ノドとの日々
待ち望んだお休み。公演期間を振り返って見ようと思う。
騙し騙し持たせられるとタカを括っていた声の調子が、どんどん悪化する。劇場入りしてから回復すると思いきや、回復の兆しが無い。咽喉に障害物があって、肺活量を倍使わないと声がでない。今まで、こんなことは無かった。本番前に注射を打ちに行ったので、治るものと信じていた。アルコールは当分控える。
初日は無事に終了。なんとか持ち直しそうと一安心。土曜、日曜のマチネ、ソワレ連続公演に不安を感じながらも、乗りきれそうな予感がしていた。しかし、土曜マチネに初っぱなで声が出なくなる。いつも、もっとパンチを効かせた声でやりたいと思っていた所を少々強く言おうとした途端の事だった。咄嗟に次のセリフをゆっくり低い音階ですむように、言い方を変える。物語の筋としては怒鳴った方が分かりやすくなるのだが、甘えて拗ねたような言い方に変える。内容が伝わらないよりはましだ。ゆっくり丁寧に、意識的に肩の力を抜くようにすれば、なんとか音が出るようだ。しかし、この先何度か大声で叫ばなければならない。自分のセリフが来るのが恐ろしい。上手くマチネを乗りきれても、ソワレもある。不安でいっぱい。顔と動きを大げさに動かし、極力声を出さないで済むせたい。マチネが終った後、途方にくれる。制作さんに、少し休んだほうがいいと言われ、ソファに横になる。段々、心細くて泣けてきた。30過ぎて、泣くのを人に見られるのが恥ずかしいので、髪の毛を瞼の上に置いてごまかしていた。しかし、鼻水まで出てきて困る。長塚君の代役をやっていた山形君がハチミツのお湯割りを持ってきてくれる。恥ずかしくて目を合わせないように飲む。少し泣いたら、楽になってきたので気持ちを切り替える事にする。へらへら笑っていたら、もしかして声が出るようになるかもしれない。気を楽にするために、「今ここで声が出なかったからって、別に私の人生に取り返しのつかないことになるわけじゃない。恥かいたって、死ぬわけじゃないし」と自分に言い聞かせながら、手をぶんぶん振り回したりしていた。ソワレも、慎重に慎重に声を極力張らないで済む言い方に変え、自分としては不本意な音量の声で芝居を続けた。この日は中坪由起子嬢が来ていた。磯野慎吾さん、前田悟さん、「HAKANA」で一緒だった鈴木祐二君もいた。不調な自分を見られた事が辛くて、挙動不審になる。みんな「声は気にならなかった」と言ってはくれた。しかし、中坪さんと話しているうちに張りつめていた緊張が溶けたのか、大泣きしてしまう。小学生以下である。中山君が「お酒は100%咽喉に関係ないから、飲みに行こう」と言ったが、日常会話もロクにできないので帰る。そのまま、なにもせず寝る。
日曜の朝、制作さんが連絡してくれていた、東京医大の救急外来へ行く。車イスに膝を抱えて座り込み一切顔を上げない少女、点滴を打っている外国人労働者、大変そうな人が沢山いた。何だか、自分は状況が良い方に感じられた。しかし、咽喉の奥をカメラで見るために、鼻の穴に麻酔を打ちカメラを差し込まれたのは、辛かった。その後点滴。明日も来るように言われる。しかし、何となく声が回復している予感。安心してきた。この日は、ハイレグの掲示板に書き込みをしてくれている人から、ユンケルの差し入れを貰う。最初、知らない名前なので私あてじゃないと思った。中に手紙が入っていて、とても励まされた。小劇場では、男性陣はよくお客さんから差し入れを貰ったりしているが、女性は殆ど無いのだ。いつも、ちょっと羨ましいと思っていた。それが、調子を崩しているタイミングで差し入れて貰ったので、嬉しかった。辛い思いをしても報われないと思っていたけれど、頑張る甲斐がある気持ちになった。
怒濤の4回連続公演を終えたので一安心。9日の午前中に再び東京医大へいく。しかし、ここでお医者さんに怒られる。私は昨日打った点滴はビタミンや栄養剤なのではと思っていたのだが、ステロイドだった事を知らされる。回復してきて出るようになっていた訳では無かったのだ。しかし、11日の楽日は再び2ステージ。「11日の午前中に出来れば注射打っていただきたいのですが」と懇願する。「職業病だとは思うけれど、ステロイドは凄く強い薬で、様々な障害を引き起こす副作用もあります。声が出ないからといって安易に打っていい薬ではないのです。僕は打ちたくありません」と厳しい顔で言われる。ステロイドがあまり良くないと言う事は、とっくに知っている。しかし、先々の訳の分からない副作用より、今はとにかく声の事で頭がいっぱいなのだ。お医者さんは「長期的に効き目のある点滴を、今日は打ってあげます。でも、今後二度と、声が出ないから点滴を打つと言う事はしないと約束してください」と言われる。中村橋の、毎回ステロイドをうつ病院よりは良心的だと思う。点滴をしながら不安になる。散々悪いと言われたものが体に入っていく。今回、体内にステロイドを入れるのは3度目だ。そろそろ効かなくなるのではないだろうか。しかも、咽喉の炎症から風邪を併発しているようだ。
そんな不安のためか、その日の公演の途中にやはり声がおかしくなった。少しでるようになったと、はり過ぎたのかもしれない。その後、また聞こえる声を出す事だけに集中する芝居になってしまう。円城寺あやさんが観に来ていた。終演後、あやさんとは飲みに行く事になっていた。ウーロン茶で1時間くらいと思ったが2時間位いてしまう。色々アドバイスを頂いたが、日常会話もロクにできないので聞き役に徹する。遅くまでい過ぎた。反省。
10日は昼の14時まで寝る。小屋入りして17時過ぎても声が出るようにならない。いつも、最初のセリフをい言うまでどの程度声が出るのか分からない。しかし、会話の声もつまっていて出ない。体が暖まっていないのかも、と階段を闇雲に上ったり降りたりする。この日は今までで一番酷い声だったカスレを隠しきれなくなってきた。
11日。楽日。今日乗りきれば、ちょっと休める。祈るような気持ち。何故か、昨日より声の調子は良くなっている。痛みは相変わらずだが、痛くても声が出れば御の字。これほど、声に悩んだ公演は無かった。声帯が怪我をしているようなモノだから、公演が終る7月2日までは良くなる事はない。でも、休みながら出来るので大分安心である。どうも、高い所から下に向って大声を出すということは、かなり負担がかかるようだ。声を全く気にしない状態で本番に臨みたかった。しかし、はたから見る分にはあまり変わらないのかもしれない。日常会話ではガラガラの擦れ声しか出ないのに、よく舞台で大声が出たものだ。奇跡的だ。運がいい? 楽屋ではかなり楽しい会話が繰り広げられていたのに、一歩引いて話が出来なかった。早く、大声で馬鹿笑いなど出来るようになりたい。
騙し騙し持たせられるとタカを括っていた声の調子が、どんどん悪化する。劇場入りしてから回復すると思いきや、回復の兆しが無い。咽喉に障害物があって、肺活量を倍使わないと声がでない。今まで、こんなことは無かった。本番前に注射を打ちに行ったので、治るものと信じていた。アルコールは当分控える。
初日は無事に終了。なんとか持ち直しそうと一安心。土曜、日曜のマチネ、ソワレ連続公演に不安を感じながらも、乗りきれそうな予感がしていた。しかし、土曜マチネに初っぱなで声が出なくなる。いつも、もっとパンチを効かせた声でやりたいと思っていた所を少々強く言おうとした途端の事だった。咄嗟に次のセリフをゆっくり低い音階ですむように、言い方を変える。物語の筋としては怒鳴った方が分かりやすくなるのだが、甘えて拗ねたような言い方に変える。内容が伝わらないよりはましだ。ゆっくり丁寧に、意識的に肩の力を抜くようにすれば、なんとか音が出るようだ。しかし、この先何度か大声で叫ばなければならない。自分のセリフが来るのが恐ろしい。上手くマチネを乗りきれても、ソワレもある。不安でいっぱい。顔と動きを大げさに動かし、極力声を出さないで済むせたい。マチネが終った後、途方にくれる。制作さんに、少し休んだほうがいいと言われ、ソファに横になる。段々、心細くて泣けてきた。30過ぎて、泣くのを人に見られるのが恥ずかしいので、髪の毛を瞼の上に置いてごまかしていた。しかし、鼻水まで出てきて困る。長塚君の代役をやっていた山形君がハチミツのお湯割りを持ってきてくれる。恥ずかしくて目を合わせないように飲む。少し泣いたら、楽になってきたので気持ちを切り替える事にする。へらへら笑っていたら、もしかして声が出るようになるかもしれない。気を楽にするために、「今ここで声が出なかったからって、別に私の人生に取り返しのつかないことになるわけじゃない。恥かいたって、死ぬわけじゃないし」と自分に言い聞かせながら、手をぶんぶん振り回したりしていた。ソワレも、慎重に慎重に声を極力張らないで済む言い方に変え、自分としては不本意な音量の声で芝居を続けた。この日は中坪由起子嬢が来ていた。磯野慎吾さん、前田悟さん、「HAKANA」で一緒だった鈴木祐二君もいた。不調な自分を見られた事が辛くて、挙動不審になる。みんな「声は気にならなかった」と言ってはくれた。しかし、中坪さんと話しているうちに張りつめていた緊張が溶けたのか、大泣きしてしまう。小学生以下である。中山君が「お酒は100%咽喉に関係ないから、飲みに行こう」と言ったが、日常会話もロクにできないので帰る。そのまま、なにもせず寝る。
日曜の朝、制作さんが連絡してくれていた、東京医大の救急外来へ行く。車イスに膝を抱えて座り込み一切顔を上げない少女、点滴を打っている外国人労働者、大変そうな人が沢山いた。何だか、自分は状況が良い方に感じられた。しかし、咽喉の奥をカメラで見るために、鼻の穴に麻酔を打ちカメラを差し込まれたのは、辛かった。その後点滴。明日も来るように言われる。しかし、何となく声が回復している予感。安心してきた。この日は、ハイレグの掲示板に書き込みをしてくれている人から、ユンケルの差し入れを貰う。最初、知らない名前なので私あてじゃないと思った。中に手紙が入っていて、とても励まされた。小劇場では、男性陣はよくお客さんから差し入れを貰ったりしているが、女性は殆ど無いのだ。いつも、ちょっと羨ましいと思っていた。それが、調子を崩しているタイミングで差し入れて貰ったので、嬉しかった。辛い思いをしても報われないと思っていたけれど、頑張る甲斐がある気持ちになった。
怒濤の4回連続公演を終えたので一安心。9日の午前中に再び東京医大へいく。しかし、ここでお医者さんに怒られる。私は昨日打った点滴はビタミンや栄養剤なのではと思っていたのだが、ステロイドだった事を知らされる。回復してきて出るようになっていた訳では無かったのだ。しかし、11日の楽日は再び2ステージ。「11日の午前中に出来れば注射打っていただきたいのですが」と懇願する。「職業病だとは思うけれど、ステロイドは凄く強い薬で、様々な障害を引き起こす副作用もあります。声が出ないからといって安易に打っていい薬ではないのです。僕は打ちたくありません」と厳しい顔で言われる。ステロイドがあまり良くないと言う事は、とっくに知っている。しかし、先々の訳の分からない副作用より、今はとにかく声の事で頭がいっぱいなのだ。お医者さんは「長期的に効き目のある点滴を、今日は打ってあげます。でも、今後二度と、声が出ないから点滴を打つと言う事はしないと約束してください」と言われる。中村橋の、毎回ステロイドをうつ病院よりは良心的だと思う。点滴をしながら不安になる。散々悪いと言われたものが体に入っていく。今回、体内にステロイドを入れるのは3度目だ。そろそろ効かなくなるのではないだろうか。しかも、咽喉の炎症から風邪を併発しているようだ。
そんな不安のためか、その日の公演の途中にやはり声がおかしくなった。少しでるようになったと、はり過ぎたのかもしれない。その後、また聞こえる声を出す事だけに集中する芝居になってしまう。円城寺あやさんが観に来ていた。終演後、あやさんとは飲みに行く事になっていた。ウーロン茶で1時間くらいと思ったが2時間位いてしまう。色々アドバイスを頂いたが、日常会話もロクにできないので聞き役に徹する。遅くまでい過ぎた。反省。
10日は昼の14時まで寝る。小屋入りして17時過ぎても声が出るようにならない。いつも、最初のセリフをい言うまでどの程度声が出るのか分からない。しかし、会話の声もつまっていて出ない。体が暖まっていないのかも、と階段を闇雲に上ったり降りたりする。この日は今までで一番酷い声だったカスレを隠しきれなくなってきた。
11日。楽日。今日乗りきれば、ちょっと休める。祈るような気持ち。何故か、昨日より声の調子は良くなっている。痛みは相変わらずだが、痛くても声が出れば御の字。これほど、声に悩んだ公演は無かった。声帯が怪我をしているようなモノだから、公演が終る7月2日までは良くなる事はない。でも、休みながら出来るので大分安心である。どうも、高い所から下に向って大声を出すということは、かなり負担がかかるようだ。声を全く気にしない状態で本番に臨みたかった。しかし、はたから見る分にはあまり変わらないのかもしれない。日常会話ではガラガラの擦れ声しか出ないのに、よく舞台で大声が出たものだ。奇跡的だ。運がいい? 楽屋ではかなり楽しい会話が繰り広げられていたのに、一歩引いて話が出来なかった。早く、大声で馬鹿笑いなど出来るようになりたい。
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