眼瞼下垂手術までの道のり~その4~

11月前半は怒涛だった。

3日はニンタマのダンスのハロウィンイベントを兼ねた発表会があり、その夜から

奈良県へ移動して翌日は取材。

その後、発熱で寝込み回復した次の週末はプン助の七五三。

ついでに8歳のニンタマにも振袖を着せて、兄に撮影してもらうことになった。

母にも来てもらって手伝ってもらったが、袴も振袖も自分で着せたので、結局大事になった。

その翌週は、大宮で一泊して親族と父の墓参りをしつつ食事会。

その翌日が眼瞼下垂手術。

 

バタバタとイベント続きで、手術の怖さを感じてる場合ではなかったのは良かったかもしれない。

当日朝、旦那さんに病院まで付き添ってもらい病院へ。

「怖いよ~怖いよ~」

と、訴えたところで怖さは全く和らがない。

 

目の手術って一体どんな感じなのだろう?

眼瞼下垂手術は大体1時間とのこと。

全身麻酔ではないので、一時間もじっとしながら恐怖と闘うのか

耐えられるのだろうか?

怯えていても仕方がない。どうせなら楽しもう!そう思いつつ、楽しめる自信は全く沸いてこない。

 

早く行き過ぎてしまったので、1時間以上待つ羽目になってしまい、恐怖心倍増。

私の番号札は21番。

呼ばれたいような呼ばれたくないような複雑な気持ち。

 

やっと呼ばれると、最終チェックのような診断をされ、

写真をたくさん撮られた。

そのまますぐに手術室へ。

 

痛み止めのロキソニンを飲まされた後、手術代へ横たわる。手術中の心拍数や血圧を測る機械や血中酸素を図る機械を装着される。

顔を消毒するともう、痒くなっても掻いたりできないというので、思う存分痒い所を掻いた。

 

先生が、切り取る皮膚のラインを決めるために、私の瞼に印を描いて

「このくらいでいいですか?」

と、見せてれた。

 

正直、そう言われてもよくわからない。

「多分大丈夫です」

と、曖昧に答えると、

「もう少し幅がとれそうかも確認しながら進めていきます」

とのことだった。

 

顔が消毒され、目、鼻口だけが出るように布でカバーをかけられテープで張り付けられた。

その途端、鼻の脇が痒くなった。

「ああ、もう掻けない!!」

と、思っていると

「どこか痒い所ありませんか?」

と、先生。

何故わかったのだろう?

 

「鼻の脇が痒いです」

と、答えると

「皆、そこが痒くなるんです」

と、鼻を掻いてくれた。

 

何故、皆が一様に鼻の脇が痒くなるのかは不明だが、有り難かった。

手術のライトが付けられると、目を閉じていても、ものすごく明るくなる。

 

その後、左の瞼から麻酔を打たれる。

噂や口コミでは麻酔が一番痛いと聞いていたので、緊張する。

 

「チクっとしますよ」

 

と、言われたが、いつまで経っても何の痛みもない。確かに何かを差している感じなのだが…。

「ゆっくり入れているので、あまり感じないと思いますが、痛かったら言ってくださいね」

「いえ、全然痛くないです!」

 

何、この先生、凄い!

注射打ってるのに何も感じない!

神業!

 

その後、右の瞼へ。

 

「右の方が痛いですよ。これは誰でも必ず右の方が痛いんです」

 

でも…やはりほとんど何も感じない。言われてみると、ちょっとはチクっとしたかもしれない?とうレベル。

 

そして、左瞼をちょっとなぞったような気配。

すると、先生が瞼を布で押さえているような気配…。

あれ?よくわからなかったけど、もう瞼切ってんの?

切って出血したのを押えているの?全然痛くないし、何も感じないんですけど…。

 

一体、自分がどういうビジュアルになってるのか、見当もつかない。

 

先生は絶えず、手を動かし、時折血を拭っている様子。痛いのは嫌だが、痛くないというのも何が起きているのか、想像するしかなくて怖い。

想像すると、ますます怖いので、他のことを考えようとしてみる。

 

だが、瞼の皮膚の表面を切り取って中の筋肉やら腱膜やら、脂肪やらを引っ張ったり切ったり縮めたりする際、目玉が引っ張られるような感覚があったり、瞼が引っ張られたりすると、どうしても身がすくんでしまう。

ジジジジっと音がして、焦げ臭い臭いと共に若干の眩しさや、熱さを感じたり…。

これ、レーザーで焼いているのだろう。

「今、脂肪を移動させています」

 

脂肪?

 

鶏肉の処理をする時に脂肪を取ったりするさまを思い出す。私の瞼で脂肪を取ったり移動したりが行われているのか…。

うわ、なんか引っ張られる!大丈夫かな?目玉取れないかしらん?

 

つい、顔がついて行きそうになる。

いやいや、先生の動きに逆らわないよにしなければ…。

 

「あらら、本当に腱膜がペラペラの方なんですね…」

 

「腱膜がペラペラ?なんですか?」

「はい、ペラペラでズレズレです…」

 

 

どういうことなんだろう?あんまりいいことのように聞こえないけど…。

「あらら、すり抜けちゃった…」

「ほう…空洞が…」

などと、時折、不穏なことを言いつつ、終始穏やかな先生。

 

何?何が起きてるの?でも、先生は落ち着いているし、よくある事態だって思っていいのかしら…?

と、何かがピーピーなり始めた。

 

気が付くと、指についている血中酸素を図る機械を握りしめ過ぎていたようだ。

いかんいかん、落ち着かなくては…。

 

「目玉を押したり引いたりします。ここで痛みを感じる人は多いですが、

 

頑張ってください」

目玉を押したり、弾いたり?

どういうことだ?!

 

だが、ここまで来たら、頑張らないという選択肢はない。怖いけど、頑張る。

 

瞼は閉じているのに、透けて見える明かりの明るさがちょいちょい変わるのもちょっとした恐怖。先生が、開いた皮膚の上で何かをいじったり引っ張ったりしているのが手に取れるようにわかるのだ。でも、痛くない。痛み感じる人が多いって言ってたけど、痛くないよ?先生?痛くなくてよかったけど…。

 

「目を開けてこっちを見てください」

 

と、何度か言われる。麻酔がかかっているのに、ちゃんと目も開けられるし、目線も動かせる。

まな板の鯉のつもりで臨もうと思っていたが、まな板の鯉ではいられない。クリアーな意識をもって積極的に参加する必要がある。

 

深く考えると怖いが、この目を開いたり閉じたり目線を動かしている間、ずっと瞼の上はパックリ開いているはずなのだ…。

 

 

目を閉じにくくしている筋を切ると言っている時が一番辛かった。痛いというのとも違うが、先生もなんとなく大変そうだった。

またまた鶏肉の下処理をしている時のことを思い出した。

 

これと同じような事が、逆の右目でも行われるのかと思うと、途方にくれる。

そして、途方にくれつつも容赦なく同じ作業が行われた。

右目は、脂肪を移動させる時が、かなりきつかった。目玉がついて行っちゃう感覚なんて、人生で初めてだ。

「あ~、内出血しちゃいましたね…でも、必ず消えるんで大丈夫です」

などとちょっと不安になることも言われる。

 

その後、縫う作業に入ったが、麻酔が切れ始めて、ちょっとチクチクし始めた。痛いけれど、先生の手際の良さは分かる。

 

「もうちょっとだから、このまま頑張っちゃおう」

 

と、先生。確かに普段の注射などに比べたら、大した痛みではない。

一度、縫った後、鏡で確認。

 

「どうですか?」

 

いいような気もするが、よくわからない。思ったより、異変のない顔の自分の顔が映っているが…。

あ、でも、視界は広い!自分の見た目に関しては、特に問題は感じられない。二重の幅などをよく研究している人なら、こうした方が目が大きくなるなどあるのかもしれないが、

「もうちょっと目が開いた方がいいです」

などと言ったとしたら、どうなるのだろう?もう少し皮を切って、縫うことになるのか?

麻酔も切れかかっているし、もうそんなことに耐えられそうにない。

 

それに見た目が目的の手術でもないのだ。手術の注意に寝ていても、瞼が閉じられないこともある…みたいなことが書いてあった。そんなことになったら、大変だ。

一番慣れている先生の判断に任せる方がいいに違いない。

 

「こんなもんじゃないですかね?」

「そうですね」 

と、普通にしていても微笑んでいるような先生。

 

そうして、手術は終わった。

 

そのままリカバリー室へ向かい、氷水に浸したガーゼを瞼に当てて、冷やす。

旦那さんもリカバリー室から入れることになり、呼んでもらったが、私がべらべら話していると、

「こういう時は、じっと休んでいたほうがいいんじゃない?」

と、宥められた。

 

「思ったより腫れてないね」

 

私も腫れの少なさに安心しつつ、一応サングラスと帽子で完全防備して帰る。

麻酔が切れて来たが、思ったより痛まない。

 

お腹が減ったのでサブウェイのサンドイッチを買った。

だが、食べようとしてすぐに後悔。

傷は痛まないのだが、口を大きく開くと目の方まで顔が引っ張られ、縫ったばかりの皮膚が引き連れるような嫌な感じがするのだ。

こういう時は、チマチマ口を開けて食べられるものがいいのだと学んだ。

 

食べ終わった後、すぐに布団に入り休みつつ、目を冷やす。

しばらくすると、ニンタマが帰って来た。

 

帰って来たニンタマは寝ている私の顔をみて、固まった。

 

「お化け…かと思った!」

 

え?そんななの?と、改めて自分の顔を鏡で見て見ると、術後直後よりもかなり腫れている。

そうか…時間差で腫れていくのか…!

 

「それ、メイク?」

 

というニンタマに

 

「ママ、今日手術だって言ったでしょ!」

 

と、ちょっとキレる。

腫れるとは聞いていたが、実際そうなってみると、やはりナーバス。

腫れは三日がピークだということだ。

 

時折、術後目を掻いたり、激しく動かしてしまって、糸が切れて、再手術になる人がいるという話も聞いた。そうなると、保険適用ではなく自費になる。

自費になるのも嫌だが、またあの緊張する時間を味わうのもなんとしても避けたい。

じっとしよう…。

死ぬ気の根性でじっとしていよう。

痒くなっても掻かない。

痒くなったら、冷やす。

そんな感じに三日間過ごすのだ。

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眼瞼下垂手術までの道のり~その3~

眼瞼下垂の手術をしたいと思いつつ、2年が過ぎたある日、とりあえずカウンセリングだけでも行ってみようと思った。

もしかすると、自分で眼瞼下垂だと思っているだけで、全然違うのかもしれない。

どこで手術をするとか、手術ができるタイミングで…などと思っていたら、一生手術はできないような気がして来た。

 

良さそうな病院をリストアップしていくと、一番しっくり来た病院がたまたま比較的通いやすい場所にあることがわかった。

 

保険適応の手術を行う病院ではあるが、仕上がりの美しさにも定評があるようだ。

 

よし!まずは話だけでも聞いて来よう!と、さっそく電話をすると10月17日にカウンセリングの予約が取れた。

 

 

まずは看護師さんから、細かい説明や問診を受けた。

ここで行う眼瞼下垂の手術は美容目的ではないことを念押しされた。

「もちろんです!」

と、不必要なほど自信満々に答えると、看護師さんは

「そうは言っても、先生はちゃんと考えてくださいますよ」

と、微笑んだ。

 

その後、先生の診察。あたりの柔らかいとても感じのいい先生で、ホッとした。

瞼にちょっとした重りを張り付けて、

「ベロをペロっと出して目を開けてください」

と、言われる。

 

え?そんなのすぐできるよ!…と、目を開こうとすると、何故か目が開かない。

 

「あれ?開かない!なんでだろう!?」

 

冷静に考えると、かなり間抜けな薄らバカのような顔をしているはずだが、その時は必死だった。

先生の解説によると、普段歯を食いしばって目を開いているからなのだと言う。

おでこに目一杯皺を寄せて、開いている自覚はあったが、歯を食いしばっていたとは…!

 

その後、瞼をクリップで止めて、目を見開いた状態を作ってくれた。

 

「どうです?よく見えるでしょう?」

 

と、先生。

 

凄い!視界が広い!明るい!なんかクリアーな感じ!

 

…でも、目がスースー涼しい。

しばらく伸ばしていた爪を切った時、それまで爪に保護されていた爪の生え際の指が、やたら敏感に感じるみたいに、無防備な感じ…。

でも、これはすぐに慣れるのだろう。

 

顔に力を入れなくてもこんなに視界が広がるのか…!

 

診断の結果

 

「これは眼瞼下垂ですね」

 

と、言われる。

 

「そ、そうですか!!!いや、そうなんじゃないかな…と思いつつ、大したことないにの大袈裟なのかもって思ったりしてたんですけど」

 

「いえ、ちゃんとした眼瞼下垂です

そうかぁ…!ちゃんとした眼瞼下垂かぁ…!

気持ちは複雑だった。

自己診断が当たっていて大袈裟だったワケではないことが証明されたのは嬉しかった。

 

「いや、小さいころから、おでこに皺をよせないと目があかないからおかしいなって思ってたんですけど、やっぱりそうだったんですね…」

 

私のどうでもいい感想にも先生はちゃんと付き合ってくれつつ、自分も眼瞼下垂の手術をしたのだと、自分の瞼を見せてくれた。

 

「え!先生もやってるんですか!」

先生の傷跡は、言われても全然わからなかった。

「これって、一回やっても10年度20年後とかにまたやらなきゃいけなくなったりするんですか?」

「いや、大丈夫です」

 

その頃には、怖さよりも手術をやりたい気持ちが高まって来てしいまい、その場で手術を決意した。

物腰柔らかくごり押ししない先生の雰囲気に好感が持てたことと、先生自身が手術をしているという事が大きかった。

 

以前、産後の不調でちょっとした手術をした時の医師は、威圧感があって

「僕はこの手術は毎日やってるし、全然大丈夫」

 

と、胸を張っていたが、術後はとても辛く、地獄のような痛みでしばらくのたうちまわった。

自分はやったこと無いくせに「よく全然大丈夫」なんて言えたものだ…と、若干恨みに思い、以後、よほどのことが無ければ手術なんてしない方がいい…と思うようになっていた。

 

だが、この先生は自分でも手術を受けている。身をもって知っている人のいう事は説得力がある。

 

手術は約一か月後の11月20日なった。

 

 

よし!やる!手術受けるぞ!違うステージに行くぞ!

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眼瞼下垂手術までの道のり~その2~

眼瞼下垂症により、明らかに瞼が下がって来た。

常に疲れているような、気力の無さそうな目付き。

気力の無さそうな目つきに関しては、ぶっといアイラインを引くことで、対処していたが、それで対処できているのかは怪しいものだった。

 

年を取った人がなぜあんなに太いアイラインを引くのか理解ができなかったのだが、自分がその年齢になるとよくわかって来た。

若い頃は

「不自然に太いラインを引くとかえって老けてみるのにわかってないなぁ」

 

 

なんて思っていたが、他に対処のしようがないということをわかっていないのは、私のほうだった…。

 

眼瞼下垂症を自覚すると、頭痛や眼精疲労や肩こりもひどくなってきたような気がして来た。目を見開くために、おでこの筋肉で頑張っても、前よりも目が開かなくなって来た。

 

そして、最近では母に起きる体の不調は大体自分にも降りかかって来ることが分かって来た。母の目の大きさは、若いころの三分の一くらいしかないように見える。

自分の目を3分の1くらいに細めて周りを眺めると、最早何かの隙間から景色をみているようで、本当に鬱陶しい。

 

「ためしてガッテン」の眼瞼下垂特集では、では、アイプチやテープなどで、瞼を上げるだけでも症状は緩和するようなことも言っていた。

さっそく、何種類かアイプチやテープを買って挑戦してみた。

コンタクトレンズを入れたり、日々の化粧のような感じで瞼を上げられれば…と、希望を持ったのだ。

確か五月みどりが自ら書いた美容の本でも、瞼をテープで張って目を開きやすくしているようなことを書いていた。

年配の女優さんでも、明らかに目を何かで張り付けているような人もいる。

 

だが、不器用なせいか、それとテープやアイプチに適さない瞼だったのか、全くうまく行かなかった。ボンドのカスが瞼に張り付いて小汚くなったり、瞼がてらてら光ったり、よれて皺が目立ったりと、何度やっても大失敗だった。

解決するなら、手術しかないのではないだろうか

 

手術で解決できるものなら、解決したい…!

その思いは膨らんでいった。

というか、手術をしたいと悩んでいることにも飽きて来ていた。悩むにしても違う展開で悩みたい。さっさと、手術をしてしまいたい!

 

そして、私が上手く行ったら、母にもその病院を進められる…!

 

そう思いつつ、仕事のタイミングもあり、病院も決めかねている間に2年が過ぎたのだった。

 

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眼瞼下垂手術までの道のり~その1~

自分が眼瞼下垂症だとはっきり、気づいたのは2015年のことだった。

 

眼瞼下垂症について、初めて耳にしたのはもっとずっと前だ。

母が、自分は眼瞼下垂症だと言い始めた頃なので、おそらく7、8年前だ。 

 

眼瞼下垂ってなんだ?

当時はよくわからなかったが、言われてみると、母の目は若い頃よりずっと小さくなっていた。

瞼が目に覆いかぶさっていて、アイシャドウを入れたり、アイラインを引いても隠れてしまう。

モノが見えづらいとも訴えいてた。テレビで、眼瞼下垂についてやっていて、自分もそうだと気づいたのだと言う。

 

不便だから手術したいが、どこでやったらいいかわからないと、言っていたので私も時々ネットで調べてみたりした。

 

すると、瞼の筋肉で目が開けられないので、額の筋肉である前頭筋を使ってまぶたを上げるようになり、額の皺が深くなる…というようなことも書いてあった。

 

「あれ?これ私のことじゃない?」

 

加齢で瞼の筋肉が衰えて、そうなるような記述があったが、私は赤ん坊の頃から、おでこに皺があり、髪の毛も3歳くらいまであまり生えなかったので、父親によく「子ザル」と、からかわれていた。

 

少しアップで写真を撮る時に、目を開くと

「おでこに皺をよせないで」

と、いつも注意を受けていた。

 

よくわからないがそういう顔なのだと思っていたが、それは瞼の筋肉の機能が悪いせいなのかもしれない。

 

だが、おでこに皺を寄せれば目は開けられる。

当時は、まだ今よりも若かったので、今からでも瞼の筋肉を鍛えれば、額に皺を寄せなくても目が開けられるようになるかもしれない…と、希望を持っていた。

眼瞼下垂症の症状と言われる、眼精疲労や肩こりや、頭痛もあるにはあったが、普通に酷使しているせいで、眼瞼下垂症のせいばかりでもないだろうと思っていた。

 

母の症状の方が余程深刻だった。

ネットの口コミで調べてみてもどの病院がいいかはわからなかった。病気であるので、保険適応の手術でいけるのだが、場所が目なので、機能さえよくなればいいというワケでもない。明らかに見た目に違和感のある目になったりしたら、大変だ。保険治療の範囲で手術をやっている病院もあれば、症状によっては自費であったり、あるいは最初から美容を念頭に置き、自費でしか手術をしない方針の病院もあるようだった。

保険治療をやっている病院は、あくまでも治療なので、見た目だけを重視して美容整形で手術をしたら、とんでもないことになりそうなことが書いてある場合もあり、自費でのみの手術しかしていない病院は、治療ではあっても目元は印象を左右する大事な場所なので、美意識を持っている美容外科でやるべきだと書いてあったり、調べれば調べるほどワケがわからなくなった。

 

 

手術を受けた人の口コミを読んでもよくわからない。どの病院も良かったという人もいれば、失敗だったと言っている人もいる。

 

結局どの病院も母には自信をもって勧められなかった。

 

そして、2015年のある日…。

眼精疲労や首、肩の凝りは相変わらず激しかったが、職業病だと諦めていた。だが、たまたま誰かが撮影してくれた自分の写真を見て、驚いた。

 

「まぶしいのかな?なんで目が半開きなんだろう?」

 

死んだ魚のような目で微笑んでいる。鏡で自分の顔を見ると、頑張ればちゃんと目は開くし、たまたまそういう写りなのだと思っていた。

だが、その後、どの写真も眠そうだったり、気力の無さそうな顔なのだった。

顔の筋肉を鍛えれば治ると思っていたが、悪化しているのではないだろうか…。

 

真剣に眼瞼下垂症について、悩むようになったのだった。

 

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眼瞼下垂症手術!!!

数年間、悩んでいた眼瞼下垂症の手術をしてきました。

詳細は、また後日記しますが、経過の写メをアップします。

グロいの苦手な方は、ご注意ください。

閲覧注意

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手術直後

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手術当日夜
直後は、視界が広がり爽快でしたが、夜腫れて来ました。
3日くらいは腫れまくるらしい。

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土砂降りの中、娘と抱き合う

朝、ニンタマをレッスンに連れて行く。

先週、休んでしまったことを受け付けで詫びると、

「ショーに向けてのレッスンなんで、厳しいと思いますが、ついていけるように頑張りましょう」

と、言ってもらえる。

レッスンの終わる前に、皮膚科の予約を取り、自転車で迎えに行く。

だが、途中で雨が降り始め、土砂降りになってしまった。

 

レッスンの終わったニンタマと駐輪場で雨宿り。

「どうだった?レッスン大丈夫だった」

 

「うん、大丈夫」

 

「わからなくて困ったりしたことなかった?」

 

「…うん、最初、踊りがわからなくて踊れないでいたら、わからないならこっちでってニンタマ端っこになっちゃったよ~!!!

 

そう言いながら、ニンタマは感極まって泣き始めた。

やっぱり、そうか…と、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、

「ごめん、それはニンタマのせいじゃなくて、ママのせいだから、本当にごめん」と、

雨の中、ニンタマをぎゅっと抱きしめる。

演劇を始めたばかりのころ、当たり前にやることのレベルがわからず、適当にしかセリフを覚えておらず、同じお芝居の中で2回役を降ろされたことなどをぼんやり思い出した。

あれは、明らかに自分が悪かったのだが、当時は結構ショックだった。

 

すぐ止むと思った雨は全く止まず、ビニール傘を買って差しながら、自転車を引いて皮膚科へ。

二人ともずぶ濡れなりながら、やっと病院にたどり着く。

予約の番号はとっくに呼ばれていたのだが、戻った旨をつたえ、順番を待った。

ところが、1時間ほどたっても全然呼ばれない。

呼ばれた時にいなかったことへのペナルティでもあるのかというほど、後から来た人ばかり呼ばれていく。受付には3人の職員がいて、ずっとおしゃべりをしている。

わざとらしく「まだかがなぁ」と、聞えよがしに呟いてみたが、聞こえていない様子。さすがにおかしいと、「あと何人で呼ばれますか?」と、聞きに行ってみる。

「あれ?そういうえば予約番号取って、戻って来たって随分前に言ってましたね」と、お互い顔を見合わせているだけの受付さん達。

そのうちの一人が「お待ちくださいね」と、診察室の中へ行ったかと思ったら、すぐに予約番号が呼ばれた。

普段は忘れられてもあまり気にしないのだが、この日は私もニンタマもズブ濡れ。しかも、この後、滋賀に戻らなければならないので焦っていた。

そんな時に限って忘れられていたらしい。

間が悪い。

 

今日は、イボだと言い張る女性医師ではなく院長の診察だった。

「うん、よくなってますね。ザラザラしている所にだけ、ステロイド塗って、後は保湿のヒルドイド塗ってください。では二週間後、お会いしましょう」

診察はあっさり終わった。

イボで液体窒素で焼かれまくったせいで、湿疹になったのでは?という疑惑を持ちつつ通っていたが、今日はずぶ濡れなのに、予約をすっとばされて一時間待たされた。よりによって、今日は滋賀へ戻らなければならない。

この時点で、4時を過ぎていた

大急ぎで帰宅し、濡れた服を着替え、再び三鷹駅へ向かい、なんとか6時発の「のぞみ」に間に合った。

 

この二日間ニンタマはびっくりする程、いい子だった。プン助と一緒の時は、すぐにイライラしたり、怒ったり、機嫌を悪くしたりで、

家にスケバンがいる」

と、私はいつも怯えてビクビクしているのだが、マンツーマンでいると、天使のように優しく物わかりがいい。

自分をちゃんと見てもらえていると思うと、こんなに違うのか…とびっくりする。

9時過ぎに無事に滋賀の家へ着くと、シャワーを浴びたにも拘わらず、汗だくで酸っぱい臭いをさせたプン助が抱き着いてきた。

ああ、このヌルヌルしてムチムチした感触、懐かしい…。だが、帰宅早々、プン助がシャツから私の胸を出して吸いつこうとしたので、

「今はやめて」

と、押しとどめた。

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ムチムチ子豚を滋賀へ残し、娘と帰京し、ゴリラ先輩と語る

ニンタマを連れて、一時帰京。

先週の2日、ニンタマのミュージカルの習い事を、私のミスで休んでしまった

9日にも9時から15時までのレッスンがあり、本来、そこは休むつもりでいたのだが、全部で四回のレッスンの中、二回連続で休むと、さすがに27日の発表会に間に合わないだろう

仕事は新幹線の中でもできるし、8日の午後に一度東京へ戻り、9日のレッスンを受けさせ、ついでに湿疹の経過もあるので皮膚科も受診して滋賀へ戻る…という算段だ。

お義母さんにその旨を伝えた時、プン助が「プン君も行く!」と、言い張ったら大変だから、病院へ行くといって、さりげなく消えて、病院が混んでてもどれなくなっちゃった…と、いうことにした方がいい…とアドバイスを受ける。

7日に従兄の12歳のお兄ちゃんのT君も来ているが、やはりいきなり姉と母が一晩留守をするのはショッキングに違いない。

8日、プン助がT君と一緒に琵琶湖へ行くという浮かれているタイミングで、

「じゃあ、ママはニンタマと病院行ってくるね」

と言うと、全く疑いもせずに上機嫌に「バイバイ~」と、手を振っていた。

作戦成功…と、思ったのもつかの間、いつもは煩くてウザさ満載のプン助のことが気になって仕方なくなった。

新幹線で大騒ぎしている子供を見て、

「うちもプン助がいたら、大変だっただろうな。アイツがいないとなんて楽なんだろう」

と、思う一方、

あのムチムチ野郎、今ごろ寂しがってないかな…ママとネエネがいないってショック受けてないかな」

と、ちょっとしたプン助ロス状態。

なんて面倒くさいのだろう。普段のウザさと、いない物足りなさの中間みたいなのが丁度頃合いがいいのだが、ウザさと寂しさの二択しかないのが、なんともなぁ…。

 

お義母さんが、

「友香さんが帰ったら、(旦那さんが)一食でもごはんつくらなくていいから、楽なんじゃない」

と言って、畑で採れた野菜をいっぱい持たせてくれた。これは、作らないワケにはいけないなぁと、スーパーで肉などを買い足して帰宅すると、たまたま早く帰宅していた旦那さんが、既に夕食を準備して待ってくれていた。

あら、ご飯つくらないで済んじゃったよ…ラッキー!

 

一段落して、滋賀へ電話をして、プン助に代わってもらう。

「ごめんね、病院が長引いちゃって…、でも明日必ず帰るから、待っててね」

と、伝えると

「うん、寂しいけど、待ってる…」

と、プン助。

なんていじらしくて、可愛いんだ。普段はウザイけど。

いや、普段ウザイから、たまにいじらしい事をいうと、可愛いのだろうか?

ウザさと可愛さはセットなのだろうか?

とりあえず、明日は何があろうと帰らなければなるまい。

 

夜、久しぶりに旦那さんと語る。

実は来年、舞台をやりたいと思っているのだが、そのことについて話した。

旦那さんには、3,4年前から、

「いい加減舞台をやらないとダメだ」

と、言われ続けていた。

ここ、数年、ありがたい事に映像の脚本を書く機会を貰い、なんとか子育てをやりながらも仕事をやれていたが、舞台となると中々難しい。

演劇の稽古は後半になると、1時~10時くらいまでやるのが、普通なのだ。

最後に私が、舞台の脚本演出をやったのは、丁度東日本大震災の時期だった。

あの頃は、まだ子供もニンタマ一人だった。

当時ニンタマも1歳半。

私の母と旦那さんのお母さんに、代わる代わる面倒を見てもらうことも可能だった。

しかし、今はプン助もいる。

家ではいつも大騒ぎして、暴れたり泣いたり叫んだり、中々平和な時間帯がない有様。

稽古期間中、子供二人の面倒を見て貰うのは、さすがに申し訳なさすぎる。私が、高齢な上、子育て下手というのもあるが、私一人でも一週間、ワンオペ育児をすると疲れのあまり、精神が持たなくなってしまう。

公演を打つには、夜子供をどうするかが解決しなければ、無理なのだ。
 

○解決策

・近い稽古場を借りて、稽古場に子供らを連れてくる。

→あまりアダルトな内容の稽古はできない。稽古中子供が騒いで、出演者やスタッフに迷惑をかけてしまう心配がある。夜10時まで稽古場にいたとして、その後、帰宅したり風呂に入るとなると、子供は毎日夜更かしになってしまう。

・親戚や周囲の助けが無理な日は、シッターを頼む。

→二人の子供のご飯から風呂、寝かしつけ…などをお願いできるシッターはいるのだろうか?大体、安くても自給2500円くらいだとして、どれだけ掛かってしまうのだろう?(そんなお金はどこから出て来るのか?)そして、その間、自分は宿題をみてやったり、習い事…はともかくとして、最低限の洗濯や家事ができるのだろうか?稽古は打ち合わせがあったりして、時間通りに終わらなかったりする。シッターさんに頼むには、前もって何時から、何時と決まっていなければならないはず。一体、どのようにお願いすればいいのだろう?

 

色々考えても、考えがまとまらず、結果、いつの間にか6年近く経ってしまった。

見切り発車的に子供を二人生んだ考えなしの私は、その時点では、6年もの間、舞台をやれなくなるとは思っていなかった。

なんとなく、2、3年でまた公演がやれるような気がしていた。

なぜ、そんなに楽観的だったのだろう…。世間知らずな若者でもないはずなのだが、自分の考えの浅さに今更ながら驚く。

実際にやりたいと思えば思うほど、道のりが遠いと自覚せざるを得なかった。

舞台の脚本だけ書かせてもらったりはしていたが、いざやろうと思うと、どんどんブランクが開いていき、どうしたものか途方に暮れていたのも確かだ。

舞台にすべてを注いで生きられた若いころ(といっても30代)とは違って、日々のおさんどんとや、家事、子供の生活にまつわることにもかなり時間とエネルギーを費やされる。

その上、体力はどんどん落ちている。

舞台から離れれば離れるほど、舞台をやりたい気持ちは膨らむのだが、最早道が見えない。

しかも劇団宝船は今まで「恋愛ホラーコメディー」をモットーに作品を作っていた。

だが、今、常に夜は家にいる生活で、周囲の恋愛事情からもとんとご無沙汰。自らが滝に打たれるように、恋愛修行をしていたのも、遠い他人事のようにしか思えない有様。

ここ数年は、糞尿にまみれ、おさんどんと家事に追われ、友達と語る時間もなく、迫りくる老いに怯え、誰とも何も分かち合えず、誰かと距離をつめて親しくなる余裕もなく、かといって落ち込む余裕もなく、完全に自分の立ち位置を見失っている有様。

何をやっても迷走としか感じられず、ずっと焦っていた。ずっと舞台をやりたいと思っていたが、今舞台をやりたいという思いも迷走なのかもしれない。

舞台をやりたいと願いつつ、数年ウダウダ悩んでいたのだが、やれない理由を考えても仕方がない。もはや腰を上げてから、やれる状況を作った方がいいような気がして来た。

というわけで、来年絶対舞台をやる…と決めたのだが、旦那さんに

「俺はずっと前から、舞台をやらないと駄目だって言ってたのに、まあ家のこととか考えてくれてたんだろうけど、ずっとやらなかったから」

などと言われ、なぜか、険悪になってしまう。

だから、やるって言ってんじゃん!でもさぁ…どう考えても無理だったんだよ!来年からはプン助も学校だから、とりあえずお迎え行かなくても帰ってくるし、それでできるかなって思ったけど。」

「だから、そういうこと言ってたら、ずっとできないから、もっと早くやった方が良かったんだよ」

「でもさ、もうブランクありすぎて、やりたいこといっぱいあるつもりなのに、どうやったらいいかとか、ちゃんと演出とかできるのかとか色々心配だったし、子供だって熱だしたりするしさぁ

「そういうこと言ってるから、やれないんだよ。何かを決断しないと、埋もれていくだけなんだ。お尻を切らないとやらないタイプじゃん?早く決断しないと、やれないまま終わるんだって」

「だから、やるって言ってんじゃん!」

と、堂々巡り。

久しぶりに語る時間が出来て、折角応援してくれているのに、何故か楽しい雰囲気にならず、夜は更けて行き、疲れ果てて寝る。

 

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琵琶湖で泳ぐぜ

 

午前中は仕事をさせてもらい、午後から、琵琶湖へ行く。

お義父さんが、仕事でいないので、お義母さんとニンタマとプン助と歩いて20分ほどの真野浜へ。

初めて琵琶湖で泳いだ時は、沖縄やバリ島やハワイの海と違って濁っているし、色鮮やかな魚もいないと、今一つ気乗りしなかったのだが、毎年琵琶湖へ来るようになってだんだん琵琶湖が好きになっていた。

シーズンによっては、シジミ貝が取れるし、よくよく見ると色鮮やかではないが、ちゃんと小魚なども見える。

何より、海みたいに塩辛くないので体がべたべたしない。

波もあるにはあるのだが、海ほど激しくなく穏やか。

ニンタマなどはプールではそれほど泳げないが、琵琶湖ではあの魚をもっと見たい…みたいな目的意識が芽生えるのか、びっくりする程、長くもぐったり泳いだりする。

プン助も昨年まではどんなに言っても顔を水面につけなかったのだが、今年は保育園のプールで友達が顔をつけて泳いでいる様を見たせいか、急に顔をつけて泳ぐようになった。

プン助はもともと、親がどんなに言っても自分で服を着たり、靴を履いたりせず、いつも親にやってもらおうとするタイプなのだが、自分で服を着たら○○へ連れて行ってあげるよ、などと言うと、ものすごい速さで靴を履いたり服を着たりする。

一度も自分でやるところを見たこともなく、練習もしていないのに、今まで全然やらなかったことが突然できるようになる。

そういう様をみると、親が焦って何かをやらせようとするのは意味がないような気がする。

ニンタマも親の言うことを素直にやってみるタイプではなかったが、それでも3歳くらいから、言えばお風呂で顔を水につけたりしていた。

だが、プン助は何度いってもやらなかった。

プールや琵琶湖へ行っても浮き輪でぷかぷかするだけだった。だが、ついに水面に顔をつけるようになった。

今日も琵琶湖で見様見真似でクロールもどきをやっていた

 

手とり足とり教えると打てば響くようにできるようになる子供も、世の中にはいるのかもしれない。そういう子供を羨ましく思うこともあるが、プン助のとことんマイペースな性格が羨ましくなったりもする。

 

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いざ、滋賀へ!

滋賀へ移動。

私とニンタマとプン助の3人で旦那さんの実家の滋賀へ帰省。

旦那さんは8月11日~13日から學蘭歌劇『帝一の國』のライヴ、大海帝祭の本番に出演するため、一人だけ東京に残る。

最近、プン助は大分日本語が通じるようになったので、少しは楽かと思いきや、新幹線移動はやはり、大変だった。

奇声は発するし、ホームでもすぐどこかにいなくなる、椅子の上に立ち上がって前の席を覗き込み、時には前の人の頭を触る。

全く気が抜けない。

私の注意はそよ風のように無視される。

ニンタマは乗り物酔いをするから寝ると言って、アイマスクを持参していたのだが、そのアイマスクを羨ましくなったプン助が、ニンタマからアイマスクを奪い取ろうとして大騒ぎ。

ニンタマが

「じゃあもういいよ!」

と、あきらめてプン助に譲ったので、私は苦肉の策で、自分のアームカヴァーを右腕と左腕を結んでつなげ(全く役に立たない代物だったが)、

「これを目の上に載せたら?」

と、渡してみた。

だが、プン助は

「これもプン君の!」

と、奪い取ってしまう。

そして、そのアームカヴァーをアイマスクの上に乗せては、

「すぐに落ちる!ちゃんと結んで!」

と、そこまで怒る必要があるのかというほど、激昂…!

アームカヴァーは目の上に乗せるものではないので、、すぐに落ちるし、つなぎ合わせても後ろで結べるほどの長さもない。落ちるのは当たり前なのだ。

何度結びなおしても落ちてしまい、無駄に自分の仕事を増やしてしまっただけの結果になった。

その後、ニンタマが寒いというので、私のシャツを貸すと、

「プン君も寒い!」

と、それを奪い取る

「プン君は自分の長そであるじゃない」

と、出してやってもそれを通路に放り投げてしまう

私がもう一枚、カーディガンを出しても、

「これもプン君の!」

と、一人でシャツとカーディガンを体にまきつけてミノムシみたいになっている。

結局ニンタマも

「もう寝ない!」と宣言。

ずっと喧嘩をしているかと思ったら、急にげらげら笑い合ったり、うるさくて仕方がない。

私の方が眠くなってウトウトすると、

「ニンタマが押した!」 「プンが蹴った!」

と、私を揺さぶって起こしてくる。

眠い時に起こされると、激昂してしまう癖がある私は、ずっと怒鳴りっぱなし。

近くにやはり、3人の子連れのお母さんがいて、ずっと子供に怒鳴っているのが聞こえて来て、その車両の中でうるさいのはウチだけじゃないと、少し安心する。

その親子連れは名古屋で降りたのだが、通路を通る際、お母さんが私を見て、微笑んで会釈をして行った。向こうも同じ気持ちだったようだ。

隣に座っていた気難しそうなおじさんに、京都駅で降りる間際、「お騒がせしてすみません」と、謝ったら、

「グッドラック」

という感じに手を振ってくれた。

 

 

 

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皮膚科&ダンスレッスン

皮膚科にアレルギー検査の結果を聞きに行く日。

明日から旦那さんの実家の滋賀へ帰省するので、その前になんとしても受診しておきたかった。

水曜日は院長がいるので院長に診てもらえる。

朝一で皮膚科へ向かう。

名前を呼ばれ診察室へ入った瞬間、凍り付いた。

診察室にいたのは院長じゃなかった。

散々、液体窒素で焼く治療をした女性医師がいたのだった。

マジか!

今日は院長に診てもらえると思ってわざわざ朝一でやってきたというのに…。

真相は定かではないが、私は、この女性医師がイボだと言って、何度も液体窒素で焼いたせいで湿疹がひどくなったのではないか…と、思っているのだ。

行ったことはないが、ピンサロやファッションヘルスみたいに「チェンジ」できるとも思えない。(頑張ればできるかもしれないが)

ガックリ来たが、仕方なく

「先週、イボではなくストロフルスだって院長先生に言われたんですが…」

と、訴えてみる。

すると女性医師は

「どうなんですかね…イボもあると思うんですけど…」

と、ちょっと不服そう。

え?!この期に及んでまだイボって言いますか?

っていうか、また液体窒素で焼かれたらどうしよう!?

と、緊張が走る。

先週、とりあえず強い薬(ステロイド)で湿疹を治しましょうと、処方された薬で大分綺麗になっていた。

ここでまた焼かれてしまったら、元も子もないではないか…!

だが、この日は液体窒素治療はせず、

引き続き今の薬で様子を見ましょう」

ということになり、ホッとした。

肝心のアレルギー検査は、どの数値も全く問題がないとのことだった。

ただ、今までも何度検査しても異常はなかったのに、時折ひどい蕁麻疹や湿疹が出たり、何度も鼻炎で蓄膿にや中耳炎になっているので、油断はできない。

最初は誤診?とも思ったのだが、冷静になってみると、最初のきっかけはやはりイボだったのかもしれない気もして来た。

液体窒素で焼いた跡を掻き毟ったことで湿疹が発症してしまったが、些細なきっかけでトラブルを起こしやすい体質なのだろう。

とりあえず、安心してそのままニンタマを学童へ送り届け、自分は自分の仕事に専念したのだが、ふと嫌な予感がして手帳を見て、愕然とする。

 

ニンタマはこの5月から、ミュージカルの習い事を始めていたのだが、この日は夏休みの後半にある発表会に向けて、朝の9時~15時まで、ほぼ丸一日レッスンがある、最初の日だったのだ。

忘れてはいけないと、手帳に大きく丸印まで書いてあった。

体を動かすのが好きみたいだし…と、軽い気持ちで、提案した習い事だったが、歌詞カードを命より大事にするように…などとかなり体育会系で、レッスンについていけない子は容赦なく出番も減らされ、立ち位置も後ろや端になると言われていた。前回のレッスン時、ニンタマは、

「3列あるんだけど、前から2列目になれたんだよ!」

と、喜んでいたのに…。

そもそも、3日に滋賀へ帰省することにしたのは、2日にこのレッスンがあったらからではないか…。

皮膚科の院長が水曜日にしかいない…ということで2日の水曜日にに皮膚科に行くことで頭がいっぱいになり、肝心なレッスンを忘れてしまった。

 

ごめん!ニンタマ!

 

少し早く帰宅したので学童までニンタマを迎えに行こうとしたら、帰宅途中のニンタマにバッタリ会った。

「わぁ、ママ~!」

と、何も知らずに、嬉しそうなニンタマ。

「ごめん、今日ね、レッスンだったんだよ。ママ、忘れてて。多分今日、初めてダンスの振り付けやったり歌やったりする日だから、ママのせいでニンタマ後ろの列になっちゃうかもしれない。本当、ごめん!」

ニンタマはショックを受けて泣くかもしれない。どんなに責められても、謝り続けようと、覚悟をしていた。

だが、ニンタマは

「まぁ、いいよ」

と、あっさり許してくれた。元々気のいいところのある性格ではあるが、

なんと言っても、まだ7歳。

皆が進んでいて自分が遅れていて、つらい思いをする…という経験がないから、それがどういうことかわからず、許してくれたのかもしれない。

次のレッスンを受けた時に、きっと人生で初めてくらいの辛い思いをするに違いない。

色々、感極まり、ギュウギュウ抱きしめ、謝り続けた。

 

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