ある春のレアな日

今日から、一応春。

 

昨日、期末テストが終わった。

 

1月末から、ほとんど学校を休んでいたニンタマは期末テストだけは受ける・・・と先週の金曜日から三日間登校した。

テストの翌日の今日、どうなるのかな?と、様子を見ていた。

一応、着替えて準備をして登校するつもりのようだが、今までも玄関まで行って、「お腹痛い」「ふらふらする」と言いだすこともあるので、まだわからない。

私が渡した体温計では、36度8分だったが、「別の体温計がいい」と、別の体温計を持ってしばらく姿を消した。そして、37度2分と表示された別の体温計を黙って私に見せた。

「行かなくていいよ」

と、言って欲しいのかもしれない。でも、黙っていた。

その後、玄関から出ようとする前に、2回ほどお腹を押さえて苦しそうな顔をして、何かを言いかけてはやめ、登校した。

 

「大丈夫」「しんどいなら、休んでいいよ」

などと、声をかけるべきだったのだろうか?

 

しかし、学年末テストの三日間、普通に登校したことで、ずっと休んでいた後より、違和感なく教室に入りやすくはなっているだろう。

休み続けてしまったことで、行きづらくなっているのであれば、今日はキツく感じても行けるタイミングで登校した方が気持ち的に楽になるかもしれない。

でも、本当に登校が無理なのであれば、行かない方がいい。

 

背中を押したほうがいいのか、止めてあげたほうがいいのかは、まだよくわからないが、本人が模索して学校との関わり方を決めていくしかないのだろう。

無理強いせずに背中を押す…のが良いのだろうが、なかなか難しい。

 

ニンタマが登校した後、家にはまだ寝ているプン助がいた。

常に遅刻が常態化しているプン助だが、水曜日は大好きな通級教室がある日。

毎日、通級だったら毎日行くのに!と、言うほど楽しみにしているのだが、昨晩、親が寝た後もしばらく起きていたプン助は中々起きられない。

 

何度起こしても、起きなかったのに、目が覚めた途端、「なんで起こしてくれなかったの!」と、切れ気味。

「パン食べる?」

「カレー食べる?」

と、面倒を見てあげている旦那さんに、罰を与えるかのように

「いらない!」

「食べない!」

と、怒鳴るのだった。

 

通級の連絡ノートに

「プン助君、タブレット持ってきてね」

と、書いてあった。

学校から支給されたタブレットは基本、毎日持参しなければならないのだが、ここ最近プン助は重いと言って、持っていかなくなっていた。当然、タブレット経由で出されている宿題なども無視している。

「いつも5,6時間目からしか行かないからって言っても、タブレットないと困らないの?」

と、聞いても

「困らない!」

と答えるだけ。

おそらく授業をまともに受ける気はないのだろう。こうなると何を言っても無駄なので、こちらもそれ以上言わなかったが、連絡ノートに書いてあった以上、持たせない訳にもいかない。

 

「通級の先生がノートに書いていたんだから、通級で使うのかもよ」

「違う、通級で使うわけないじゃん。多分担任の〇〇先生が、『私が言っても持ってこないので、通級の先生の方から言ってください』って頼んだんだよ、絶対」

なんと、鋭いのだろう。

私も薄々そうかな・・・と思ってはいたが。

 

「そうかもしれないけど、Y先生(通級の先生)が、わざわざ書いてるんだから、プン助がもっていかなかったら、Y先生が悲しむしさ、持っていきなよ~」

などと、苦し紛れの説得をすると、プン助はニヤニヤ笑って、

「かなしい~~~」

 

と、裏声で歌い始めた。

 

思わず吹き出しつつも、プン助の目を盗んでランドセルにタブレットを忍び込ませておいた。

だが、玄関から出ようとした瞬間、プン助は立ち止まりランドセルを開けて、

「重い!」

と、タブレットを出してしまう。

 

「お願い、持って行ってよ」

「やだ!」

「Y先生が、ノートに書いてるのに、持ってこなかったら、それはプン助の失敗じゃなくて、ママの落ち度だって思われる!ママがダメママだって思われるの嫌だから、ママの為にも持って行ってよ~~お願いお願い」

プン助に正論は効かないので、情に訴える方法しか思い浮かばない。

「やだ~!!!」

「ママのせいになるの嫌なの~!ママのお願い聞いてよ~!」

「やだ~~!」

などともめていると、旦那さんが

「お母さんかわいそうだろ!持って行ってやれよ!」

と、参戦してくれた。

本当はそこじゃないのだが、旦那さんが来てくれて、助かった。

「だって重いんだもん」

「じゃあ、他のもの出せ。お前どうせ、筆箱とかつかわないんだろ!筆箱出せばいいじゃん」

旦那さんが、筆箱を出す。

「筆箱は通級で使う」

プン助は慌てて、筆箱をランドセルに戻した。

「じゃあ、他のもの出せよ!」

旦那さんは、算数や漢字の教科書やドリルやノートをドサドサ出して、タブレットと筆箱だけをランドセルに入れた。

旦那さん、なんて大胆なんだ…。

「ほら、軽くなっただろ!」

「……」

プン助はまだ不満気で何か言いたげだったが、諦めて玄関から出て行った。

 

一件落着…と言った感じに、渋い笑顔を浮かべている旦那さん。

 

よくわからないが、とりあえず一心地ついた。

 

「数年前まで、子供が学校に行ってしばらく家にいないって言うのが、当たり前だったけどさぁ、二人とも登校してるのって、久しぶりだね」

「そうだね」

「すっごいレアじゃん、今日」

「本当だね」

 

などと言い合い、二人ともPCに向かってお仕事タイムに入った。

久々に平和だ。

子供が普通に登校するって、子供の為じゃなくて、親の為なんだなぁと実感した。

そう思うと、少し申し訳ない気持ちになったが、今度いつあるかわからないレアな日かもしれないので、申し訳ないとか思う無駄に時間に費やすのはやめようと思った。

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土砂降りの中卓球へ…

雨の中、卓球へ行く。運動不足のニンタマが、散歩のついでに体育館へついてきた。

 

卓球をするわけでもない娘を連れて行く…というのは、ちょっと恥ずかしいけれど、何かウキウキもする。

「うちの娘なんです~」

「中一なんです~」

「13歳なんです~」

「私よりも大きくて~」

と、誰にも聞かれもしないのに、べらべら話してしまう。

 

プライベートの話など殆どしたことがない人達に、いきなりそんな話をされても困るだろうとはわかりつつも、止められない。

 

「大きいですね」「何歳ですか?」「高校生くらい?」などと、聞かれることを想定して、聞かれる前から、べらべら話してしまうので、皆さんはもうコメントをすることもできず、

「あ~」

「大きい・・・ですよね」

と、言う事しかできないのも無理はない。

 

そんなことにぼやぼやしていたら、一緒に練習する相手や台の確保も遅れてしまい、しばらくただ壁際で、練習できる人が来るまで待つ。

 

今日が初めてという、韓国から来た方と練習をすることが決まった途端、いつも練習しているAさんが来た。

 

今練習している人達に台の半分を使わせて下さいと頼んで、韓国の人とAさんと私で練習をすることに。

私はハーフで台を使って練習をするのが、とても苦手。ぶつかるのでは?と、怯えすぎて、動き回ることもできず、オタオタしてしまう。

ニンタマにいい所を見せたいのに、これでは

「ママ、下手くそ…ダサ…」

と思われてしまう。

まあ、下手くそでダサいのは事実なので、仕方がないのだが実力よりも上に見せたい気持ちが働いてしまう。

 

そうこうするうつにニンタマは

「つまらないから、帰るね」

と帰ってしまった。

 

ニンタマが来ていることにウキウキしていたが、実力よりも上に見せようという邪念が消えたので、急にのびのびした気持ちにもなった。

 

韓国の人に

「私、ちょっとだけ韓国語勉強したりしてるんです」

と、アピってみるものの、薄い微笑みを浮かべられたのみ。

韓国人だと話した途端に、そんなことを言う日本人には頻繁に会うであろうし、

だからと言って、話すこともないのだ。

雑魚キャラしか話さない薄っぺらいことばかり話すなぁ、私。

 

しかし、いいのだ。雑魚も生きているのだ。

などと思いながら、黙々と練習。

 

すると、ちょっと危ういな…と思っていた股関節がちょっとイヤな感じになって来た。

今週は気温が急に下がった影響もあるのか、週の初め頃、やたらと肩甲骨が固くなってしまい、どんなにストレッチをしても、息苦しい感じが抜けなかった。

そのまま頑張ってストレッチを続けていたら、水曜日頃には肩甲骨はマシになったのだが、腰というか、尻の横が縮こまってどんなに伸ばしても、固さが取れなくなった。

ヤバいと思って、近所のマッサージに行ったが、ほぐれて気持ちが良かったものの、何か股関節のハマりがおかしな感じになってしまったのだった。

騙し騙し動かして良くなることもなるので、あまり気にせずにいたが、転がった球を拾う動きをする度に、ピリッと左の股関節に痛みが走る。

雑に球を拾おうとせずに、ちゃんとスクワットというか四股を踏むように丁寧に腰を落として球を拾うと大丈夫なのだが、ちょっと危うい。

 

その後、別の方と練習。久しぶりに練習に訪れたお友達とそれなりに楽しく練習をやる。

今日はとりあえず、騙し騙し練習をして、戻ってから股関節周りのメンテナンスをしっかりやろうと思っていた。

だが、いつも教えてくれるありがたい先輩が、

「なんでそんなに下手なの?ちょっと見てあげる」

と、練習を見て下さることになってしまう。

見て頂けるのはありがたいのだが、今は心が守りに入ってしまい、アドバイスを前向きに実践することが出来ず、ろくにお礼も言えないまま、言い訳をいいまくって練習を終える。

 

来週の火曜日は遊びでだが、ダブルスの試合なのだ。あまり無理をする訳にもいかない。

 

土砂降りの中、帰宅。

「ママ、思ったより上手だった」

と、ニンタマに言われ、予想外のコメントにホクホクする。

 

なんとしても日曜日、月曜日の間に股関節を治したい。

ダブルスも大事だが、今は稽古中でもある。

ちゃんと直さないと、常に足を引きずった設定のキャラになってしまう。

しかし、いつも良い状態が続くと、もう治った…と思ってしまうのだが、基本的には治るということは無いということを忘れてはいけない。

 

数年前に両臼蓋形成不全という、股関節のハマりが浅い状態であることが判明したが、これは治るものではない。

若い頃は筋肉の支えがあったので、なんとかなっていただけなのだ。

デスクワーク中心の生活になって、筋力が落ちてしまってから、本格的に痛み始めた。

筋力が落ちたことで、反り腰が悪化し、軽い脊椎管狭窄症にもなってしまい、メンテナンスを怠ると、あちこち痛くなってしまう。

 

お仕事や遊びや怠けたい願望に気を取られたり、ちょっとさぼっても、体の調子がよい時期が続くと、すぐに「もう、大丈夫」って思ってしまうのだが、お手入れというかリハビリはちゃんとしないといけない。

 

痛みがひと段落するまでは禁酒だな・・・。

早くよくならないと、飲めないので、飲めるようになるためにも頑張らねば。

しかし、このメンテナンス的な筋トレは本当にやった感のない、面白くない動きばかりなのだ。

根性で沢山動き回ればいいのならば、むしろ楽なのだが、それはむしろ体を痛めてしまう。

つまらなさや地味さに耐えるのは、結構な苦行だったりする。

このつまらなさや地味さの面白さを見出せるようになったら、きっと勝ったも同然なのだ。

だが、一体何に勝つのかは、さっぱりわからない。

 

 

 

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慣れ親しんだオタオタする人生

稽古前に、早めに家を出て、カフェなどで仕事をする予定だったが、いざ家を出ようとしたら、PCの充電がゼロ。

私が作業をしているテーブルの下がプン助の巣のようになっていて、そこでYouTubeを観たり、漫画を読んだり、なんなら食事までしてしまうのだが、その時プン助の足が私のPCの電源コードに当たって、抜けてしまうということがよくあるのだ。

仕方なく、稽古前ギリギリまで、家で作業。

早めに稽古に行くつもりが、またまたギリギリになってしまう。

稽古場へもうすぐ着く…という時に、今度はプン助の担任の先生から電話。

 

「学校や授業に積極的になれない感じがある中、毎日少しでも登校頑張ってくれてありがとうございます」

先生のお礼がもう、無理やりいい所を拾ってくださってる感じで、本当に申し訳ない。

プン助は、登校をしても算数以外は、殆ど授業に参加していないらしく、時々人の注意を引くために、誰かのシャーペンなどを取っては追いかけっこになっている…とのこと。

「それは、欲しくて取るっていう感じなのですか?それとも、ちょっかいって感じなのですか?」

「ちょっかいですね」

欲しくて取る…というのではないところで、少々安心しつつも、ちょっかいで人のものをとるのも困りものだ。

「生徒達から、何度か報告を受けていて…」

何度も、報告を…。わかってはいたが、本当にクラスの問題児なのだな…。

学校がつまらないのだろうが、退屈さは一人で耐えて欲しいところでもある。

「学習面も、前はドリルとかやって来てくれたのですが、最近はそれも全然やらなくなっていて」

「学校のものが全て嫌みたいなので、家でも別のドリルを渡したりしていたのですが…」

「別のドリルでもいいです。別のドリルを持ってきて学校でやってもいいので、ちょっとずつ学習をして行けないでしょうか?」

え?別のドリル持って行っていいの?先生、どこまで譲歩してくれるのだろうか。しかし、プン助は載ってくれるのだろうか…。

 

気持ちを切りかえて、稽古。

始めての本立ち。

 

この本立ちが一番苦手。相手を見たり、また本を見たりをやると、一体どこを読んでいたのか分からなくなったり、何かとても不自由なのだ。

とっとと、セリフを入れなければならないのだが、うろ覚えで立って迷惑をかけるのも心配で、スタンスが定まらない。早く口から勝手に出るような状態にしたいのだが、最近ちょっと認知に自信がない面もあるので、30代のころのように体に染みる状態になるのか、ちょっと心配。

まあ、心配するくらいならやれよという話だ。

 

作業しようと思ったら、PCの電源が足りず、家でやっていたら、遅刻しそうになり、慌てているところに、先生からの電話、そしてもう少し準備してから臨もうと思っていた稽古でも、オタオタ…。

若い頃は、何かが整えばもう少しちゃんとやれるはず…と思っていたが、もう少し整うことがないままの人生なのだろうなぁ。

一々オタオタしない人間になりたいと思っていた。

でも、もう慣れ親しんだオタオタなので、いつものことだ…とオタオタしながらも、自己嫌悪を引きずらなくなって来た。

これが、いいことなのか悪い事なのかはわからないが、残り時間が少なくなっていく中、無駄に凹むのも効率悪いっていうことなのだろう。

 

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ものすごい久しぶりの声のお仕事

ずっとやりたいな、ツテがないかな~と思いながら、チャンスがなかったのだが、ものすごい久しぶりに声のお仕事を頂けたのだった。

 

どのくらい久しぶりかというと、今、13歳のニンタマがお腹にいた時にラジオCMのお仕事をしたのが最後だった。

 

自分でヴォイスサンプルなどを作ればよかったのだが、子育て疲れを言い訳にして、エントリーするのも怠っていたので仕方がない。

 

だが、凄い久しぶりな昔舞台でご一緒して、今はかなり大活躍している人になっているお友達から連絡が来て、なんだろう?と思っていたら、そのお友達に事務所の方から、声のお仕事の紹介をしていただけたのだ。

 

不思議なこともあるものだ・・・と思いつつ、声の仕事は大好きだったので、ホクホクしながら、しかし十数年ぶりなので、若干気後れしながらスタジオに向かったのだった。

 

現場には、私が先日今年の夏頃に観たお芝居で素晴らしい演技をされていた素敵な役者さんがいることもわかっていた。

その役者さんは、私の旦那さんの劇団SYOMIN'Sの公演を観に来てくださっていて、お芝居自体を凄い褒めて下さっていたと旦那さんから聞いていたが、その公演も2019年と3年も前のことで、恐らく覚えていらっしゃらないであろう。

 

待合室でその役者さんを発見して、ご挨拶したが、非常に丁寧な対応をしてくださったが、覚えていらっしゃらないと確信した。ちゃんと覚えて頂けるような、印象的な演技をできていないとダメだなぁ、自分。

 

そして、収録。

その役者さん以外にもプロの声優さんが数人。ディレクターさんともご挨拶。すると、そのディレクターさんが、十数年前にお仕事をご一緒したことがあり、その経緯で今回、人づてに私にお仕事を依頼してくださったことが分かった。

恐らく、あの仕事かな・・・?と、おぼろげには覚えているのだが、当時同じ事務所にいた他の役者数人と一緒に出ていて、他の役者が何をやっていたかはなんとなく思い出せるも、自分が何をやったかが全く思い出せない。

そして、そのディレクターさんは、とても感じが良くて素敵な人だった。こんなに素敵な人なら、絶対覚えているはずなのに・・・と、自分の頭の耄碌ぶりにも驚いた。

しかし、なんとありがたいことだろう。

とはいえ、他の人は皆プロで、私は十数年ぶりなので、最早本当に色々衰えてわからなくなっているはず。しかし、卑屈になっている場合ではない。シレっと堂々とするのだぞ!と自分に言い聞かせる。

 

プロの皆さんの声は凄い。普通に話しているのに、声の情報量が凄く、深みが半端ない。温かみや、十数年一緒に過ごして来た情みたいなものなどが、すーっと伝わる。「凄いなぁ」

と、感心しつつも、自分もなるべくそこに近づけるべく、頑張る。

とはいえ、結局、いわゆるいい声で勝負はできないので、台本に書かれた内容に集中。ディレクターさんは明らかに褒めて伸ばすタイプの方で、委縮しないでのびのび読むことが出来た。

 

休憩中、ご一緒している役者さんに、先日観たお芝居の、あの役が本当に素晴らしかった・・・、その前に観たお芝居も凄く面白かった・・・ことなどをお伝えすると、

「え?お芝居やられてる方なんですか?」

と、聞かれたので、

「はい。宝船という劇団をやってます。でも、夫も劇団『SYOMIN'S』

っていう劇団をやっていて、そこに出たりもしてます」

と、話してみる。

「え?それ、僕観てますよ!あれ、面白かったですね~~~」

「あ、ありがとうございます!」

よかった、観たことはちゃんと覚えて頂けてたんだ!

「えっと、アナタは…それには出てらっしゃらないですよね~」

「あ…出てます。主人公の奥さん役で…あ、でもわからないと思います~」

「あ…大変失礼しました」

「いえいえ、全然!」

と、やはり覚えていらっしゃらなかったのだが、それ以降会話が弾み、休憩あけた後はとても楽しくやれたのだった。

 

収録が終わると、ディレクターさんもクライアントさんも、収録がうまくいったことをとても喜んでいただけた様子で、心底ホッとした。

 

私も、今後お仕事をご一緒した方のことを忘れないようにしなければ。

そして、ご一緒した方にも覚えて頂けるようにしなければ。

覚えていただけてなくても、しゅんとしたり心を閉ざしたりしないで、思い出してもらう努力もせねば…なのだ。

 

今日は、そういう意味では、良くできた方だった。お仕事が楽しかったからだろう。

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稽古で本読み&雑談

「インディヴィジュアル・ライセンス」稽古。

 

本読み。

有馬さんと環さんは本番間近ということでお休みだったが、参加しているメンバーで本読みの後、それぞれの共通認識を探るべく色々お話をする。

それぞれなんとなく、家族の話などをする。

 

私自身、自分が育った家はかなりイレギュラーで特殊な方だと思っていたが、皆の話を聞いていて、人それぞれにイレギュラーで特殊な育ちをしているのだな…と、実感した。

でも心地良いのは「家族っていいですよね」「やっぱり家庭が一番ですよ」みたいな人が一人もいないことだった。

 

そういうこという人、苦手…。

言われたら、

「そうですよね~」

って絶対答えるけど。

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卓球の試合に出た!

卓球の市民大会。

朝、9時から集合。

予想では適当に組まされて、負けたら敗退で終わり。

その後、ちょっとした敗者復活戦などがあったりするかもしれない…みたいなイメージだったが、全然違った。

 

参加者がAからLの12チームに振り分けられ、チームごとに団体戦という形をとることになっていた。

1チーム4人のチームと5人のチームがあった。一つの試合が5人の個人戦で、3人以上勝ったチームが勝ち。

4人のチームは、誰かが2回試合をすることになる。

今年は、参加者が多いらしく、12チームを籤引きで二つに分けて、その中で総当たり戦をするという。

私はKチームだった。メンバーはなんとなく顔を知っているという方が二人、初対面の方が一人。

団体戦で殆どよく知らない人と組むことになるとは、思いもよらなかった。

 

その方式に異存はないのだが、困った事情があった。

実は一昨年、入会しないかと言われて、一度入会する流れになっていたとある卓球クラブがあり、練習に参加しようとすると、いつも主宰の人の体調が悪いとか、家族の体調が悪いなどの事情で、その日は無理…と断られていたのだった。そして、一度も練習をさせて貰っていないのに、試合に出る為に登録料を支払う必要があるなどと言われ、不審に思っていたところ、今の卓球クラブに拾って貰った経緯があったのだが、結果的に入らなかったクラブの主宰の人が、今日の大会に来る聞いていたのだ。

仮にその主宰の人をXさんとするが、そのXさんは、色々な人を勧誘してそういうトラブルになっているらしい。私が入会したクラブにも同じような思いをした人が何人もいたのだった。

一昨年、一度入会するお話がありましたが、お断りさせてください…というメールを出したのだが、なんどやめたいと伝えても、

「保留にしましょう」

「とりあえず一旦休会と言う形に」

といった返信が来た。

「保留ではなくやめたい」

「休会ではなく、練習もしていないので入ったつもりもない」

と、返したりしていたのだが、そのまま返信が途絶えたかと思うと、しばらくして、また

「他のクラブに入らないという約束をしてくれたら、やめることも検討します」

「会って話をしてから、他のクラブに入らな約束をとりつけなければ認めない」

みたいな連絡た来たりもして、その都度恐怖を感じていた。

「他のクラブに入るか入らないかはそちらとは無関係のことです」

「会って話をする時間を取るつもりは一切ありません」

と、返信をしても、

「体調が悪い」

「迷惑メールフォルダーに入っていて、気付かなかったけれど、何か返信をしましたか?」

みたいな内容の返信が来たりして、それ以降、こちもXさんのメールをブロックしていた。

そのXさんが来ることは事前に聞いていたが、Xさんは男性だし、そもそも試合で当たると思っていなかったのだ。

だが、当日、試合は団体戦で男女混合だと判明。

 

運よくXさんと同じチームになることは免れた。

だが、Xさんのいるチームと当たる可能性があるのか・・・。

 

というか、個人戦でXさんと当たる可能性もあるではないか?!

当たらなかったとしても、Xさんが出ている試合の審判をする可能性もある。試合に出ると言っても、ルールもまだあまり理解していないのに…。

 

やばい…怖い怖い怖い怖い。

 

12チームを二つに分けて、総当たり戦になると聞いた時、せめて別々なブロックに別れるようにと祈ったのだが、抽選の結果、まんまと同じチームになってしまった。

ガーン!

 

その後の試合予定が発表される。

全部で五回、団体戦をするのだが、その四回戦目にXさんのチームと当たることが判明。

 

団体戦は普通、最初に強い人が来る。私のような下手くそは4番目、5番目になることが多いので、強いXさんとは一緒にはならないのでは?と思ったが、我がKチームのリーダーは公平な方で、ジャンケンでチーム内で1番から4番までの順番を決めた後、最初の試合での1番は次の試合では5番に、2番は次の試合では1番になるように・・・といったローテーションを組んで、強かろうが、弱かろうが平等に出場することになったのだった。私は4番だった。

 

四回戦目で、Xさんと試合で対戦してしまうかもしれないぞ。

 

しかし、別に何も後ろ暗い事はしていないので、当たったとしても、ビビる必要はないではないか…と、何度も自分に言い聞かせるも、ドキドキするやら、不安やらで落ち着かない。

 

まあ、死ぬ訳じゃないし、なんとかなるだろう。

 

とりあえず、四回戦目までは、気にせず粛々と試合をするのだ!

 

一回戦目。Dチームとの試合。

私の対戦相手はよく練習で一緒になる、凄い上手なNさんだった。

「うそ!Nさん相手か…終わった・・・!」

市民大会って、初心者も嬉し恥ずかしって感じで参加する、もっとのどかなものだと思っていた…。

案の定、3ゲームでストレート負け。

だが・・・

13―11、13―11、12―10

という、どれもジュースに持ち込んで負けたのだった。

実は、1セット、2セットは、6-9くらいで勝っていたのだった。自分が9点を取って、「もしかして勝てるかも?」

という気持ちになった後、そこから必ずNさんに持ちなおされての負けだったのだ。

あんな上手なNさんにここまで競るとは思わなかった。

でも、9点まで取ってから、負ける・・・ということに、凄く大きな意味を感じた。

Nさんの方が圧倒的に上手いのだが、これは勝てる可能性があったのだ。その可能性をつぶしたのは、自分なのだな・・・と思った。

 

二回戦目。Aチームとの試合。

 

11-2、11-5、11-6のストレート負け。

対戦相手は10代の男の子。

部活でガンガン頑張っている世代であり、圧倒的な実力差。相手がかけているサーブの回転も何もわからなかった。勝てる見込みは全くなく必然的な負け。

でも、1セットから3セット目まで、得点をちょっとずつ上げられたのでヨシ!

 

三回戦目。Gチームとの試合。

8-11、11-9、9-11、11-6、9-11で、なんと3セット取得して勝ってしまった。

対戦相手は明らかに私よりも上手な人で左利きだった。あーまたうまい人に当たってしまった…と思ったのだが、まさかの勝利。

「嘘でしょ?」

と、全く腑に落ちなかったが、めちゃめちゃ嬉しい。上手な人でも、相性というものがあるようで、相手の人にとって、私はやりにくいタイプだったようだ。

その人は、凄くいい人そうだった。家族や仕事場でもなんとなく嘗められてしまうような印象だった。

 

休憩中、観覧席でまだ試合をしている人達を見ながら、ごはんを食べた。

その時、私が恐怖を感じていたXさんが、最初に試合をしたDチームの中の20代の若者と試合をしてていた。

Xさんはメールでは「足が痛い、膝の手術をしなければならないのだけど…」みたいなことを執拗に書いていたのだが、ものすごい力強い踏み込みで、バンバン打ち込んでいる。卓球講習会みたいな会場で数回練習をしたことはあったのだが、その時は足も引きずっていたし、卓球歴は長いもののそこまで強そうに見えなかった。だが、今日のXさんは凄い。

会場の中でも群を抜く上手さで、凄まじく強い。膝が悪そうには全く見えない俊敏な動き。

しかし、相手の若者(以後Mさん)も、ものすごく強かった。

ついついMさんを応援してしまう。

観覧席は皆その試合に釘付け。

「Xさんも指導者だから、負ける訳にはいかないわよね」

「M君に勝って欲しい~」

そして、接戦ではあったが、Mさんが勝ったのだった。

Xさん、屈辱だろうな・・・。

 

次に対戦する人、可哀想だなぁ・・・。

 

ん?

次に対戦するチームは私のいるKチームだ

さる筋からの情報によると、Xさんのチームは4人なので、Xさんは毎回1番目5番目に出ているという。ウチのチームのようにローテーションで順番を変えていないのだ。

ん?

私は一回戦目の時は4番目だったのだが、次の試合は4回戦目。1番目は私だった。ウチのチームも4人しかいないので、必然的に私は1番目であり5番目でもあるのだ。

 

やばい…。

Xさんと2回も当たってしまう!!!!

怖すぎる。

Kチームのリーダーに事情を説明すると、試合の一回は回避させてあげられるけれど、2回とも回避は難しいそう。

結局私は1番目と4番目の試合に出ることになり、5番目の試合はリーダーの人が変わってくれた。

観念して一度は試合をするしかない。

四回戦目。Lチームとの試合。

とりあえず、それまでの経緯については一言も話さず、初対面のようにふるまう事にした。ちょっと練習をしてから、普通に試合をした。

結果。

11-1、11-1,11-2

のストレート負け。

しかし、かなりラリーは続いた。Xさんも、私の甘い球はスマッシュをしてきたが、下手くそ相手に、意地の悪い凄いサーブを出したりはしなかった。ともすれば11-0で負けそうなところを絶対一点だけでも取ってやると、喰らいついてやっとこさという感じ。ビビって実力以下の試合をした訳ではないので、ここはよく頑張った気がする。

噂では、Xさんが登録料を巡って揉めた相手を捕まえては、長々話をする・・・と聞いていたが、そんな気配もなかった。

 

その後、4番手として、Tさんとも試合。Tさんは、初めての試合に出場した6月には、チームメイトだった人で、70代なのに、ビックリするほど上手で強い人。

勝てる訳ないじゃんと思いつつ、対戦。

11-6,12-10、9-11、11-13、11-6

2セット取ったけれど3セット取られて負けてしまった。

まさか、Tさん相手に、2セットもゲームを取れると思っていなかったのだが、それでも、勝てる道筋がないわけではなかった気がした。

実力差では明らかに負けているのだが、精神状態で勝ちに行くエネルギーが欠けているというか…。

 

五回戦目。Iチームとの試合。

いつも練習を一緒にしているKさんが対戦相手。Kさんは、重いドライブをかけて来るタイプでいつもフォア打ち練習では撃ち負けている。なのだが・・・

3-11、7-11、4-11

で、ストレート勝ちをしてしまった。

我ながら、びっくり。

Kさんはいつも、腰が低くとてもいい人であり、

「カットマンですか~」

「カットマンは皆、やりづらいって思いますよ」

と、よく私に話していた。

本来のKさんは、攻撃力も強く実力は私よりずっと上手なのだ。勝てた理由としては、カットマンへの苦手意識が強すぎて、様子を探るような返し方をしているウチに、Kさんがペースを崩してしまった・・・ということにあるのかもしれない。

 

これで総当たり戦は終わり、試合終了かと思いきや、下位のリーグ戦、上位のリーグ戦もあるとのことで、この後も試合をすることに。

 

六回戦目。Hチームとの試合。

なんと市の卓球連盟の会長さんと対戦することになってしまった。開会の挨拶などをしていた、重鎮の人。

重鎮とはいえ、負けるに決まっていると決めつけず、落ち着いて頑張るしかない。

そして、11-5,11-4、11-5でストレート負け。

でも、会長さんもカットマンだったので、一番長くラリーを続けられた。

「もっと攻撃したほうがいいよ」

と、アドバイスを頂く。

七回戦目。

1回戦目で対戦したDチームと再度当たってしまった。

対戦相手は昼休みに目撃していた、先ほど、Xさん相手に勝ったMさん。

「嘘でしょ~~~~Xさんに勝った人と~~~」

と、ビビりまくる。Mさんは見るからに、動きが普通の人とは違う。上手い人オーラが半端ないのだ。

ところが・・・11-7,11-6、11-6と、ストレート負けではあるが、Xさんとの試合よりは大分点が取れていた。

嬉しい。

 

Xさん相手には11-1、11-2などで負けまくっていたのに。Mさんも非常にいい人そうな雰囲気だった。

 

7試合中、2試合しか勝てなかったのだが、上手だから勝てる訳でもなく、相性やら、色々複合的な理由があるのだなと思った。

 

高校の部活で卓球をやっていた時、自分より弱い相手に負けること、自分より強い相手に勝ててしまうことについて、よく考えていた。

すっかり忘れていたが、最初の一年間は明らかに自分よりも実力的に下手そうな相手にも負けていた。それが、1年間登校時は毎日1時間早く登校して朝練、早弁して昼休みにも昼練・・・という生活をした後、明らかに下手な相手に負けることはなくなった。自分より凄い強い相手には勝てないが、ちょっと上手でちょっと強い相手には、勝てるようになった。多分、試合時のメンタルが鍛えられたのだ。

それでも、ジャンケンのグーチョキパーのように、相性はあって、自分がいつも負けてしまう相手といつも勝てる相手同士が試合をしても、いつも負けてしまう、私にとっては強い相手の方が私にとって弱い相手に負けてしまったりする…ということもある。

 

グダグダ述べてしまったが、試合は面白い。

卓球を再開した頃は、運動が定期的にできればいい、試合みたいに精神が疲れることはしたくない…と思っていて、クラブ内で遊びの試合をやったりするのもちょっと苦手だった。だが、今年6月に初めて試合に出て、今日で二度目。苦手なのは相変わらずだが、ものすごい快感を味わえる瞬間が何度かあった。

強くなりたい・・・。

そういう気持ちがちょっとだけ芽生えてしまった。

 

しかし、仕事が大変な時や、子供問題にヘトヘトな時もあり、この思いを育てていくのは中々難しい。

高校生の頃のように頑張ることは絶対にできない。

 

無理をすると続かない。細々とでいいので、最低限の練習を続けられるといいな。

 

後で聞いたが、指導者などをやっている人は皆試合には、ちょっとだけ出る…というスタンスを取っていた。

Xさんのチームは結局優勝したのだが、一人で全試合2回も出るのは異様なことだったらしい。

確かに私が対戦した市の連盟の会長さんは、ちょっとしか試合に出ていなかった。

私のチームのリーダーさんも、チームの中では一番強い人だったが、一人で何度も出る・・・ということはしていなかった。

「あの人は、全く周りが見えてないのよ。今日の様子を見て、凄い練習をしてきてるな…とは思ったけど、毎回自分が2回も出たら、勝つに決まってるじゃない」

と、周囲の人はドン引きしていた。

 

とはいえ、今日Xさんが来ることを覚悟の上で、試合に出ることにしたのだが、逃げずに参加して良かったなと思った。

一日中、Xさんをそれとなく避け続け、対戦した時も、初対面のようにふるまい、Xさんから、「まだやめたと認めていない」「他のクラブに所属することも認めない」などと言われる隙を見せないように過ごした。例え、声をかけられたとしても、「そんなことを言われる覚えはない」と、対峙する覚悟もしていた。

 

結果何も言われず、ホッとしたものの、もしかするとXさんはこちらのことは最早すっかり忘れていたのかもしれない・・・とも思った。色々な人に声をかけていて、最早記憶にもないか、記憶はあったとしても、最後に直接顔を合わせたのは1年以上前なので、顔など覚えていなかったかもしれない。

 

そうだとしたら、相当の覚悟で試合に臨んだり、一日ハラハラドキドキしていたのはただの無駄だったということだ。

 

私が自意識過剰に大騒ぎしていただけなのかもしれない。

とにもかくにも、怯えず試合に参加して、ちょっと世界が広がった。良かった良かった…ということにしよう。

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体操教室体験

プン助の体操教室体験。

ここの所、家でバク転の練習をして、下の階から苦情が来たりしていたのだが、仲良しの●●君が通っている体操教室へ一日体験入所することになった。

 

YouTubeで観たパルクールに憧れていたのだが、バク転までは我流で頑張る・・・と、言い張っていた。だが、仲良しの●●君が習い始めてから、めきめきうまくなったのを見て、自分も行ってみたいと思ったようだ。

 

G体操教室には、小学校低学年から中学生くらいまでいた。

小さい子も、綺麗に勢いよく側転やハンドスプリングをしていてびっくり。

プン助は学校では、マット運動が上手な方とされていると自慢をしていたが、ここではプン助よりも上手な小さい子が沢山いる。ショックを受けていないだろうか?

  • ●君は、上手なグループに入っていて、補助が付いているとは言え、前方転回やバク転、前宙の練習、どれもかなり様になっていた。

 

私はあまりにも運動神経が悪かったので、小学校低学年の時に体操を習っていたのだが、かなりスパルタで、拷問のような柔軟体操で泣かされたトラウマ的な思い出があった。マット運動も、週1しか通わないクラスの子達はいつまで経っても、バク転の練習をさせて貰えず、2年通っていたのにハンドスプリングまでしかできるようにならなかった。

 

この教室は、初日からバク転の練習をやらせてくれている。教え方も私の子供時代のような体育会系ではなく、理に適っているように見えた。

素晴らしい!・・・と、私の気持ちは先走ったが、プン助に練習どうだった?と聞くと、

「よくわからん」

とのこと。

自分が意外とできない方だとショックを受けたのだろうか?などと心配したが、

「やってみたい」

との言葉を聞き、ちょっと嬉しくなった。

「皆もっとうまいかと思ってたら、そうでもないなって、ちょっと残念だった」

と、私の予想と逆のことを言っていた。

 

続くかどうかわからないが、「やってみたい」頂きました!・・・と、嬉しい気持ちになった。だが、習い事にはお月謝問題がつきもの。

ちゃんと実現するお仕事して、今年は収入アップさせねば・・・。

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稽古、初顔合わせ!

午前中は、昨日に引き続きzoom会議。

プロットの話をしなければならないのに、何故か卓球の話をしてしまう。すると、「僕も部活で卓球部だったんです。だから、新井さんの言っていることよくわかります」と、言ってくれる人が現れ、場違いなバカな話をすると仲間が見つけられることもあることを改めて知る。

 

夕方から、10月27日からの舞台「インディヴィジュアル・ライセンス」の初顔合わせ&初本読み。

 

役者として舞台に上がることは、近年あまりなかったので、自己紹介でも、「子供を産んでから、あまり舞台に出てなくて、ほぼ素人同然でして…へへへ」

的な言い訳がましいことを言ってしまい、直後から「50過ぎているというのに、まだそんな甘えたこと言ってこのバカ!」と、反省。

だが、自分のふがいなさには慣れ親しんでいるので、すぐに気を取り直す。

 

今日は脚本を書いた米内山陽子さんも来てくださった。しかもお休みだった森谷ふみさんの代役として、本読みにも参加。

作家さんであるのに、読むのも凄く上手で面白かった。

 

一方私は、読んで本を面白いなと思っていて共感の嵐なのに、聞こえて来る自分の声に違和感ありまくり。早く違和感がない状態を探らねば。

 

若い頃から一方的に舞台で目撃していた扉座の有馬自由さんは、一発でもうすっかりその世界の住人になっていて、さすがだった。

 

金田一央紀さんも、軽やかでとても面白い。

 

私の息子役の平井泰成さんも、すっと息子感が感じられ、環幸乃さんはとてもキュートだった。

 

演出の池田さんは、凄く丁寧できめ細かい気遣いをされていて、主宰としてこんなにちゃんとした人は初めてかもしれないと思った。

まずは久々に膨大なセリフを覚えられるかだ。

 

覚えないことには何も始まらない。

 

稽古後、ちょっとした雑談の流れで、挨拶は大事…という話になった。

それだけ聞くと、よく聞く言葉なのだが、米内山さんと金田一さんから実体験として聞いて、

「私、そういう面、かなりダメかもしれません」

と、ズシンと響いたのだった。

 

オープンマインドになっている時には普通にできることが、委縮したり場違いな感じがしたりすると、全てを縮小モードにしてしまい、気配を消すことに終始してしまう節がある。

気配を消してる場合じゃないな…と、52歳ではあるが、今日から考えを改めようと思った。

 

っていうか、いつでもオープンマインドになれればいいんだよな。

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フライヤー撮影に行って来た!

 

プン助は安定の行きしぶり。

私は朝11時からzoom会議。

プン助がコーヒーを淹れてくれた。

 

Zoomはさくっと退出させて頂き、お昼から、1027日(木)~31日(月)に出演させて頂く、24/7lavo 4回公演 「インディビジュアル・ライセンス」のフライヤーの撮影へ。

 

新宿シアターミラクルで集合して、車で小一時間で移動しながら、三箇所くらいで撮影。主宰で演出家の池田さんが凄い勢いでバシャバシャ撮影し、素晴らしい段取りの良さで、またシアターミラクルへ戻って来て、しばし談笑し、親交を温める。

 

子供を産んでから…というか、30代半ばから、出演する方は、ほんの時たまな感じで、出演するにしても、それほど出番も多くなく、気楽な出演をさせて頂いていた。

 

今回は、割とガツンと出演することになるので、楽しみな反面、ドキドキなのだ。

 

まだコロナ禍になる前の宝船公演で、終演後対談させて頂いた、米内山陽子さん脚本の作品。

 

米内山さんの本は、ちゃんとキツイ現実にぶち当たっている人達の等身大の悩みがきちんと描かれているのに、米内山さんの中のポジティブなエネルギーが観ている側にジワジワ伝わってきて、何故か癒されてしまう素敵な作品が多い。

 

対談させて頂いた時も、凄く楽しく、その時間は私にとってキラキラした時間になっていた。

 

…ということで、不安に思っている場合ではない、やらねば!と、何か必然的な流れを感じて、出演させて頂くことにしたのだ。

だが、ご一緒する共演者の方は立派な方々ばかり・・・。

 

早くも、ひえ~っと尻込みしそうになったのだが、もう尻込みとかしている無駄の時間はないのだ。

稽古をやっていくうちにそれほどのひえ~じゃなかったな・・・と思えるように、沢山恥を掻いて、ぶつかって行かねば・・・。

 

明日は稽古初日。

出来上がっている分の脚本はとてもポップで面白く、まだ自分がその世界の一部になる現実感は無いのだが、その世界で生きられるのがとても楽しみ。

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人間は五十肩から逃れられないのか?

自分では、特に気にしていなかったのだが、旦那さんが私の日々プチ不調の様を見て、マッサージへ行ったりした方がいいよと、言うので、凄い久しぶりにマッサージへ行って来た。

座骨神経痛、股関節痛、五十肩、滑液包炎の説明をしているウチに、自分でも、マッサージする人は盛沢山すぎて、困るのでは?と思った。今は、どこかが激痛とかがあるわけでもなく、叩けば動くテレビのように意外とちゃんと動いているので、あまり気にしていなかったのだが、マッサージの人は、恐らく誰にでも言うのであろうが、

「うわ、固い!これは大変ですね~」

と、連呼してくれ、そんなリップサービスにもなんだかいい気持ちになった。

「整形外科へ行ったら、かかった先生が二人とも右肩は1年半とか左肩は半年治るのにかかったみたいな話をしてて、整形の先生もなっちゃうの?そんなに時間かかるんだってびっくりしたんです」

と、言うと、

「いえいえ、短いくらいですよ?3年かかったり、5年かかったりする方もいますから~。私もなった時はつらかったです~~~」

と、返してきて、またまた驚いた。

3年?・・・5年?

 

人間というものは、長年生きていたら五十肩から逃れられないものなのだろうか・・・。

 

「あの…でも、ならない人もいるんですよね?」

「ああ、なりづらい人はいるかもですね~」

 

「います」

っていう断言はしないのだな・・・。

 

この絶望的な気持ちは、五十肩なんて、一度もなったことないという80代くらいの人に5人位合わないと、払拭されない気がして来た。

 

そんな人はどのくらいいるものなのだろう?

タキミカさんとかは五十肩とは無縁そうだが、どうなのだろう。

 

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