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岐阜行

 自主制作映画のため、岐阜へ。本格的に撮影に入るのはまだ先なのだが、私はターレーという乗りモノを運転する役なので、その練習を行うのだ。ターレーとは、市場で品物を運ぶ為の乗り物らしい。車に乗れる人なら大丈夫とのこと。しかし、私はぺーパードライバーなのだ。どうなる事やら。
 新宿でメイクのさっちんという女の子と待ち合わせ。彼女はこのまま、岐阜へ7月終わりまで滞在した後、住み込みのバイトに2ヶ月行くという。考えられない程大荷物だった。私はアコーディオンを持ってたり、大荷物のことが多いので、しばしば人に荷物を持ってもらうことが多い。いつも、非常に助かって嬉しかった。その恩をここで返そうと荷物を少し持ってあげた。今まで、皆よく人の荷物など持ってくれるものだ、自分はそんな親切心を持ち合わせていないと思っていた。しかし、親切心ではなく、目の前で異様な量の荷物を持っている人を見たら、持たないでいる事の方が、しんどいという事が分かった。
 スタッフの多田さんと森本さんに車で拾ってもらう。明け方、酔っぱらったハイテンションの人がうちに遊びに来たので、あまり眠れなかった。布団も占領され、目が冴えてしまう。少々情緒不安定だったので、その原因と思われる人に架空のメールを5000字ほど打った。車の中で読み返すと死にたい気持ちになったので出すのは止める事にした。
 そのまま爆睡。調布でもう一台の車と合流し、再び爆睡。談合坂で休憩、松本で休憩。その後、撮影場所の候補になっているダムや橋のある所を見学。そこで葉っぱを摘んで草笛の練習をした。なかなか音がならなかったが、一端おならのような音がなってから、結構いい音が鳴るようになってきた。さっちんにも草笛を強制。なかなか苦労していたようだが、彼女も音をならせるようになった。童心に帰る。
 宿泊する民家に到着したのは19時20分頃。今は空き家だという。全体的に茶色で、土や草木に溶け込んでいたので、始めは家が見えなかった。辺りは本当に真っ暗。虫とカエルの声しかしない。
 温泉に行った後食事。食事担当の森本さんが、鴨の鍋を作ってくれていた。正直炊き出しにはそれほど期待していなかった。まさか、鴨が出てくるとは。一時期流行った「失楽園」というドラマや映画に「鴨とクレソンの鍋、二人の思い出の料理ね。」といった感じのセリフがあったように思う。それで、自分なりに鴨とクレソンにキノコやワインなどを入れた鍋を作成したことがあった。自覚的に鴨を食べたのはその時が初めてであった。以来鴨は大好物なのだ。滅多に食べられないのだが。鴨が出てきただけで幸せな気持ちになった。
 その後部屋割り。私は台所の脇にある三畳間に目をつけていた。電気もつかないがここなら一人になることが出来そうだ。しかも、いかにも女中部屋といった北向きの感じもよかった。監督の西谷さんに、「本当にここでいいのですか」と何度も聞かれた。
 その後メイクのさっちんにヘアメイクして貰う。顔は左半分だけ。モノモライはどうも悪化しているとしか思えない。昨日膿を絞ったあと、家で自分で再びしぼったのだが良くなかったのかもしれない。絞り漏らしがあったらと待っていられない気持ちになったのだ。メイクをしてもらって西谷さんにOKを貰った。その間暇さえあればモノモライの観察をしていた。どうも、膿を絞った所とは別な所にもう一つ腫れている箇所があって、そこが酷く熱を持っている。目を閉じると眼球に当たって痛い。私はどうなるのだろう。この顔でいるのはもう、うんざり。

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