遅ればせながら

遅ればせながら、2月14日に出産しました。

2月頭の予定日大分前から兆候があったのに、実際にはまたまた予定日を大幅にオーバー。
その経過をざっと記します。

1月23日
朝から下腹部に懐かしい生理痛の様な痛みが始まった。
この日は満月。
「これは!」
と、わくわくした。だが、何も起こらなかった。生理痛は続いた。

1月26日
三鷹の自宅から調布まで歩いた。前回はこのコースを歩いた翌日破水したのだ。ちょいちょい、歩けなくなるほどお腹が痛んだが、何も起こらなかった。

1月31日
新小金井から自宅まで一時間程歩く。途中で歩けない程、お腹が張り、電柱にしがみつく。
「もう歩けない」
と、泣きそうになりながら、自宅までたどり着く。陣痛っぽい痛みがあったのだが、帰宅すると収まってしまう。
試しに15キロのニンタマをおぶって踊ってみたが、お腹は抜群の安定感で、ちくりとも痛まない。
まだか…。

2月2日
検診。お腹の子は元気。「2月11日過ぎると夫が忙しくなるので早く産みたいです~!」と、訴える。
6日予定日の助産院仲間のお友達と、
「節分生まれの子もいいよね」
と、話しながらランチ。
帰りに国分寺から三鷹まで歩く。11キロの道のり。
途中で苦しくなるが、帰宅すると何ともなくなる。

2月3日
昨日ランチをしたお友達からベイビー誕生の知らせ!よし、私もあやかるぞ!と、運動に勤しむ。

2月5日
ニンタマが発熱。見た事も無い程ぐったりしていたので、休日だったが救急へ。インフルエンザではなかったが、熱は39度。早く産みたいと思っていたが、「今日は産めない。持ちこたえなければ」と、いう気になる。心配して、仙台から母が駆け付ける。

2月6日
ニンタマの熱下がり一安心。

2月7日
娘の熱ぶり返す。娘の出産立ち会いは諦める。

2月8日
新月なので期待をしていたが、旦那さんが病み上がりの娘を公園へ連れ行き、ニンタマの熱が40度を超える。またもや心配で産めない気持ちになる。
「出て来い」と思ったり、「今日は出て来ないで」と思ったり。これでは、お腹の子供もどうしていいかわからないだろうと、申し訳ない気持ち。

2月9日
検診。旦那さんが11日に地方の仕事へ行ってしまう。母に娘を見てもらい、なんとしても9日か10日に産みたい。
助産師の矢島さんに「早く産みたいですか?」と、聞かれ「はい!」と即答。内診で刺激をしてもらうった後、特性のお通じが良くなるドリンクを頂く。その後、
「マッサージチェアに乗りましょう!」
と、矢島さん自ら私の荷物も持って、サロンへ案内してくれた。途中で富士山が見えるコースを歩く。雲がかかっていたが、富士山は綺麗に見えた。
「あら、今朝はもっと綺麗に見えたのに」
と、矢島さんは残念そうだったが、素敵な時間だった。
普通、母親の都合で早く産みたいなどと言ったら、怒られそうなものだが、親身に聞いてもらえた上に、手を尽くしてくれることに感動。
ああ、これだけでもこの助産院に決めてよかった…と、しみじみした。
お通じが出た後、マッサージチェアに乗って陣痛がついて来る確率は50%とのこと。
わくわくしながら、マッサージチェアに乗る。いい感じに下腹部に痛みが走って来た。
このまま歩いて三鷹に帰ろう。陣痛が始まったら、タクシーで戻ればいい。だが、その前に腹ごなしだ!
スローカフェという名前の通りスローなカフェで優雅にランチでもするか…と、店内に入り、椅子に座った途端、お腹に異変が起きた。慌ててトイレに駆け込むこと数回。
ご飯を食べた後、お腹が収まって来た頃を見計らって、自宅へ歩き始める。
陣痛よ、ついて来い!
戦闘態勢ばっちりな状態で延々と11キロを歩く。途中、何度か怪しい痛みが来るのだが、定期的では無い様子。そして、それもいつの間にか収まってしまった。
どうやら陣痛がついて来ない方の50%になってしまったかしら?

2月10日
 母に毎日「どう?産まれそう?」と、聞かれる。仕事を休んで来ているので、12日には帰ってしまうのだ。この日はお姑さんがやって来た。産後は お姑さんにお世話になる予定。無理矢理仕事を休んでいる母がいる間に産んであげたかったが、なんとなく母がいる間は産まれないような気がしていた。母は元 来くじ運が悪いタイプ。お姑さんは外出すれば晴れるし、一緒に歩いているとかなり高確率で100円、500円と小銭を拾ったりする。
皆が揃っている今日に産 めれば一番良いのにな…と思いながら、一日は終わった。

2月11日
おしるしが来た!11日から14日まで地方へ泊まり込みの仕事のはずだった旦那さんの予定が変更になった。11日の夜に帰宅して、12、13、14日の 予定はなくなり、15日にまた出発になった。今日の夜か、12、13、14日の間に産まれれば立ち会ってもらえる…と、明るい気持ちになる。

2月12日
とうとう立ち会えなかった母が、仙台へ帰ってしまう。
夜中に娘が大騒ぎして、明け方まで一睡も出来なかった。気が早い、赤ちゃん帰りか?こんな体調で産気づいたらしんどいなぁとナーバスになる。

2月13日
何事も無し。15日旦那さんは東北へ行き、16日から毎日夜勤の仕事に入る。やはり、立ち会ってもらえない運命なのだろうか。

2月14日
朝からお腹が痛い。朝から痛むことはそれまでなかったのだが、今まで散々今日かも?と思っては肩すかしだったので、かなり懐疑的だった。
Y助産院から電話。
午後にマッサージチェアに乗りに行くことにした。出掛けようとしたら、
お姑さんに
「パンでも食べて行ったら?」
と、言われる。出発が後れるなぁと思ったがお腹はペコペコだったので、食べることに。
後から考えると、お姑さんにこの時パンを食べて行ったらと言われたのが、大正解だった。
パンを食べていると、いきなり股間に「パチン」という何かがはじけたような感触。
破水では無さそうだ。子宮口あたりが、急に開いたのかもしれない。お腹が痛くなる。
「違うかもしれませんが、陣痛かも」
と、助産院に電話。まだお産の為というよりはマッサージチェアに乗りに行くだけのつもりだった。産気づいたら、御の字というつもりで荷物も持って 行くことに。電車でいくつもりだったが、大事をとってタクシーの方がいいかと思っていると、2、3分で再び激しい痛み。いくらなんでも早すぎでは?と思っ ていると、タイムリーに旦那さんが帰宅。
一緒にタクシーに乗り込む。
その頃には
「間違い無い。これは陣痛だ。しかもかなり進んでいるはず」
と、確信していた。痛すぎて、どういう体勢でいればいいか見当もつかなかったが、腰をさすってくれる旦那さんの手が意外な程気持ちよかった。
ニンタマのときは、的外れすぎて触られるとイライラしたのだが、格段に上手くなっていた。学習会へ参加した効果があったようだ。
タクシーから降りて、這うように助産院の玄関をのぼり、廊下でへたり込む。助産師さん達がわらわらと出て来て向かえてくれた。痛みで頭がいっぱいで記憶は途切れ途切れだが、そのまま抱きかかえられ、トイレへ行きおしっこをすることに。
だが、家を出る前に済ませていたこともあり、どうしても出せない。そのまま診察室へ行き、内診。
子宮口はほぼ全開らしく「すごいすごい!」と、褒められた。
自分の意志や努力で開いたり閉じたりした訳ではないから、私の手柄では無いのだが、「なんかわからないけど、いい感じってことだな」と、嬉しくなった。
ニンタマの時は病院に駆け付けた時点で1センチも開いていなかった。だから、今回は割と早いかも?と、思ったものの、全開になった後の流れってど んなだったっけ?と、勉強したはずなのに忘れてしまっていた。うろ覚えで覚えているのは、「牛のような地を這う呼吸」をしたあと、「色っぽいというか切な い声の呼吸」をする時間があったということ、その後、イキみたくなってもすぐイキんではいけないらしいこと。頭が見え始めてからは股間が「焼けるように」 痛み、そこからが「一時間くらいかかる」らしい…ということくらいだった。 (これは初産の目安だったらしく、経産婦は色っぽい声の呼吸をする時間は殆どなく、もっとずっと早いテンポで進むと、産後に判明)

「目標時間3時!」
という声が聞こえた。
陣痛が始まったのが1時38分。タクシーに乗ったのは2時過ぎ。助産院に到着したのは少なくとも2時半過ぎのはず。いくら経産婦のお産が早いとは言え、3時っていうのは早すぎだろう。陽気な助産師さん達のギャグか?と思っていた。
和室に入ってからしばらくは牛を意識して呼吸。お化け屋敷でバイトをしていた時、こんな声でうめき声あげていたことを思い出した。旦那さんにしがみつきながら、矢島さんに腰をさすってもらう。
「ああ、ゴッドハンド…」
痛みの中で至福の気持ちを味わった。
痛いのに、矢島さんの手が気持ちいい。
冷え症の私が夏か!?というほど、汗だく。髪の毛までべちょべちょ。42年の人生の中で一番という程の汗。
夫に、本格的にお産に突入したら家に置いて来たニンタマとお姑さんに連絡して呼んでもらうように頼んでいた。もう、こちらの向かっているらしい。
「着く前に産まれちゃうかもしれないって」
と、旦那さんに言われ驚く。痛いことは痛いが、そんなすぐに産まれて来る実感は湧かなかった。ただ、一秒たりとも堪え難い痛みが襲って来て、どう してよいかわからなかった。より痛む方向に頑張らなければ進まないということだけは解った。だが、どうしても体が痛みから逃げようとしてしまう。
もたれている座椅子の足をぺちぺち叩いてみても、痛みは全くおさまらない。
ぺちぺち叩いているリズムに合わせて、何故かテンションのあがった旦那さんがノリノリで私の肩をぺちぺち叩いたので、
「うるさい!」
と、怒鳴ってしまった。
実は以外と亭主関白な旦那さん。そんな彼にこんなぞんざいな口を聞いたのは初めてかもしれない。
「はい」
と、しゅんとしていた。
その後、あまりの痛みに旦那さんの肩を噛みそうになり、慌ててやめる。
「なんじゃこりゃ~~~!」
思わず、叫びだすような痛みに襲われる。お腹の赤ちゃんが動いているのだろう。進んでいるのは嬉しいが、痛い。
もう少しの所で何度も
「ちくしょうめ~!」
と、叫びそうになったが、
「お母さんはお前が産まれる時ちくしょうめ~!って言ったんだよ」
と、後々まで言われそうなので、かろうじて堪えた。
だが、ニンタマの時には我慢して言わなかった「痛い!」という単語を何度も連発した。
ニンタマの時は一度でも痛いというと、自分の気力がなえてしまいそうだったが、今回は叫んだ方が早く進む気がして、叫びまくった。
体位というか体勢を変えることになった。座椅子にもたれている体勢から、便器のような椅子に座ってみて踏ん張った後、
「どの体勢が踏ん張りやすい?」
と、聞かれとっさに
「じゃあ、横向きで」
と、横向きで足を抱える体位をすることになった。他にも立って旦那さんの首にぶらさがってイキむ体勢などもあったが、立つのはしんどいかな?と思ったのだ。
だが、横向きになった途端、違う様な気がした。
「あ、これじゃないかも」
と、叫んだものの、もはや体を動かすのも辛く、
「あ、でも、とりあえず、これで(頑張ってみます)」
と、その体勢で踏ん張ることにした。どのみち、どの体勢も大変に違いない。
しかし、流れ的にもう踏ん張ったりイキむ流れなのだろうか?
自分的には頻繁に襲って来る痛みが凄まじいので、イキみたいのかどうか全くわからない。よくイキむのを我慢するのが大変と聞いていたが、ニンタマの時は最初から最後まで全くイキみたくならなかった。今回もまだ、イキみたい実感はなかったが、イキみタイムに入ったらしい。
すでに別室に到着していたニンタマとお姑さんも入って来た。
ってことはやっぱり、もう出産間近ってことなのか…。
心配していた2歳のニンタマの立ち会いだが、雰囲気に飲まれたのか、やや怯えているものの、神妙な顔で大人しくしてくれていた。
矢島さんの言葉に促され、陣痛の波が来る度にイキむ。だが、イキめばイキむ程、体がぶっこわれそうな痛みにぶち当たる。ついびびって腰がひけそうになる。そんな時、助産師さん達の励ましに頑張らざるえない気持ちになる。
「よ~し、ヤケのヤンパチだ!」
と、高齢の体にムチを打って、全力でイキんでみる。初めは効率の悪いイキみ方をしていたようだが、それでも少しずつ進んだようだ。
「頭が見えて来たよ~」
という声に、初めて本当に間近なんだと実感。
「髪の毛いっぱい生えてるよ」
の言葉につい
「やった!」
と、ガッツポーズ。
今でこそ、ベリーショートとも言えなくもない髪型になった娘だが、産まれたときは頭がつるつる状態で、いつも「剃ってるの?」と、聞かれて不憫に思っていたのだ。そうか、今度は生えているのか…と、テンションが上がる。
でも、確か、頭が見えてから焼けるような痛みになって、その後出て来るまでは一時間くらいかかるって話だったっけ。確かに焼けるようなって言葉がぴったりの痛み。
これが一時間?!マジか!痛すぎる…
そう思っていると
「もうすぐ会えるよ~」
という声。そして、
陣痛に合わせて、
「イキんで」
と、促され続ける。しばらくすると
「ふぁ~ふぁ~」
と、助産師さん達に体の力を抜くように「ふぁ~」という声を出しながらの呼吸を促される。
焼けるような痛みが辛すぎて、腰が引けて逃げたくなるが、逃げてもお産が長引いて疲れるだけだ。頑張らねば…。
イキみが下手ながらも時々いいイキみをしているらしく、
「そうそう」
と、褒められる。そんな調子でやっと赤ちゃんの頭が出て来た。だが、目も悪い上、横向きの体位だと、自分からは足が邪魔で、頭が今ひとつよく見えない。もどかしい。早く見たい。
そう思って、俄然やる気を出してイキむ。すると
「ふぁ~ふぁ~」と、イキみを止められる。
この辺りでやっとイキみたくなる感覚が解って来た。というか、出したほうが楽ということが解って、早く出してしまいたくなった。
助産師さん達が誘導してくれて、やっと赤ちゃんの顔が見えて自分の手で抱いた時は、まるで何かの映像を観ているかのようだった。産まれたての赤 ちゃんは皆ガッツ石松に似ていると言うが、確かにその通りで、スライム状のネバネバした液体を鼻から出したガッツの顔がドアップで迫って来た。
その顔のインパクトが強く、一瞬痛みをすっかり忘れた。
「ずっと、お腹でどんどこやっていたのはアンタだったのかい…。」
スライムだらけではあったが、お腹から出たての赤ちゃんはホカホカ。しばらく、胸に抱いた後、夫が臍の尾を切り、計測の為に娘とお姑さんを伴って、部屋を出た。

思い残す事は無い…。満足だった。夫と娘に見守られ、体から出て来る実感を味わいつつ、血まみれじゃない赤ちゃんを抱く…というのが、今回のお産で一番願っていたことだった。
全て叶った。
だが、肝心なことを忘れていた。前回癒着して大出血した胎盤問題だ。
この後、やはり癒着して出て来なかったり、大出血して病院へ搬送なんてことになったら、えらいことだ。改めて気が引き締まった。

胎盤は癒着しないでちゃんと出て来るのか?出血は?
心配をよそに、矢島さんと助産師の遠藤さんが、慎重な手つきで胎盤を取り出してくれた。前もって、胎盤問題を相談していたので、子宮を収縮させる 点滴を打ってもらっていたためか、出血もそれほどではなかった。
病院搬送を免れ、改めてホッとした。胎盤自体は副胎盤という非常に珍しい形状のモノだった らしく驚かれていた。
どうも、できそこないの胎盤がもう一つあり、そこにも臍の尾があったようだ。
後で、
「こういう胎盤は私も初めてです」
4000人以上の赤ちゃんを取り上げた矢島さんがそう言っていた。

その珍しい胎盤も食べた。
前回の出産でも食べていたのだが、今回の方がさっさと出て来たせいか新鮮で美味しく感じた。
冷酒が飲みたい味。
旦那さんもニンタマも食べた。
旦那さんは微妙な顔をしていたが、ニンタマは「おいしい!」と、もっと食べたそうにしていた。

陣痛が始まったのが、1時38分。出産したのが4時16分。
一人目を16時間かけて産んだ自分としては、
「はや!」
と、痛みも忘れ超安産では?と思ったが、どうやら、本当はもっと早く産まれると思われていた様子。
私の後に出産した人も皆、じゃんじゃん早く産んでいた。
子宮口が全開になり、イキみ始めてからの時間が思いのほか時間がかかったようだ。旦那さんががニンタマとお姑さんが到着する前に産まれちゃうかも しれないって…と言っていたことを思い出す。私がギャグだと思っていた「目標時間3時」と、いうのはあながちギャグでは無かったのかもしれない。
「ああ、私、ウンコ出すの下手だからなぁ」
子供の頃から便秘がちで、微妙な便意を感じてイキんでも兎のフンのようなもものしか出なかったかと思うと、突然マックスの便意を感じて耐えきれずドカンと出すかのどちらかのパターンで、頃合いの良い便意みたいなものを感じにくい体質のようだ。
最近私より高齢で初産を果した友人は陣痛では丸二日苦しんだと言っていたが、イキむ段階では、すぐにどうすればいいかわかって、そこからは早かったと言っていた。彼女昔から自分はウンチを出すのが得意と豪語していた。
でも、便秘体質の自分としては上出来。
(ちなみに、3190グラムの男児でした。
思ったよりコンパクトでしたが、一ヶ月検診では4630グラム。
4月4日の助産師の訪問での計測では5900グラム。今は6キロ越えをしていると思われます)

それにしてもY助産院恒例という産後の乾杯ビールはとてもおいしかった。
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一ヶ月検診

出産して、まだ25日だが、一ヶ月検診へ行って来た。
Y助産院では同じ頃に出産した人を何人か一緒に検診をして、その後ちょっとしたランチバーティーをやることになっていた。
お義母さんとニンタマと、プン助(先月産まれた長男)と4人で参加。

病院と打ち合わせ、祝女の打ち上げ以外全く出掛けてなかったので、久しぶりのまともな外出となった。
この日は2月3日生まれの男児が二人。
皆、ぷくぷくと成長していた。
プン助は3190gで産まれたのだが、4630gになっていた。身長が4センチ、頭位に至っては5センチも大きくなっていた。
助産師さんが、何度も頭を測り直していたが、どう測っても同じ結果だった。
確かに妙に顔が巨大化している気がしていたのだ。
胴回りよりも頭の方が長い。
ニンタマもあっという間に大きく、重くなった。
そんなに早く大きくならないで…という寂しい気持ちもあるが、
「頼むから重くならないで。抱っこするこっちの身にもなってくれよ」
と、ナーバスになった。
だが、すくすく育っていると喜ぶべきなのだろう。

体重は一日あたり、60g以上増えていたことになる。
プン助は舌小帯が短かく、母乳が上手く飲めなかった場合は、何らかの処置をした方がいいと言われていたが、これだけ飲めていれば大丈夫でしょうとのこと。
ただ、時々発音などに問題がある場合もあるらしい。
普通に聞き取れる程度なら別に構わないのだが、3、4歳になっても改善されなかったら、手術することもあるようなので、ちょっと気になる。

ニンタマがかなり色白なので、それに比べると地黒だと思っていたが、他の男の子はもっと黒く、「色白ね~」と言われて驚いた。
色白で顔は巨大で、我が家の長男は仏像というか、大黒様とうか、七福神のようだった。

家では火のついたように泣くと、皆で
「この泣き方はただ事ではない!」
と、慌てていたが、他の赤ちゃんも皆、同じように泣いていたので安心した。
誰にも言っていなかったが、寝ている時寝ぼけて、一度思いっきり体重をかけてしまった事があった。
それだけでは無く、機種変したばかりの使い慣れ ない携帯(スマートフォン)が鳴ったので、慌てて出ようとして、授乳枕の上から取り落としてしまったこともあった。
もしかしたら、どこかを痛めて、そのせ いで泣いているのでは?と密かに悩んでいたのだ。助産師さんに打ち明けたら、体をよく見てくれて問題無さそうと言ってくれたので、ホッとした。

ランチパーティでは、出産の感想や、子供の名前の言われや、一ヶ月をどう過ごしたかなどを話しつつ、談笑。

助産院での入院生活は夢のように楽しく、ずっと入院していたいと思うほどだった。そんな事を懐かしく思い出しながら、馴染みの助産師さんや学習会で顔なじみになっていたマタニティ仲間と、楽しく過ごした。
だが、久しぶりの外出のせいか、帰宅するとグッタリ。

お義母さんとニンタマとプン助と4人で川の字になって昼寝をしたら、あっという間に2時間半も経っていて、すっかり夜になっていた。

いわゆる産後疲れと、高齢出産による体のダメージが激しく、毎日なるべく横になる生活をしていたが、少しずつ動いてみようという気になった。

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大安のバレンタインデーに

出産しました。

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出産予定日を大幅に過ぎての完徹の日

昨晩、食事中に寝たニンタマが夜中に咳こみはじめ、私にしがみついて来た。
見てみると、一口ゲロを吐いていた。
服を着替えさせ、ホクナリンテープをはったら、すっかり復活。
なぜか旦那さんが、ウィダーインゼリーをあげていた。
また吐くのではと心配になるが、ニンタマは美味しいと大喜び。
「もう、おしまい」
と、とめても、絶対に離さず飲み続けていた。

寝なくなってしまったので、マッサージをしてやると、ますます楽しそうにはしゃぐ。 
しばらくシカトして寝たふりをしたいたら、手が温かくなり寝そうな雰囲気。
ホッとしたら、急に起き上がり部屋をさ迷い始めた。
ふすまを開けたり閉じたり、して突っ立っている。
シカトをやめて、
「こっちいらしゃい」
と、手招きして抱っこする。
大人しくなったと思ったら、臭い。
もしやウンチ?
しかし、寝る前に結構いいウンチをしていた。
おならかも?と迷っていると、
「トイレに行こうよ~」
と、私を揺さぶっても来た。
調べてみると、かなり弛いウンチを大量にしていた。
オムツを替えて再び寝かせようとするも、
「ママの髪の毛触りたい~」
と、全く寝る気配がない。
「お腹減った~」
と、哀れっぽく泣き始める。
昨晩は食事の途中で寝たし、ウンチもしたのでお腹が減ったのだろう。
不憫になり、軽食を用意。
ついでに吐き気止めや咳止めも飲ませる。

その後、素直に布団に入るが私の髪の毛を4、5本ずつつかんでは引っ張り
「ママの髪の毛触りたい~」
と、むせび泣く。
少ない本数を引っ張られるのは実に痛い。
「痛いよ。触るのはいいけど、引っ張らないで」
と、言うと
「痛くないよ」
と、私の代弁を始めた。
「痛くなくないよ。痛いんだってば」
この時点でもう、外は明るかった。
そして、私の鼻の穴に直接口をつけて、こんこん咳き込み始めた。

昼から歯も磨いていない上、一週間熱で風呂に入っていないニンタマ。
わが娘とは言え、ゲロやら垢の匂いやら、プール熱のウィルスやらが若干気になる。
距離を置こうとすると、むせび泣くので、あきらめてなすがままになっていると、やがておとなしくなった。
夜中の2時ころ、不穏な痛みがあったので、産気づくかと期待したが、すっかり消えてしまった。
というかへとへとで、今産気づいも、気力が出ない。
ちょっとは寝なければ。

腹のヤヤコはニンタマよりも、長々居座る気らしい。
あさってに、旦那さんは始発で地方へお仕事。
その後も毎晩夜勤。
立ち会い出産は無理かも。

子宮底もこの時期なのに、どんどん大きくなっている。
ヤヤコはかなり巨大化しているようだ。お腹からなんとなく体の輪郭が見えるが、でかい。

こんなものが体内から出てくるとは思えない。
よしんば出てきたとしても、あちこちの機能が馬鹿になりそう。

まあ、なんとかなるというかするしかないので、悩んでも意味はないのだ。

一ヶ月後に自分はどんなことを思っているのだろう。
昨日から、踵が痛くなって、あまり運動も出来なくなってしまった。
ここ数日、7階建てのマンションの階段を毎日5、6往復したり、下りは飛び跳ねなたら降りたりしていた。
体の重さを無視して、無理が来たのか、どこか内臓が悪いのかは定かではないが、足を引きずらないと歩けなくなってしまったのが不便。

産後、収まってくるとよいのだが。

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ママの髪の毛触りたい〜

ニンタマはいつも私の髪の毛を引っ張りながら寝る。
今日は触りながらも
「ママの髪の毛触りたい~!」
と泣き叫ぶ。
「触ってるじゃない」
と言っても、
「ママの髪の毛触りたい~」
と繰り返し、益々興奮するばかり。
目を覚ました旦那さんがあやすと、キャイキャイ喜び、ご機嫌になったので安心したが、寝かせようとすると再び
「ママの髪の毛触りたい~!」
が始まる。
再び旦那さんが、あやすが、結局同じ事が続く。
疲れた旦那さんは爆睡。

「髪の毛触りたい」
と言いながらも、触らせると拒否したり。
観念して、起きて抱っこしたり、昔習ったベビーマッサージを延々繰り返し、落ち着くまで覆い被さるようにして抱きしめていたら、やっと寝た。
自分としては、ちょいちょい不穏な痛みはあるものの、まだ生まれる気配は無いと思っていた。
だが、ニンタマのこんな様子を見ると
「近いのかも?」という気がしてきた。

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出産前のレンジ、おばさん、焼き肉

購入を決めた石窯ドーム、ネットでヨドバシの店頭価格よりかなり安かった。
タイの洪水で、新しい工場で作っているのを新製品として売り出しているかららしい。
ネットではタイで作られた在庫を販売しているようだ。

ヨドバシより安く買えたことに喜んでいたが、タイの洪水前は今より大分安かったようだ。
というより2週間前だったら、5千円以上安かったようだ。
ちょっと衝撃を受けたが、在庫は残りわずか。
在庫が減れば、値段は上がり、在庫がなくなればヨドバシで売っていた値段に近づくに違いない。
だから、一番お得な買い物をした訳ではないが、これで良かったのだ…と、自分を納得させた。
まあ、洪水が落ち着いて半年ほど立てば、値段は下がって行くのかもしれない。その頃まで壊れたレンジを使い続けるのは、得策では無い。
いいのだ、これで。

昨日は、旦那さんにニンタマを見てもらい、お向かいのコミュニティーセンターのテーブル席でやり残した雑務を必死にやっていた。
出産したら、細かい雑務は当分できない。
必死に作業をしたり、バースプランを書いたりしていると、年配のご婦人に相席させて欲しいと言われた。
喫茶店ではないので、誰がどこに座ろうと自由だ。
「あ、座ってください」
と、返事をすると、そのご婦人がべらべら話しかけて来た。
「あ、焼きそば食べようと思ったのに、箸忘れちゃったのよ~。昨日はおにぎりだったから大丈夫だったんだけどね」
「はぁ~」
「何、パソコン?」
「はい」
「よくつかえるわね。アタシは全然」
「ははは…」
「綺麗ね、それ」(私のボロボロの携帯を差して)
「そうですか」
「私のはワインレッドよ」
「はあ」
その後、コミュニティーセンターに人に割り箸を貰って来たおばさまが
「やだ、あけられない~。お姉さん、開けて~」
と、私に箸をよこした。
開けてあげると、
「ありがと。昔は出来たんだけどね、病気をしてからは開けられなくなっちゃって」
と、いかにも病気の話を聞いて欲しそうな様子。
だが、聞いてしまったらきっと作業は全くできなくなる。
「はぁ」
で誤摩化す。その後もしばらく話しかけらたが、作業に必死になるふりをして、さりげなく無視をした。
しかし、本当は、こういうおばさまと一時、語らう位の心の余裕を持った人間でありたい。
だが、私には時間が無い。
夜勤で寝不足の旦那さんに、子供を見て貰って作業をさせてもらっているのに、のんびりおしゃべりをする気持ちにはなれないのだ。
それにしても、こういう人はどこにでも必ずいる。
どんなに話しかけるなオーラを出しても、強引に話しかけて来る。
自分が暇で誰かと話したいと思っていると、人もそうだと思うのだろうか?
自分と語らう事が、相手にとっても楽しいことだと、信じているのだろうか?

私は、いつも人と会った後、
「今日は下らない話をしすぎてしまった。嫌な思いをさせたのではないだろうか?」
と、必要以上に落ち込んだりする。
だから、そんな風に思わない人が少し羨ましくもある。

今日は、久しぶりに丸一日ニンタマと過ごす。
前に比べると大分、楽になった。こちらが家事をしていても、一人で遊んでくれる時間が増えた。つまらなくなると、こっちに来るが、「一緒に拭き掃除して」
と、言うとしばらく一緒にやってくれたりする。
うっかり気を許すと、米びつの米をばらまこうとしたりするし、飛びつかれて首の骨をへし折られそうになったりするが、今日は何時にどこに行かなければならないという予定もない。
それが、楽な原因だったかもしれない。
時間に追われると焦って、こちらもイライラしてしまい、つい怒鳴ったり、怒ったりして、ニンタマも泣き叫んで意固地になったり嫌な雰囲気になったりする。
何の予定も無いというのは、素晴らしいことかもしれない。
夜は、焼き肉を食べに行った。
ニンタマの時は出産予定日を過ぎても全然産まれる気配が無く、3時間以上歩いて、土手をよじ上ったりしてやっと41週目に産気付き、それでも促進剤をガンガンかけて、吸引分娩で産んだのだった。

焼き肉を食べると、早く産まれるという噂を聞いた。
今は38週だが、今のウチから出産を促進させることはしておいた方がいいような気がする。
それでやっと、予定日丁度になるくらいだろう。
久しぶりにホルモンやら、カルビやら、レバーやら、スタミナをつける高カロリーのものをガンガン食べた。
効果あるだろうか…。

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レンジに恋して。

オーブンレンジのことばかり考えているのに、疲れ果てた。
もう考えなくて済むように、勢いでポチっとしてしまった。

三菱ジタングでもなく、シャープのヘルシオでもなく、東芝の石窯ドーム。

当初、スチーム機能など、面倒臭くて使わないだろう。とにかく早いのが良いと、レンジ&グリル機能があり、コロッケなどの温め直しなどに重宝しそうなジタングに心惹かれていた。
だが、早いのには理由があり、庫内が狭いから早く熱が回るということらしく、容量が13リットルしかなかった。
ずっと30リットルのレンジを使っていたので、これから家族が増えるのに13リットルではどうしても心もとなかった。
いくら時短が出来ても、何度も作らなければならないのでは?

旦那さんも
「こういう大きい方がいいんじゃない。小さすぎるよ」
と、偶々後ろに置いてあったヘルシオを指さした。

今にして思えば、旦那さんはウォーターオーブンなどに対して、何の予備知識もなく後ろにあった手頃な大きさのものを適当に言っただけなのだ。
だが、私は旦那さんがヘルシオに関心があるのかと勘違い。

産後私は、しばらく機能しない。今後仕事もある。旦那さんに料理をかなり担ってもらうことになることもあるだろう。
だったら、旦那さんが使いやすいモノが良い。
俄然ヘルシオを調べ始めた。
大きさと、カリッとした焦げ目がつかなさそうな所と、やたら時間がかかりそうな所がネックだった。

だが、使いこなしている人は、一度にニ回分の食事の支度をして、ヘルシオに投入して、その間は他のことをしているらしい。それはある意味時短ではないか?

そう思うものの、身近でヘルシオを使っている人はやたら長時間かけて、焼き芋やパンを焼いている以外、便利機能をつかっているようには見えなかった。
焼き芋は正直、自分でいつも作っている無水鍋で作っているものと大して変わらないような気がした。
温めなおしたパンは確かにおいしかったが、待ち時間が凄い長かった記憶がある。
自分だったら、いくらおいしくても、待てないだろう。
でも、味に関してはかなり秀逸らしい。
使いこなしてみたい願望はあった。しばし思い悩む。
どう考えても、産後にそんなことは出来無さそう。
そして、ほとぼりが冷めた頃には、レンジを使いこなそうと思ったことを忘れているだろう。
旦那さんに
「これがよければただ、レンジで温めだけではなくちゃんと使いこなしてほしい。買うからにはそうじゃなければ許せない」
と、言ったら、
「そんなんだったら、俺、いらないよ~。」
と、拒否反応。

「でも、蒸し機能で、茹で卵とレトルト温めたいって言ってたじゃん」
「だったら、普通に鍋でやるよ~。俺、間違いなくレンジしか使わない。オーブンとかの料理は友香にやってもらうもん。そっちがジタングとか高そうなレンジを買うつもりしかなさそうだったから、もう少し安めで大きいいのを言っただけだもん」
と、あっさり却下。
そうだったのか…。確かに旦那さんがヘルシオに興味を持ったように見えたのは意外だった。

そんな時、とあるお友達からレンジ機能とオーブン機能は別に考えた方がいいという意見を頂いた。
オーブンレンジのレンジ機能は中途半端。彼女はオーブン料理ではコンベクションオーブンを使い、後は温め専用のシンプルな電子レンジを使っているとのこと。

その後、俄然コンべくションオーブンなるものをチェック。
デロンギのコンベクションオーブンと三洋電機のスチームコンベクション「スチーブン」というものが気になり始めた。

オーブンレンジなんかより、グラタンやフライの温めは素晴らしい様子。
これなら、ジタングのコンセプトにも近い。そして、ジタングより沢山焼ける。
コンベクションオーブンで頭がいっぱいになる。
だが、電子レンジは?

別に買うにも勇気がいる。そして、置き場所が無い。
あちらを立たせればこちらが立たず。

そんな時、現在使っている壊れたオーブンレンジのカタログを見直し、驚く。

こんな、高機能だったのか…。
頂きものだったので、適当に使っていたのだ。

好きな温度に設定も出来る。そして、いつも解凍に失敗していたが、説明書を見れば何ワットで何分位やれば良いかも全て書いてあった。
何度も、色々なモノを沸騰させすぎたり、解凍している肉を焼き過ぎてしまったりと失敗していたが、読んでさえいれば、そんなことは避けられたのだ。
今は、レンジで温めている最中に突然エラーを起こし止まってしまうので、何度も何度も温め直さなければならないポンコツなのだが、本来は素晴らし奴だったらしい。

そうなると、魅力を理解しないでダメ男だと思い込んでいたような気持ちになってきた。
調べてみるとメーカーは東芝。
そして、石窯というボタンがある。
どうやら、現在の石窯ドームとやらの前身のようだ。

だったら、石窯ドームを購入し、今度こそ魅力を理解して付き合うべきではないだろうか?
そんな気持ちになってきた。

しかし、ヘルシーシェフやら、ビストロやらも頭にちらつく。
だが、これは!と思う機能があるのは結局どのメーカーでもエライ高い。
カタログには「最上位機種にしかできません」みたいなことばかり書いてある。
もしもお金持ちだったら、うっかり最上位機種を買ってしまう。
だが、予算は言い渡されている。
そして、置く場所のスペースも限られている。

その中で悩んで悩んで、夜も眠れない。
「やはりジタングにしよう」
「いや、何か蒸したい時はどうすれば?」
「蒸すのは鍋でいいじゃないか」
「でも、鍋を出すのは面倒だから、結局まずいまま食べることになるかも」
「4人になったら、大量のグラタンとか作らないとダメかもしれない」
「油を使わない揚げ物とか、小さいレンジだったら、二人分しか作れないよ?」
「やっぱ、ある程度大きくなきゃ」
夜中に興奮して、何度も朝を迎えてしまった。
いかん。出産にそなえて、体力をつけなければならないというのに。

このまま、レンジを選ばないまま出産になってしまったら…。
そして、レンジが完璧に壊れてしまったら?

結局どれを買っても、そこそこ便利で、そこそこ不満を持つのだ。
そんなモノ、男女交際と一緒では?
お見合いで結婚してもまあまあうまく行ったりする。
だったら…どれでも一緒だよ。
使いこなせば、気に入るに違いない。
と、さっき勢いで、石窯ドームをポチっとしてしまった。
魅力を見いだせずに捨ててしまった恋人のような気持ち。

実際、そんな恋人がいたことは無かったのだが。

早まったかな。
でも、もう悩む必要が無くなった。
というか悩みたくても悩めなくなった。

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祝女で書いた作品と夢

祝女を観た知り合いや友人から「どれを書いたの?」と、しばしば尋ねられる。

確かに大雑把にこれを書いた、あれを書いた…というのはあるのだが、厳密に一人だけで書いているとも言えない。

とにかく数を書くことを優先しているので、ボツになったり、とりあえず寝かせている作品も沢山ある。

大昔に書いたものが復活することもある。

その際、「こんな感じに書き直して下さい」と、注文を受ける場合もあれば、いつの間にか全く違う代物に変わっている事もあり、現場で急に変わることもある。

また、他の作家さんが書いたものを託され、「あるあるな会話やギャグを思いつけば足して下さい」と、言われることもある。

自分で書いたものの方が好きな場合もあるが、アレンジされたモノの方が分かりやすくて面白いと思う場合もある。

結構アバウトな共同作業になっている。


自分の劇団だったら、これは絶対こういう演出で…などとこだわるが、一度提出してしまった作品に関しては、あまり気にしなくなっている。多分、次に何を作るかの方に頭が行ってしまうからだろう。

本当は、もう少しこだわった方がいいのかもしれないとは思うのだが……。


また子育て&妊娠中ということもあって、頭がぼんやりもしている。最近は書いた端から書いた事を忘れて行く。

これではどの作品を書いたかも忘れてしまいそうだ。

それではイカン!ということで、「祝女」シーズン3で、どの作品を書いたかを、ここで記しておくことにした。


去年までは作家が少なくて、ほぼ半分のコントを担当していたのだが、あまりにもしんどかったので「作家さんを増やして下さい」と、いつもお願いをしていた。

その願いが叶ったのか、作風が偏るのが良くないということになったのかは分からないが、今年は作家さんが増えた。

少し楽になるかな?と思ったが、ボツになるモノが増えただけで、労力的にはあまり変わっていない気がする。

10月15日放送 「愛人同盟」「恋侍」

10月22日放送「夜11時の女 宇佐美怜」「考えないシープ」「にゃ〜ちゃん」

10月29日放送「恋侍」「ユリ&マキ」「愛人同盟」

11月12日放送「ドラマチックカップル」

11月19日放送「34歳の恋愛」「愛人同盟」

11月26日放送「恋侍」「おさげさん(前半部分)」「主婦は知っている」

12月10日放送「愛人同盟」「ドラマチックカップル」「俺の影響」

12月17日放送「ユリ&マキ」


いつか、気に言っている作品やボツになったけれど、自分では大好きな作品を集めて、舞台などでやれたら…などと夢見ているが、実現するのは難しいのだろうな。


 

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かっちこちのデカ物

昨日、全然仕事が出来なかったので、3時間程寝てから夜中に起きてPC作業をした。
だが、1時間くらいすると、ニンタマが私がいないことに気付き 泣く。
慌てて、添い寝をしては寝かしつけ、また作業…というのを何度か繰り返した。
だが、その添い寝のおかげで、私も無理しすぎる事なく休めたかもしれな い。
そして、病院から処方された酸化マグネシウムが効いたのか、夜中にも便意。
びっくりする程、かっちこちのデカ物が出た。
もしかすると、私はこれを赤ちゃんの頭だと勘違いしたのではないだろうか…。夜中で寒かったのだが、しげしげと眺めてしまった。

お腹にスペースが出来たせいか、急にお腹が減ってしまい、夜中にチョコレートやクッキーを沢山食べてしまった。

夜になると、さすがに母に疲れが出たようだ。
ご飯作れなかったよ…と、ヘトヘトの様子。
「ご飯なんていいよ~」
と、荒れ果てた部屋で、レトルトカレーを食べる。
この日は久しぶりに兄も帰って来た。
ニンタマは兄に遊んでもらい、大喜び。
私が「お兄ちゃん」と、言ったり「おじちゃんに遊んでもらいなさい」と、言ったりで混乱するのか「おじいちゃん」と、言っていた。
「おじいちゃんだ~いすき」
と、飛びついていた。
抱っこできない私や母と違い、アクロバティックな遊びもしてもらえて、嬉しそうだった。
ニンタマの便秘は少し改善しているようだ。
便はまだまだ固いが、一応3日続けて出ている。
12日は出血していたが、昨日と今日は血も出ていない。
このまま良くなると良いのだが。
便秘に苦しむのは、私に似てしまったのだろうか?

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ニンタマ、ピーポーに乗る

母がニンタマの為に買った、ペダルの無い自転車の組み立てが上手く行かず、午前中にトイザラスで見てもらう事になった。
赤ちゃん本舗にもよって、ニンタマが店舗で履ける簡単な靴、踏み台、オマルなども見ることにした。
午前中だけだと言うのに、病み上がりの母と9ヶ月妊婦と2歳児の外出は思いのほかハードだった。
ヘトヘトになって戻り、ニンタマがウンチをしたがったので、オマルに座らせていたら、私の方が急に便意を催してしまった。

「ママ、トイレに行って来るよ」

と、トイレに行くが、3日程便秘だったため、苦しいだけで中々出せない。
無理矢理踏ん張ると、ある程度は出せたのだが、どう考えてもまだ残っているという状態で、トイレから出られなくなってしまった。
イキミすぎて、お尻が痛い上に、股間にまるで巨大な頭が下がっている様な感触。
そんなはずは無いと思いながら、まさか赤子が降りて来ているのでは?と、不安になる。前回の出産では10時間以上陣痛が続いても全く降りて来なかったので、こんな簡単に下がって来るとは思えないのだが、明らかに股間がおかしい。
とりあえず、母に異変を訴え布団に横たわる。股間が盛り上がり、中がめくれているような感じがして、とても普通に座ることが出来ない。
これから仕事に行こうと思っていたが、とても無理だ。
ニンタマが
「ママ~、抱っこちて~」
と、飛び乗って来るので、
「ママ、お腹痛いの~。乗らないで~」
と、お願いすると、
「ニンタマちゃんは足が痛いの~」
と、キャイキャイはしゃいで、覆いかぶさって来る。
苦しくて死にそうだったが、笑ってしまう。
助産院に連絡をした。
自分としては「ウンチを息んだだけで下がるなんてありません。大丈夫ですよ」と、言って貰いたかったのだが、
「近所で出来るだけ大きな産科を受診して下さい」
と、言われてしまった。
母がこちらにいる兄弟に電話をして、病院情報を収集したが、こちらでお産をするわけでも無いのに、受け入れてくれそうな所は無かった。
病み上がりの母とまともに座ることも出来ない私と、暴れ盛りのニンタマで、なんとか病院に駆け込んでも、見てもらえないかもしれない。
見てもらえたとしても、この状態で1、2時間待たされたりということはどう考えてもありえない。
母も私もニンタマを抱っこ出来ないし、どこかへ行ってしまっても、追いかけることも出来ない。

「確実に診てもらうには、救急車しかない」

と、母が電話をかけた。
救急車の名前を聞いた途端、ニンタマは大喜び。
「ママ、早く支度しなよ~」
と、早くも玄関へ飛び出し、靴を履いて私を急かす。
普段は「履けないの~、履かちて~」と、甘えるくせにこの時の動作は俊敏だった。
這うように動いて支度する私に「ノロノロするな」と、言わんばかり。
私は、股間の感覚がおかしくなっているので、尿意もあるのだが、出せずとても苦しい。
救急車のサイレンが近づいて来ると、ニンタマは益々ヒートアップ。
「ピーポーに乗れるの嬉しい?」
と、聞くと
「うん」
と、わくわくしている様子。
だが、私が担架で運ばれているのを見たらさすがに驚いたようだ。
「ママ病気なの?」
と、やっと神妙な顔になった。
救急隊員の人に状況を伝える。とても良い人だったが、何故か言われたことと違う報告ばかりしていて、驚く。
「ウンチを息み過ぎて…」と、何度も言ったのだが、
「子供が流れそうと言っています」「排尿しようとしたけれど、出せないみたいで」
と、一向にウンチの事を言わない。
何か気でも遣っているのだろうか?それとも、そんなふざけた理由では収容してもらえないと、収容してもらえそうな言い方をしているのだろうか?
結局、東北大に搬送してもらえる事になった。ニンタマはいつの間にか眠ってしまった。
病院につくと、隊員さんが母に
「荷物はこちらで持ちますんで、お母さん、お子さんだけ抱っこして下さい」
と、言っていた。カテーテルを通したということだけでなく、14キロのニンタマを高齢の母が抱っこするのは無理。かといって、担架にのせてもらう訳にもいかない。
「私もカテーテルやったばかりで…」
と、弱り切る母。
隊員さんが上司のような人に
「抱っこしてもいいですか?」
と、許可を取ってニンタマを抱っこして、車を降りた。その瞬間ニンタマはパチっと目を開けたが、そのまま病室まで抱っこしてもらっていた。
産科の方では
「すわ!出産か!」
と、思っていたようで大勢の医師や助産師さんらしき人や看護士さんが待機していた。なんだか申し訳ない気持ちになる。
内診や超音波検査と、お腹のモニターチェックをされた。
この時点で、すでに股間にあった固い塊は姿を消していた。
結果的には赤ちゃんが、かなり下がって来ていて、子宮頸管が短くなっている状態で切迫早産と診断された。
子宮頸管の長さが2・5センチ。この段階だと、3センチは欲しい所で、2センチを切ると入院なのだそうだ。11月29日の検診では4・2センチあり、早産の心配は無いとお済みつきだったのだが…。
だが、以前4D撮影の時
「結構下がって来てますね。夕方とかで、お母さんが疲れると、下がって来るんですよ~」
と、言われた事を思い出した。確かにこの日はとても疲れていた。
「助産院は内診しないからリスクが高いんだよね~」
と、お医者さん。
だが、その後若い助産師さんらしき人が私にこっそり
「Y助産院なんですか!凄いですね~!」
と、話しかけて来た。
きっとその助産師さんにとっては憧れの助産院なのだろう。私の手柄でも何でもないのだが、ちょっと嬉しくなった。
自覚症状は無かったが、お腹も張っているらしい。張り止めと、便秘の薬を処方され、
「なるべく早く東京へ帰るように」
言われる。
その際
「子供は抱っこしないで誰かに付き添ってもらいなさい」
と、言われた。
それは不可能だ。旦那さんは本番直前で昼夜稽古だ。
そして、母も仕事をしている上にニンタマを抱っこすることは出来ない。
最善策としてはこちらで無理しないで体調を整えることしかないだろう。
診察が終わる頃にはニンタマは床を這いつくばる勢いで、眠そうだった。
だが、抱っこできないので、苦労しながらタクシーまで歩かせ、帰宅。
タクシーで寝られると、部屋まで抱っこで運ばなければならないので、ドキドキしたが、車好きなので興奮してハイテンションになっていた。
やっと帰宅。
洗いものは溜まり、部屋はメチャクチャになっていた。
片付けたかったが、さすがに、立つとお腹が張るというのが分かった。
母が
「アンタは寝てなさい」
と、言うので横たわっていたが、母が洗いものなどをしていると、病み上がりなのに大丈夫なのだろうか?と、心配になった。
結局ニンタマな大復活して、全然寝なかった。
母の助けにならねばと思っていたが、大変な思いをさせてしまった。

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«ニンタマ働く?