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寝ながら爆笑

 12時チェックアウト。「インディアンカレー」という店で昼ご飯を食べて帰ることにした。まことさんがコーヒー飲んでからいきたいというので、小一時間お茶をする。猫のホテルチームと大林さんと桑原さんと私。アメリカ村へ行ったり、早々に帰るヒト達とは仙台での再会を約束して別れる。まことさんの親族の話をしていたら、面白過ぎてあっという間に一時間たってしまう。
 飲んだ次の日のカレーはどうしてこんなにおいしいのだろう。稽古中酷い二日酔いの中山君が、カレーを食べた後気持ち悪くなり、戻してしまった。しかし、「吐いたときまで美味しくて、得した」と言っていた。その時は聞いていて気持ち悪くなり、勘弁してほしいと思った。しかし、気持ち悪くなってもカレーが食べたくなる気持ちはよく分かる。
 まことさんはその後、動物園へ行きたいと言い張ったが、誰も賛同せず新大阪へ。非常に疲れていたのに、桑原さんとタクシーの中で喋りまくる。公演が一段落してそれまで我慢していたおしゃべり熱が出てきたようだ。まだ仙台があるのだから気をつけなければ。桑原さんは、山内さんに飲んでいる時に「うしろに変なものがついてる」とからかわれ、泣いて眠れなくなったり大変であったらしい。しかも、スタッフさんが福岡公演で客席にいた桑原さんの写真を引き伸ばして皆に見せてくれたことがあった。見た事も無いような心霊写真で、皆震撼する。あきらかにヒトの顔や歪んだ空間や、指の形がおかしくなった状態のものが写っていた。真面目に慰めていたら、舞台監督の福沢さんが作った写真であった。そんな事もあって、それまでの金縛りやなけなしの霊体験の話などで盛り上がる。
 新幹線ではみなぐったりしていた。寝たり、雑誌を読んだり、時折喋ったり。私は寝ている間に腹を抱えて笑っていたらしい。後で、「どんな夢見てたの?」と聞かれるが全く覚えていなかった。

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ニューハーフで大泣きの夜

 またもやあまり眠れなかった。早く帰って意気込んで寝ようとするとどうも駄目だ。そして今日はマチネが12時、ソワレ17時という恐ろしい日。そんな時間にやったことはない。しかし、なんとか無事に終了。よく声がもったものだ。
 打ち上げは「ふさや」というお好み焼き屋。非常においしい。女性陣とトミーはその後ニューハーフのショーパブへ。伊勢さんが、大阪へ来たら立ち寄るというお店へ予約を入れてくれていたのだ。男性陣をおいてけぼりにしてお店へ向う。怪獣かと思うような頭をセットした厚化粧の年配のおばさま方がいて、「え、この人達が?」と動揺したが、ただのバスツアーの人たちだった。テーブルに付いてくれたまいちゃんというコは普通にギャルっぽくて可愛かった。その後ルコさんというピーターのような素敵なヒトがやって来て相当盛り上がる。その後ショータイム。どういうものかまったく見当が付かなかった。しかし、始まるや否や、私達のテーブルは大興奮。夢のように素敵で涙が出そうになる。必死に泣くのを堪えていたら真弓さんが大泣きしていてほっとした。ニューハーフの方にも色々あるのだと知った。どうみても女の子にしか見えないナチュラルな体形の方、明らかに男の骨格にとってつけたように胸が膨らんでるような方、胸も乳首が見た事ないくらいピンクの方や、かなり使い込んだようなエロティックな方、メイクとったら明らかに親父だろうと言う感じの方。でも、皆キャラが立っていて、どうでもいいようなヒトはいなかった。私達のテーブルが異常に盛り上がっていたが、他のテーブルはそうでも無かったようだ。バスツアーのおばさまがたは早々に帰ってしまわれた。だからか、皆私たちに凄く目線を送ってくれたりして益々楽しめた。ショーが終って沢山の方達がテーブルに付いてくれた。「明日の万札より今日の小銭」「若いコには負けないもの、それは何だと思う?………経験よ!」などと、1分に一度はベタな名言を吐いてくれる。皆、最後の仙台公演へ向けてモチベーションが上がったようだった。
 その後砂羽さんの知りあいのバーへ行く。素敵なカクテルを2杯飲む。そこには妙に素敵な紳士がいた。どこかで見た事あると思っていたら、先代の片岡孝男であった。

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入り待ち

 昨晩、乾燥対策でホテル部屋のユニットバスへシャワーで熱湯を注ぎ、湯煙りで真っ白にした。熱くて息苦しくて全く眠れない。時折寝ては目を覚まし、意地でも目を開けないでじっとしていた。朝、声を出してみたら、少し良くなっている。しかし、部屋をジャングルみたいに煙だらけにするのは本当に効果あるのだろうか。眠れた方がいいような気もする。
 楽屋口に女のコが立っていた。誰かの入り待ちだと思っていたら、声を掛けられお手紙を貰った。男優陣のそういうのは見慣れていた。ついでに声をかけられる事もあったが、目当てのヒトを待つ間の暇つぶしだろうと思っていた。いざ自分が声を掛けられたら、やたら恐縮してへこへこしてしまった。かなりの動転ぶりであった。文面から去年「ハカナ」で河原君と写真を撮りたいと、言っていた所「撮りますよ」と声を掛けた私を、いい人だと思ってくれたらしい。そのことは良く覚えていた。確か断られたのだ。何にせよ、私のように印象の薄いタイプは人柄で勝負するしかないのかも。人柄はまあまあ、良いはずだ。
 無事本番を終え、ほっとしていたら、近鉄劇場の松原さんに「声どうしたのですか?」と聞かれ、ショックを受けた。枯れているのはばれていないと思っていた。分かるヒトには分かるのか。
 照明の佐藤さんが、今日で帰ってしまう。まっすぐ帰るつもりだったが、ウーロン茶一杯だけ飲んでお別れと感謝の挨拶をする。どうも風邪をひいた。咽喉を潰すと風邪を引きやすくなる。

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原爆ドームへ行く

 起きたら、声がかなりやばい事になっていた。痛みもなく出やすくなっていたのに、と不安になる。そして胃もたれ。
 真弓さん、伊勢さん、小山田さんと原爆ドームへ。10歳の頃何も知らずに原爆ドームと資料館へ行き、被爆者のマネキンや、顔のない赤ん坊の写真などを数枚見て泣き叫び、目をつぶって母親に手を引いて出してもらったことがある。その夜は恐ろしくて眠れず、トラウマになっていた。実はホテルはドームのすぐそばだった。ホテルの部屋から見えていたのだ。だから、常に心がざわざわしていた。こういう事は避けて通るより、直面した方がいい。行きたいという人が沢山いて良かった。一人では近づけなかった。
 資料館の入場料は50円であった。あまりの安さに驚く。娯楽で見るものとは違うという事なのだろう。時間がある人は地下の絵の方も見るように進められる。心拍数が上がっているのが分かる。数枚見ただけで辛くて堪らなくなる。しかし、引きこまれるように見続けた。皆無言。途中で、何度か泣きそうになり堪える。画力のある物も、つたない物も、恐ろしかった。絵を見終わり、常設の展示品のほうへ向かう。いよいよ、子供の頃の恐怖と対峙しなければならない。体が硬直した。しかし、以前より生々しく衝撃的な物は無くなっていた。皆は長年の年月で見た印象が違うと言っていた。しかし、あまりに無残なものは却って人の足を遠ざけると、そういうものを減らしたのだと思う。心情的に訴える物に変えていったのだろう。それでも、頭は飽和状態で、様々な感情が沸いて混乱していた。そこへ、ボランティアのスタッフがやって来て、私達に解説をし始めた。反応しなければ申し訳ないと思いつつも、頭が限界になる。自分達なりに状況を理解しようとしているので、勘弁してほしいという気持ちになった。ボランティアの人は「言わなければ伝わらない」と使命感を持ってやっているのだ。そのエネルギーだけがつき刺さって、内側に入ってこない。もっと引きこまれるような話し方もあるはずだとも感じた。訴えたい事を伝えるには情熱の他に技術が無ければいけない。ボランティアであろうが、原爆の話であろうが、そういったものは必要だ。
 見終わった後、みな一様にぐったりする。しかし、最後に原爆ドームまで歩く。写真をとっている人もいたが、そんな気持ちにはなれなかった。その後ホテルのそばにあるカフェへ入り一休みする。
 新大阪へ行く新幹線でも爆睡。ホテルへ向かうタクシーの中でも皆無口であった。声はますます出なくなる。うどんを食べに行きホテルへ退散。まだ、飲みたいようなしんぺーさんに「舞台では声でてるよ」と言われるが、やはり心配だ。明日は声が復帰していますように。もっとストイックに行動すべきだった。

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真夜中に油物

 アステールプラザに13時到着。場当たりで声を出したら、何の予感もなく声がカスレ始める。医者からもしもの時のために貰ったステロイドの錠剤を探すが、見当たらない。東京に忘れてきたようだ。吸入、プロポリス、ありとあらゆる手段を尽くす。2時間黙っていたら、本番前に出るようになった。良くなっていると思っていたのは気のせいだったのか。
 しかし、終演後は声がスムーズに出るようになった。主催側の会社が予約してくれているお店に行くか迷うが、空腹だったので少しだけ行く事にする。料理はおいしかったが、炭水化物が少なく数名でラーメン屋へ流れることにした。ホテルのそばの「せんばん」(漢字分からず)という店だ。トイレに行っていたら、煮込みや牛肉の天ぷら餃子、チャーシューなどが頼まれていた。さらにラーメンも食べたので、吐きそうなほど満腹。
 深夜に油物をこんなに食べていいのだろうか。

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広島へ

 ショッピングしてから、広島へ移動。私はジーパンのベルトを忘れたので千円のベルトを買う。真弓さんが帽子を買うのに付き合う。その帽子は一昨日、私が目をつけていたのだが、真弓さんのほうがよく似合ったのだ。買ってくれて嬉しい。
 新幹線でしんぺーさんはお酒を飲んでいた。私は爆睡。首が疲れる。
 一足早く広島入りした砂羽さんが、ヤングユーで連載している漫画の原稿を描いていた。ホテルについて真弓さんと私はお手伝いに行く。消しゴムかけ、トーン張り、少しずつちょっとした所を描かせて貰う。一区切りして、鉄板焼きを食べに行く。うなぎが出て大興奮。その後再びお手伝い。今度はガヤの人物を描かせて貰う。しかし、かなり浮いていた。砂羽さんは笑っていたが、いいのだろうか。心配。3ページの漫画だが、かなり大変な作業だと分かった。漫画家さんは偉大だ。

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モテ考

 福岡市民会館へ13時到着。お弁当を食べて15時の場当たりまで待機。当日入りの砂羽さん、伊勢さん、小山田さん、桑原さん、山内さん、伊達君、横山さん、大林さんと再会。場当たりもすんなり終わり、本番もすんなり終わる。久しぶりの割に良い感じであった。

 主催してくれた会社が用意してくれた「あ.うん」という店で打ち上げ。大声を出さないよう気をつける。その後再び「やまちゃん」へ行く。翌日は本番が無いので、その後砂羽さんの部屋、山内さんの部屋へ流れた。モテる、モテないの話になり、ちょっと見栄を張って「私は特別はモテないよ。普通かな。若い時は誰でも、猫も杓子も寄ってくるじゃない」みたいな話をしたら、中山君に突っ込まれる。
「ゆうかちゃん、全然そんなじゃないじゃん。いつも苦労してて。そんなモテないじゃん」と言われ、驚く。自分が普通よりモテないという自覚は無かった。自分でモテるという人は客観性が無い感じだし、モテないというのも格好悪いと思っていた。普通と言いながら、モテそうに見えるにはこんな感じがいいかな、と適当に言ったのである。せっかく見栄を張ったのに台無しだ。長年の仲良しだと思っていたのに邪魔するなんて酷い。

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福岡入り

 博多へ前乗り。午前9時25分羽田発の飛行機へ乗るために6時50分に起床。9時に羽田へつくように俊敏な身のこなしで、家を出る。本当は8時半頃に着いたほうが安全なのだが、眠かった。9時5分頃羽田へ到着。少々慌てていると、真弓さんに声を掛けられ一安心。チェックインを済ませ、手荷物検査へ。中山君、真弓さん、市川しんぺーさんはすんなり検査を終え、姿が見えなくなっていた。私の番で、係の人に「チェックイン出来てません。」と告げられる。ちゃんと機械にチケットを入れたと言い張るが、半券に印字されていない、チェックインし直すよう言われる。しかし、皆とはぐれ、ぎりぎりの時間であった。なんとかならないものか粘るが、効果無し。普段温厚な性格で通しているが、ここぞとばかり半切れ状態になり「間に合わない、困る」と連呼する。周囲の人の目などお構いなしであった。チェックインするカウンターへ戻ると、係の人は変な親父のギャグにつき合っていてなかなか相手にしてくれない。「すいません!」と出ない声で他の人を呼びだし、チェックインしたのに中に入れない、このままでは9時25分の便に乗れない、という事をまくしたてる。係の人は「この便のチェックインは終了してます。チケットを買いなおして次の便に乗ってください」と、事務的に言い放った。こう言う時は相手の言い分を聞くと損しかしない。
「チェックインしました。印字されてないなんて言われても分かりませんよ。他の人達とはぐれたら、皆に迷惑かかるし、困ります。遅い便にしたら、またお金払わなければならないのですよね」
「ええ、買っていただくしかありません」
「印字されてないのは、私の責任じゃありません、お金払うのは不本意です」
 時間は刻々と過ぎ、もはや皆と一緒の便に乗るのは不可能に思われた。泣きそうになり、こらえるためにも過剰に怒り狂った人を振舞った。「少々お待ち下さい」と係の人はカウンターへ入って行く。暫くして「本当は払っていただくしかないのですが、今回だけは特別無料でチケットを交換いたしました」と、チケットを差し出してくれた。確かに機械に不慣れで、気づかなかった私も不注意だったかもしれない。先の便に乗った真弓さんに伝言を頼み、お礼を言った。次の便は10時30分。機内では、携帯の電源を切っていると思われるが、なるべく早く事態を知らせるため、中山君と真弓さんにメールを打った。飛行機が飛び立った時、空いた私の席を見て、皆笑っているのではないかと思った。こうなったら、そのほうがありがたい。その状況を受け入れたら、一人で飛行機にのるのも良いものだった。

 福岡へ着くと、機内アナウンスで呼びだされ真弓さんからの伝言を聞く。天神のIWATAYA.Gサイドの前のミスタードーナツで待っているらしい。タクシーに乗り、駆けつける。再会を喜び、ひとしきり笑われる。私より後にぎりぎりで来た中村まことさんは、機械を通さず係の人に頼んで急いでチェックインしてもらい、間に合っていた。どういうことだ。
 まことさんお勧めのカレー屋で、腹ごしらえ。その後買い物。東京の原宿より空いていて、素敵なお店が立ち並んでいた。帽子をかぶって来たのに、二つも帽子を買ってしまう。これからはどんな外出にも帽子をかぶろう。帽子をかぶって無かったら、注意してもらうくらいの心意気だ。
 暫く休んで、まことさんおすすめの焼肉屋さん「げんぷうかん」(漢字分からず)へ行く。頼まなくてもおばちゃんが「あれたべる? これ食べる?」と質問して適当に食べ物を持って来る。最後の牛テールスープが絶品だった。その後「やまちゃん」という店で飲む。あわびや赤巻貝などを食べたのに安い。ラーメンを「バリカタ」と頼むのを初めて知った。カップラーメンをお湯を入れた直後に食べる私には、ぴったりだった。その後皆は健康ランドへ行った。私は行かないと告げる。中山君が「後でね」というので「分かった」と何の気無しに答える。すっかり寝る体制へ。そこへ 帰ってきた中山君とトミーから近所の「garasu」というバーへ行こうと誘われ、迷う。一杯だけと言いながら3杯飲んでしまった。反省。その後爆睡。

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深夜のイベントへ行く

 21日23時オープンのイベントに行ってきた。イマナラ君が奥秀太郎君達と濁絵というバンドをやっているのだ。昨年解散しナンバーガールというグループの向井秀徳さんの新ユニットも参加していた。ナンバーガールはとても人気があったようだ。私は詳しくないので知らない。しかし、かなりのヒトが向井秀徳さんを目当てで来ていたようだ。興味津々に観察。音響の問題か歌詞があまり聞き取れないが、確かにただ者ならぬ雰囲気を醸し出していた。間奏の間、飲み物を飲んだり、横を向いて煙草を吸っている様などいちいち格好良い。しかし、顔立ちは取り立ててハンサムでは無かった。音楽も分かりやすい曲しか理解できないので、良い曲なのかも分からない。福耳がめでたい感じだ。まゆ毛が活発に動く所が、日本人離れしていた。格好良い点が見当たらないのに格好いいというのは、素晴らしい事だ。確信に満ちた自信のようなモノが強さとなって現れていた。
 この後イマナラ君が出るのだ。今までカラオケ程度の歌と、ハイレグの替え歌を歌っている所しか見た事ない。今日まで知らなかったけど大物っぽい向井さんというヒトの後だから、結構プレッシャーかかりそうだ。しかし、不思議とあまり心配にならなかった。今まで、メンバーのヒトの土壇場での強さを見てきたからかもしれない。イマナラ君と奥君達のバンドの時もやはり歌詞は聞き取りづらかった。でも、向井さんと言うヒトに全く引けを取っていなかった。歌は当然あちらの方が上手なのだが。きちんと空間を支配していて、エネルギーを感じた。ちょいとセクシーだった。「日雇い刑事」の格好だったので、周りのヒトが「あれ、日雇いだよ」と噂していた。
 早々に帰ろうと思ったのに、タクシー代が惜しく思われ始発まで粘る。沢山ヒトに会えた。イクマ君は自分も体調悪いのに、私の咽喉を気づかってくれてエネルギーをくれた。一日中寝る。明日福岡へ発つので荷造りしなければ。 

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勝つ気満々で

 東京医大の音声外来へ行く。以前は普通の耳鼻咽喉科へ行ったのだが、今日は音声を専門にしている科できちんと見てもらう事になっていたのだ。一時より声は出やすくなっているので、少しは良くなっている事を期待していた。お医者さんが3名ほどいた。私の声帯が、カメラを通じて画面に映し出された。お医者さんは一様に驚き、「大きいなぁ!」「大きいですねー。」と言い合っている。何が大きいかというと声帯結節、つまりタコである。「新井さん、本当に舞台では声出ているんですか?」と尋ねられる。「はい、自分でも不思議なんですけど、何故か本番中は出ています。ただ、体中に力入れないと、残りカスみたいな音しか出ないので、凄く疲れます」と答えた。お医者さん達は「残りカス」という言葉に反応して、「カスね、気持ちは良く分かりますよ」と笑っていた。タコが大き過ぎて、音を出そうとしても響く所が少なく、殆ど空気として漏れているそうだ。普通の人の倍位力を使わないと声が出ないらしい。確かに、昔はもっと楽に体内で音が響いた。「人には声が枯れるのはストレスだから、気にするから出ないんだ、と言われるのですが」と訴える。「そんな事はあり得ません」と一笑に伏された。やっぱりね。
 前回見てもらった時も、かなり状態が悪いと言われ、良くなっていると思っていたので、ショックを受けた。その日の本番は本当に声がカスカスだった。声という代物ではなく、何かがかろうじて振動している感じ。そして、今日またかなりナーバスになった。口を揃えて、「大変だな、こりゃ。」「仕事だから仕方ないけど……はぁ~!」などと言われると、不安になってくる。この事を肝に銘じて、強い意志を持って養生していかなければ。深刻にならないで、ゲーム感覚でこの事態に対処しよう。もちろん、勝つ気満々で。
 その足で声のサンプルを録りに、虎ノ門へ。よりによってこんなコンディションの時に声録りとは、と思いながらちょっと面白くなる。声が出し辛いので、末端に渡って音をコントロールすることが出来ない。しかし、その事が却ってナチュラルな感じになっているようにも思えた。適度に擦れるのも、意外とやろうと思っても出来ない事だ。面倒なので何でも良く考える事にした。河原君、岸君、中坪由起子嬢、たいし君、辻修君、小林健一君、森戸君らに会えた。
 サンプル用に本を何冊も買った。帰り電車で「生き方のつけがボケに出る」金子満雄著を読んで、青山一丁目で下りる。ふと荷物を見ると、財布や携帯を入れたバッグが無い。電車はもうドアが閉まる所だった。とっさに飛び乗り、さっき自分がいた車両へ向かうと、バッグが床に落ちていた。将来のボケ防止に読んでいたのに、今ぼけてどうするのだ。
 いったん帰宅。アコーディオンを練習してから、イマナラ君の出るライブを観にスパイラルホールへ行くつもり。夜中のイベントだし、はしゃいで喋ったりしないように気を付けよう。

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野良着が似合う女優

 かめありリリオホールにて追加公演。亀有は素敵な町だけど、遠かった。砂羽さんは集合時間過ぎてから起きたらしく、場当たり直前に到着。せめてメイクをと車の中でばっちり施してきた。しかし、場当たりは衣装、メイク無しであった。
 時間が余っているように感じたが、いつの間に開場時間。困難なヘアメイクも、徐々に短時間で出来るようになってきた。目に見えて上達していくのは気持ちが良い。
 昨日行きつけの呉服屋さんへ行ったのだが、お世話係の人に「新井さんは、いいかもしれませんね。今は何もしてない人でも、タレントさんみたいな人が多いけど、田植えが似合うような感じの人、いないですもの。新井さん、そういうの似合ってましたよ」と褒められた。彼女はゼロでの公演を観に来てくれたのだ。しかし、全く嬉しくなかった。真弓さんに「私は今回の衣装だって似合っていないと思う」と、告げる。おしんの世界のような貧乏臭い格好をしているのだ。しかし、真弓さんには似合っていると言われた。多分お世辞だろう。しかし、真弓さんも「日本一事務服が似合う女優」と言われるらしい。「そんな事はないよ」と言おうとしたが、どうしても言えなかった。
 終演後、打ち上げ。スタッフさん全て揃うのは今日が都合がいいとの事だ。大入りを配ったりしているので、中々帰ると言い出せる雰囲気では無かった。しかし朝まで飲んで楽しめるテンションでは無い。新江古田まで帰る終電は逃したが、とにかく電車でなるべく家の近くまで帰ることにした。皆が酔っぱらっているのを見ると、楽しそうで羨ましくなる。しかし、声の調子が思わしくないのと、最近我を忘れて楽しむと寝ゲロしてしまいそう、という理由で恐ろしくて飲めない。
 終電で高田馬場までたどり着く。以前住んでいたので懐かしくなる。自宅までタクシーで1400円程度であった。今まで遅くなった時は中野からタクシーに乗っていたのだが、最近高田馬場からの方が近いという事が分かった。

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生きている手ごたえ

 東京公演楽日。昼間旅公演のために、知人にトランクを借りる。一緒に昼ご飯を食べ、アルファ・ロメオのショールームへ行った。FIATとALFAという車があった。赤のALFAが色も良い感じに鮮やかで、そそられた。しかし、300万円以上した。ペーパードライバーであるし、運転は絶対向いていないのに、それに乗る自分を想像して興奮した。マスカット色のFIATも非常に可愛らしく、お手ごろ価格だった。といっても、190万円。手が届かないのはALFAも同様だ。しかし、何故か努力すれば手に入らなくもない気分になる。恐ろしい。
 家へ帰ると岸君から電話。私の咽喉を気づかって、自転車に乗ってプロポリスを届けてくれると言う。口答で道の説明をし、住所を告げる。すると、しばらくしたら、家の前に来ていた。いくら自分が最近地図をみて自転車移動するようになったとはいえ、素質に雲泥の差があるようだ。洗濯の途中らしく、コーヒー一杯飲んだら、去っていった。心配されて嬉しかった。生きてる手ごたえを感じる。
 ぎりぎりで、かめありリリオへ。遅刻しそうと慌てていたら、エレベーターで5人も一緒だった。こうなると俄然安心。主流派として大手を振って楽屋へ。リリオホールは舞台場から客席が、見え過ぎる。セリフを言っている時、遅刻して入場してきたお客さんが3人位入ってくるのに、気をとられてしまう。間違えはしなかったが、イラついてしまう。失礼なのだが、「ちょろちょろすんな!」という気持ちになってしまった。お金を払って来ていただいてるのだから、どれだけ遅れて来ようがありがたく思わなければいけないのだ。気をとられてしまうのは、自分のせいだ。声はぎりぎり大丈夫だった。これで次の日マチネなどがあったら、危ない所であった。
 終演後、楽屋整理をしていると山内さんが女子楽屋へ来た。「古田さんが、女優陣を飲みに誘えって言ってるのだけど、もう出発出来ますか?」と言うのだが、まだ荷造りに時間がかかりそうだった。私は飲みに行く気は無かったのだが、「あと15分くらいかかりますね」と答えた。しかし、他の女優陣も皆、今日は帰ると言い始める。伊勢さんに「新井さん、これは行かないと。」と言われる。確かに、無駄に15分待たせた事になってしまう。結局行く事にする。亀有で飲むのはどうかということになり、下北沢へ。これが長い道のりで、遠足の様だった。下北に到着した時には既に眠くなっていた。古田さんの話が面白かったので、主に聞き役に徹した。咽喉に負担をかけずに済んだ。

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私の運命

 自転車で、中野区役所へ行きその後新宿へ。伊勢さんお勧めのアイライナーを購入。日傘を2本買ってしまう。既に1本持っているというのに、馬鹿では無いだろうか。しかし、用途を考えると3本いるのだ。普通の日傘、折畳みの日傘、着物を着た時の日傘。どう考えても3本いる。断じてストレス発散の衝動買いでは無いはずだ。しかし、今日だけで欲しいものを沢山見つけてしまった。
 着物、部屋の芳香剤、ボディバター、小さいテーブル、アジアンテイストなソファ。ソファも机も既にあるのだ。しかし、どうしても必要な気がしてならない。着物もとても素敵だった。これを逃したら出会えないと直感した。この運命には逆らってはいけない気がする。私以外の、誰かがあの着物を着るなんて耐えられない。あああああ。欲しいという次元では無い。頭がおかしくなりそう。
 命からがら、帰宅。アコーディオンの練習と掃除で気持ちを落ち着ける。明日も本番。

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貧乏臭い感じが落ち着く

 前から行きたかった、東長崎のオリオン食堂へいく。ラーメンとカレーの店だ。チキンカレーを頼む。適度に貧乏臭い感じで落ち着く。ツタヤと100円均一の店と東急ストアへ行く。フルーツが無性に食べたくなり、マンゴスチンと、パパイヤと、マンゴ、西瓜、ついでにトマトを買う。西瓜はカットしてあったので道端で食べた。

 父から電話。連絡をよこさない事を憤慨していた。声が辛いので電話出来ないと言い訳をしたが、効果なし。「大声を出さない役にしてもらえばいいじゃない。あんた、いつも大声出したり怒ったりするのやってて、その内そういう顔になるよ」と言われる。「人より早く皺くちゃになる」とも言われた。「そうね」と答えれば良いものの、自分は同世代の中では若く見えると力説した。「皆に、若いって、驚かれるよ」と言ったら、「へぇ、だったら良いんじゃない」と嫌みな感じで応対された。若いって言われるというのは嘘だ。父親世代には私の年代がどの程度更けてるものか分からないだろうと、適当な事を言ったのだ。しかし、父も頭から信じていないようだった。おそらく、人のお世辞をうのみにして馬鹿だな、と思った筈だ。お世辞でも言われていない。ただ、その議論を早く打ち切りたかっただけだ。

 「愛の新世界」を観た。砂羽さんがとても素敵だった。先に映画を観ていたら。稽古場で緊張して話せなかったかもしれない。いつも、いい女だなぁと思っていたが、益々その思いを強めた。

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帰京の日

 自由行動。今日は適当に東京へ帰ればいいだけ。中山君とトミーと、小山田さんの出演している「オー・ド・ヴィ」という映画を観に行く。シネ・ウィンドという映画館で小山田さんが挨拶をする事になっていた。お客さんとして、司会者に質問されている彼女を観るのは新鮮だ。稽古場や楽屋でいる時より大人っぽい。それにしても、やはり可愛い。映画自体観るのは久しぶりだ。雰囲気のある映画で、とても楽しめた。小山田さんはとても神秘的な感じで、素敵だった。あるシーンで今回の舞台とよく似た所があった。後で中山君とトミーと話したら二人も、そう思ったらしい。そういう所を発見するとちょっと嬉しかったりする。その後お祭りがあるというので、他の人達と新潟駅で合流。しかし、何となく疲れていた。桑原さんが帰ると言い始めたら、私も帰りたくなった。結局トミーと中山君以外は祭りには行かず帰る事になった。
 新幹線で、席を向かい合わせにしてビールを飲んだ。

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新潟

 新潟入り。休みの間、殆ど寝て暮らしていたが、新幹線の中でもがっちり寝る。新潟のりゅーとぴあ劇場に12時過ぎに到着。ひと足早く来ていたスタッフに迎えられちょっと懐かしい気持ちになる。空中庭園があるというので、そこでお弁当を食べる。空中庭園は思ったより地味であった。
 場当たりを開始して、はじめて大声を出してみた。結構回復しているようだ。しかし、場当たりで張り切ってつぶしてはいけないと、押さえ目で芝居をした。早速長塚君に、もっと強い言い方をするように注意される。本番では、出すと言い訳をする。実の所本当に強く言えるのか全く分からなかった。声帯の炎症は怪我のようなものだ。私はタコが出来ているので、1,2ヶ月大声を出さず、殆ど話さないように暮らさなければ治らないのだ。数年前タコをなくすために、電話は一日5分以内、人と会わない、会っても静かな環境で話す、普段の会話口調を変えて、負担のかからない話し方に切り替える、という生活を2ヶ月続けてタコを完治させた。しかし、一度の稽古で見事なタコが再発してしまった。やはりヴォイストレーニングなどを受けて、負担のかからない話し方を覚えないといけないのかもしれない。今の声色やキャラが出来なくなってしまうのでは無いだろうかという懸念もある。それにしても、ちょっと声が出るようになると完全に治ったと思われてしまう。自分も声の不安を言い続けるのにうんざりしてきている。だが、大声で言うようにと言われると辛くなる。芝居で必要な事だから仕方ないが、かさぶたになった怪我をまた、自ら痛めつけなくてはいけない。勿論覚悟の上なので、自分で出せると思える日はガンガン叫んでいくつもりだ。その判断を失敗して、潰してしまったので神経過敏になっている。
 声が出なかったり、潰したりするのはストレスだとよく言われる。だから、気に病まないようにした方がいいらしい。しかし、そんな分析をされても、出るようになる訳ではないので困るだけだ。ストレスでも何でも、原因はどうでもいい。出るようになればいいのだ。
 本番が始まって、肝心の大声を出す所がスムーズにいったのでその後は比較的リラックス出来た。やはり、声の調子が上がってくると本番が楽しくなる。
 終演後、新潟には知りあいはいないとのんびり支度をしていたら、呼び出された。不思議に思って楽屋を出ると、小川貴子ちゃんというスキー部の後輩のがいた。10年以上ぶりだ。綺麗になって垢抜けていた。元々新潟出身のコだったのだが、今は結婚してこちらでくらしているという。彼女の代は皆結婚して子供がいたりするらしい。入部してきた時はホンの子供のような印象だったのに、「旦那が・・・」などと話すものだから驚いてしまう。自分が学生気分のままでいることの方がおかしいことなのだろう。懐かしく嬉しい出来事であった。
 打ち上げは大いに荒れていた。私はスイッチが入る前に、周りが凄い事になっていたのでそれほど酔わなかった。見た事もないような大きい生牡蛎を食べた。

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ノドとの日々

 待ち望んだお休み。公演期間を振り返って見ようと思う。
 騙し騙し持たせられるとタカを括っていた声の調子が、どんどん悪化する。劇場入りしてから回復すると思いきや、回復の兆しが無い。咽喉に障害物があって、肺活量を倍使わないと声がでない。今まで、こんなことは無かった。本番前に注射を打ちに行ったので、治るものと信じていた。アルコールは当分控える。
 初日は無事に終了。なんとか持ち直しそうと一安心。土曜、日曜のマチネ、ソワレ連続公演に不安を感じながらも、乗りきれそうな予感がしていた。しかし、土曜マチネに初っぱなで声が出なくなる。いつも、もっとパンチを効かせた声でやりたいと思っていた所を少々強く言おうとした途端の事だった。咄嗟に次のセリフをゆっくり低い音階ですむように、言い方を変える。物語の筋としては怒鳴った方が分かりやすくなるのだが、甘えて拗ねたような言い方に変える。内容が伝わらないよりはましだ。ゆっくり丁寧に、意識的に肩の力を抜くようにすれば、なんとか音が出るようだ。しかし、この先何度か大声で叫ばなければならない。自分のセリフが来るのが恐ろしい。上手くマチネを乗りきれても、ソワレもある。不安でいっぱい。顔と動きを大げさに動かし、極力声を出さないで済むせたい。マチネが終った後、途方にくれる。制作さんに、少し休んだほうがいいと言われ、ソファに横になる。段々、心細くて泣けてきた。30過ぎて、泣くのを人に見られるのが恥ずかしいので、髪の毛を瞼の上に置いてごまかしていた。しかし、鼻水まで出てきて困る。長塚君の代役をやっていた山形君がハチミツのお湯割りを持ってきてくれる。恥ずかしくて目を合わせないように飲む。少し泣いたら、楽になってきたので気持ちを切り替える事にする。へらへら笑っていたら、もしかして声が出るようになるかもしれない。気を楽にするために、「今ここで声が出なかったからって、別に私の人生に取り返しのつかないことになるわけじゃない。恥かいたって、死ぬわけじゃないし」と自分に言い聞かせながら、手をぶんぶん振り回したりしていた。ソワレも、慎重に慎重に声を極力張らないで済む言い方に変え、自分としては不本意な音量の声で芝居を続けた。この日は中坪由起子嬢が来ていた。磯野慎吾さん、前田悟さん、「HAKANA」で一緒だった鈴木祐二君もいた。不調な自分を見られた事が辛くて、挙動不審になる。みんな「声は気にならなかった」と言ってはくれた。しかし、中坪さんと話しているうちに張りつめていた緊張が溶けたのか、大泣きしてしまう。小学生以下である。中山君が「お酒は100%咽喉に関係ないから、飲みに行こう」と言ったが、日常会話もロクにできないので帰る。そのまま、なにもせず寝る。
 日曜の朝、制作さんが連絡してくれていた、東京医大の救急外来へ行く。車イスに膝を抱えて座り込み一切顔を上げない少女、点滴を打っている外国人労働者、大変そうな人が沢山いた。何だか、自分は状況が良い方に感じられた。しかし、咽喉の奥をカメラで見るために、鼻の穴に麻酔を打ちカメラを差し込まれたのは、辛かった。その後点滴。明日も来るように言われる。しかし、何となく声が回復している予感。安心してきた。この日は、ハイレグの掲示板に書き込みをしてくれている人から、ユンケルの差し入れを貰う。最初、知らない名前なので私あてじゃないと思った。中に手紙が入っていて、とても励まされた。小劇場では、男性陣はよくお客さんから差し入れを貰ったりしているが、女性は殆ど無いのだ。いつも、ちょっと羨ましいと思っていた。それが、調子を崩しているタイミングで差し入れて貰ったので、嬉しかった。辛い思いをしても報われないと思っていたけれど、頑張る甲斐がある気持ちになった。 
 怒濤の4回連続公演を終えたので一安心。9日の午前中に再び東京医大へいく。しかし、ここでお医者さんに怒られる。私は昨日打った点滴はビタミンや栄養剤なのではと思っていたのだが、ステロイドだった事を知らされる。回復してきて出るようになっていた訳では無かったのだ。しかし、11日の楽日は再び2ステージ。「11日の午前中に出来れば注射打っていただきたいのですが」と懇願する。「職業病だとは思うけれど、ステロイドは凄く強い薬で、様々な障害を引き起こす副作用もあります。声が出ないからといって安易に打っていい薬ではないのです。僕は打ちたくありません」と厳しい顔で言われる。ステロイドがあまり良くないと言う事は、とっくに知っている。しかし、先々の訳の分からない副作用より、今はとにかく声の事で頭がいっぱいなのだ。お医者さんは「長期的に効き目のある点滴を、今日は打ってあげます。でも、今後二度と、声が出ないから点滴を打つと言う事はしないと約束してください」と言われる。中村橋の、毎回ステロイドをうつ病院よりは良心的だと思う。点滴をしながら不安になる。散々悪いと言われたものが体に入っていく。今回、体内にステロイドを入れるのは3度目だ。そろそろ効かなくなるのではないだろうか。しかも、咽喉の炎症から風邪を併発しているようだ。
 そんな不安のためか、その日の公演の途中にやはり声がおかしくなった。少しでるようになったと、はり過ぎたのかもしれない。その後、また聞こえる声を出す事だけに集中する芝居になってしまう。円城寺あやさんが観に来ていた。終演後、あやさんとは飲みに行く事になっていた。ウーロン茶で1時間くらいと思ったが2時間位いてしまう。色々アドバイスを頂いたが、日常会話もロクにできないので聞き役に徹する。遅くまでい過ぎた。反省。
 10日は昼の14時まで寝る。小屋入りして17時過ぎても声が出るようにならない。いつも、最初のセリフをい言うまでどの程度声が出るのか分からない。しかし、会話の声もつまっていて出ない。体が暖まっていないのかも、と階段を闇雲に上ったり降りたりする。この日は今までで一番酷い声だったカスレを隠しきれなくなってきた。
 11日。楽日。今日乗りきれば、ちょっと休める。祈るような気持ち。何故か、昨日より声の調子は良くなっている。痛みは相変わらずだが、痛くても声が出れば御の字。これほど、声に悩んだ公演は無かった。声帯が怪我をしているようなモノだから、公演が終る7月2日までは良くなる事はない。でも、休みながら出来るので大分安心である。どうも、高い所から下に向って大声を出すということは、かなり負担がかかるようだ。声を全く気にしない状態で本番に臨みたかった。しかし、はたから見る分にはあまり変わらないのかもしれない。日常会話ではガラガラの擦れ声しか出ないのに、よく舞台で大声が出たものだ。奇跡的だ。運がいい? 楽屋ではかなり楽しい会話が繰り広げられていたのに、一歩引いて話が出来なかった。早く、大声で馬鹿笑いなど出来るようになりたい。

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声のむだづかい

 寝倒す。14時頃起きる。仲良しの人から電話。声の調子を気遣うものだったが、電話で会話するのも不自由なので、苛立つ。今日本番が心配という事を訴えると、気を楽にさせようとしてか、笑いながら「気の持ちようもあるから」と言われた。苛々はピーク。「人がしんどいっていってる時にへらへら笑われるとむかつく」と、泣いて喧嘩を売ってしまい、声の無駄使いをしてしまう。余裕がないと、性格がねじ曲がってしまう。反省。

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息も絶え絶え

 11日の楽日を終えたら、細々とした事を綴ろうと思う。今日は2度目の点滴を打ったにも関わらず、声の残りカスが無くなってきた。11日まで持たせられるのだろうか。

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今、私がしなければいけない事は、とにかく少しでも早く寝る事。明日が少しでもいい日になるように祈って布団に入ります。おやすみない。

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飲まずに帰宅

 劇場で15時から駄目だし。その前にたくさん寝るか、病院へ行くか迷う。結局朝8時に起きて声帯を見てもらう。その病院はすぐステロイドや抗生物質を出すので、即効性はある。だが、長い目でみると絶対に良くないだろう。昨年注射を打って貰いに何度も通い、出された薬を飲み続けた。一時的には効くのだが、すぐぶり返す。4ヶ月程結核を疑うような咳に悩まされ、咳のし過ぎで血を吐いたりしていた。検査の結果、結核では無かった。全く関係ないが、当時仲の良い人に芝居を降りたほうがいいような事を言われた。心配してくれたのかと思い「そんなわけにもいかない」と答えたら、「周りの人に迷惑でしょ」と言われ、悲しくなった事も思い出した。その通りなのだけれど。それはさて置き、おそらく免疫力が低下してしまう上に薬も効かなくなるのだ。しかし、背に腹は変えられない。
 病院に行くと先生は相変わらずえばっていた。治してもらうから仕方がないが、鼻の頭をはじかれたり、頭をはたかれたりする。急性な炎症とタコが出来ているけれど、ポリープなどは出来ていないようだ。タコは慣れっこなので、一安心。早く炎症を鎮めなければ。
 家で一眠りしようとしたが、全く眠くならない。仕方なくアコーディオンに励む。出かける時間になってようやく眠くなる。疲れた。
 自転車に乗ってスペースゼロへ。駄目だしで、私が大声を出しているシーンのきっかけを少し変えることになる。何度もそこのシーンを返す羽目になり、泣きそうだった。しかし、薬が効き始めたのか、痛みは和らいで来た。
 稽古後隣のプーク人形劇場へ。エッへがワハハ本舗の催しに出るそうなのだ。同時期に隣同士の小屋で公演って、珍しい。谷口さんに案内してもらい楽屋へ行くと、イクマ君とノリオさんは寝ていた。疲れてるようで心配。後から中山君とトミーも来た。こんな感じで会うのは結構新鮮。
 今晩も飲み会があったようだが、まっすぐ帰宅。相当楽しそうだったが、仕方がない。今遊んだら確実に、明日どんな調子でも支障を来したと思ってしまう。
自分の体力、エネルギーでは、豪快に遊ぶことは無理なのだ。貧乏人は身の程をわきまえて遊ばなければ。分別のある自分が、主流派になってきたのでちょっと嬉しい。
 家へ帰ったら、鍵がない。どうやら、ゼロに忘れたようだ。あるか確認した時に出したのかもしれない。落としていたらどうしよう。イクマ君も鍵を忘れた様だったが、今日会った時にそういう何物かがうつったのだろうか。大家さんに鍵を開けてもらう。

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「みつばち」初日

 初日。自分としては初日というより、ゲネプロと合わせて2ステージやらなければならない過酷な日。咽喉には、声帯に何か垂れ下がっているのではという位の異物感。熱をもっていて常にしみる。かなり遊んでいたので、疲れているのは仕方がない。しかし、同じように遊んでいても、ピンピンして声に全く支障を来さない人もいる。ああ、羨ましい。ゲネは抜いてやる決意をしていたが、結局いつも通りやってしまう。抜くほうが難しいのだ。叫ぶ度に咽喉に痛みが走る。次第に出る音域が狭まって行く。ここは駄目だと思うと出そうな音階をあてずっぽうで探す。ここは出ると思うと全身の力を使って押し出す。これでは感情どころではない。つくづく反省。本番に自分がやりやすい状態で無ければ、楽しくやれない。ゲネで恐ろしいほど声を消耗。
 初日の本番はどうしたらいいのだろう。悩んでも仕方ないので気分だけ盛り上げた。運がいいようで、しばらく静かにしていたら、少しずつ声が蘇ってきた。明日はソワレだけなので何とかなる、とりあえず使い切るつもりで叫んでみた。やはり痛みは辛いけれど、なんとか持ちこたえられそうだ。お客さんにばれなければいいのだが。自分なりには切羽つまった初日。
 観に来たお客さんに聞くと、声枯れはばれていない様だったので一安心。運がいい。でも、2ステある土日が控えてるので楽観出来ない。
 今日は、千葉さん、ムーチョ村松君、ノリオさん、後藤飛鳥ちゃん、ピエール君こと杉浦理史君、が観に来てくれていた。初日打ち上げではウーロン茶で通す。ひんやりしたモノを飲むと咽喉が気持ちいい。飛鳥ちゃんとしゃべりたかったのだが、タイミングを逸する。申し訳無い事をした。でも、彼女とは芝居とは関係ない個人的な女子トークをしたいのだ。ああいう場だとしたい話も中々出来ない。是非、部屋飲み、お泊まり有りコースで交流を深めたい。 

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気がかり

 昨日に引き続き、場当たり。本日もヘアメイクで、四苦八苦。しかし、メイクさんに「みんな、上手よ」と褒められる。そして、さらにマゲやかんざしを差す所も自分たちで、出来るようにならなければいけない事になった。きっと、覚えてもらわなければならないため、おだてられたのだ。 しかし、これをマスターしたら色んな髪形を出来るようになりそう。
 声は未だに復活しない。えらい事になった。普段だったらとっくに治っているのだが。免疫力と代謝が落ちているのが分かる。今晩はとにかく咽を労ることは何でもしよう。 

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陰毛みたいなもの

 場当たり。ヘア、メイクに悪戦苦闘。私と、真弓さんと、桑原さんは、殆ど自分で日本髪に仕上げなければならない。手を上に上げっぱなしで、つりそうになる。息を切らしながら自分の髪と格闘。髪にボリュームを出すために、自毛の中に入れるものの、名称が分からなかったので、メイクさんに、「あの、陰毛みたいなものはどこでしょう」と尋ねて、流される。しかし、真弓さんも、桑原さんも「陰毛、陰毛」と呼ぶようになる。本当は「あんこ」というらしい。

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コヤ入り

 小屋入り。役者は着物の着方とヘアメイクのレクチャーを受ける。かなり複雑な髪形を自分で作り込まなければならず、先が思いやられる。
 夕方には開放されたので、伊勢さんとカレーを食べる。「お腹がへった、カレーかラーメンが食べたい」と私が騒いでいたら、伊勢さんも「私もカレーが食べたいんですよ」と誘ってくれたのだ。伊勢さんは先日皆で稽古場のそばのカレーを食べに行くとき、「マトリックス・リローデッド」に間に合わないことが分かり断念していたのだ。
 その後下北沢のリバティへ、「峰と今奈良」を観に行く。「泣ける話」と聞いていたが、本当に涙ぐんでしんみりした。かなりストレートなお話で、こういうのは久しぶりであった。劇中に、私が作った曲を使ってくれていたので嬉しかった。実の所、殆ど使われてないと思っていた。結構頑張って作ったのだが、期待するとがっかりするからそう思うようにしていたのだ。しかし、殆どの曲を採用していてくれた。
 終演後、沖縄料理屋へ。マンゴージュースとお茶で、通す。お酒を我慢したわけではない。全く飲みたくなかったのだ。体が受け付けない感じ。お金を貰っても飲みたくなかった。かなり疲れているようだ。

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最後の稽古場

 今日で、稽古場をばらすことになる。稽古場では、教室のように席が決まっていた。
 私は桑原裕子さんと市川しんぺーさんと並んでいた。暇な時は、絵でシリトリや、折り紙などをして交流をはかっていた。桑原さんは梅味のお菓子が好きらしく、梅のグミや干し梅などを恵んでくれた。席変えのようでちょっと寂しい。
 ばらした後は焼き肉を食べに行く。牛肉は咽にいいはずと思ったが、しゃべりすぎてまたもや声の調子が悪くなる。

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