宝船友の会

 

 

「宝船友の会」なるイベントを行った。

 

劇団員の高木さんと國武さんに、「ああ、またか…とは、言いたくない」発売記念に何かイベントをやるのはどうか?と提案を受けた。

 

当初、3月3日付近のひな祭りの時期に…ということだったが、DVDの編集などに、時間がかかったことと、3人のタイミングが合わなかったということで、この時期になってしまった。

 

公演後、一か月後などなら、まだしも4か月近く経って、ほとぼりが冷めてしまった感もあり、果たしてお客さんは来てくれるのだろうか…と不安だった。

 

「最悪、身内だけで飲めばいっか!」

 

と、若干捨て身だった。

 

 

 

最近、鬱気味で人前に出ることへ過剰な苦手意識があったのだが、このまま放っておくとどんどんひどくなってしまいそうだったので、気分を高める為、母から貰った着物を着てテンションを上げることにした。

 

 

 

火曜日に負傷していた股関節も、普通に歩ける程度に回復していた。

 

 

 

どうなることか・・・と心配していたものの、身内だけではなく普通のお客さんも着て下さり、楽しく終えることが出来た。

 

 

 

個人的には、DVD即売会と銘打っていたのに、買って下さるお客様に

 

 

 

「え!?買って下さるんですか?!ありがとうございます・・・!」

 

 

 

という主宰や座長としてどうか・・・と思うようなぼんやりした態度でいてしまったことや、時間配分や段取りもすべて、劇団員の二人任せにしてしまったことなど、反省することは多々ありつつ、暖かいお客様に癒された気持ちになった。

 

 

 

前回出演してくれた、高山君やあずきさんが来てくれたり、ブルースカイさん、加藤直美ちゃんなど、過去に出てくれた大好きな人達も来てくれて、本当に嬉しかった。

 

 

 

だが、イベント後、高山君と旦那さんが飲んでいる焼き鳥やさんに合流した時、お気に入りの帯と帯締め、大事な着物、そして膝に置いていたお直しをしたばかりの羽織に、焼き鳥のたれをベチョッとこぼしてしまった。

 

いろんな種類の焼き鳥が食べたいと、焼き鳥の櫛を外していて、勢い余って肉とタレが飛んでしまったのだ。

 

洋服の時にも中々こんなミスはしないのに・・・。

 

 

 

いいこともあれば、悪いこともあると言い聞かせながら、帰宅。

 

着物についた汚れは無理に擦っちゃだめだと知っていたのに、帰宅後、ゴシゴシ擦って、シミを余計に広げてしまった。

 

 

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スキー旅行六日目

朝早くから荷造り。

部屋の荷物をまとめた後、地下にある乾燥室へ行き、スキー板やブーツをスノボのケースに入れに行く。

スノボのケースだとブーツや他の衣類なども入れられるので、いつもスキーケースではなくスノボケースに入れていた。

ニンタマのスキーをまとめた後、自分のスキー板をしまおうとして、愕然とする。

どうしてもスキーが収まらないのだ。

このケースに入れて宿に送ったはずなのだ。それまでこのケースに入れるのに、困ったことは全くない。

 

たった5日でスキー板が成長したのか?

いや、そんな馬鹿な…。

 

怪我をしてからというもの、妙に板を重く感じたことを思い出す。

宿の送迎バスで板を積んでもらう時、今まで普通に横向きに乗せていた板を、宿の人がある時から

「おや、長いな…」

という感じに持て余し、縦にして座席の下に入れ込んでいたこともあった。

スクールの先生が私の板を、凝視していたこともあった。

何度かビンディングの色、こんなだっけ?と思ったこともあった。

板に書いてあるアルファベットの文字もこんなだったっけ?と、違和感を感じてもいたが、全体的に赤っぽい板だったというざっくりとした印象はクリアしていた。

 

そして、深く考える前に大騒ぎしている子供達に気を取られて、すっかり忘れてしまっていたのだった。

 

だが、もはや事態は明らかだ。

 

 

いつの間にか、どこかで違う板と入れ替わったのだ。

誰かが私の板を間違えて持って行った可能性もあるが、それは考えにくかった。

 

こんな間違いをやらかすのはおそらく私に違いない。

繁々と板を名が見えていると、パッと見では気づかない箇所にマジックで〇〇〇と、名前が書かれていた。当然、私の名前ではない。

 

「ごめんなさい!○〇〇さん…!」

 

受付のおばあさんに2日から今日までの間に〇〇〇さんという人が泊まっていなかったか、聞いてみる。

「お調べしますね」

2日、3日は何を聞いても話しかけるなオーラ全開だったおばあさんだが、4日以降客が減ったせいか、親切に応対してくれた。

 

その間、スキー場にも電話をして調べて貰った。

私は自分の板のメーカーは覚えていたが、どんな種類の板だったか、ビンディングのメーカーも失念していた。店員さんに勧められるまま、そこそこお買い得の板を買っただけだったのだ。

 

某国産メーカーの名前と身長より低い板(おそらく150センチ)買ったのだが、この板に書かれているサイズは170センチで、〇〇〇さんと名前が書いてあることを伝えた。

スキー場の係のKさんという女性は非常に感じがよく、手掛かりの少ない私の話根気よく聞いてくれた。

 

170センチの〇〇〇さんの板は、宿泊している宿に置いておいてくれたら、取りに来てくれることになり、私の150センチの板に関しては、冬休みなどの忙しい時期が終わった時点で忘れらえている板を集めた中から探し、あってもなくても連絡をくれる…ということになった。

 

宿のおばあさんから連絡があり、受付に行く。

 

「宿泊者の中に〇〇〇さんって方はいなかったですね~。もう、その板を持って帰ってお使いになったらいいんじゃないですか?ずっとそれで滑れてたんでしょ?

 

確かに板の長さが20センチも違うのに、全然滑れていた。

むしろ、安定感も増していたくらいだ。

 

帰り際に重すぎて苦痛に思う以外に、違和感を感じなかった程だ。

 

「いえ、さっきスキー場にも電話したら、落とし物として取りにきてもらうことになったんです」

「あら、そうですか…。でも、あなたの板は届いてないんでしょ?板、なくなっちゃうわね…」

 

そうなのだ。私の板が届けられなかったら、当分板を買う訳にも行かない。レンタル代も馬鹿にならないと板を買ったはずなのに…。

しかし、かといってこの板を持ち帰ったら、それはネコババになってしまう。

〇〇〇さんも名前を書いているくらいだから、さぞかしこの板を大事にしていたはずだ。

烈火のごとく怒っているかもしれない。

自分だったら、絶対怒る。

 

取り違えた板が無事に持ち主の元へ届くように、願いつつ荷造りを終え、宿を後にした。

 

日帰りセンターで越後湯沢行のバスを待つ間、トイレに行きたがらないプン助にトイレに行くように説得する過程で、大ゲンカになったり、その替わりにおやつを買ってくれと言われたりしつつなんとか、越後湯沢へ。

雪国では寒い寒いと大騒ぎしていたプン助だが、東京についた途端、半そでになり、上着を着てくれなくなった。

実際の寒さよりも、ビジュアルイメージで暑さ寒さを感じているのかもしれない。

着ろ着ろと言い続けるのにも疲れ、諦めた。

 

帰宅後、冬休みの宿題が終わっていない!と、言いつつテレビばかり見ていた子供らだったが、寝る前になって大泣きしながら、宿題をやっていた。

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スキー旅行五日目

スキー最終日。

 

朝早起きをして、PC作業をしていると、ニンタマが起きてきて、

 

「6時に起こして!って言ったのに、どうして起こしてくれなかったの!」

 

と泣きだした。

こちらとしては全く記憶にないのだが、ニンタマは

 

「絶対言った!」

 

と、パニック。どうやら、早起きし冬休みの宿題をやりたかったらしい。

「いいじゃんいいじゃん、宿題なんて忘れちゃってもさぁ~」

と、言ったら、余計パニックになって

「やなの~!」

 

と、大泣き。

なんとか宥めすかして、

 

「20分でもいいからちょっとやったら?」

 

と、言うと

「もういい!明日やるから、明日は絶対に起こしてね!」

 

と、スケバンのように睨みを利かせてきた。

 

前日は、割と自分でテキパキ支度をしてくれたプン助だったが、今日は隙あらば、ニンタマや私に板を持たせようとする。

自分は先に行くのに、こちらが先に行くと、怒って拗ねて、3時間後くらいに謝る…ということを繰り返していた。

 

プン助がスキー場で行方不明になり、パニックになった私が、

 

「ママ怪我してるんだから、ニンタマちゃんがちゃんとプン助みてくれないと困るでしょ」

 

と、言ってニンタマを泣かせてしまった。

全員、疲れ気味で怒りっぽくなっていた。

 

股関節をかばいながら、滑るのにも慣れて来たので、プリンスゴンドラに乗りまくった。

 

「ママさぁ、プン君のアドバイス聞いて」

 

プン助が真面目な顔をして切り出してきた。

 

「プン君もまだ、あんまり上手にできないんだけどさ、ママ、パラレルターンをする時、足がちょっと三角になる時があって、そこ治した方がいいよ」

 

そもそも、プン助がやっているのは、基本大股開きでまっすぐ降りたり、急な斜面はなんとなく、曲がりくねって降りて来ているだけなのだが、まるで私と同じくらいか、あるいは私より上手な人が、敢えて気分を害させないように気遣いしながらするようなアドバイス。

しかも、実は自分でも実は自覚しているダメな部分を指摘され、絶句。

 

 

「だって…ママ、怪我してるから…思うように滑れないんだよ」

 

「そうだよね。でもさ、気を付けてるのと気を付けてないのは違うから。プン君もあんまりちゃんとはできてないんだけどね」

 

慰めているつもりらしいが、複雑。

しかし、自分が1年生の時に人の滑りに対して、何かを指摘しようという発想はなかった。うまいか下手かもよくわからなかった気がする。

 

私には優しくアドバイスしてくれるプン助だが、ニンタマには「全然うまくない」「下手」「全然かっこよくない」と、けなしまくって泣かせたりしている。

 

「ニンタマはママより上手だよ」

 

と、私が言っても

 

「ママの方が全然上手だよ!ニンタマちゃん、下手!」

 

と、言いはる。

ニンタマとプン助が喧嘩になり、怪我をしている私を盾にして殴り合いになるので、恐ろしくて仕方がない。

 

普通に楽しく滑りたいのに…。

それでも最後は、「もっと滑りたかった」と、満足そうであった。

私は怪我をしたが、子供ら二人は怪我もなく無事に済んでよかった。

 

その日も夕ご飯はカップラーメン。

運動の後だし、良質なたんぱく質を摂取したいのだが、外食する元気はなかった。

 

夜はだらだらテレビを見る。

もう消そうと思ったら、「3年A組―今から皆さんは人質です―」が始まり、つい見てしまう。

プン助もニンタマもドハマりしてしまった。

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スキー旅行四日目

朝、母が帰ってしまう。

 

見送りをしたかったのだが、プン助の支度に手間取っている間に、越後湯沢行きのバスに乗り遅れてはまずいと、バタバタしている間に、母は宿を出発してしまった。

これからは、子供らのことでテンパっても気持ちを分かち合える人がいなくなってしまう。

少々というか、かなり心細い。

昨日怪我した右の股関節は、起きてしばらくは、滑ったりなどとんでもない!という程、痛かった。

PC仕事をスキー場の休憩室へ持ち込んで作業することも考えたが、子供ら二人だけで滑らすのは現実的ではない。

どうしたものか…。

 

だが、色々動いている間に、股関節を曲げなければ、なんとか動けることが分かって来た。

階段を上る動きと、下に落ちているものを拾ったり靴下を履いたりするために腰を曲げる動作がヤバい。

階段を上る時は左足だけで登り、靴下はニンタマに履かせて貰ったり、でなんとかなりそうだ。

「ママが困った時にちゃんと助けてくれたり、ママが休みたいと言った時は休んでも良ければ、スキーやってもいいよ」

 

と、言うと子供らは大喜び。

長年の経験で、怪我をしてもスキー場へ行ってしまえば、テンションが上がって意外と滑ったりできてしまうような気もしていた。

 

とりあえず簡単なコースだけを滑って様子を見る。

案の定、意外と大丈夫だった。

 

股関節で良かったかもしれない。

これが、膝だったらごまかして滑るのは難しかった。

 

とにかく攻める滑りはやめて、楽に力を使わず、決して転ばないということに専念。

滑って、もう一度同じ箇所をやってしまったら流石にまずい。

プン助やニンタマが転んでも決して助けに行かないで。起き上がるのを待つ。

 

こちらが決して助けないと、意外と自力でなんとかすることもわかった。

今まで助けすぎだったのかもしれない。

 

午前中は、ちんたら楽な斜面だけを滑ったが、午後は一か八か、プリンスゴンドラで少々キツイコースにも行ってみた。

 

こちらも意外と大丈夫だった。

帰りに、湿布を買い足した。

スキーを滑るのは割と大丈夫なのだが、板を持ってブーツで歩くのはかなりしんどかった。

 

いつもよりも板が重くて長く感じる。

乾燥室は地下。

宿泊している部屋は3階。

 

事実上4階分だ。

右足を使えないので、左足だけで登る。

これが、結構疲れる。

ニンタマが傍で励ましながら、登ってくれた。

 

やっと3階までたどり着いたら、ニンタマがゲラゲラ笑いだした。

 

「ママ、廊下見て!」

 

というので、見て見ると、先にダッシュで階段を上って行ったプン助が、部屋の前の廊下に仰向け寝そべって這いまわっていた。

 

疲れたので、寝そべっているのだろうが、這いまわる方がつかれるのではないだろうか。

しかもスリッパを脱いで手に嵌めている。

そういえば、保育園でもお迎えに行くと中々帰らず、逃げ回り、廊下を仰向けで這いまわっていた。

自分には、仰向けで廊下をはい回りたい欲求が無いのでわからないが、遺伝子レベルでそういう欲求が組み込まれている生き物もいるのかもしれない。

 

 

夕食は外に行くのはつらいので、カップヌードルとパンで済ませた。

 

プン助がカレーヌードル。ニンタマが、きつねうどん。

私は、海老風味のラーメン。

 

3人で紙コップに分け合って食べた。

その後、イッテQを3人で観て過ごす。

 

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スキー旅行三日目

 

ここの宿はとても寒い。

前日、滑っている私に母がLINEで

 

部屋に入って上にジャケットを着て、布団に入っている。暖房もついてない。ホテルにいるのは苦痛だね。スキー場は暖かいのでしょう?つまらないし、菓子ばかり食べてしまった

 

と、送って来ていたこともあり、今日は、母もスキー場にやってきた。

足、腰を痛めているので、滑るわけではなく、休憩所などにいて、子供の滑りを見たり、本を読んだりするのだ。

 

母を無料休憩所に案内するには、送迎バスで送ってもらう南ゲートからかなり歩かなければならない。

私は、大人なのでスキーブーツでもなんとか歩けるが、子供らには少し大変かもしれない。

子供らに、リフトに乗って滑りながら、無料休憩所へ向かうか、歩いて行くかを尋ねると、

「滑って行く!」

とのことだった。

 

子供二人だけで、何度かリフトに乗せて休憩所に向かわせるのは少し心配だったが、ニンタマはキッズ携帯も持っている。

「プン助は、お姉ちゃんから離れるんじゃないよ。ニンタマはプン助ちゃんと見ててね」

と、言い聞かせ、母と休憩所まで雪道を歩く。

 

朝だったので、休憩所は空いていて、窓際の席に座ることが出来た。

すると、ニンタマから電話が来て、無事合流することが出来た。

 

この日は晴れていたのもあり、プン助も雪に埋もれることなくスキー場を横切って滑ることが出来たようだ。

 

「よし!おばあちゃんに滑っているところを見せよう!」

 

そう意気込んで、リフトに乗った。

母のいる休憩所の窓際から見えるゲレンデは限られている。

あそこにたどり着くにはどう降りたらいいだろう…と考えながら、子供らに

「こっちを滑るんだよ

と、指示したのだが、母のいる場所から、全く離れた所に降り立ってしまった。

 

もう一度リフトに登り、こんどこそ辿りつける…と思ったら、今度は私の指示を聞かずに、プン助が出発してしまい、さっきとは逆方向の全く違う場所へ降り立ってしまった。

 

母が待ちわびているであろうと、もう一度リフトに乗り、携帯を見ると、母から

 

「上から滑るよとか、どこで待っててとか、声をかけてください、下からだとわからないので」

 

と、LINEが来ていた。

リフトを降りて、

 

「見えそうなところまで降りてきたら、また連絡するから」

と、電話をして、ここぞというポイントにたどり着き、母に電話をした。

 

「今から滑るよ!リフトの三本目の柱の近くの林の辺りから見えてくると思うから」

「林?まあいいや、わかった」

 

満を持して滑り始めようとするが、またもやプン助が、

 

「まだ!」

 

と、制するのも聞かずにあらぬ方向へ。

 

 

「そっちじゃなくてこっち~~!」

 

と、叫んでもプン助の姿はどんどん小さくなって行く。

ニンタマには、おばあちゃんのいる方へ降りるように伝え、私はプン助を追いかける。

 

だが、意外に早いプン助に、中々追いつけない。

結局、母のいるところから大分離れた地点まで降りてしまった。

 

プン助を連れて、母のいるところまで戻っては、またリフトで昇る。

そして、母に「今から降りるよ」という電話をして、降りるということを繰り返すが、またもやプン助がどこかへ行ってしまう。

 

「わからないね~、ニンタマは見たけど、プンがちゃんと滑ってるのは全く見られていない」

 

わざわざ外まで出てきて見ているにも関わらず、降りてくる様を中々みられない母。

 

コースを替えてみたりするも、中々うまくいかない。

プン助をトイレに連れて行ってもらったりしているウチに、疲れてしまった様子。

 

「私が動画、その分、動画撮影するよ」

 

と、言って母には、もう休んでもらうことにした。

その後、長いコースのプリンスゴンドラに乗った。

プリンスゴンドラには、大斜面と呼ばれる場所があり、そこが少し難所。

晴れていて、雪の状態が良ければよいのだが、吹雪いていたりすると、ゴーグルも曇って来て、よく見えなくなってしまう。

幸い、晴れていたので、ちょっと難所も楽しく滑った。

プリンスゴンドラから降りる時もコースがいくつかあって、スキー場の端の方へ行ってしまうと、ゴンドラに乗るために、別のリフトで一旦登らなければならない。

その時、ニンタマがストックを落としてしまった。

どこで落としたか分からないので、もう一度乗って落とした場所を確認し、取りに行くことに。

ストックを落とすのは、新雪の積もっている場所が多く、ニンタマのストックも、柱の傍の新雪上に落ちていた。

 

探しがてら、ニンタマが新雪に足を取られて、転んでしまった。だが、すぐに起き上がり、ストック目指して降りて行った。

 

私はニンタマの転んだ場所の真上にいたが、このくらいの新雪だったら、私は回れる…と、思ってしまった。

ニンタマが転んだ所を颯爽と滑って降りたら、ニンタマも

 

「ママ凄い」

 

と、思ってくれるのではないだろうか?

ニンタマが、ストックの落ちている付近で止まった時にこちらを見上げたので、

 

「今行くから」

 

と、声をかけ、ニンタマの転んだ場所で優雅にターンを決めようとした瞬間…

 

「あれ?思ったより雪が深くて固い…」

 

と、思った瞬間、派手な転び方をしてしまった。

 

「ヤバイ」

 

十数年前に痛めて以来、常に地味に痛み続けている股関節に一瞬、あり得ない力が加わってしまった。

何故私は回れる…などと思いあがってしまったのだろうか…。

悔やまれてならない。

 

板も外れて無様に寝転がっている様をニンタマにしっかり見られてしまった。

何事もなかったように立ち上がり、外れた板を拾って履く。

股関節には衝撃は残っているが、動かせないことはなさそうだ。

 

とりあえずニンタマの元へ。

ストックを拾うのに手間取っているニンタマに変わって、ストックの先でグリップについているストラップを引っかけ、拾いあげた。

ドヤ顔をしている私に、

 

「ママ、さっき転んだよね」

 

と、言われてしまう。

 

「うん、ちょっとね」

その時は大丈夫だと思い、その後、何度もプリンスゴンドラに乗ったが、いつの間にか股関節がかなり痛くなって来たことに気付く。

母が心配して、ホテル内の薬局で、湿布や塗薬を買ってくれた。

 

帰りは、送迎バスの来る場所まで歩いて行くのが、かなりつらくなっていた。

板もいつもより長く、重く感じる。

 

プン助も心配して、私の板を持ってくれようとした。

ちょっとホロリとしたが、普段自分の板さえ

 

「重くて持てない!」

 

と、私に持たせようとするのに、無理に決まっている。

 

「自分の板、ちゃんと持ってくれたらいいから」

 

そういうと、プン助はいつもよりしっかりした足取りで、自分の板を持っていた。

送迎バスに乗り込むのも、一苦労。

これでは明日は滑れないかも‥というより、滑ってはいけないかも…。

 

あんなに楽しみにしていたスキーなのに、こんなことになってしまうなんて…。

元旦におみくじで「凶」を引いていたことが頭をよぎる。

 

あれは、気を付けて過ごせ…というお告げの意味もあったかもしれないのに、

カッコつけようとして、転んでケガをしてしまうなんて…。

 

ホテルに着くが、もはや階段を上るのが苦行。

痛めていない方の左足のみで階段を上ると、苦痛が少ないのでそのように上った。

エレベーター無しの宿で3階の部屋まで登るのはきつかった。

 

その日はたまたまホテルで夕食を頼んでいたのは幸いだった。

6時から夕食なので、行こうとするとプン助が

「オラはいかない、テレビを見る」

と、言い始める。

 

「え?ここで食べないと晩御飯無いよ?」

 

と言うが、

 

 

6時27分から6時57分まで、観たいテレビがあるんだ」

 

と、言い張るのだった。

 

とりあえず食堂へ連れて行かなければと、

 

「とにかく少しは食べないと。6時27分まではまだ間があるし」

 

と、説得して食堂を連れて行く。

だが、食事の最中も3分置きくらいに

 

「今何時?」

 

と、聞くのだった。

 

また、子供がおいしい!と喜ぶようなメニューが少なかった。

ようやくプン助の大好物のステーキが出てきた。

 

母が

「ほら、プン!あげるから」

 

と、ステーキを上げると、切りもせずに食いつき、かみちぎれなくて大変なことになっていた。その後、母が切り分けて、嬉しそうに食べている最中も、時間を尋ね、

 

「じゃあ、オラはこれからテレビを見て来るから」

と、席を立とうとした。

 

「え、じゃあこの肉はもう、こっちで食べるからね」

 

というと、

 

「ダメ!待ってて!」

 

と、ごね始めた。

 

「そんなの無理だよ。この後デザートもでるけど、いらないんだね」

 

デザートという言葉を聞いた途端、あっさり

 

「オラ、今日テレビはやめた」

 

と、席に残った。

 

肉をガムのように噛みながら、

 

「この後デザートはアイスだ」

と、嬉しそう。

「アイスとは限らないよ」

 

「いや、アイスだよ、オラみたんだ。ここに来た時、誰かがアイスを運んでいるのを」

 

ホントかよ?と思っていると、着せられたような背広をきたおじさんが

 

「デザートでございます」

 

と、紙パックのアイスを3パック持ってきた。

プン助の言った通りだったことと、紙パックでそのまま来たことなどに、色々驚きつつ、デザートを食べた。

4人で3人分を注文していたので、母と私は半分ずつ分け合って食べた。

 

「昨日は、4人で3人分やだ!と思ったけど、3人分でよかったね。4人分だったら、大変なことになったよねぇ~」

 

と、上機嫌なプン助。昨日、あんなに嫌がっていたのが嘘のようだ。

とりあえず、テレビのことも忘れて、3人分も結果的に納得してくれたようで、ホッとする。

 

そして、今晩は母のいる最終日。

母とささやかな宴会をしたい…と思っていたが、この股関節じゃ、

「お酒なんてとんでもない」

と、言われるだろうなぁ…。

 

と、思いつつ、寝る支度が整った時

 

「ホントは最終日だし、一緒にビール飲みたかったんだよね…」

と、つぶやくと

「そうね、本当はよくないんだよね」

と、意外とイケそうな反応。

「ちょっとくらいならいいかぁ」

「まあ、いっかね」

 

母が自動販売機までビールを買いに行くと言ってくれたが、母も足腰を痛めているので、二人でヨロヨロしながら、ビールを買いに行った。

ニンタマと二人で自撮り ニンタマの完全防備ぶりがすごい

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スキー旅行二日目

スキー旅行二日目の一月三日は私の誕生日だった。

年末には、

「ママは年が明けたらすぐ、誕生日なんだよ」

などと、言っていた子供らだが、一向に気付く様子もない。

こちらも49歳ともなると、もはやどうでもよくなっている。

ニンタマは自分の支度は自分でできるが、プン助は普段学校へ行く支度も大変なので、スキーとなると本当に大変。

朝食を食べに食堂に行こうと言っても、ずっとパンツ一丁で中々服を着ない。

服を着ても、隙があればすぐに隠れる。

さあ、行こうとすると、

「おしっこ!」

と、トイレへ走るが、ギリギリまで我慢していたせいで、トイレをあちこち汚したり…。

食堂へ向かう途中にも隠れて見つからなくなってしまい、こちらがほぼ食べ終わったら、ニヤニヤ笑いながら自分の席へやって来た。

ああ、また出発が遅くなってしまう。

 

やっと朝食を終えて、スキーへ行く準備をしている時、

「ああ、あんた誕生日だったね、おめでとう」

と、母が祝ってくれた。

それに慌てて、子供らも祝ってくれたが、こちらは早く支度をさせることに頭がいっぱい。

 

しかし、自分への誕生日プレゼントとして、何十年ぶりにスキースクールに入ろうと思っていた。

 

「今日、ママスクールに入りたいから、皆でお昼からスクールに入ろうね」

と、子供らと一緒に申し込むことにした。

学生時代のスキーサークルで、先輩達に教えて貰った以降、ずっと我流で滑っていた。

二十歳の時に、スキー検定二級を取得したが、当時よりも大分下手になっている。

申し込み用紙に書く時に、希望のクラスを書くのだが、自分のレベルを書くのに戸惑った。

AとBは初級者、Cが中級者Dは上級者…とのことだった。

Dクラスにはスキー2級以上と書いてある。

 

「30年近く前に二級とったんですけど、もう下手になっていて…Cの方がいいですかね…」

 

と、受付の人に相談すると、

 

「じゃあ、一旦Cにしますが、インストラクターにその旨伝えてくださいね」

と言われた。

 

子供らはジュニアスクールに申し込む。

ニンタマはジュニア検定一級レベルと書いてあったEクラス。プン助は一応自在に曲がりながら降りて来られるので、プルークボーゲンができると書いてあったDクラスに申し込んだ。

 

休憩所はどこも混んでいたので、かろうじて空いているベンチに座ってコンビニで買ったおにぎりを食べて腹ごしらえして、スクールに臨む。

 

子供らをインストラクターに預けてから、自分のクラスへ行くと、A、B、Dはどこも4、5人はいるのに、Cクラスは私一人だけ。

 

一人だけで見て貰えたら、レベルとか関係ない。

なんとラッキーなことかとホクホクしていると、おじさんインストラクターが私の所へやって来て、Dクラスに混ざって欲しいと告げられる。

 

自分よりもレベルの高いクラスに行けるなら、それはそれでラッキーだと、Dクラスに入れて貰うことになった。その際、インストラクターに

「ズボンの裾、ブーツに被せてね」

と、初心者のようなアドバイスをされた。

私は、普段から服のボタンを掛け違えたり、裏返しのまま気づかないでいるような所があるので、自分としてはよくある事だと思ったが、おじさんインストラクターは、

「大丈夫かな、コイツ」

と、思っているような雰囲気もあった。

 

レッスンが始まり、インストラクターは生徒全員に、

 

「今日は、ポジションを意識してやってもらいます。よく膝を曲げてぐっと踏み込むとか言いますが、それは忘れてください。膝も腰も曲げずにまっすぐのまま、前に体を倒してください。そうすると、板の前側だけに力が加わります。今日は板の前側だけを使って、後ろは一切ない物としてやってみてください」

 

と、説明。

 

私にとって、それは画期的で、それだけでもレッスンを受けにきて良かった…という気持ちになった。

 

その後、リフトに乗って隣に座った同世代のおじさんと話す。

「僕は午前も受けたんですけど、先生の言っていることは中々難しくて…」

「そうですよね、緩斜面ならそれでなんとか滑れても、急斜面になるとどうしても後ろにのってしまいますよね」

「そうそう、そうなんんですよ」

そのおじさんは、年に一度しか来ないので、来るときはいつもスクールに入っているとのことだった。

 

リフトから降りて、レッスン開始。

 

先生の言った姿勢を実践しながら、一人ずつ滑る。

なんどか、やっていくウチに

 

ん?このDクラスって、二級以上…って書いてあったけど、全然そんなことないのでは?

 

と、思えてきた。

これならばニンタマの方が全然上手な気がする。

先生の言われたことをやろうとするも、できずに、新雪につっこんで転ぶ人やら、三角が細めのプルークボーゲンのような人もいる。

私が滑る度に

 

「うまい!」

 

と、おじさんインストラクターに絶賛される。

 

「あなた、うまいね~~!この人、本当はCだったんだよ!いやぁ、それが蓋を開けてみたら、一番うまいじゃない!ね!素直に僕の言ったことをやれば、できるんだよ!いや、うまいよ!」

 

最初に受付の人に二級をとった旨をインストラクターに伝えてくださいと言われていたが、「そんなに下手なくせに本当かよ」と、思われるような気がして、先生には伝えられなかった。

返答に困り、挙動不審な感じに

 

「え!ホントですか?!」

 

と、喜んでいる振りをしてしまう。

「いや~、最初、Bに入れようかって話もあったんだけど、俺が責任もって見ますからってDに入れたんだよ!良かったね~~~~」

 

Bに入っていたら、プルークボーゲンをするハメになったのだろうか…。いや、それはそれで、きっと学ぶべきところはあるはずだ…。

でも、それは時間とお金が余っている時に思えることで、時間もお金もない時には少しでも直接的に上達に結びつくことをやりたい…。そう思っているのだが、口から出て来るのは、

 

「おかげ様です…ありがとうございます!」

 

と、いうお愛想だけだった。

 

ああ…二級取ってるっていえばよかった。28年まえだろうが、なんだろうが…腐っても二級なのだ!

心の中ではそう叫びたくなっていた。

 

サークルでは、うまい人がうじゃうじゃいたので2級をとったところで、自分は下手くそだという意識がしみついていた。

スクールに入る人もガチでスキーをやっているに違いない…と思っていたが、どうやらそうではないらしい。

考えてみると、自信がなくて控えめに言ったことで失敗することがなんと多い事か…。

恥をかいても、図々しく主張したほうがいいということを、他人には言えるのに、どうして自分ではできないのか…。

 

今となっては遅いし、単なる自己満足とただの自己顕示欲なのだが、

 

「実は私、すっごい昔に二級取っているんです」

 

と、おじさんインストラクターにわかって欲しくて仕方がなくなった。

チャンスは次のリフトに乗るときにやって来た。

 

おじさんインストラクターと一緒に4人乗りリフトに乗れたのだった。

伝えたら、

 

「なんだ、そうだったんだ~、もっと上のクラスに行けばよかったね~」

などと言ってもらえたりするかもしれない。

 

だが、おじさんインストラクターは隣に座ったアラサーっぽい女子とばかり話して全然こちらを見もしない。

 

「いや~、君さぁ、話し方が山田邦子に似てるよね」

「山田邦子?たとえが古いですよ~、どんなだったかなんて覚えてないですもん」

「え~、古いか~~、まいったなぁ…でも、ほら他にもそんなしゃべる方する芸人さんいるだろ」

「結局、芸人ぽいってことなんですね~」

「そうそう、でもいいじゃない、楽しくて」

 

なんだか楽し気。

私ともうひとりのおじさんは、その話を聞いて、微笑ましく見守る役割しか回ってこない。

普通、こういう時って生徒全員になんとなく話しかけたりするのではなかろうか?という私の目論見は見事に外れ、リフトの上で二級と伝えることはできなかった。

 

よし、こうなったら最後の挨拶の時に、お礼を伝えつつ言うしかないな。

もはや、講習よりも自分が二級取得者であることをいかに伝えるか…ということばかり頭をぐるぐるしていた。

 

誕生日なのに、こんな卑屈な連鎖に陥ってしまったのは残念だが、私の頭は尊敬して崇拝しているわけでもないおじさんインストラクターに二級の話をすることに憑りつかれてしまった。

 

後半は少し長い距離を滑ったりしつつ、最後は下までついて解散という流れだと思っていた。だが、

「あ、そろそろ時間だね!皆さん、スキーを楽しんでください!では、お疲れ様でした!」

と、おじさんインストラクターは、山の中腹で挨拶したかと思うと、一人で滑り降りてしまった。

 

私の浅はかな自己顕示欲は結局満たされないまま終わってしまった。

 

拍子抜けしつつ、一緒に並んでいた生徒さん達に挨拶をして、スクールが終わったであろう子供を迎えに下の集合場所まで降りた。

 

ニンタマは上手だと褒められたものの、今後の上達は筋力がないと難しいと言われた。

ニンタマからは自分のことよりも嬉しそうに

「あのね、プン助、クラス分けで下のクラスに落ちたんだよ」

と、プン助の情報を報告された。

クラス分けでは、Eクラスだと申告してきたのに、Cに落とされた人もいたらしい。

 

子供はクラス分けテストがあったのか…。

大人もあったらよかったのに。

 

それで、CやDだったら、モヤモヤしなかっただろうに。

 

ほどなくしてプン助が戻って来た。

 

「なんだかさ~、ボーゲンから教えるんだよ。オラはパラレルがやりたかったのに!」

 

と、不満顔のプン助。

 

なんとなくCに落ちた原因がわかった。

本気でプルークボーゲンをやればできたはずなのだが、やれといわれたことをやらずに、パラレルのつもりで、ただの大股開きでガーっと降りて来たのだろう。

プルークボーゲンができないでただ、降りてきている子供に見えて、よしプルークボーゲンを教えなければ…と、思われたような気がする。

スキーだけではなく、プン助は言われたことはスルーしてやりたいことしかやらない性質があるので、そこでこれからもこういうことが起きるのだろうな。

 

ホテルを戻って夕食へ。

毎日吹雪いているので、高齢の母を連れて毎日外食するのも大変だと、翌日の四日の食事だけはホテルに予約することにした。

どうせ子供は残すので、3人分予約して4人で食べると受付で話していると、何故かプン助がオカンムリ。

吹雪きの中歩いている間中、ごねっぱなし。

 

「プン君、4人で3人分やだ~!4人で4人分がいい!」

「いや、みんなで分けるから、大丈夫だよ!」

「4人で4人分じゃなきゃやだ!」

 

この日もちゃんこ屋へ。

野菜が不足しているから、鍋を頼もうとすると

 

 

「ざるうどんと、カニの鍋ください」

 

と、またもや勝手に注文するプン助。

 

「だから、カニは頼まないって、今考えるから」

 

と、店員さんが、

 

「ウチのおすすめは🉐ちゃんこです」

 

と、カニちゃんこよりもお高い鍋を勧めてきた。

カニカニ騒ぐプン助の手前、質素な鍋にしようと、魚のすり身ちゃんこを頼むと、母が

「アンコウもおいしいよ、このホルモンも入れてさ」

と、提案して来たので、アンコウとホルモンと、魚のすり身のちゃんこ鍋にしてもらった。

 

「お飲み物は」

と、聞かれたが、プン助が「コーラ」と、言う前に「ちょっと考えます」

と、答え、セルフサービスのお茶とお水を持ってきた。

 

こういうお店ではアルコールを飲まないまでも、ドリンクを頼んで欲しいはずだ。

それは分かるのが、お店の都合ばかり考えず自分たちの都合を優先させることにした。

シケた客だと思われても、堂々としていよう。

母と一緒だと、少し強気。

 

鍋が出来上がり、

「わあ、おいしそう!」

と、一番最初に食べたニンタマが、顔をしかめた。

 

「ニンタマちゃん、あんまり好きじゃない、これ」

 

と、それきり口をつけない。

カニカニ騒いでいたプン助は拗ねて、寝転がっていたまま、本当に寝てしまった。

私も、母も食べてみると、確かにあまりおいしくない。

 

あんこうや魚のすり身がちょっと生臭いのだ。

魚介類は、鮮度で全く味が変わってしまう。

こんな雪の中では鮮度のいい食品も中々とどかないのかもしれない。

ここでは普通に鶏肉、豚肉などが正解だったかもしれない。おまけにホルモンなんて、子供が食いつかないものを入れてしまった。

 

「これにうどん入れたら食べられる」

 

と、ニンタマが言うので、とりあえずうどんを注文し、私と母はあまりおいしくないながらも一生懸命、魚のすり身やアンコウや他の野菜などを消費すべく頑張った。

後で、お腹が減ったと言われても困るので、無理やりプン助を起こした。だが、

「プン君のざるうどんは?」

と、怒りだした。

「ざるうどん売り切れちゃったんだって。これしかないの」

と、うどんを進めると、ニンタマから奪うようにしてむさぼり食べていた。

 

 

帰り道、雪の中でプン助と話す。

 

「なんで、そんなにダメだって言ってもカニを注文するの」

「オラも本当は言って悪かったなと思ってる」

「悪かったなと思ってるんだ」

「じゃあ、なんで、カニカニ言うの?」

「だって食べたかったから、言いたくなっちゃうんだよね」

「じゃあ、もう言わない?」

「それはわからない、言っちゃうかもしれない」

「そうなんだ…でも、なるべく言わないで」

「約束はできないけど、わかった」

そういうと、プン助はポケットに手突っ込み一人先へ歩いて行った。

 

夜、母と一番搾りを飲んでいると、やはりプン助に

 

「うるさくて寝られない!」

 

と、怒られた。

ニンタマは、眠くなるとすぐに布団に入って寝るのだが、興奮しやすい性質らしい。

仕方がないので、頭を体をさすってやったら、あっという間に寝た。

 

仲良く並んで雪の中リフトに乗っている子供ら

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スキー旅行一日目

一月二日から五泊六日で苗場にスキーに行くことにしていた。

若い頃はそうでもなかったが、年を取ってから遠からぬ日にスキーが出来なくなるという不安から、ここ数年スキー熱が高まって来た。

子供達に対しても、普段は宿題や勉強に関しては放置しているのに、スキーに関してはアンバランスなほど教育ママになっている。

その甲斐あってか、子供はすくすくスキー好きな子供に育っている。

父が所有していた苗場のリゾートマンションはもうないので、ここ数年はどこで滑るか悩んでいた。

とりあえず、安いペンションや民宿で、電車で行けて、スキー場まで歩いていける宿を予約しよう…と、宝船の稽古が始まる前に宿を探すが、これが意外とない!

旦那さんは公演後もすぐ公演の稽古に入るので、私と子供らの3人。

仕事も何もかも忘れて滑りまくりたい…と思っていたが、子連れで5泊となると、どこも空きがなかった。

やっと見つけた所をとりあえず予約。

すると、公演中に助っ人に来てくれた母が、

「あんた一人であの子達をみるのは大変でしょ」

と、二日から五日まではつきそってくれることになった。

バスに乗り、中央線で東京駅に向かう時点でプン助が大騒ぎして、へとへと。

自分がいらないと言っていたのだが、いざ越後湯沢駅に降りて雪をみると、

「手袋!手袋!」

と、お姉ちゃんのニンタマの手袋を奪い取ろうとして、ニンタマが嫌がると、なぐりかかり大ゲンカ。

やめなさい」

と百回くらい怒鳴りながら、宿へつく。

宿では優しそうなおじいさんとおばあさんが歓待してくれた。

3時にならないとチェックインできないので、サロンのようなところに母を残し、私と子供らはスキーの支度。だが、プン助はかくれんぼを始めたり全く支度をしない。

今日はもう疲れたから、スキーに行かないで休もう…と、言い始める。

「じゃあ、ママとお姉ちゃんだけで行ってくる」

と、言うと、

「オラも行く!」

と言いつつ、サロンのソファの上を飛び跳ねたり、テーブルの下に隠れたり…。

苗場スキー場が目の前だと思い込んでいたホテルは、意外と遠く送迎バスに載せて貰い南ゲートまで。

そこから、スキー場まで、5分ほど板をかついで行くのだが、子供にとっては結構な苦行なようで、合宿などで慣れているニンタマは板とストックをかついでついてくるが、プン助は

「ママ、持って~」

と、座り込んでしまう。

「自分の物は自分で持ちな」

などと正論を言うと、そこで30分ほど時間を食ってしまうので、仕方なく板を持ってやり、プン助にはストック係になって貰った。

だが、ストックを振り回しているので、危険極まりない。

ハラハラしながらもやっとスキー場に辿りつき、念願の初リフトに乗る。

ああ、やっと滑れる…と、わくわくしていると、

「ママ、お腹減った~」

と、子供ら。

昼には旦那さんが握ってくれたおにぎりを食べたはずなのに、もうお腹が減ったのか…。

私は全くお腹が減っていなかったが、子供を空腹にしておくわけにもいかない。

無料休憩所へ行き何か食べることにした。

無料休憩所はその時乗ったリフトからかなり遠い位置にある。

降り場からまっすぐ滑るのではなく、広い苗場スキー場を横切るように下って行かないと到着しない。

私とニンタマにとってはそれほど大変ではないのだが、プン助にとっては下らずに横に進むのが、かなり難しいようだった。

しかも雪が降り積もっているので、整地されてない場所を通ると新雪に埋もれてしまう。

普通に行けば5分で行けるコースを30分くらいかかりながら、休憩所へ。

無料休憩所とは書いてあるが、軽食も売っている。

その時点で3時過ぎだったので、夕ご飯のことも考え、タコ焼きとかポテトフライを皆で分ければいいかと思っていたが、

「ハヤシライス!」

と、プン助。

「そんなもん食べたら、夕ご飯入らなくなるよ」

「入る!」

「じゃあ、ホットドッグにしたら」

「ハヤシライス」

「ニンタマは?」

「私はなんでもいい」

「ハヤシライス!」

「タコ焼きにしなさいよ?タコ焼き大好きじゃない!」

「ハヤシライス!」

揉めに揉めていると、店員さんが

「今限定商品のアップルパイがありますよ」

と提案してくれた。途端に

「プン君、アップルパイとホットドッグ」

「ニンタマはアップルパイだけでいい」

と、あっさり決まった。

ホットドッグにつけるケチャップやカラシは自分でつけるシステム。

「ママ、ケチャップとカラシ同じくらいね」

と、セレブのような口ぶりで私に言いつけ、ペロリと平らげた。

「あと、フレンチトーストも食べたい」

まだ、食べたいらしい。

「帰ったら、おばあちゃんと晩御飯食べに行くんだから、もうやめときなさい」

「大丈夫!入るから」

「アップルパイもホットドッグも、フレンチトーストも小麦とか砂糖とか油ばっかりだよ!全然栄養ないもんばっかりでお腹膨らませたら、キレる子供になるんだよ!」

全く響かないであろう、演説で言い聞かせるが、案の定聞く耳は持ってもらえない。

子供に小麦製品ばかり食べさせるためにここまで来たワケでなないのに…。

疲れ果ててしまい、

「じゃあ皆で分けて食べるんだよ」

と、結局フレンチトーストを頼んでしまう。

フレンチトーストを見て、ニンタマも

「ニンタマちゃんもちょっと食べたい!」

と、食べようとすると

「これプン君のだよ!」

と、切れ端のようなモノしか分けてあげないプン助。

「ニンタマちゃんだってもうちょっと食べたいんだよ」

と、私に泣きながら訴えて来るニンタマ。

だが、その不平等の為に戦う元気はなかった。

「ああ…もうさ、送迎バスが来るまで時間なくなってきちゃったよ。今日は、もう滑らないってことかな?」

諦め気分になってそういうと、急に焦り出す子供ら。

「ヤダ!滑る!」

「じゃあ、お迎えバスの来るとこに近い方へもどりながらすべろう」

またもや、リフトで登ってはスキー場を逆の方向へ横切って進まなければならない。

すでに薄暗くなり、雪は一層激しく降っている。

ちょっと進むごとに雪に埋まって転ぶプン助。

転んでいるプン助を待つのに疲れ果てるニンタマ。

こんなに転んで埋もれては、もう滑りたくなくなるのでは?と、心配になるほど。

これから、このコースは二度と来ないようにしようと、決意していると

「プン君、明日もここ滑りたい。沢山ころぶと、転び方の練習にもなると思うんだよね…」

と、思いがけない前向き発言。

雪に埋もれる度に重なった板をなんとかしてやったり、起きられる態勢にしてやったり、脱げた板を拾いに行ったりするので、こちらは汗だくで、息切れしまくり。

なんとか、南ゲートに近いリフト乗り場までたどり着き、1本だけ安心して落ち着いて滑ることが出来た。

ジュニア一級の検定試験に合格したニンタマの滑りを初めてきちんと見る。

確かにうまくはなっていたが、ターンの後半にはまだまだ雑さがある感じ。

勝手な認識だが、このレベルまでは誰でも行けるという上手さ。

おそらくそこを超えるのが、大変なのだろう。

私自身も、その壁の前でずっと止まったままなので、そこを超えたいと思い続けて10年くらい経ってしまった。

ニンタマは小学生なので、私よりも軽々とその壁を超えるのだろう。

関心していると、プン助が

「オラのパラレルも見て~」

と、大股開きでの滑りを見せて来た。

新雪に埋もれなければプン助は、割と自在に曲がるし、どこでも降りて来られるのだが、説明できない下手オーラが出ている。

理由は分からないのだが、実力以上に下手に見える。

絶叫しながら滑るからだろうか…。

なんとか一日目を終え、送迎バスで宿まで戻る。

すると、プン助が東京から履いてきたスノーブーツが見つからない。

スキーブーツに履き替えた乾燥室をくまなく探すがない。

誰か間違えて履いて行ってしまったのだろうか…。

受付で先ほど歓待してくれたおばあさんに

「子供のブーツが無いのですが、どこかにおちてませんでした?」

と、たずねる。

だが、

「おちてないですね~」

の一言で相手にしてくれない。

勿論、こちらが悪いのだが、普通は「どの辺でしょうか?こちらでも気を付けてみてみます」くらいはあるかと思い、途方に暮れる。

そういえば、プン助はずっとかくれんぼをしていた。隠れていたと思われる、トイレやサロンを探し回ると、ソファの下の、割と目立つ場所にスノーブーツが落ちていた。

靴はそれ一足しか持ってきていなかったので、ホッとした。

夕食はつけなかったので、雪の中、母と共に外食できる場所を探す。

一番近い場所に前にも行ったことがあるユーミン御用達らしいちゃんこ屋があった。

ちゃんこ鍋を食べたい気分ではなかったが、蕎麦やうどんがおいしかったことを思いだし、そこに入った。

すると私や母が注文するまえに

「カニください~」

と、勝手に注文するプン助。

ギョッとして

「カニなんか食べないよ!」

言うと

「え~、じゃあ飲み物はコーラ!」

と、めげないプン助。

「子供が勝手に注文するなんて、考えられない」

「コーラなんかダメ!水にしなさい」

私と母に言われても、

「カニ食べたいのに~、プン君、カニ食べたことないんだよ~」

と、哀れっぽく主張。

ここでうっかりカニなど頼んでしまったら、今後外食の度に同じことをやられてしまう。そんなことされたら、ウチは破産だ。破産以前に、人格形成にもよろしくない。

ここはビシッと阻止せねば。

ここで大人がビールなど飲もうものなら、プン助になにを言われるかわかったものではない。

大体ただでさえ、スキーをするだけでウチにとっては分不相応の贅沢なのだ。他は引き締めていかねば。

蕎麦や饂飩の他、焼き鳥を頼んでドリンクは一切頼まず、セルフサービスのお茶と水で済ます。母がごちそうしてくれたが、それでも4人で7千円は超えた。

スキー場ではちょっとの外食がとても高くつく。

その後、昔コンビニだったが新装開店し焼き鳥などがイートインできるなんでも屋のような所で、パンやビールやお菓子、ヨーグルトを買って宿へ。

大浴場ではプン助が泳いだり歌ったり、叫んだりしていた。

「他の人もいるんだから、暴れない」

 

「シャワーで遊ばない」

 

「踊らない!」

と、注意ばかりしているものの、何一つ聞いてもらえないダメ親ぶりに我ながら、ぐったり。

子供が寝静まった後、母とエビスビールで乾杯しようと思ったが、子供は興奮して全然寝ない。

「早く寝なさいね」

と、言って二人でビールを飲みだすと、案の定プン助に

「大人ばっかり贅沢をしてずるい!オラもコーラを飲みたかった!」

と、文句をつけられた。

頼む、早く寝てくれ…。

写真は旦那さんが新幹線で食べるようにつくってくれた卵焼き。

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眼瞼下垂手術までの道のり~その4~

11月前半は怒涛だった。

3日はニンタマのダンスのハロウィンイベントを兼ねた発表会があり、その夜から

奈良県へ移動して翌日は取材。

その後、発熱で寝込み回復した次の週末はプン助の七五三。

ついでに8歳のニンタマにも振袖を着せて、兄に撮影してもらうことになった。

母にも来てもらって手伝ってもらったが、袴も振袖も自分で着せたので、結局大事になった。

その翌週は、大宮で一泊して親族と父の墓参りをしつつ食事会。

その翌日が眼瞼下垂手術。

 

バタバタとイベント続きで、手術の怖さを感じてる場合ではなかったのは良かったかもしれない。

当日朝、旦那さんに病院まで付き添ってもらい病院へ。

「怖いよ~怖いよ~」

と、訴えたところで怖さは全く和らがない。

 

目の手術って一体どんな感じなのだろう?

眼瞼下垂手術は大体1時間とのこと。

全身麻酔ではないので、一時間もじっとしながら恐怖と闘うのか

耐えられるのだろうか?

怯えていても仕方がない。どうせなら楽しもう!そう思いつつ、楽しめる自信は全く沸いてこない。

 

早く行き過ぎてしまったので、1時間以上待つ羽目になってしまい、恐怖心倍増。

私の番号札は21番。

呼ばれたいような呼ばれたくないような複雑な気持ち。

 

やっと呼ばれると、最終チェックのような診断をされ、

写真をたくさん撮られた。

そのまますぐに手術室へ。

 

痛み止めのロキソニンを飲まされた後、手術代へ横たわる。手術中の心拍数や血圧を測る機械や血中酸素を図る機械を装着される。

顔を消毒するともう、痒くなっても掻いたりできないというので、思う存分痒い所を掻いた。

 

先生が、切り取る皮膚のラインを決めるために、私の瞼に印を描いて

「このくらいでいいですか?」

と、見せてれた。

 

正直、そう言われてもよくわからない。

「多分大丈夫です」

と、曖昧に答えると、

「もう少し幅がとれそうかも確認しながら進めていきます」

とのことだった。

 

顔が消毒され、目、鼻口だけが出るように布でカバーをかけられテープで張り付けられた。

その途端、鼻の脇が痒くなった。

「ああ、もう掻けない!!」

と、思っていると

「どこか痒い所ありませんか?」

と、先生。

何故わかったのだろう?

 

「鼻の脇が痒いです」

と、答えると

「皆、そこが痒くなるんです」

と、鼻を掻いてくれた。

 

何故、皆が一様に鼻の脇が痒くなるのかは不明だが、有り難かった。

手術のライトが付けられると、目を閉じていても、ものすごく明るくなる。

 

その後、左の瞼から麻酔を打たれる。

噂や口コミでは麻酔が一番痛いと聞いていたので、緊張する。

 

「チクっとしますよ」

 

と、言われたが、いつまで経っても何の痛みもない。確かに何かを差している感じなのだが…。

「ゆっくり入れているので、あまり感じないと思いますが、痛かったら言ってくださいね」

「いえ、全然痛くないです!」

 

何、この先生、凄い!

注射打ってるのに何も感じない!

神業!

 

その後、右の瞼へ。

 

「右の方が痛いですよ。これは誰でも必ず右の方が痛いんです」

 

でも…やはりほとんど何も感じない。言われてみると、ちょっとはチクっとしたかもしれない?とうレベル。

 

そして、左瞼をちょっとなぞったような気配。

すると、先生が瞼を布で押さえているような気配…。

あれ?よくわからなかったけど、もう瞼切ってんの?

切って出血したのを押えているの?全然痛くないし、何も感じないんですけど…。

 

一体、自分がどういうビジュアルになってるのか、見当もつかない。

 

先生は絶えず、手を動かし、時折血を拭っている様子。痛いのは嫌だが、痛くないというのも何が起きているのか、想像するしかなくて怖い。

想像すると、ますます怖いので、他のことを考えようとしてみる。

 

だが、瞼の皮膚の表面を切り取って中の筋肉やら腱膜やら、脂肪やらを引っ張ったり切ったり縮めたりする際、目玉が引っ張られるような感覚があったり、瞼が引っ張られたりすると、どうしても身がすくんでしまう。

ジジジジっと音がして、焦げ臭い臭いと共に若干の眩しさや、熱さを感じたり…。

これ、レーザーで焼いているのだろう。

「今、脂肪を移動させています」

 

脂肪?

 

鶏肉の処理をする時に脂肪を取ったりするさまを思い出す。私の瞼で脂肪を取ったり移動したりが行われているのか…。

うわ、なんか引っ張られる!大丈夫かな?目玉取れないかしらん?

 

つい、顔がついて行きそうになる。

いやいや、先生の動きに逆らわないよにしなければ…。

 

「あらら、本当に腱膜がペラペラの方なんですね…」

 

「腱膜がペラペラ?なんですか?」

「はい、ペラペラでズレズレです…」

 

 

どういうことなんだろう?あんまりいいことのように聞こえないけど…。

「あらら、すり抜けちゃった…」

「ほう…空洞が…」

などと、時折、不穏なことを言いつつ、終始穏やかな先生。

 

何?何が起きてるの?でも、先生は落ち着いているし、よくある事態だって思っていいのかしら…?

と、何かがピーピーなり始めた。

 

気が付くと、指についている血中酸素を図る機械を握りしめ過ぎていたようだ。

いかんいかん、落ち着かなくては…。

 

「目玉を押したり引いたりします。ここで痛みを感じる人は多いですが、

 

頑張ってください」

目玉を押したり、弾いたり?

どういうことだ?!

 

だが、ここまで来たら、頑張らないという選択肢はない。怖いけど、頑張る。

 

瞼は閉じているのに、透けて見える明かりの明るさがちょいちょい変わるのもちょっとした恐怖。先生が、開いた皮膚の上で何かをいじったり引っ張ったりしているのが手に取れるようにわかるのだ。でも、痛くない。痛み感じる人が多いって言ってたけど、痛くないよ?先生?痛くなくてよかったけど…。

 

「目を開けてこっちを見てください」

 

と、何度か言われる。麻酔がかかっているのに、ちゃんと目も開けられるし、目線も動かせる。

まな板の鯉のつもりで臨もうと思っていたが、まな板の鯉ではいられない。クリアーな意識をもって積極的に参加する必要がある。

 

深く考えると怖いが、この目を開いたり閉じたり目線を動かしている間、ずっと瞼の上はパックリ開いているはずなのだ…。

 

 

目を閉じにくくしている筋を切ると言っている時が一番辛かった。痛いというのとも違うが、先生もなんとなく大変そうだった。

またまた鶏肉の下処理をしている時のことを思い出した。

 

これと同じような事が、逆の右目でも行われるのかと思うと、途方にくれる。

そして、途方にくれつつも容赦なく同じ作業が行われた。

右目は、脂肪を移動させる時が、かなりきつかった。目玉がついて行っちゃう感覚なんて、人生で初めてだ。

「あ~、内出血しちゃいましたね…でも、必ず消えるんで大丈夫です」

などとちょっと不安になることも言われる。

 

その後、縫う作業に入ったが、麻酔が切れ始めて、ちょっとチクチクし始めた。痛いけれど、先生の手際の良さは分かる。

 

「もうちょっとだから、このまま頑張っちゃおう」

 

と、先生。確かに普段の注射などに比べたら、大した痛みではない。

一度、縫った後、鏡で確認。

 

「どうですか?」

 

いいような気もするが、よくわからない。思ったより、異変のない顔の自分の顔が映っているが…。

あ、でも、視界は広い!自分の見た目に関しては、特に問題は感じられない。二重の幅などをよく研究している人なら、こうした方が目が大きくなるなどあるのかもしれないが、

「もうちょっと目が開いた方がいいです」

などと言ったとしたら、どうなるのだろう?もう少し皮を切って、縫うことになるのか?

麻酔も切れかかっているし、もうそんなことに耐えられそうにない。

 

それに見た目が目的の手術でもないのだ。手術の注意に寝ていても、瞼が閉じられないこともある…みたいなことが書いてあった。そんなことになったら、大変だ。

一番慣れている先生の判断に任せる方がいいに違いない。

 

「こんなもんじゃないですかね?」

「そうですね」 

と、普通にしていても微笑んでいるような先生。

 

そうして、手術は終わった。

 

そのままリカバリー室へ向かい、氷水に浸したガーゼを瞼に当てて、冷やす。

旦那さんもリカバリー室から入れることになり、呼んでもらったが、私がべらべら話していると、

「こういう時は、じっと休んでいたほうがいいんじゃない?」

と、宥められた。

 

「思ったより腫れてないね」

 

私も腫れの少なさに安心しつつ、一応サングラスと帽子で完全防備して帰る。

麻酔が切れて来たが、思ったより痛まない。

 

お腹が減ったのでサブウェイのサンドイッチを買った。

だが、食べようとしてすぐに後悔。

傷は痛まないのだが、口を大きく開くと目の方まで顔が引っ張られ、縫ったばかりの皮膚が引き連れるような嫌な感じがするのだ。

こういう時は、チマチマ口を開けて食べられるものがいいのだと学んだ。

 

食べ終わった後、すぐに布団に入り休みつつ、目を冷やす。

しばらくすると、ニンタマが帰って来た。

 

帰って来たニンタマは寝ている私の顔をみて、固まった。

 

「お化け…かと思った!」

 

え?そんななの?と、改めて自分の顔を鏡で見て見ると、術後直後よりもかなり腫れている。

そうか…時間差で腫れていくのか…!

 

「それ、メイク?」

 

というニンタマに

 

「ママ、今日手術だって言ったでしょ!」

 

と、ちょっとキレる。

腫れるとは聞いていたが、実際そうなってみると、やはりナーバス。

腫れは三日がピークだということだ。

 

時折、術後目を掻いたり、激しく動かしてしまって、糸が切れて、再手術になる人がいるという話も聞いた。そうなると、保険適用ではなく自費になる。

自費になるのも嫌だが、またあの緊張する時間を味わうのもなんとしても避けたい。

じっとしよう…。

死ぬ気の根性でじっとしていよう。

痒くなっても掻かない。

痒くなったら、冷やす。

そんな感じに三日間過ごすのだ。

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眼瞼下垂手術までの道のり~その3~

眼瞼下垂の手術をしたいと思いつつ、2年が過ぎたある日、とりあえずカウンセリングだけでも行ってみようと思った。

もしかすると、自分で眼瞼下垂だと思っているだけで、全然違うのかもしれない。

どこで手術をするとか、手術ができるタイミングで…などと思っていたら、一生手術はできないような気がして来た。

 

良さそうな病院をリストアップしていくと、一番しっくり来た病院がたまたま比較的通いやすい場所にあることがわかった。

 

保険適応の手術を行う病院ではあるが、仕上がりの美しさにも定評があるようだ。

 

よし!まずは話だけでも聞いて来よう!と、さっそく電話をすると10月17日にカウンセリングの予約が取れた。

 

 

まずは看護師さんから、細かい説明や問診を受けた。

ここで行う眼瞼下垂の手術は美容目的ではないことを念押しされた。

「もちろんです!」

と、不必要なほど自信満々に答えると、看護師さんは

「そうは言っても、先生はちゃんと考えてくださいますよ」

と、微笑んだ。

 

その後、先生の診察。あたりの柔らかいとても感じのいい先生で、ホッとした。

瞼にちょっとした重りを張り付けて、

「ベロをペロっと出して目を開けてください」

と、言われる。

 

え?そんなのすぐできるよ!…と、目を開こうとすると、何故か目が開かない。

 

「あれ?開かない!なんでだろう!?」

 

冷静に考えると、かなり間抜けな薄らバカのような顔をしているはずだが、その時は必死だった。

先生の解説によると、普段歯を食いしばって目を開いているからなのだと言う。

おでこに目一杯皺を寄せて、開いている自覚はあったが、歯を食いしばっていたとは…!

 

その後、瞼をクリップで止めて、目を見開いた状態を作ってくれた。

 

「どうです?よく見えるでしょう?」

 

と、先生。

 

凄い!視界が広い!明るい!なんかクリアーな感じ!

 

…でも、目がスースー涼しい。

しばらく伸ばしていた爪を切った時、それまで爪に保護されていた爪の生え際の指が、やたら敏感に感じるみたいに、無防備な感じ…。

でも、これはすぐに慣れるのだろう。

 

顔に力を入れなくてもこんなに視界が広がるのか…!

 

診断の結果

 

「これは眼瞼下垂ですね」

 

と、言われる。

 

「そ、そうですか!!!いや、そうなんじゃないかな…と思いつつ、大したことないにの大袈裟なのかもって思ったりしてたんですけど」

 

「いえ、ちゃんとした眼瞼下垂です

そうかぁ…!ちゃんとした眼瞼下垂かぁ…!

気持ちは複雑だった。

自己診断が当たっていて大袈裟だったワケではないことが証明されたのは嬉しかった。

 

「いや、小さいころから、おでこに皺をよせないと目があかないからおかしいなって思ってたんですけど、やっぱりそうだったんですね…」

 

私のどうでもいい感想にも先生はちゃんと付き合ってくれつつ、自分も眼瞼下垂の手術をしたのだと、自分の瞼を見せてくれた。

 

「え!先生もやってるんですか!」

先生の傷跡は、言われても全然わからなかった。

「これって、一回やっても10年度20年後とかにまたやらなきゃいけなくなったりするんですか?」

「いや、大丈夫です」

 

その頃には、怖さよりも手術をやりたい気持ちが高まって来てしいまい、その場で手術を決意した。

物腰柔らかくごり押ししない先生の雰囲気に好感が持てたことと、先生自身が手術をしているという事が大きかった。

 

以前、産後の不調でちょっとした手術をした時の医師は、威圧感があって

「僕はこの手術は毎日やってるし、全然大丈夫」

 

と、胸を張っていたが、術後はとても辛く、地獄のような痛みでしばらくのたうちまわった。

自分はやったこと無いくせに「よく全然大丈夫」なんて言えたものだ…と、若干恨みに思い、以後、よほどのことが無ければ手術なんてしない方がいい…と思うようになっていた。

 

だが、この先生は自分でも手術を受けている。身をもって知っている人のいう事は説得力がある。

 

手術は約一か月後の11月20日なった。

 

 

よし!やる!手術受けるぞ!違うステージに行くぞ!

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眼瞼下垂手術までの道のり~その2~

眼瞼下垂症により、明らかに瞼が下がって来た。

常に疲れているような、気力の無さそうな目付き。

気力の無さそうな目つきに関しては、ぶっといアイラインを引くことで、対処していたが、それで対処できているのかは怪しいものだった。

 

年を取った人がなぜあんなに太いアイラインを引くのか理解ができなかったのだが、自分がその年齢になるとよくわかって来た。

若い頃は

「不自然に太いラインを引くとかえって老けてみるのにわかってないなぁ」

 

 

なんて思っていたが、他に対処のしようがないということをわかっていないのは、私のほうだった…。

 

眼瞼下垂症を自覚すると、頭痛や眼精疲労や肩こりもひどくなってきたような気がして来た。目を見開くために、おでこの筋肉で頑張っても、前よりも目が開かなくなって来た。

 

そして、最近では母に起きる体の不調は大体自分にも降りかかって来ることが分かって来た。母の目の大きさは、若いころの三分の一くらいしかないように見える。

自分の目を3分の1くらいに細めて周りを眺めると、最早何かの隙間から景色をみているようで、本当に鬱陶しい。

 

「ためしてガッテン」の眼瞼下垂特集では、では、アイプチやテープなどで、瞼を上げるだけでも症状は緩和するようなことも言っていた。

さっそく、何種類かアイプチやテープを買って挑戦してみた。

コンタクトレンズを入れたり、日々の化粧のような感じで瞼を上げられれば…と、希望を持ったのだ。

確か五月みどりが自ら書いた美容の本でも、瞼をテープで張って目を開きやすくしているようなことを書いていた。

年配の女優さんでも、明らかに目を何かで張り付けているような人もいる。

 

だが、不器用なせいか、それとテープやアイプチに適さない瞼だったのか、全くうまく行かなかった。ボンドのカスが瞼に張り付いて小汚くなったり、瞼がてらてら光ったり、よれて皺が目立ったりと、何度やっても大失敗だった。

解決するなら、手術しかないのではないだろうか

 

手術で解決できるものなら、解決したい…!

その思いは膨らんでいった。

というか、手術をしたいと悩んでいることにも飽きて来ていた。悩むにしても違う展開で悩みたい。さっさと、手術をしてしまいたい!

 

そして、私が上手く行ったら、母にもその病院を進められる…!

 

そう思いつつ、仕事のタイミングもあり、病院も決めかねている間に2年が過ぎたのだった。

 

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