出来る事では無い。
宅間容疑者が、犯罪を犯す前に知りあっていたら、暴力を振るわれたりしていたに違いない。

でも、身近にもそういう事はよくある。
知りあいのお嬢さんで、精神病を患い、男性から男性を渡り歩いた揚げ句、変死した人がいる。
彼女の一時恋人だった男性は、別れた後もずっと彼女の面倒を見続けていたらしい。
相手に破綻があれば、自分が必要とされている実感が得やすいのだろう。
そういう面では利害が一致しているのだから、何の問題も無いのかもしれない。

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