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「偏屈」

母から電話。
上海から帰ってきたらしい。兄と旅行に行っていたのだ。
二人で昨日が私の誕生日だと話していたらしい。
母からのメールに返信をするのが遅れたため1日遅れて、私が拗ねているのではないかと話していたと言う。
冗談ではない。19の小娘ではないのだ。
19の誕生日、友達2人と受験勉強をしていた。
その二人の誕生日を私は記憶していて、真っ先に祝った。プレゼントもあげた。
だから、自分で催促しなくても、きっと祝って貰えると思っていた。
しかし、帰るまで二人とも気付かなかった。とぼけていたわけでは無く忘れていた。
意気消沈して仙台の母に公衆電話から電話をした。
普通に世間話をしたが、何も言い出す気配は無い。
恥を忍んで、「何か言う事は無い?」と、聞いた。
「勉強頑張ってね」と言われ、激昂して大泣きした。
その日の日記はすさまじい事を書いていた。
自分が祝ってもらいたかったから、友達の誕生日も忘れずに祝ったけれど、誰も自分の事など、気に留めていない。もしかして気に留めてもらえているかもと、おこがましい希望を持った自分を呪う事を3ページ以上書いていた。
思春期とはしんどいものだ。今はそんな事で傷つかない。
しかし、母から「あんたも年になったねぇ」としみじみ言われたのは腹立たしかった。
親というものは、子供が年寄りになろうが子供に見えるものだと思っていた。
年寄り扱いされる事もしゃれで聞き流せるようになった。
しかし、親に年寄り扱いされると「あんたの方が老けたよ」とも思ってしまう。
言わないでいてあげているのに、なんという無神経ぶりだろうか。

かねがね、肉親と正月を過ごすなんて気持ち悪くて出来るかと思っている。
一人暮らしを始めてから、正月を家族が大手を振るって跋扈しているのを薄気味悪く思っていたのだ。
子供が小さければ仕方がない。
友達や恋人はいつ離れるか分からないから、縁があれば一緒にいた方がいい。
しかし、家族なんかになったら、義務やノルマとしか感じられない。
正月実家に帰るのを楽しみにしている人なんか、どのくらいいるのか。
母には頑なに正月に会おうとしない事を責められる。
「おかしな子だ。今はまだいいけれど、年をとってからそんな事されたんじゃたまらない」と言われた。
普段、つきあっているだけでは駄目らしい。正月は寂しくなるから会いたいようだ。
でも、私のこだわりを曲げてまで、自分の意に添わせたいのだろうか。
ほって置いてくれれば、そのうち気が向いて一緒に過ごす気にもなるかもしれないのに。
そう思ったら、今までお付き合いがうまく行かなかった人達に対する自分の態度を思い出した。
間違ってはいないけれど、逆効果な事を沢山してきた。
嫌みの言い方なども母と私はそっくりだ。血のつながりは恐ろしい。

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