キダムがキます
キダムを体験。
アコーディオン教室の生徒さんにチケットを譲ってもらったのだ。
彼女は大手製薬会社に勤めている。
取引先の人にキダムのチケットを3枚調達するように言われたのだ。しかし、結局一人来られない事になり、一枚余ったとの事。
彼女も同席するが、取引先の人にチケットを余らせた事を気にさせないため、現場では知らないふりをして欲しいと言われた。
私が席に着くと彼女は既に座っていた。同行の人に分からないように目配せする。
パフォーマーが客を誘導しながら時折悪戯したりして場内は和やかな雰囲気だった。
ショーが始まってからは夢見心地。
瞬きするのも惜しいほど、奇跡に満ちていた。
奇跡しか行われていないといっても過言ではない。
パフォーマーの体は完ぺき。どんなに跳躍しても、足音もしない。しなやかなムチのよう。
運動神経がいいというのは、筋力と、脳と体との情報伝達の早さだ。
余りの早さに脳と体が同化しているようだ。
体中に隈無く脳があるのではといった有り様。
体だけではない。
扱っている、ロープやボールといった器具にまで体の一部のように何かが宿っていた。
まだ10歳位の少女達がディアボロをやっている時には涙が堪えられなくなる。
ディアボロとは糸巻き状のモノを紐でしごく事によって、コマのように回転させ、それを高く放ち再び紐で受け止める種目だ。
少女達は空に放っている間に、前方回転をしたり、紐で何度も縄跳びをしたり、ペアを組んで相手の方に飛び乗って受け止めたりしていた。
子供なので、動きが軽く早い。頼りないのに正確な所が、一層見ごたえのあるものに仕上がっている。
また、人間が人間を受け止めるトランポリンになり、その上を様々なウルトラC技でジャンプしていく凄まじい技もあった。
高いロープにぶら下がり複雑に体に絡みつけ、落下しても良い所で止まるようにしながら回転したり。
想像もつかない世界だった。
一週間毎日通い詰めても、見飽きる事はなく、新鮮に感動できそうだった。
このパフォーマンスが出来る人も凄いが、奇跡を最高な状態で手を変え品を替え見せる、シルク・ドゥ・ソレイユの創設者も神のようだ。
この世のどんな人達より優れた集団に思えた。
休憩時間に後ろの女性が「あたしも、あのロープにぶらさがりたい。バク転は途中までできたのに、挫折したの」などと、話していた。
蟻が富士山に登るつもりか!と怒鳴りつけたくなった。
バク転出来る人なんて身の回りには山ほどいる。次元が違いすぎるという事が分からないのだろうか。
どんなに努力しても出来ない人が殆どの筈だ。生き物として彼らは選民なのだ。
この催しが出来るまでにどんな努力をしたかなどと、知ったかぶって慮る事さえ失礼な気がした。
何度も泣く。この人達が一生裕福に幸せに暮らせますようにと切に願った。
自分の将来さえ定まらない私がこのように願うのも馬鹿げた事だ。
以前友達がホテル住まいをしていた。
どうやら、長期宿泊できる特別な部屋だったようだ。
同じ界隈にサルティンバンコの人達が、一部屋4人位で自炊生活をしていたらしい。
彼女はブルジョワジーだったので、彼らを疎ましく思っていたようだ。彼女もこれを見れば良かったのだ。
しかし、これほど世界中を熱狂させる人達が相部屋で自炊とは。もっと豪遊していてもいいはずなのに。
しかし、体をきちんとした状態にするためにも自炊生活はいいのかもしれない。
豪遊などして体を訛らせるような愚かな事はしないのだろう。
もっとも、今は状況は変わっているのかもしれない。
しかし、よく役者は芸が良ければ私生活がどんなに爛れていたとしても構わないなどと言う人がいる。
基本的にはそうかもしれない。実際そこまで感動させる役者など殆どいない。
やはり人としてちゃんとしていなければいけないと思っていた。
しかし、今日は別だった。
この人達が何人騙したり、殺したりしたとしても、素晴らしいものは素晴らしい。
構わないという気持ちになった。
アコーディオン教室の生徒さんにチケットを譲ってもらったのだ。
彼女は大手製薬会社に勤めている。
取引先の人にキダムのチケットを3枚調達するように言われたのだ。しかし、結局一人来られない事になり、一枚余ったとの事。
彼女も同席するが、取引先の人にチケットを余らせた事を気にさせないため、現場では知らないふりをして欲しいと言われた。
私が席に着くと彼女は既に座っていた。同行の人に分からないように目配せする。
パフォーマーが客を誘導しながら時折悪戯したりして場内は和やかな雰囲気だった。
ショーが始まってからは夢見心地。
瞬きするのも惜しいほど、奇跡に満ちていた。
奇跡しか行われていないといっても過言ではない。
パフォーマーの体は完ぺき。どんなに跳躍しても、足音もしない。しなやかなムチのよう。
運動神経がいいというのは、筋力と、脳と体との情報伝達の早さだ。
余りの早さに脳と体が同化しているようだ。
体中に隈無く脳があるのではといった有り様。
体だけではない。
扱っている、ロープやボールといった器具にまで体の一部のように何かが宿っていた。
まだ10歳位の少女達がディアボロをやっている時には涙が堪えられなくなる。
ディアボロとは糸巻き状のモノを紐でしごく事によって、コマのように回転させ、それを高く放ち再び紐で受け止める種目だ。
少女達は空に放っている間に、前方回転をしたり、紐で何度も縄跳びをしたり、ペアを組んで相手の方に飛び乗って受け止めたりしていた。
子供なので、動きが軽く早い。頼りないのに正確な所が、一層見ごたえのあるものに仕上がっている。
また、人間が人間を受け止めるトランポリンになり、その上を様々なウルトラC技でジャンプしていく凄まじい技もあった。
高いロープにぶら下がり複雑に体に絡みつけ、落下しても良い所で止まるようにしながら回転したり。
想像もつかない世界だった。
一週間毎日通い詰めても、見飽きる事はなく、新鮮に感動できそうだった。
このパフォーマンスが出来る人も凄いが、奇跡を最高な状態で手を変え品を替え見せる、シルク・ドゥ・ソレイユの創設者も神のようだ。
この世のどんな人達より優れた集団に思えた。
休憩時間に後ろの女性が「あたしも、あのロープにぶらさがりたい。バク転は途中までできたのに、挫折したの」などと、話していた。
蟻が富士山に登るつもりか!と怒鳴りつけたくなった。
バク転出来る人なんて身の回りには山ほどいる。次元が違いすぎるという事が分からないのだろうか。
どんなに努力しても出来ない人が殆どの筈だ。生き物として彼らは選民なのだ。
この催しが出来るまでにどんな努力をしたかなどと、知ったかぶって慮る事さえ失礼な気がした。
何度も泣く。この人達が一生裕福に幸せに暮らせますようにと切に願った。
自分の将来さえ定まらない私がこのように願うのも馬鹿げた事だ。
以前友達がホテル住まいをしていた。
どうやら、長期宿泊できる特別な部屋だったようだ。
同じ界隈にサルティンバンコの人達が、一部屋4人位で自炊生活をしていたらしい。
彼女はブルジョワジーだったので、彼らを疎ましく思っていたようだ。彼女もこれを見れば良かったのだ。
しかし、これほど世界中を熱狂させる人達が相部屋で自炊とは。もっと豪遊していてもいいはずなのに。
しかし、体をきちんとした状態にするためにも自炊生活はいいのかもしれない。
豪遊などして体を訛らせるような愚かな事はしないのだろう。
もっとも、今は状況は変わっているのかもしれない。
しかし、よく役者は芸が良ければ私生活がどんなに爛れていたとしても構わないなどと言う人がいる。
基本的にはそうかもしれない。実際そこまで感動させる役者など殆どいない。
やはり人としてちゃんとしていなければいけないと思っていた。
しかし、今日は別だった。
この人達が何人騙したり、殺したりしたとしても、素晴らしいものは素晴らしい。
構わないという気持ちになった。
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